廻る歯車・1
異世界に来てから二ヶ月。
凛を取り巻く環境は変わったようにも思えるが、実際は狭い空間の中で日々を過ごしていた。
大体は図書館に顔を出したり、魔法師団に顔を出したりとしているのだが、それ以外の時間では借りている部屋の掃除をしたり料理を作ったりもしていたりする。自分の事だけでなく、世話になっている屋敷で何かをやらないと落ち着かないというものもあり、凛は自分が出来る範囲で邪魔にならないように仕事を手伝う。
初めの頃は、フェルディナントの客人に手伝いをさせるなどと恐縮した使用人たちから拒絶をされていた。元々、フェルディナントの使用人たちは代々屋敷に仕えている者たちらしく、それぞれの役割がしっかりしていたのもあるのかもしれない。
そこに一石投じる事となった凛は、根気よく協議という名の説得を続けた結果、朝の庭の水遣りの権利を入手したのだ。
家庭的な雰囲気を漂わせるフェルディナントの屋敷。
そこで二ヶ月の間にすっかり馴染んだ庭師であるニッチに声をかけ、いつものように水をまき始めた。が、つい最近始めた玉の実験で、手作業ではなく魔法で撒くという作業をする為にそれぞれに配置された玉と連結された大元の場所で腰を下ろし、対になっている玉をそれにあてる。
その瞬間、凛が手に持っている玉から大元の玉へと魔力が流れ込み、一斉に水が撒かれ始めた。イメージはスプリンクラー。しかも、魔力を流し込む為に必要な道具として、魔力を溜めておける玉を作った。これにより、魔法が使えない人間でもこの装置を使えるようにしたのだ。
「便利ですよね。本当に」
この広い庭園に水を撒くだけでも一仕事だったのだが、凛がこれを作った後は一瞬で済むようになった。しかも、流れる水の量は設定済みだから撒き過ぎる心配もない。
「便利になったのなら良かったです。撒くだけでも一苦労ですしね」
手伝った当初は、次の日に筋肉痛で悩まされた。桶に杓というセットで学校の敷地内をゆうに越える庭に水を撒き続けるのだ。
ひたすら撒き続け、ある日目に付いたのは空いたスペース。そこでちょっとした家庭菜園を手伝ってもらいながら、凛は自室で玉作りに勤しみつつ地球の散水装置を玉式にしたものを作り上げた。
スペースを借りて尚且つ手伝ってもらったというお礼の意味もあるが、水撒きをして初めてわかる散水の大変さと筋肉痛に頭を悩ませ、必要にかられてアイディアを搾り出したというのも否定は出来ない。
「とりあえずこの玉はニッチさんに渡しておきますね」
紐に括りつけられた玉を渡し、説明を続ける。
「予備を屋敷の棚にかけてあります。魔力が尽きたらそれと交換して使って下さいね。補充はオレでもフェルでもヒースでも、魔力さえあれば誰でも出来ちゃいますから」
既に話しは通し済みで、色の変わった玉には魔力を注いで貰える事になっている。が、今は改良版に取り組んでいたりする。まだ形にはなっていないので内緒だが、人の手ずからではなく魔力が自動補給出来るような玉を作っているのだ。
ヒントはテノの言葉。
太陽が輝いていたから、野外で訓練をした。
目指すは太陽の魔力を取り込める玉。
夕食の後の時間を使い、ノートに纏めながらアイディアを書いたり実験を重ねていくのだが、先日文房具一式を購入しておいて良かったと心底思う。
思考が実験に飛びかけた所で、ニッチから声がかかる。
「リーン様、そろそろアリサが待っている時間では」
アリサ、というのはフェルディナントで働く侍女の一人で、凛とは年齢が近いという事でこの屋敷に世話になりだした当初から何かと話す人物でもあった。
「あ…本当だ。ありがとうニッチさん。じゃあ、また後で」
頭を下げて屋敷へと戻っていく凛の背を見送りながらニッチが小さく呟く。
「本当に…リーン様が女性だったらなぁ」
魔力も高くて気配りも出来て、料理上手で屋敷の主だけではなく友人のヒースとも対等に渡り合える。
女の影すらない主にとってはこれ以上ない程の相手だと、使用人一同が思っているのだが如何せん、性別の壁は厚いと常々嘆いているのだ。
「お待たせ」
既に厨房で材料を準備して待っているアリサに声をかけると、瞳を輝かせながら振り返るアリサについ笑みが零れた。
