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第6話 マシロの放送事故を阻止せよ

 午前二時。

 それは「丑三つ時」とも呼ばれる、現世と常世の境界が曖昧になる時間帯だ。

 だが、ここアトリエ棟最上階の生徒会室において、その言葉は別の意味を持つ。

 すなわち、クリエイターの理性が崩壊し、脳内麻薬エンドルフィンがドパドパと分泌される『魔の時間ゾーン』の到来である。


 カチカチカチカチッ……ッターン!

 ゴォォォォ……。


 静寂な部屋に、狂ったようなキーボードの打鍵音と、フル回転するPCの冷却ファンの轟音が響き渡っていた。

 部屋の照明は落とされ、頼りはモニターのブルーライトと、デスクライトの灯りだけ。

 空気中には、エナジードリンク特有の甘ったるい化学的な匂いと、熱を持った電子機器の匂いが充満している。


「……色が、色が歌ってる……」


 デスクの奥で、カレンが虚ろな目で呟いた。

 彼女は既に人間としての尊厳をかなぐり捨てていた。

 制服のリボンは解かれ、ブラウスのボタンは第二まで外されている。銀髪はシュシュで適当にまとめられ、足元は裸足だ。

 だが、ペンを持つ右手だけは、神が宿ったかのような速度で動いている。


「そこ、彩度落として。影色は補色を使って深みを出せ」

「はいっ、マエストロ!」


 俺の指示に、カレンが即座に反応する。

 俺は彼女の背後からモニターを覗き込みつつ、自分のノートPCでファイル管理を行っていた。


「セリカ、キャプションの進捗は?」

「……ふふ。素晴らしい。降りてきたぞ、言葉の精霊が」


 窓際でノートPCを叩くセリカは、不気味な笑みを浮かべていた。

 普段のクールさはどこへやら、鬼気迫る形相でテキストを打ち込んでいる。


「『この蒼は、世界の深淵アビス。少女の涙が結晶化した、刹那の輝き――』……どうだ、ナイン。この一文、魂が震えないか?」

「ポエム過ぎます。もう少し商品の仕様を伝えてください。『フルカラー、B5変形、32ページ』の情報が抜けてます」

「風情のない男だ……だが、善処しよう」


 文句を言いながらも手は止めない。スランプだったのが嘘のようだ。

 やはりクリエイターというのは、適度なストレスと強制力《締め切り》があった方が輝く生き物らしい。


 順調だ。

 このペースなら、朝の入稿に間に合う。

 俺が少しだけ安堵の息を吐いた、その時だった。


「ねぇ、パパぁ……」


 甘えたような、それでいて焦燥を含んだ声が聞こえた。

 サブモニターの前で3Dモデリング作業をしていたマシロだ。

 彼女はヘッドセットを首にかけ、涙目でこちらを見ている。


「どうした。レンダリングがエラー吐いたか?」

「違うの。……忘れちゃってたんだけど、今日……ううん、あと十分後から、『定期配信』の時間だった」


 俺の手が止まった。

 部屋の空気が凍りつく。


「……は?」

「毎週水曜の深夜は、『マシロンのナイショの深夜雑談』の日なの! 予約枠取っちゃってるし、スポンサーの手前、ドタキャンできないのぉ!」


 白雪マシロ。大人気VTuber。

 企業案件も抱える彼女にとって、配信の穴あけは信用の失墜を意味する。

 だが、今の状況を見てほしい。

 背景は修羅場。メンバーは限界状態。PCのリソースはカレンの絵の処理に使いたい。


「……中止だ。体調不良ということにしろ」

「やだ! 先週も休んだの! これ以上休んだら、『マシロン引退説』とか『男と旅行疑惑』とか書かれて炎上しちゃう!」

「実際、男(俺)と一緒にいるだろうが」

「だからこそだよ! アリバイ作りしなきゃ!」


 マシロは頑として譲らなかった。

 承認欲求モンスターの彼女にとって、ファンとの繋がりを断つことは死に等しいのかもしれない。

 俺は眉間を揉んだ。

 リスクが高すぎる。配信中にカレンの声が入れば終わりだ。セリカのポエム朗読が入っても放送事故だ。

