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出会い

作者: 森本有介
掲載日:2026/02/23

二十年近く通っている美容院があります。

月末になると、ふと思い出す出来事です。

 僕はもうずっと前から、月末には必ず美容院に行くことにしている。


 通っているのは夫婦二人でやっている小さな店だ。居心地がよくて、気がつけば二十年近く通っている。


 ただし問題がある。


 腕はいいのだが、ちょっとおしゃべりなのだ。


 しかも僕が話したい話題は大抵させてもらえない。会話が盛り上がっていても、僕が想定外の意見を言うと急に機嫌を悪くして黙り込む。扱いにくい人だった。


 それでも毎回、僕のイメージ通りに仕上げてくる。


 美容師とはこういうものなのだろうか。職人というべきか、あるいはアーティストというべきなのか。


 ある月末の日のことだ。


 どういう流れだったか忘れたが、「天然物と養殖物の魚の味の違い」という話になった。


「ユーサクさんは天然と養殖、どっちが好き?」


 美容師がそう聞いた。


「まあ、その日の体調とか気分とかあるけど、それぞれの美味しさがあって、どっちも好きだけどね」


 僕がそう答えると、美容師は言った。


「俺、味の違い全然わからん」


 ――そりゃあタバコの吸い過ぎで舌がバカになってるんじゃないの。


 もちろん口には出さない。思っただけだ。


 そこで僕は、ふと思い出して言った。


「そういえば、この前テレビで寿司屋の親方が言ってたけど、味の違いって十歳くらいまでに食べたもので決まるらしいよ。大人になってからじゃ遅いって」


 その瞬間だった。


 美容師の顔色が変わった。


 何も言わない。


 ただ鋏だけが動き続ける。


 シャキッ、シャキッと乾いた音だけが店の中に響く。


 ――え? 何かまずいこと言った?


 しばらくして美容師は別の話を始めたが、空気はどこか硬いままだった。


 そのままカットは終わり、美容師はインターホンで二階にいる奥さんを呼び、交代して上がっていった。


 陽気な奥さんの明るい声が店に広がる。


 シャンプーをされながら、僕は考えていた。


 何か、もやもやする。


 何か悪いことを言ったような気がする。


 そんなに変なことを言ったのだろうか。


 誰か教えてほしい。


 考えてみれば、この美容院では何度も似たようなことがあった。


 話が噛み合わないこともある。


 空気が凍ることもある。


 それでも翌月になると、僕はまたここに来る。


 予約の電話をかけると、向こうはいつもの声で答える。


「はい、いつもの感じでいいですか?」


 鏡の中には、いつもの通りに整えられた僕の髪が映っていた。


 その仕上がりだけは、いつも完璧だった。


 あの美容師は去年、脳梗塞で倒れた。


 今は施設にいると奥さんから聞いた。


 歩くことも難しいらしい。


 店はやめずに、奥さんが一人で続けている。


 僕も今は、その奥さんに髪を切ってもらっている。


 月末になると、いつものように予約の電話をかける。


 受話器の向こうから、あの明るい声が聞こえる。


「はい、いつもの感じでいいですか?」


 ときどき、あの美容師と話した日のことを思い出す。


 鋏の音だけが響いていた、あの気まずい沈黙のことを。


 あのとき僕は、いったい何を言い間違えたのだろう。


 今となっては、それを確かめることもできない。


 それでも僕は、来月もきっとあの店に行く。

人との関係というのは、不思議と続くものだと思います。

読んでいただきありがとうございました。

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