どうやら、凛がガッチリと胃袋を掴んでいるのはフェルディナントだけではないらしい。凛自身は自覚はないが、フェルディナントの屋敷の使用人だけではなく、先日売り出したレシピ集の虜になった者も少なくはない。寧ろ第二段を切望されているのだが、それが凛の耳に届く事は当分ないだろう。
「今日はプリンを作ろうか」
結構手軽に作れるし、と呟く凛の言葉にも、メモとペンを両手に持ったアリサが真剣に頷く。早く作り出さないと料理には関係ない言葉も書かれそうだと、プリン作りを始めた。
この世界には冷蔵庫というものがない。初めの頃はそれが理由で色々と作るものも諦めていたのだが、最終的には氷の陣を描いた玉を作れるようになったおかげで、冷蔵庫や冷凍庫らしきものも完成出来た。原理は概ね、庭の玉式散水と同じ。違う点といえば、冷蔵庫の方は常に魔力を使っているという所だろうか。
現時点では氷の陣が込められた玉と魔力を常に放つ玉をセットにして置いてあるが、この分でいくと交換時期は二ヶ月といった所だろう。
そんな冷蔵庫を一心不乱に見つめ続けるアリサに、凛は時間を確認した後に声をかけてみる。
「そろそろ、大丈夫かな」
「本当ですか! 開けますね。開けちゃいますからね!」
声を弾ませ、最近では慣れた冷蔵庫の扉を開けて中からプリンが入ったトレーを取り出す。ぷるん、とプリンらしい揺れに、アリサの心も揺れたのかその場で立ち止まりジッとプリンを凝視していた。
「じゃ、作った人の特権で…試食してみようか。ね」
アリサの手からトレーをとり、その代わりとばかりにプリンの器とスプーンを手渡す。驚いたように目を見開くアリサだったが、凛に頷かれるとスプーンで掬い、おそるおそると口元へとプリンを運ぶ。
口にいれた瞬間、再びアリサの瞳が輝いた。
「美味しいです! この間のホットケーキやシュークリームやシフォンやマフィンと同じぐらい美味しいです! カラメルソースっていうのと一緒に食べると、また感じが変わるんですね」
「気に入ってくれたなら嬉しいよ」
というより、そんなに作ったっけ。と、ある意味餌付けの回数の多さに改めて驚く凛を他所に、アリサは一口食べては何かをメモへと書き残す。
だが、どうやら今回のお菓子も成功だったらしいとホッと胸を撫で下ろしながら、凛はトレーにプリンを三つとスプーンを用意すると、残りを配るように頼んでフェルディナントの部屋へと向かう。
現在、フェルディナントの部屋には珍しくヒースが訪れていた。普段は職務終了後の夜。特に夕食時に顔を出す事が多いのだが、この時間に来たのは初日だけ。
それを考えると何かがありそうだったが、フェルディナントが屋敷にいる時に三時のおやつを持っていくのは既に恒例。ヒースも文句は言わないだろうとは思ったが、それでも遠慮しながら扉をノックした。
トントン、と音が響き渡った次の瞬間。
「どうぞ」
フェルディナントの声が聞こえた後、ゆっくりと扉を開けトレーを見せる。
「食べるよね? 三時のおやつ」
開けた瞬間に感じ取れる緊張した雰囲気。普段の二人からは考えられない空気に、凛は足を踏み込む事を躊躇してしまうが、プリンに視線を落とした後は覚悟して二人の前へと歩いていく。
「今日のおやつは何?」
「というかさ、最近屋敷で書類整理をするようになった理由ってこれじゃないよね?」
空気をいつものものに変えて、フェルディナントが机に手を置きながら身を乗り出すようにトレーを見つめる。そんなフェルディナントに凍えるようなヒースの声が突き刺さる。が、フェルディナントの視線は既にプリンだけに注がれている。
「プリンっていうお菓子。アリサさんと作ったんだ」
器とスプーンを手渡した後、妙な沈黙の中三人で食べ始める。凛の作る三時のおやつに慣れているフェルディナントはひたすら食べ、ヒースは食べながら感想を述べていく。
「これは?」
「カラメルソース。好みが分かれるけどね」
「へぇ。俺はあった方が好きだね。フェルは…どっちも好きっぽいね」
チラリ、と視線を流せば既に食べ終わっているフェルディナントの姿が視界へと収まる。本当に胃袋をガッチリ掴まれてるよね、というヒースの呆れた声音に、凛はとりあえず笑っておいた。
