シイリノエイという世界・2
取り合えず陛下の許可を取って、ヒース様にそれとなく言って…。
そんな事をテノが考えているとは露知らず、凛は興味深げに室内を見回していた。思ったよりも人数が少ないなぁ、と心の中で呟いてみるが、その理由に思い当たり口を噤んだ。
恩恵持ちが減っている。
それだけの事。
たったそれだけの事なのに、凛の心の中に影を落とす。
「(この世界もいつか…あの世界みたいになるのかなぁ)」
魔法は物語りの世界だけ。
空想であり、想像の産物。
魔法がない世界がどんなモノなのか。
凛には容易に想像がついてしまう。
凛の感情が段々と沈んでいく事に気づいたテノは、気づかないふりをしたまま中にいる団員たちへと声をかけた。
「どんな感じっすかー??」
間の抜けたような、いつものテノの声。
「相変わらず進展は無さそうっすねぇ」
ズバッと遠慮なく事実を口にするテノに、団員たちからは恨めしそうな眼差しが向けられるが、やはり本人は気にせずそれをあっさりと流した。
「そんなワケで助っ人っす。リーンさんって言うんすけどね。
ちなみにすが、無礼な事をしたら……もれなくヒース様と俺が怒るっすよー」
にこにこと、人当たりの良さそうな笑みを浮かべたままの爆弾投下。
団員たちが姿勢を正したかと思うと、次々と挙手をして慌てるがままにテノへと質問をぶつけていく。
「団長ッ、無礼の基準はなんですか!?」
「お仕置きはどんなないようですか?」
「どうして団長が怒るんですか?」
「ヒース様の客でしょ!?」
――…と、次々とあがる声。
無礼を働く気満々なのか、それとも基準が不明確で怖いのか。
恐らく後者だろうと感じた凛は、パンッ、と1回手を叩いて室内に響かせると、自分へと全員の視線を集めた。
「オレが対処出来る範囲の事で、2人に頼る事はないですよ。
ヒースとテノさんが理不尽な行動に出るようだったら、逆にオレが怒るから大丈夫です」
シィンと静まり返った室内。
それに頷くと、凛は改めてと自己紹介を始める。
「オレはリーンって言います。よろしくお願いします」
凛がぺこっと頭を下げると、上げていた手を次々と下げていく団員たち。
その様子を確認したテノが、足を一歩前へと踏み出し凛の隣へと立つと、
「じゃー自己紹介は後で適当に。今日は時間がないっすからね……アンジェリカ。リーンさんに教わって下さいっす。
後は俺が見るっすから、再開っすよー」
「アンジェリカさん?」
「そうっす。今日は時間がないっすからね。彼女だけお願いするっす」
「わかりました」
テノの言葉に頷きながら、人の輪の中から外れてこちらにゆっくりと歩いてくる女性へと顔を向ける。
色素の薄い茶色の髪と目を持つ女性。
意志の強そうな、きりっとつり上がった眉と眼差し。腰の辺りまである髪を後ろで一まとめに縛っているが、その中に朱色の髪が混ざっている。
「テノ様」
キビキビとした口調。固さを感じさせるが、それがアンジェリカの容姿と似合っていてた。その声音には迫力を感じるが、テノは慣れているのか気にしていないのか、細い目を更に細めて笑うと、
「アンジェリカは惜しいんすよ? なんで、引き出してもらった方がいいすね」
「……」
彼女の不満げな眼差しを右から左へと軽く流すと、凛に頭を下げて団員たちの輪の中へと入っていく。
残されたのは、凛とアンジェリカ。
「「………」」
アンジェリカに眼差しを向ける凛と、射殺しそうな眼差しをテノへと向けるアンジェリカ。ひょっとして好かれていないかな。そんな思考が脳裏を過ぎるが、テノの判断を信じて凛はアンジェリカへと声をかける。
「こんにちは、アンジェリカさん」
「……」
ギギギ、と音をたてそうな程不自然に首を動かし、凛を見るアンジェリカはやはり口を噤んだまま無言を貫き通す。
「オレの事はリーンでお願いします」
「……」
「じゃぁ、作りますか?」
「……」
無言のままのアンジェリカ。凛を見たと思っていた眼差しは、凛の後ろの方の壁を見つめたまま動かさない。
