廻る歯車・2
いつもの時間に起きて軽めのジョギング。
軽く身体を動かしてから、備え付けのシャワーで汗を洗い流す。
この屋敷に世話になりだしてからの凛の日課。
凛にとってフェルディナントの屋敷は広く、部屋数は二十ほどあり、その全てにシャワー室が完備されている。
広いね。とフェルディナントに言った事があるが、そうか? 狭いだろ。というあっさりとした言葉が返ってきた。
庭があって離れ──こちらは使用人たちの住居らしい──があって畑もあって、これで狭いと言い切れる感覚は凛にはわからない。が、異世界だしな、という魔法の言葉で納得しておいた。
ここ二ヶ月ですっかり私物が増えてしまった部屋を見回し、凛の口元には笑みが浮かぶ。
初めはただの客室だった部屋。必要最低限のものがあるだけの殺風景な部屋。
だが、今ではフェルディナントやヒース、テノが色々と差し入れをしてくれるので、殺風景だった頃とはまったく別の部屋になっている。
衣服も増え、タンスも完備され、いつの間にか勉強机のようなものが部屋の隅に置かれ、その横には室内で出来る研究用の道具棚が置いてある。気がつけばこうなっていた、今ではすっかり凛の部屋になってしまった元客室。
そして、一際目につくものといえば、昨日の夜渡された今日の為の衣服。
謁見用のもの。凛の知らない決まり事や、陛下との謁見で普段着は駄目なんだろうなと受け取ったが、改めてそれを手にとってみると溜息しか出てこない。
手触りからして相当の品。
陛下に会う為に礼服を身につけるというのはわかるが、こんな良い物で作る必要があったのだろうかと思わずにはいられない。
多少の収入があったものの、これを買うには及ばない凛の寂しい財布。
「(…財布の中身が乏しいって辛いなぁ…)」
陛下に会うまでは凛の立場は不確かなもの。魔法師団でのアルバイトがある意味予定外だったのだろうとは思うが、とりあえず身が無事だったなら初めにアルバイトをしよう、と心に固く誓っておく。
とりあえず、上質過ぎる生地に戸惑いながらも身につけ、鏡の前へと立つ。その際、髪の根元を確認しながら安堵の息を吐き出した。
どうやら上手く染まったらしい自分の髪の毛。
多少の収入がなければ、これもどうなったかはわからないが、本当は多少の収入もフェルディナントに渡すつもりだった。それは断られ、結局凛の懐に収まった。
今となってはそれで助かったのだが、やはり内心は複雑なまま。
珍しく感じる緊張に、余計な事まで考えてるなぁ、なんて呟く。だが、それでも時間は迫り、落ち着かないまま準備を終わらせた。
最後に部屋を見回した後、慣れ親しんだ部屋に背を向ける。
部屋は片付けなくていい、と言われた。
だから、あえて何もせずに部屋を出て行く。
「(けど…これだけはいいかな)」
ここ一ヶ月の間に世話になった立ち入り許可証。そこには、知り合った人たちからのサインが入っている。
謁見の結果次第でこれは意味を成さないものになるが、それでも凛にとってみたら、この世界で一番大切なもの。
本当は陛下の事を聞きたかったが、それは怖くて聞けなかった。
一ヶ月も城内をうろつけば、様々な情報は耳に入ってくる。その容姿や手腕を褒め称える言葉しか聞いた事のない陛下。
そして、この世界で稀有な存在であるという事も知っている。
竜返りに先祖返り。
力のある人間。よりも一段階抜きん出た存在。
「将来は……うん。いや、考えても仕方ないか。今はそういう話しじゃないし。よし、行こう」
珍しく声を出し、自分自身に気合をいれる。
その際、目に痛い程の純白の裾がちらつくが、そこはあえて考えない事にした。
考えれば、きっとあまりよくない結論に至る。それでも、自分の秘密事がばれたような気がして、この純白の衣は心臓に悪い。
「リーン、終わったか??」
その時、タイミングが良いのか悪いのか、ノックの音とフェルディナントの声が響く。
「終わったよ」
扉を開け、今回の衣服の披露をしながら凛は笑っておく。
「似合うな。うん。作って貰って良かった」
「フェルも似合ってるよ」
そういうフェルディナントの格好も、普段とは意匠が違い上質なもの。二色のマントは相変わらずだが、その生地の輝きが違うのだ。
都城の格好は普段のやっぱり違うんだなと実感していたら、凛の目の前にはフェルディナントの手。
「ん?」
差し出された手に持たれた布袋。
押し付けるように渡され、それをフェルディナントの言われるがままに開けてみると…。
そこに包まれたのは肩に掛けるであろう二枚のマント。白と白金の二色。それぞれが金糸で縁取られ、細かな模様を刺繍されている。
「白…が多いね?」
思わず口から出た疑問に、フェルディナントは泣きそうな笑顔を浮かべると。
「白はさ…リーンの魔力の色なんだ。
白い魔力――レア中のレア。希少価値しかない魔力の色。この世界で最も高貴な色」
「……」
テノから話しを聞いていなければ、フェルディナントの言葉に驚きしなかっただろう。今はもう白が特別な色という事を理解している。
琥珀の隠してください、という言葉の意味もわかった。
「けれど、それは置いといて…リーンに似合う色だと思ったんだ」
「そっか。ありがとう」
最後に言われた言葉に、素直に礼の言葉が口から溢れた。
きっと、フェルディナントにもヒースにも他意はない。
白の魔力を持っているから、というのは当然意識しての色選び。それでも、似合うと思うから、という言葉に嘘はなく、真実だと凛は思っていた。
それでも後ろめたいと感じるのは、凛に隠し事があるからだろう。
「(気に入った相手だから、だろうなぁ)」
だからこそ、隠している事に罪悪感を感じる。
別の意味で笑いが漏れそうになりながら、凛は自分に背を向けて歩き出したフェルディナントの後に続き、重たい足を一歩一歩と動かした。