おやつを食べ終わった後の和やかな雰囲気は一瞬で崩れ去り、再び緊張した空気が部屋の中を支配する。
そんな中、フェルディナントが机に置かれた一通の封筒へと視線を落とした。何も書かれていない白い封筒に、カードが一枚。カードにも文字が書かれているようには見えないが、それを見つめるフェルディナントとヒースの目は厳しい。
「オレ…も、いた方がいいのかな」
緊張が自分に向いている気がして尋ねて見たのだが、ハッと息を飲む二人を見るとその通りだったらしいと凛は改めて二人へと向き直る。
この二人がここまで緊張する理由を、凛は一つしか思い浮かばない。
「決まったんだ。いつ?」
真っ直ぐに見つめて問えば、フェルディナントの眼差しが揺れた後、決意の色を宿して凛を見つめ返した。
「明日…になった」
フェルディナントが言いづらそう、というよりは辛そうに言葉を紡ぐ中、それとは反比例するかのように凛の心が冷静さを取り戻していく。
元々、こういう話しだったのだ。その間に思いのほか情が移ったのだろうと思うが、凛は唇で弧を描き綺麗な笑みを形作るように心がける。
「うん。わかった。時間は? 案内とかは二人がしてくれるの?」
淡々、というよりはいつも通りの凛に、ヒースが眉間を寄せる。
「あっさり…だね」
ヒースも何処か迷うように、瞳の奥を揺れさせながらも凛を見つめた。
だが、すぐさま自身の言葉を否定する。
「(違う。これは予想範囲内だ。リーンは覚悟をしていた。揺れたのは、俺とフェルだ)」
覚悟が足りなかったのは、フェルディナントとヒース。二ヶ月間続いたこの関係が居心地がよくて、ずっと続くんじゃないかと錯覚さえしていた。
どうなるかは誰にもわからないというのに。
ヒースは落ち着かせるように体内の息を外へと吐き出し、ゆっくりと酸素を体へと取り込む。
「この屋敷から行けるよ。時間は朝食を食べた後ぐらいかな」
平気なフリをして説明を続けるヒースに、無言のフェルディナント。ヒースよりも同じ屋敷で共に暮らしていた分だけ、言葉に詰まってしまったのだろうとは思う。それはわかるが、凛が覚悟しているのに突きつける側の態度がこれではと、ヒースはロッドを取り出しそれでフェルディナントの後頭部を殴りつけようとした。
「──ッ!?」
が、反射的に反応して剣で受け止めるフェルディナントに、ヒースはもう一つのロッドを振りかざす。だが、その一撃を左手で受け流すとヒースを睨み付けた。
「何をする…?」
「辛気臭い顔をして黙ってるから、起こそうかと思って」
「人の事言える顔か?」
殺気立つフェルディナントに、真っ向から受けてたつヒース。このままいくと確実に血を見る事になるだろうと思った瞬間、凛の魔法が発動した。
「「ッ!!」」
「フェル、ヒース。そろそろ止めようか? ありがとう、オレも、二人の事は好きだよ。それは本当。だから、明日陛下に会って自分の立ち位置をしっかりと決めてこようと思う」
二人の苛立ちは予想以上に凛と親しくなってしまったから。それぐらいは凛にも分かる。だが、それでも、凛は陛下に会わない限りは客人という立場のまま。地球に帰れる帰れないなど色々と考えるべき所はあるのだが、会わないと全てが始まらない。それぐらいはフェルディナントも、ヒースもわかってはいるのだ。
「…あぁ。そうだな。喧嘩はしないから、戒めを解いてくれ」
「俺も約束するよ。リーン。ごめんね。ありがとう」
その言葉に、凛は嬉しそうに頷く。
二人は知らないが、凛にとってもこの関係は予想外だった。20年生きてきた地球ですら他人とこんな関係は築けなかったのに、フェルディナントとヒースとはたった二ヶ月で家族のような絆を感じてしまえるまでになっていた。
初めは互いが内面では探り、疑っていたのに何時の間に。と思ってしまうが。
「(まずいな…二人も気持ちがかなり嬉しいのが……オレも重症だ)」
音に出す事はない凛の本音。
どんな結果でも覚悟しているつもりだったのに、今更揺れてしまいそうだと、困ったなと、凛はそんな本音を奥深く沈めるように瞳を閉じた。




