廻る歯車・3
「リーン、こっちだ」
外に出るかと思っていたら、案内された場所は今まで足を踏み入れた事のない地下だった。
「この陣から直接城に行くんだよ」
フェルディナントの言葉に、この場で待っていたのかヒースが言葉を続ける。
「そうなんだ」
どんな構造になっているのか非常に興味深い、複雑すぎる魔法陣。こんな時でなかったら陣を解読するのも面白いのだが、如何せん状況がそれを許してはくれない。
「よく似合ってるよ」
円が五つ程重ねられた魔法陣を感心したように見ていた凛の耳に、ヒースの困ったような声が届く。
その直後に引っ張られる感覚。
いつのまにか目の前に立っていたヒースが、先ほど左肩につけたばかりの白と白金の二枚のマントを指先で弄ぶように挟んでいた。
「ありがとう。ヒースも選んでくれたんだよね」
礼を言いながらも、やはり胸をさすような痛みが走る。それは罪悪感でしかなく、ヒースと合流した事によってその感覚は収まる所が酷くなっているような気がした。
お互いが全てをさらけ出すような間柄でもないのに、どうしてこんなふうに思うのか。答えは出ているのだが、凛はそれを言葉にはせずにあえて蓋をした。
言葉に出せば明確になる。言葉にしなければ、不透明なままで済む。だからこそこのままでいいのだ。
「(急ぐな──それは、いつもオレが言っていたよね)」
表面上は変えない。いつも通りの凛のまま。
この世界にきて、地球にいた頃よりも表面と内面をわけるようになったという自覚はある。それは、この世界にとって凛は自分自身が異端だという事を解っていたから。後は、弱い部分を見せたくないから。
そう思っている自分に対して笑みがこみ上げてくる。
とはいっても、弱さの見せ方も知らないのだが。
「フェル。ヒース。ありがとう。どうなるかわからないから、先に言っておくね」
元々、一人で会う予定だった。
だから心構えは出来ている。
それでも、登城の格好をして途中までとはいえ凛に付き添ってくれる二人に、感謝の言葉しか出てこない。
転送陣の前に立ち、二人を振り返る。
「予言は不確定だったね。結果は、陛下に尋ねる事にするよ」
最後に二人に微笑みかけ、あっさりと背を向けた。
そしてそのまま右足を踏み出し、転送陣の中心部に足を置く。
結果が出るまでもう、後ろは振り返らない。
凛は二人から注がれる視線を痛い程感じてはいたが、それには応えずに陣の外にあった左足も内へと移動させた。転送陣の中に凛の身体が入った瞬間、陣から視界を埋め尽くす程の眩い光が溢れ出し、次の瞬間には凛の姿は消えていた。
当初の予定通り、残されたのはフェルディナントとヒースの二人だけ。
「なぁ…ヒース」
「何?」
凛の立っていた転送陣の前で膝をつき、名残を感じ取るように手の平で陣の縁を撫でるように触りながら、後ろに立ったままのヒースへと声をかける。
「俺は、リーンの事は心配していない」
「そうだろうね」
「でも……謁見後は俺の保護下から外れる」
「テノ辺りが名乗りを上げているかもね」
フェルディナントの待遇が悪いとは思っていないが、テノが凛の保護者になったのなら、今の比ではない程の待遇をされるのだろう。
そんな光景があっさりと浮かび、つい苦笑いをもらしそうになるが抑え込む。
「そうか。悪いが、譲らない」
ヒースに背を向けている為、フェルディナントの表情はわからない。
けれど、いつも以上に淡々とした抑制された声音で、フェルディナントの心情が嫌という程解ってしまう。
「悪い――なんて思ってないのに、よく言うね」
多分、凛が立っていた転送陣を、今まで見せた事のない表情で見つめているのだろう。
凛がいる事が当たり前になってしまったのか。居心地が良すぎたのか。
おそらく両方だろうなという本音は口には出さず、ヒースは静かにフェルディナントの様子を伺っていた。