 だが、マシロのモチベーションを下げれば、3D作業が止まる。それはそれで困る。


「……はぁ。分かった」


 俺は覚悟を決めた。


「許可する。ただし、条件がある」

「ほんと!? パパ大好き!」

「抱きつくな。条件は三つ。一、配信時間は三十分厳守。二、指向性マイクの感度を絞り、周囲の雑音を極限までカットする設定にする。三、俺がミキサー卓《裏方》に入る」


 俺はマシロのPCの横に椅子を移動させ、自分のPCとケーブルで接続した。


「俺がリアルタイムで音声波形を監視する。もしカレンやセリカが余計なことを喋ったら、0.1秒でミュートにするか、BGMで掻き消す。……いいな?」

「うん! 任せたよ、天才エンジニア様♡」


 マシロは手早く『アバター』の準備を整え、表情を一変させた。

 プロの顔だ。


『――ハイどうも〜! 国民的妹、マシロンだよっ☆』


 配信開始の合図と共に、マシロの声色が一段高く、甘いトーンに切り替わる。

 モニターの中では、可愛らしい3Dキャラクターが愛嬌を振りまいている。

 だが、現実リアルのマシロは、死んだ魚のような目でエナドリを飲みながら、器用に声を当てている。この落差。現代の闇だ。


『ごめんね〜、今日はちょっと機材の調子が悪くて、お部屋のお掃除もしなきゃで、バタバタしてるんだぁ』


 嘘ではない。精神的な意味でバタバタしている。

 コメント欄が滝のように流れる。

 『マシロンたん可愛い!』『深夜にお疲れ様!』『掃除手伝いたい!』

 平和な世界だ。

 だが、現実は戦場だ。


「……うぅ……腰が痛い……」

「……んん……この表現、陳腐か……?」


 背後でカレンとセリカが呻き声を上げている。

 俺はオーディオミキサーのフェーダーに指をかけ、神経を研ぎ澄ませた。

 彼女たちの声の周波数帯域だけをリアルタイムでイコライジングし、カットする。

 ノイズゲートの閾値を調整。キーボードの打鍵音は『環境音《ASMR》』として微かに残し、生活感というスパイスにする。


『あ、スパチャありがと〜! 〇〇さん、大好きっ♡』


 マシロはコメントを拾いつつ、手元のサブPCで3D背景のレンダリング設定を進めている。器用なやつだ。

 順調に進んでいた、その時だった。

 最大の危機は、最も警戒すべき人物から訪れた。


「……んあぁっ! もうっ! ブラのワイヤーが食い込んで痛いぃっ!」


 カレンが突然、大声を上げた。

 極限の集中と疲労で、理性のタガが外れたのだろう。彼女は椅子の上でエビ反りになりながら、あろうことか制服のブラウスを捲り上げようとした。


「脱ぐ! もう脱ぐわ! 開放感が必要なの!」


 ――緊急事態発生。

 生徒会長の「ブラが痛い」「脱ぐ」という発言。

 これがマシロの配信に乗れば、学園の、いやネット社会の伝説となる。


 俺の指が疾る。

 ミュートボタン? 間に合わない。

 俺は瞬時にサンプラーを叩いた。


『――♪(軽快なファンファーレ音)』


 カレンの「んあぁっ!」という奇声に重なるように、大音量の効果音を被せる。

 同時に、マシロのチャットボックスに高速で指示を打ち込む。

 『ゲームの効果音ということにしろ! 何かのガチャ引いた設定だ!』


 マシロは一瞬目を見開いたが、即座に反応した。


『わぁっ! ビックリしたぁ! ごめんねみんな、裏で回してたスマホゲーのガチャ、SSR出ちゃった音だよぉ! てへぺろ☆』


 神対応アドリブ

 コメント欄は『ガチャ中毒乙』『何のゲーム?』と盛り上がっている。

 危機一髪。

 俺は冷や汗を拭い、カレンの元へ音もなく駆け寄った。


「(小声で)会長! 静かに! 今配信中!」

「……え? あ……ごめんなさい……でも、苦しくて……」


 カレンが涙目で訴えてくる。

 その顔は赤く上気し、ブラウスの胸元がはだけかけている。

