シイリノエイという世界・1
数日前の夜、闇夜に紛れて暗殺を行おうとした恩恵持ちがいた。偶々集団に気づいた凛は首を突っ込み、限界まで魔力を消費して倒れたのだ。が、その後が大変だった。
チャラン、と音をたてるのは腰に下げられている鎖付きの小さな宝石。手の平に収まるストラップ程の大きさで歩く邪魔にはならないが、その効果を考えると凛の口からはため息が漏れてしまう。
「それ…ヒース様お手製すよね?」
声は神妙な割りに、表情は笑みを浮かべて何処か楽しそうに見えるテノ。
数日間寝たっきりだった凛がベットから起き上がれるようになった後、いつものように外に出ようとしたらフェルディナントが全力で阻んできたのだ。最終的には折れなかった凛にフェルディナントが折れたのだが、その際出された交換条件がこれだった。
「そうみたいですね。なんかオレがある一定の魔力を使うと、ヒースが飛んでくるらしいです」
「あー…そりゃ過保護っすね。まぁ…でも心配なんすよ。寝込んだんすからね?」
寝込んだ事を言われると押し黙るしかない凛だったが、気を取り直して机の上に並んでいた文房具を手に取る。
「そうそうテノさん。これはペン先ごと交換できた方が簡単じゃないですか?」
「逃げたっすね。まぁ…しょうがないっす。交換するカートリッジは、インクだけじゃなくてペン先もすね?」
凛に向ける笑みの種類は、からかうようなものから優しげなものに変わっていたのだが、テノが作った文房具の試作品に集中していた凛はその表情には気づかず、いつものように顔をあげテノの言葉に頷く。
テノ自身もそれを凛に気付かせる気はないのか、優しげな表情も一瞬だけで、直ぐにいつも通りの何を考えてるか分からないと評判の笑みを顔に貼り付けながら凛の次の言葉を待つ。
「交換が楽なんですよね。手軽な感じがいいかなと」
「そーすね。手軽はいいすね。カートリッジだけだとインク漏れの心配もあるっすから、ペン先まで一緒に交換ってのは良い案っすね」
凛も日本ではペン先まで交換出来るタイプのペンを好んで使っていた。インクのみのカートリッジ交換は蛍光ペンぐらいだろうか。
「後はここの金属部分…ペンとセットになってるものは通常タイプで、別売りで色々なデザインのとか作れないかな?」
「いいっすねー。限定も作れそうっすね。
後ノートなんすが、リングノートってやつの試作品がこれっす」
テノが差し出したリングノートを手に取り、捲り具合やリングを確認する。手触りは、日本のものより遥かにいい。
「手触りが良いですね。ノートに関しては表紙の色やデザインを変えたり、ノートのマス目を変えたりしたら便利ですよ。後は用途別ノートっていうのかな?」
参考に書いてみた家計簿や他の物をテノに見せると、テノの目が輝いた。どうやら研究者心を擽ったらしい。
「いいっすねー。用途別。この辺りは他の意見も参考にした方がいいすよね」
職種別ノートやデザインも専門家に任せたりと、詳細を2人で決めていく中入り口の方に生まれた気配に2人はほぼ同時に顔を上げた。
「何してるの?」
顔を寄せ合いながら文房具について語り合う2人に水をさすように、、ヒースが冷静な声音で2人に言葉を投げかける。
「どうしたんすか?」
「お疲れ様」
凛とテノが同時に片手を上げて挨拶すると、ヒースが嫌そうに眉間に皺を寄せながら2人へと近付いた。
「何でそんなに気があってるの? そしてテノ。本題忘れてない?」
何処か呆れたような、いつものヒースらしい笑いが漏らしながらテノへと問いかける。
「まだっすよー。もうじき売り出すっすから、これも重要なんすよ」
そう言ってヒースに見せるのは見本のノートとカートリッジ式のペン。テノが知り合いの魔道具技師と提携を結び、ペンやリングノートに必要な金具は形になった。
「確かに便利だけどね……玉の事は? こっちはもう許可を取ったんだけど…ね」
冷ややかな視線にもテノは相変わらず、怖いっすー、なんて言いながらも、怖がった素振りはまったく見せない。
そんなテノを一瞥すると、ヒースは凛へと視線を向け、あっさりと本題へと入った。