ヒースとフェルディナントは家同士の繋がりがあり、生まれた時からずっと共に過ごしてきた。家族同然に過ごし、フェルディナントはヒースにとっては弟のように可愛がってきたが、他人に対してこれ程までに独占欲を見せる姿は初めて見る。
「(兄として喜ぶべきか。それとも、よりによってと嘆くべき…か)」
迷うなぁ。
と、小さく呟いた言葉は、誰の耳にも届く事無く空気に溶けた。
眩しさのあまりにギュッと閉じていた目を、恐る恐る開けてみる。
ここから先は、凛の知らない空間。しかも初対面の人間。
そして、この国の最高権力者。
2枚のマントを靡かせるように長い通路を真っ直ぐに歩き、行き止まりである壁の前で歩みを止める。
変哲のない、普通の白い壁。に見える場所。
「……多分、これかな」
薄っすらと宙に浮かび上がる文字。
その文字に手の平を翳すようにしてみれば、壁に線が入り扉へと変わる。
ゆっくりと自動で開かれる扉の隙間から見える光景に、ごくり、と喉が鳴る。重厚な雰囲気を漂わせた空間。
赤い絨毯がその雰囲気に拍車をかけているような気もするが、凛は絨毯に向かって足を踏み出す。靴を通して伝わる分厚い絨毯の感触。
一般人の凛にその感触は慣れず、この世界に来てから数え切れない程零した溜息をひっそりと吐き出す。
陣から壁までも相当の距離があったように思えるが、この赤い絨毯も先が見えない。明らかに建物とこの通路の距離はあってはいないが、地球とは違い魔法の存在する世界。凛には解らない細工が施されていそうだが、やはり凛にはわからない。
もし無事に帰れたのなら、もう少し複雑な魔法を勉強しよう。
そんな事を考えながら、この世界で初めて感じている感覚を紛らわせる。紛らわせなければ、呑み込まれてしまいそうだ。
「(……しかしなんだろうな。この空間。これも魔法なのかな。それとも…)」
陛下と呼ばれる存在がいる空間だからだろうか。
間違いなくこの奥に陛下が鎮座する玉座がある。
「観察は、もう十分じゃないかな?」
この重苦しい空間に紛れ、探るような視線が向けられていた。初めて感じる感覚に呑まれていれば、視線には気がつかずにその場から動けなかっただろう。
何もない空間に向かって声をかけるが、まだ、凛の瞳には先の見えない通路があるだけ。だが、視線の主を近くに感じると、凛は何もない空間を睨み付ける様に言葉を吐き出した。
その途端、開ける視界。
凛の前には、黒曜石の玉座に腰を下ろす――黒髪の若い男が一人。
「「………」」
互いに顔を見合わせ、口を噤む。
合わせた視線から、何故か互いに思う感情が同じなような気がして、それが凛を戸惑わせる。
だが、その沈黙を破ったのは凛ではなく、男の方だった。
「はじめまして、か。リーン……と、ここでは呼ばれているんだったな」
見た目からは想像がつかない落ちついた声。
だが、ここではと言われ、凛は目を見開いて男に視線を投げかけた。
リーンではなく、凛。
ここでは凛と発音出来ない為、リーンで通している。
確かにその通りなのだが、何故それを知っているのだろうかと、疑問しか湧かない。
「本来の音で名を呼ぶ権利は与えられてないからな。
まぁ…解るまでは“リーン”で納得しておけばいい」
日本人で見慣れているはずの黒い色を纏う男。
見慣れているはずの黒い色を男が纏うと、まったく違う色に見えてくる。それ程に質が違う黒色。
けれど初めて見る黒ではない。
小さく息を吐き出し、場と男に呑まれかけていた意識を引き戻す。
琥珀とクロイツの顔を思い出せば、陛下の雰囲気に呑まれる事はない。
「では、初めまして陛下。俺は鈴風凛と言います。ここではリーン、ですけどね」
凛は陛下に向かってにっこりと弧を描き、分かり易い笑みを浮かた。