 俺は舌打ちをしつつ、彼女の背後に回った。


「(小声で)ホック、一段階緩めますから。……じっとしてて」

「……ん。……九条くん、えっち」

「誰のせいだと」


 配信中のマシロの背後で、生徒会長の下着を調整する男子高校生。

 地獄絵図だ。どんな背徳的な同人誌だこれは。

 俺は震える手でホックを緩め、ブラウスを整えさせた。


「ふぅ……楽になった……ありがとう、ママ」

「ママじゃない。さあ、描け。あと一時間で仕上げだ」


 俺は席に戻り、再びミキサー卓に向かう。

 マシロがチラリとこちらを見て、ニヤリと笑った。

 その目は『やるじゃん、パパ』と語っていた。


 その後も、セリカが「ククク……血が、血が欲しい……(トマトジュースをこぼしただけ)」と呟くのを『ホラー映画の実況中』と誤魔化したり、俺がPCのファンに足をぶつけて「痛っ!」と言ったのを『飼ってる猫ちゃんが暴れた』ことにしたりと、綱渡りのような配信が続いた。


 そして三十分後。

『それじゃあ、今日はこの辺で! おやすみ〜、いい夢見てねっ☆』

 マシロが配信を切った瞬間、彼女はその場に突っ伏した。


「……死ぬぅ……疲れたぁ……」

「お疲れ。同接《同時接続者数》、過去最高だったぞ」

「ほんと? ……へへ、ナインのおかげかな」


 マシロはヘッドセットを外し、俺を見上げた。

 その瞳には、今までのような獲物を見る目ではなく、純粋な敬意のようなものが混じっていた。


「ねぇ、パパ。……私の専属エンジニアにもなってよ。給料弾むからさぁ」

「断る。俺はあくまで会長の世話係だ」

「ちぇー。つれないなぁ」


 マシロは頬を膨らませたが、すぐにPCに向き直った。


「でも、借りは返すよ。3D背景、レンダリング終わった。完璧なパースだよ」

「……仕事が早いな。助かる」


 俺はデータを受け取り、カレンのメインPCへと転送した。

 タイミングを合わせたように、カレンがペンを置いた。


「……キャラ塗り、完了……」

「文章も上がったぞ。校正済みだ」


 全てのピースが揃った。

 時刻は午前四時半。

 空が白み始めている。


「よし。ここからは俺のターンだ」


 俺はメインPCの前に座り、カレンと入れ替わった。

 カレンのキャラ、マシロの背景、セリカのテキスト。

 それらを統合し、最終的な色調補正とエフェクト処理コンポジットを行う。

 ここからが、ディレクターにして元プログラマー、九条蓮の真骨頂だ。


「見ててください、会長。貴女の絵を、世界で一番輝かせてみせます」


 俺の指がキーボードを叩く。

 ショートカットキーが火を噴く。

 バラバラだった素材が、一つの『作品』へと昇華されていく。

 背後で、三人の少女たちが息を呑んで見守っている気配を感じる。


 これが、創作だ。

 面倒で、泥臭くて、最高に楽しい、俺たちの戦いだ。


「――完成マスターアップ


 エンターキーを叩いた瞬間、画面に表示された一枚の絵。

 それは、瓦礫の街で傷つきながらも、希望を見据えて立ち上がる少女の姿。

 カレンの繊細さ、マシロの空間演出、セリカの言葉の力。

 それらが完璧に融合していた。


「……綺麗……」


 誰かが呟いた。

 俺たちは、朝焼けが差し込む生徒会室で、言葉もなくその絵を見つめていた。

 エナジードリンクの空き缶の山と、疲労困憊の体。

 だが、その瞬間の達成感だけは、何物にも代えがたいものだった。


「……ふふ。やったわね、私たち」


 カレンがふらりと俺に寄りかかってきた。

 彼女の重みが、心地よい。


「はい。……お疲れ様でした、皆さん」


 俺が言うと、セリカも、マシロも、小さく笑った。

 こうして、俺たちの最初の共同作業――地獄のデスマーチは、勝利のうちに幕を閉じたのだった。

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