シイリノエイという世界・3
「今回はオレの魔力と混ざったから斑だけど、次からは大丈夫だと思うよ」
完璧にコントロール出来れば、色は無色でも他の属性の力を帯びた色でもなんでも作れてしまう。自分の魔力の範囲が許す限りになってしまうが、簡単に言えば、慣れてしまえばの一言で済んでしまう。
アンジェリカはそれに特に何か返事を返すわけでもなく、手の平の上にぽつんと控えめに置かれた玉を熱心に見つめ続けていた。
「(嬉しいんだろうなぁ)」
そういえば、と思う。
凛が玉を作ってから然程時間が流れたわけではないが、それでも何故か懐かしいと思える程度には玉を当たり前のように精製出来るようになった。
それでも、初めて作る事の出来た玉は未だに、凛の大切なものとして肌身離さず身に着けている。
琥珀から見た凛も、こんな表情をしていたのだろうかと思うと、少しだけ気恥ずかしくなってくるが、ソレを表には出さずに凛はアンジェリカに微笑ましげな眼差しだけを向けていた。
微笑ましい眼差しには、やっぱり女の子は可愛いんだな。という凛の気持ちも混ざってはいたのだが。
凛の眼差しを受けているアンジェリカだったが、自分の魔力の色彩を有した玉を目の前に、周りの気配には気づかずに一人の世界に篭っていた。
「(白い魔力――…綺麗だ)」
だが、自身の魔力の色彩である朱とは別に、輝かしいまでの存在を放っている白の色彩。この色は、アンジェリカが始めてみる色でもあった。自身が恩恵を受けている色彩を持つ至高の存在に近い者がいたアンジェリカは、テノほど白の色彩に焦がれるわけではないが、それでもやはり特別だと実感する。
最終的には初めて精製できた玉という感動を上回る衝撃。
ふと横を見れば、凛の微笑ましげな眼差しがアンジェリカの視界に入ってくるが、あえて見なかったふりを押し通して玉だけを見つめた。
「リーンさん」
凛とアンジェリカの間に穏やかな時間だけが流れていく中、タイミングを見計らったかのようにテノが凛の名を音にのせる。
白に金糸の刺繍を施したマントを翻し、人懐っこい笑みを浮かべながら手招きをするテノの前髪の一部分が、窓から差し込む夕焼けを浴びてキラキラと反射しながら光を撒き散らす。
「(テノさんのこれも綺麗だよなぁ)」
どんな色でも綺麗だと思うが、テノの黄金の色彩を前にするとただ目を奪われる。これは琥珀の時も同様だったのだが、その理由には心当たりがあり、凛は気づかれないように唇をかみ締めた。
安堵か、それとも綺麗だと思えるのが嬉しいのか。
おそらく両方だとは思うが、意識しながらテノの元へと足を伸ばすと、スッと伸ばされたテノの指先が凛の髪を弄ぶかのように頭を撫で始めた。
「ん?」
「なんとなくっすよー」
「そうなんですか? くしゃくしゃになっちゃいますよ」
「大丈夫っすよ」
笑うと、乱れた髪をテノが指先を器用に使って撫でながら戻していく。ゆっくりと、壊れ物でも扱うかのように。
指先の動きが見えるわけでもないが、テノの指先が動くたびに居た堪れなくなってしまうのはきっと、気のせいではないだろう。
「(何か……むず痒い)」
される事にまったく慣れていない所為か、凛は俯いたまま視線を左右へと泳がせる。頬こそ朱色に染めなかったが、いつもはする立場の方で、されるのは初めて。
「(そうか…オレがした子たちが俯いてたのはこんな感じだったのか)」
今度からは気をつけようと、特にテノの手を拒むわけではなかったが、凛はひっそりと心の中で誓う。
ゆっくりと動くテノの指先だったが、凛が何も言わないのを良い事に髪の乱れを直した後も、凛の頭を撫でるように手を動かしていく。
そんな中、凛の内情を知ってか知らずが、居た堪れない空気を真っ二つにかち割ったのは他ならぬアンジェリカだった。
「テノ。まだ教わり途中だ」
むず痒いような居た堪れないような。そんな感情が渦巻く中、凛は見事に空気を壊してくれたアンジェリカに助かったといわんばかりの笑みを浮かべ微笑みかけようとしたが、途中で2人の間に流れる空気に気づき、笑みを形作ろうとしていた筋肉が途端に硬直したかのように動きを止める。
一触即発直前の剣呑な空気といえばいいのだろうか。
火花が散りそうな程の鋭い視線の応酬に、どうしたものかと悩んだ所である事に気づいた。てっきり近くにいたのはアンジェリカだけかと思っていたのだが、何時の間にそこにいたのか、アンジェリカの後ろに隠れるようにして立っていた少年がジッと、視線を逸らす事無く凛を見つめ続けていた。
色素の薄い茶に、右側側面に水色のメッシュが入っている男の子。とはいっても、見た目でいえば高校生ぐらい。
「こんにちは。俺はアラディンっていいます。あの2人はいつもの事なので、心配しなくてもいいですよ」
少し高めの声で、アラディンが笑うように2人に視線を投げかける。
「そうなんですか?」
なんて答えていると、アラディンの右腕が凛へと伸びてきて、気づいた時には左腕の衣を掴まれて強制的に壁際まで連れて行かれていた。
なんだろう?