「リーンがよければ、玉の作り方を教えてほしいんだ。玉さえ精製出来るようになれば、陣にも活用しやすくなるし、魔道具も作れるようになるからね」
「あ、ヒース様が言っちゃったっす」
テノのブーイングに、
「言うに決まってるだろ」
一刀両断したヒースの表情は、無表情に近い笑みを浮かべている。その表情から相当きている事がわかり、テノはあっさりと凛へと向き直った。
「そうそうリーンさん。リーンさんの玉が見事だったんでぜひっす」
ヒースの機嫌の悪さには触れず、話を進める事にしたらしい。
「…素人ですよ?」
手持ち無沙汰なのか両手の指先を絡ませながら、凛は困ったようにテノに言葉を返した。
「大丈夫っすよ。リーンさんの教えを、邪険に扱うのなんかいないっすから」
笑顔で言い切るテノの言葉に違和感を感じ、意味を聞こうとした所でヒースが言葉を挟んだ。
「良ければ受けてもらえないかな? 許可は取ってあるから心配しなくていいよ。あー…後はちょっとだけど謝礼が出るかもね。これは気持ちだから期待しないで」
凛の疑問はヒースの言葉に遮られたが、あえてそれは言及せずに凛は頷いておく。謝礼という言葉にはちょっと心惹かれるものがあったのだが、それ以上に許可が下りたという言葉で受ける事を決めた。
「オレでよければ手伝うよ」
玉の精製の仕方なら、琥珀のやり方がまだ凛の中に残っている。その教え方を手本にすればいいと思うと、少しだけ気が楽になる気がした。
試しにお腹の辺りに手を当て、魔力の流れを意識的に一箇所に集めてみる。すると、ほのかな熱を持ちながら凛の思った通りの場所へと集まってくれた。
「(うん・・・・・これなら大丈夫)」
凛の様子を確認しながら、テノがパンッと軽く音が鳴る程度に手のひらを合わせ、顔を上げた凛へと笑いかける。
「じゃ、今から行ってみるっすか? この時間なら一人に教えて終了っす。ヒース様も行くすか?」
机の上に所狭しと並べられた試作品の数々と、2人で出し合ったアイディアを書いた紙を鞄へと詰め込みながら、少し離れた場所に立っているヒースへと声をかける。
「俺は遠慮しとくよ。この後用事があってね」
職務中のヒースの用事は想像がつくが、あえて何も言わずにテノは微笑むと、
「知ってるっすよ。じゃ、リーンさん。行くっすよー」
思わずあのヒースが無言になる事を、表情一つ変える事なくあっさりと口にした。
「「……」」
ヒースの関係者だけあって、テノも本当に良い性格をしていると凛が心底思ったのは、決して間違いではないだろう。
頬を引きつらせながら転移の呪文で移動したヒースを見送った後、残された二人は肩を並べながら図書館を後にした。鉢上になっている闘技場兼演習所に行くのかと思ったら、そのまま通路を通り抜けていく。
今回はどうやら場所が違うらしい。テノが向かった先は、凛が今まで一回も通った事のない場所。初めて歩く場所に凛は多少緊張した面持ちでテノの隣を歩いていた。普段なら初めて行く場所でも何とも思わないのだが、今回は周りからの視線が露骨過ぎて気になってしまう。
凛自身、自分に注がれている視線なら軽く流せてしまうのだが、それが全て隣に集中していると気になるのか、テノを確認するように視線を向けてみる。すると、穏やかな金色の色彩が目に飛び込んできた。
「肩書きすよ」
魔法師団団長って響きに弱いんすよね。
なんて笑うテノに、凛は首を傾げる。
「そうですか?」
自分自身を見ているわけじゃない、と切り捨てるテノだが、十分に人目を惹く容姿をしているように見える。それに身長は、ヒースと同じぐらいかそれ以上。
「テノさんはかっこいいと思いますよ」
惜しげもなく凛に向ける優しげな笑み。
テノのそんな表情は貴重だという事を知らない凛は、その笑みも人目を惹くという事には気づかずに見たままの感想を口にする。
「リーンさんに言われると嬉しいっすね」
まごう事なきテノの本音には気づかず、凛は不思議そうな色を瞳に宿したまま首を傾げている。
「(けどなぁ…姉の言い分は正しかったのか)」
ヒースやフェルディナントとはまた違った美形のテノを眺めながら、凛は姉の言葉を思い出していた。
姉曰く。
異世界は美形が多い!