女性からこんな対応をされたのは初めてで、どうしたものかと少し悩んでしまう。時間にしてさほど経ってはいないが、それでも周りからは気遣うような視線が向けられてしまい、それに気づいた凛がアンジェリカの表情を伺うが、やはりアンジェリカの表情はかわらなかった。
「(そっか。嫌われるのは初体験かな。どうしよう…)」
嫌いな相手から教わりたいか?と聞かれたら、凛なら即決はしないだろう。玉の件については、凛の場合は偶々声を掛けられただけであって、どうしても、という存在ではない。
つまり、アンジェリカがどうしても凛に教わる必要はないのだ。
テノに意見を求めようと、アンジェリカに背を向けようとした瞬間手首を掴まれる。それには正直驚いたが、びくついたのが表に出なかった事に凛は胸を撫で下ろしながらアンジェリカを見る。
「細い手首だな」
だが、アンジェリカの口から紡がれた言葉は予想していなかったもの。性別を考えればこれは当たり前なのだが、男と認識されていると考えればアンジェリカのこの言葉は最もな事だといえるだろう。
「そうですか?」
性別は女。で、凛の手首は決して細い方ではない。
寧ろ、性別を考えれば、それなりに鍛えられた腕は太い部類に入る。
「あぁ。細い」
キビキビとした口調で言われ、凛はもう一度首を傾げた。
テノやヒースと同じ魔法士というよりは、軍人といった単語が脳裏を過ぎるが、取り合えず凛はアンジェリカの次の行動を待った。
「(あ…フェルと同じ場所にタコがある。剣ダコかな)」
握力は自分と同じぐらいかな――と、暇になった思考でそんな事を考えていると、段々と腕に伝わる熱が高くなってきた事に気づいた。
凛の体温は低い。それに比べアンジェリカは標準。微かな温もりだったはずのアンジェリカの手のひらが、今では高熱の部類に属するほど熱を持っている。
「(一気に熱をもったなぁ…)」
少し怒ったように眉を吊り上げたまま俯いたアンジェリカだったが、頬に幾らかの赤みがさし、耳は真っ赤。
自分の起こした行動のその後がわからないんだなと察した凛は、この状態のまま始める事にした。周りの団員たちの叫ぶ声を背景に、凛は掴まれていない左手を、アンジェリカの右手に添える。
「ッッ!?」
更に赤みを増した頬を気にする事無く顔をあげ、驚いたように凛を真っ直ぐに見つめるアンジェリカににっこりと微笑みかける。
「呼吸はゆっくり…」
凛の右手を掴んでいるのはアンジェリカの右手。その上に凛が左手を添えるという体勢の中、琥珀にしてもらったように魔力を導く。
アンジェリカの繊細な、絹糸のような魔力の波動を優しく包み込み、体外へと導きながら魔力に形を持たせていく。
「コントロールする事を意識し過ぎないで下さい。純度の高い魔力を一滴作ればいいんです。
魔法を具現する直前――無意識で使えてしまうから、逆に玉の作り方が難しくなっちゃうんですね」
「……」
この世界で恩恵持ちは、呼吸をするように魔法を扱う。それこそ、魔力を魔法として具現する動作を自動で行えてしまうから、具現する直前で魔力を体内に留める、という事が難しくなるのだろう。
「慣れないと無駄な魔力が溢れます。玉にとって必要なのはほんの少しだけ」
「……」
相変わらずアンジェリカは無言だったが、凛はもう気にしない事にした。ただ、琥珀がしてくれたようにするだけ。
今、この手が振り払われていないという事がアンジェリカの答えなのだろう。そんな事を思いながら。
凛が導いたアンジェリカの魔力。
アンジェリカの魔力と、凛の魔力が混じった玉が、アンジェリカの手の平に精製される。
朱色と、白色が混じった玉。
呼吸を整えながら、凛は手の平の玉と繋がったままの体内の魔力を切断し、玉の形を纏め上げる。
それとほぼ同時に、コロン、と転がる玉。
純度の高い玉。
その存在を主張するかのように、玉自体が光を放っている。
「出来た…のか?」
「はい。アンジェリカさんの玉です」
手の平の上の玉を見つめたまま、信じられないとばかりに呟くアンジェリカに、凛は頷きながら言葉を紡ぐ。
その後、大切そうにそれをギュッと握り締めたアンジェリカに、凛は笑みを浮かべていた。傍から見ると、初めて玉を作ったアンジェリカよりも嬉しそうに、穏やかに。