そんなふうな眼差しを向けてみると、アラディンは容姿に似合わず落ち着いた笑みを浮かべると、
「アンジェリカは真面目で、団長はいつもあんな感じなので、日常の光景なんですよ。まぁ、大体はアンジェリカからですけど――残念な程に団長はまったく相手にしてません」
「あー・・」
それは、見ていればわかる。とは言わなかった。
確かにアンジェリカの眉根は吊りあがり、眉間には皺が寄っているのだが、それとは対照的にテノの表情はかわらない。細い目を更に細くしたような笑みを浮かべ、両手をあげてまいったのポーズをアンジェリカへと向けている。
テノとの付き合いが短い凛でもそれはわかってしまう。軽く流されていると。
「もうじき終わりですけどね、アンジェリカは研修でしたし、玉も今日作れましたしね」
「研修?」
アラディンの口から出た研修が気になり、改めてもう一度尋ねてみると、あっさりと頷かれた。
「本業は近衛です。剣を握ってる方が活き活きしてますよ」
「へぇ。そうなんだ」
凛の初めに感じた印象は間違っていなかったらしい。
けれどまだまだ続きそうな二人の応酬に、凛は予定外に他の団員たちへと玉作りを教え始める。ちらり、と横目で確認すると、テノと視線が絡む。
初めは一人の予定だったが、どうやら二人目からも教えていいらしい。言葉ではなく態度で意思の疎通を済ませると、凛はアンジェリカにやったように魔力の波動を導いていく。
その間も隣りではアンジェリカの一方的な怒鳴り声が響いているのだが、内容を聞く限り終わりはまだまだ見えてはこないだろう。
一通り団員たちに教え終わった頃、漸く一段落ついたのか。それともテノが上手い事をいって切り上げたのか。
恐らくは後者だろうとは思ったが、何も言わずに凛は引きつりそうになる頬を手で押さえつけ、近づいてくる二人をジッと眺めていた。
どうやら本当にいつもらしく、先ほどの剣幕はどこにいったのだろうと凛が疑問に思えてしまうほど、平然とした表情を浮かべたテノが凛の前へと立つ。
「リーンさん、お疲れ様っす」
相変わらずマイペースな空気を漂わせながら凛へと話しかけたテノに、どうしたものかと思いながらもとりあえずそれに応える。
「お疲れ様です」
と、一言シンプルに。
テノの後ろを見れば怒りの為か顔を真っ赤にさせたアンジェリカがテノを睨みつけているのだが、どうやらソレを止めているのはアラディンらしい。
「(ひょっとしたら年上かもしれない)」
なんとなくそんな事を思い浮かべながら、テノに視線を戻すと相変わらずの穏やかな表情。
「疲れたっすよね。ホントお疲れ様す。じゃ、送るんで帰るっすよ」
「あ。いえ。オレはまだ大丈夫なんですけどね」
アンジェリカはいいんだろうか?
「あー。いつもなんで、大丈夫っすよー」
その言葉で更にアンジェリカの身体に力がはいったのだが、テノの態度は変わらず既にアンジェリカの事は脳の片隅にすら置いていないらしい態度で背を向ける。
アラディンも慌てた様子を見せない所をみると、本当に日常だとは思うがそれでも女性にそんな表情をさせておくのは慣れない凛は、テノへともう一度視線を投げかけた。
「……わかったす」
凛の訴えかけるような視線を受け、ガックリと肩を落としたテノは距離を取ったアンジェリカの元へ向かって足を進め始める。
本当に、俺はリーンさんに弱いっすよねぇ。
そんな事を、テノが考えているとは思わずに、ただ、凛は安心したようにテノの背をおとなしく見送ったのだった。