動き出した運命・1
この件は、まだ誰にも話さないで下さい。
それは凛の頼みだった。まだ、染めた髪を本来の色に戻す勇気はない。地球で育った凛。居心地は良かったけど、いつも感じていた。
この世界じゃ足りないとさえ思っていた。
あの時聞こえた声。
凛は無意識に選択した。この世界を選んだ。
今の凛は、それを自覚し、理解している。
だからこそ、こうして琥珀を呼ぶ事が出来る。
「お久しぶりです」
白金の色彩は鮮やかで、凛の心を落ち着かせてくれる。
「まさか凛様から呼んでいただけるとは思ってもいませんでした」
「そうですね。オレも。こんなふうに誰かを呼ぶなんて、無理だと思い込んでいました」
夢といえば夢。けれどこの邂逅は現実のもの。
凛の髪が白へと変わり、本来の色を琥珀へと見せる。
茶色の眼に見えていたのはコンタクト。
久しぶりに、本来の姿を見せた。
「凛様……」
凛が白竜だとわかっていても、本来の姿を見るのは初めての事。琥珀の感情が振り切れたのか、白金の瞳から大粒の涙があふれ出した。
「生まれて……きて下さった事が奇跡です。ありがとうございます」
「……」
ネイリールに会った後、凛は自分の記憶を探った。海に潜るかのように、深く、深く奥へと潜っていく。
少し前は、あえて考えないでいた事。
それを押し込め、目を逸らしていた部分の記憶を探った。多分だが、姉と兄が凛の記憶を封印していたのだろう。
凛が記憶に触れたいと思えば、簡単に突破出来てしまう封印。
純潔の竜は、赤ちゃんを出産する時は竜の形態を取り、卵を産む。凛の両親は純潔の白竜だった。最後の白竜。もし、凛の両親が別の竜と結婚したとしても、いずれ白竜は先祖返りで生まれたかもしれない。可能性が全くないわけではない。
けれど、凛の両親は純潔の白竜を産み出す事を優先した。凛にはわからないが、白竜がいなければ困る事があるのかもしれない。
卵を産んだ直後、急ぐように両親は凛の卵を地球へと送った。そこに待っていたのは兄と姉。地竜と風竜の竜還りであり、両親とは親戚関係にあたる。
前々から決めていたのか、2階にある一室が卵を眠らせる専用の部屋になっていた。
十分すぎる程の癒しを受けながら卵の中で力を蓄え、20年前に自身で殻をやぶり外へと出てきた。
それが凛の正体。
けれど、それよりも兄と姉と血が繋がっている事に安堵を覚えた。たったそれだけの事なのに、自分は一人じゃないと思える。
「琥珀さんはずっと待っていてくれたんですよね。ありがとうございます」
陽竜である琥珀が、白竜である凛を待ち望むのは当たり前の事。白竜と黒竜は全ての竜を束ねる存在。
慕う遺伝子が組み込まれているのかもしれないが、琥珀は自分の主と呼べるべき竜が凛だったからこそ、頭を下げ臣下の礼をとる。
「この世界はもう……純潔の竜が住めないんですね」
凛が地球に預けられた理由。
竜としての力と記憶を封印し、内に力を溜めさせ続け、無意識に身を守る障壁を常に発動出来るように育てられた。
だからこそ、凛はシイリノエイで生きていられる。
そして琥珀と夢の中でしか会えなかった理由は、琥珀がシイリノエイに存在していなかったからだろう。
「…はい。シイリノエイは竜の力を否定し過ぎました。
この国以外では恩恵持ちは奴隷と扱われ、無残に死んでいきます」
「この国だけが特別に保たれているんですね」
それでも、結界はそこまではもたないだろう。竜としての自覚を持ち、竜として感じ取れば結界が悲鳴をあげている事に気付けた。
認めていなかった時には聞こえなかった声が、今ではよく聞こえるようになった。
「クオロノエイと道が塞がった理由は?」
「あちらは竜の国となります。魔族と、少し残った竜と竜還りで場を整えています。
白の魔力を扱える人間に協力を頼み、眠っていた大地を起こしてもらっています」
「白の魔力を持つ人間?」
そんな人間がいるのだろうか、と疑問を浮かべる。が、一回だけそうかもしれないと思える魔力の流れを感じた事がある。
友人と別れ一人で歩いていた時、誰かに引っ張られるような感覚に、全てが引きずり込まれそうになった。倒れそうだった身体を支えてくれ、何処に飛ばされるかわからなかった凛を、琥珀が呼んだ。
安全だと思える場所に。
だからこそ、怪我もなくシイリノエイに来る事が出来た。
「琥珀さん。一つ聞いても良いですか?」
凛の脳裏に浮かぶのはただ一人。
「はい。キョウ様が呼ばれました」
凛の聞きたい事がわかっていたのか、琥珀は迷う事無く答えた。
キョウ……春野 香。
地球で、ただ一人凛が心許せる人間の友達。
「本来なら二年後にお呼びするはずでした。
ですが、力が満ちるのが予想よりも早く、星の位置も整っていた。それを逃すと、次の召喚が出来ない可能性が高く、呼び出しました」
「だからオレも引っ張られたんだね」
「はい。予想外に凛様が引っ張られてしまったので、それならば、と思いこちらに呼ばせていただきました」
「そっか。ありがとう」
何の自覚もない凛が、別の場所で放置されていたら死んでいたかもしれない。それに対し、凛は頭を下げた。
「凛様。それは違います。私たちの行動も認識も全てが甘かったんです。
その所為で凛様を危険な目に合わせてしまいました。
申し訳ありません」
今すぐ自害しそうな琥珀の表情に、凛は両手を振った。
「わかった。オレも頭を下げない。だから琥珀さんも下げないで。
折角あえて嬉しい同胞だし。何か話そうよ。オレは色々と知らなさ過ぎるから教えてくれると嬉しいんだ」
そう言って、凛は笑う。
本当の凛の表情で微笑を浮かべた。
この世界で初めて、凛が浮かべられた安心しきった表情だった。