動き出した運命・5
「──…何だろうな」
本を読んでいたはずのクロイツが突然口を開いた。
「どーした?」
買ったお菓子を頬張りながら、アーフィイがクロイツの方を向いた。
「呼ばれてるな。ここに案内する……必要も無いか」
「案内って誰をだよ」
クロイツはいつも突然で、アーフィイは戸惑う事が多々ある。今回もいつものそれだろうと思ったが、隠れ家に案内すると言った相手は初めてだ。
「もう来る。早いな……俺の闇を越えてくるのが」
「お前の領域に入って、一人でここまでこれる奴なんているのか?」
そんなのは有り得ない。アーフィイはクロイツの事を、他の誰よりも知っている。付き合いの長さと、クロイツの実力を知っている事がそう言いきれる自信に繋がっていた。
クロイツの領域は、本人以外は抜ける事は出来ない。この国の王であるネイリールの竜還りよりもクロイツの方が上位種になる事も知っている。
「リーンだ。顔見知りだろ」
「……リーン? 前はお前の領域から抜け出せなかっただろ?」
「今はもう大丈夫みたいだな」
「だからな…」
アーフィイは最後まで言う事が出来なかった。だが、闇から出てきたのは最近見慣れてきてしまった凛の姿。
少し前に会った時と何も変わりは無いように思えるが、何かが違うと本能が訴えかける。何処かが違うはずなのに、何が変わったとは言えず、アーフィイは凛を見つめた。
「久しぶり、でいいのかな?」
前と変わらず、にこりと笑う。
「あぁ。久しぶり……だな。それとも初めまして、の方がいいか?」
クロイツの意味ありげな言葉に、アーフィイは不思議そうな表情を浮かべ、凛は苦笑いを浮かべる。
「どっちがいいんだろうな。オレも迷うよ」
「だっかっらっ、毎回毎回お前たちは何をわかってるんだよ!?」
クロイツと凛の2人を交互に指差しながら、アーフィイがこれでもかと言わんばかりに叫ぶ。
「お前がリーンの存在に今も気付けないのが不思議でならない」
アーフィイの鈍さを、クロイツはバッサリと切り捨てた。
「樹竜の竜還りだろう。そろそろ余計なモノを取っ払って見てみろ。お前はいつまであいつ等を憎む気でいるんだ?」
「──っ!! いつまでって……いつまでもだ!! あいつ等さえいなければ、赤竜も緑竜も死ななかった!!!」
樹竜の竜還りだからこそ、緑竜が死んだ原因となったヒースが許せなかった。赤竜に関しても、緑竜と同じ理由で死んだ事が許せず、胸に暗いモノを宿したまま、ここまで生きてきた。
今更、恨みを捨てる事なんて出来ない。
「アーフィイ。落ち着いて」
言うのと同時に、凛はアーフィイの手を握る。
「なっ…」
咄嗟に振り払おうとしたアーフィイの手を強く握り締めた。
「落ち着いて。アーフィイが気にしている彼等の言葉を伝えたいんだ」
「彼等って……オレが生まれる前に死んだ竜の伝言なんて…」
あるわけない。そう思っているのに、今度は凛の手を振り払えなかった。
「渡すから額貸して」
「──ッッ!!」
凛が自分の額をコツン、とアーフィイの額に当てた。そこから伝わるのは緑竜と赤竜の想い。アーフィイに出会う事なく亡くなった二竜。
二竜が何故死ぬ事を選んだのか。知らなかったアーフィイは2人を憎んだ。
憎む事でここまでこれた。
「…何で……何で死んで助けるんだよ。何で…」
もっと生きていてほしかった。
それがアーフィイの想い。
「アーフィイ。彼等がこの世界ではもう生きれなかったんだ。だからこそ選んだ。
親しかった彼等を助ける事を」
未だに憎む事をやめられなかったアーフィイの恨み。そんなアーフィイを、恨みから解放してほしいとお願いされた。
凛が真実から目を背けていたが為に、シイリノエイに思いを残していった二竜の心を受け取る事が出来なかった。
「伝えるのが遅くなってごめん」
「どうしてリーンが謝るんだよ」
「話を聞く事が出来るのがオレだけだったからね」
「なんでお前だけ……」
聞く事が出来る? と、最後まで言う事が出来なかった。
しいて言うなら、視界が突然開けたような感覚。今まで見えていなかったモノが見えたと言っていいのだろうか。
アーフィイは何度か瞬きをした後、凛をもう一度見た。
今までは気付けなかった輝き。
「え…なんで……」
「遅すぎだ。今頃気付くなんてな」
クロイツに言われるが、アーフィイはまだ現実を受け入れられてはいない。元々変わった人物だとは思っていたが、まさかこんな存在だとは全くと言っていい程考えていなかった。
「どうして…」
「自覚したんだ。オレが何かという事を受け止めた」
「何で……竜の国が復活するのか?」
アーフィイの言葉はもっともで、凛が少し困ったように小首を傾げた。半分正解で、半分は不正解。
シイリノエイではなく、クオロノエイに復活する。
「流石にここだとね」
「そうだな…結界を強化したから大丈夫だ」
凛の言葉に、クロイツのフォローが入る。元々結界で建物を包んではいるが、それを更に強化したのは他の竜還りの存在を考えての事だった。
用心に越したことは無い。
「ありがとう。これで話せる…かな」
アーフィイを見れば未だに悩んでしまっているらしい。
クロイツと凛は、そんなアーフィイを横目に椅子に腰を下ろした。
「本来の姿には戻らないのか?」
「今戻ったら尚更アーフィイが混乱しないか?」
「それもそうだな」
ばっさりとアーフィイを切り捨て、真面目な表情を浮かべる。
「どこまで知った? 俺は大体の事は知ってはいるが、何処まで話すかは正直迷う」
「何処までだろう。琥珀さんからは一通り聞いたとは思っているけど」
「一通りか。あいつの事だからどこまでかな…。
クロイツも琥珀の存在は知っていた。別に驚く事ではないが、少しだけ不思議な気もした。夢の中でしか会ったことのない琥珀と、目の前にいるクロイツ。
「クオロノエイへの引越しは聞いたか?」
「聞いた。キョウ──…地球でのオレの友人が、白の魔法で場を整えてくれているだろうけど、オレが行かないと完成はしないらしい」
「あぁ、そうだな。ネイリールは感づいてはいるだろうが、シイリノエイで知ってるのは俺たちぐらいだろう」
そうだね、と凛も頷き、天井を見上げた。
クオロノエイの復活を誰も知らない。
人間には知られてはいけない竜たちの新しい棲家。だからこそ凛は悩んだ。クオロノエイに連れて行きたい人たちが多いのに、その人たちを把握する事も出来ない。
悩む凛に、クロイツは右手の平を凛の頭にのせ、ぽふぽふと間抜けな音をたてながら頭を撫でる。
「全てリーンが背負う必要は無い。アーフィイ、そろそろ覚悟を決めろ」
「覚悟って……何やってるんだ?」
アーフィイの目の前には、凛の頭を撫でているクロイツの姿。
「一人で全てを背負おうとしていたから、撫でてみた」
「へぇ」
思わず口から漏れたが、クロイツのこういう行動は本当に珍しい。
相変わらずという言葉も思いつくが、凛に関してクロイツはいつもこうだった。
甘いというか、凛の存在全てを許しているといって良いのか。
それがアーフィイの疑問だったのだが、少しだけ、理由が分かったような気がした。