ゲームや小説を見ながら叫んでいたが、今の凛にその言葉を否定できる要素はない。むしろ、ここに来てから知り合う殆どが美形の部類に属するのだ。
それに、美形が多ければ多いほど凛自身が埋没する。日本では目立ちたくないと思う心とは反対に目立ちまくっていたが、ここでは他の人間の影に隠れて凛の存在が目立たなくなっているのが嬉しい。
そんな感謝の意味を込め、つい隣を歩いているテノを両手をこすり合わせながら拝んでしまう。無意識に。
「…リーンさん」
「ん?」
「その手は止めてくださいす」
困ったような声音に、凛は無意識に合わせていた手を下へとおろした。
「あぁ…態度に出てたんだ。すいません。深い意味はないです」
心の中に留めておくつもりが、すっかり表に出ていたらしい。凛は肩に掛けてあった鞄の紐を、両手で握り締めた。拝み防止の仮対策である。無意識に効果があるかどうかはわからず、凛は意識しながら両手へと視線を落としてみた。
「リーンさんも美形っすからね。視線の半分以上はリーンさんすよ」
完全に自分を蚊帳の外においている凛に、テノが上の方から静かに声を降らせた。寧ろ、見るからに恩恵を授かっているテノが視線を浴びるのは当たり前で、一般的な色彩しか持たない凛が視線を浴びるのが珍しい。
それはつまり、純粋に凛の容姿が人目を惹く証拠なのだが、本人だけがそれを見事にわかっていない――と、テノは思っていた。
テノは知らないが、実際、凛がソレを分からないのは仕方ないといえる。日本では今以上の視線を集め、それが日常茶飯事になっていたのだ。半数以下の、あからさまに熱が篭っていない視線を向けられた所で、気にするはずが無い。
会話を楽しみながら長い通路を抜けた後、その先に広がるのは木々の緑が鮮やかな庭園。
景色を楽しみながら敷き詰められた石の上を歩いていると、テノが徐に指を持ち上げ建物を指差した。
「あそこっす」
テノが指を指した方向を見てみると、六角形の建物が視界に飛び込んでくる。白色の煉瓦が積み重ねられ、所々模様が掘り込んだ色付きの煉瓦がはめ込まれれた、一度見たら中々忘れられなさそうな建物。
入り口に扉は無く、そのまま素通り出来そうだったが凛は足を止め、頭上に輝く玉を見上げた。
「正解っす。これが扉の代わりす」
テノが凛の手を取り、隣を歩くように建物の中へと足を踏み入れる。一瞬ビリッとした痺れるような感覚が背を通り抜け、凛は入り口を通った所で足を止めた。
「今のは??」
「防犯設備すね。許可ナシだと入れないんすよ」
「へぇ…上だけかと思ったら、両脇の壁にも埋め込んであるんですね」
一定間隔で煉瓦に埋め込まれた色とりどりの玉。
目を細めながら出入り口を凝視してみると、細い線のようなものが張り巡らされている事に気付く。
「(ビリっとした正体はこれかな)」
許可を貰ってなければ即死だろうなぁ、なんて呑気に呟きながら、凛はふと浮かんだ疑問の言葉をテノへと投げかけてみる。
「何でこの間は外を使ってたんですか??」
十分広い建物の内部。
この間見た人数程度なら、この広さがあれば十分訓練が可能だろうだろう。
「この間っすか? 太陽が良い感じに出てたっすからね。だから外だったす」
「太陽ですか?」
確かに天気は良かった気がする、と呟く凛に、テノは両手に自身の魔力を具現化させる。
「金色…」
それは、テノの髪の色と同じ色。
「そーす。俺の色は金――つまり、陽の恩恵を受けてるんすよ。なんで太陽が出てると調子がいいっす」
「へぇ…」
金が陽の恩恵なら、白金の琥珀は何の恩恵なんだろうと、決して口には出来ない疑問を脳裏に浮かべながら、テノの魔力に手のひらを当ててみる。
ほのかに暖かい魔力は、確かに太陽の暖かさを連想させた。
「また後で……詳しく教えるっすよ」
何かを考え込んでいる凛に、テノは魔力を体内に戻しながらそんな言葉を紡いだ。
本当なら、凛が知りたいと望むならこの場で全てを教えてしまいたいというのが本音だが、師団長という位を授かっているテノは陛下の許可を得る義務がある。凛の立場が特殊だというのもあるが、許可を得た方が穏便に済むのがわかっていたからこそ、省略するつもりもなかった。
「教えてくれるのは嬉しいですけど…大丈夫ですか??」
大丈夫じゃないなら、きっと凛は聞かないだろう。
「大丈夫っすよ。大丈夫じゃなきゃ、話さないっすから」
それがわかっていたからこそ、いつもの態度を崩さずに平然と嘘をついた。
「(さて…と。どういう態度ならいつも通りに見えるっすかねぇ)」
テノが凛を特別視している事。
今回は、気付かれなかった。
でも、次はわからない。
隠す気ではいるが、既に内に留まらず外に漏れている自覚があるテノは、いつまで続くすかねぇ──と、まるで他人事のように呟いた。




