プロローグ
身体を動かすのは好きだった。
小さい頃から好きだった。
勉学も嫌いじゃない。
知らないことを知る。発展させる。
そういった事にも興味を覚え、率先して行っていた。
知らなければ損だ!なんてはっきりと言い切ってしまう逞しい姉に育てられたからかもしれない。
美形大好きの姉。
気弱な、でも笑顔が優しい兄。
そして、男に見える妹。
美形は強く優しくかっこよく頭脳明晰にあれ!
姉の口癖だ。
そしてもこうも言っていた。
どんな時でも冷静に。
慌てず取り乱さずに女の子を護ってあげるのよ。
所詮生物の考える事。
生物が考えて突破できない事はない。
そう言ってた。
「言ってたよなぁ」
ぷかぷかと水に浮かびつつ、ありえない月を眺めながら呑気に呟く。
夜空に浮かぶ二つの月。
銀色と金色の双月だ。
少なくとも地球上でこんな光景が見られるという話しは聞いた事がない。
「しかし…自分も荷物も濡れまくりだ」
珍しい月を眺める事をやめ、立ち泳ぎの要領で身体を浮かせる。周りは木々に覆われ、現在地を確認する事は出来ないが、現在地がわかった所で理解は出来ないだろう。
自分の住んでいる地域にこんな場所は存在しない。
まるでどこぞの亜熱帯風景を切り取ってきたかのような光景。
「ピラニア・・・とか、ワニ、が出そうな場所だね。実物は見た事ないけど」
その時はその時か。
妙にさっぱりとした感覚で頷くと、とりあえず岸に向かって泳ぎ始めた。
その日はいつも通りだったのだ。
大学の講義は午後から。
友人と待ち合わせをしてご飯を食べて、いつも通り講義を受けて。
じゃーね。気をつけて帰ってね。
そう言って友人を見送って、自分も電車に乗り込んだ。
それから・・・
それから?
記憶が途切れたような気がする。
「(眠った・・・熟睡? いや…声が聞こえた)」
何かが途切れる瞬間、――主――という声を聞いた。
だからといってそれが事態の解決に繋がるわけじゃない。
寧ろ人から主、なんて呼ばれる心当たりもない。
姉の教育で、ファンクラブなるものは存在していたが。
主とファンクラブは別物だろう。
土のある場所まで泳ぐと、濡れて重みが増した鞄と自身を力ずくで岸へと上げ、そこで漸く息をついた。思う事は冬の装いじゃなくて良かった、という事だろうか。
何処かずれた事を考えながら辺りを見回すが、当たり前のように人の姿は一切ない。
寧ろこの時間にこんな場所を歩く人がいたらそれも怖い。が、人に会わない事にはどうしようもない。
「すいませーん。誰かいませんかーーー?」
予想外に響く自分の声。
「誰だ!?」
「おっと、予想外」
自分のだした声に応えるように、間髪いれずに聞こえた声と物音。
声だけ聞くと若い。
「何故こんな場所にいる! 答えろ!!」
無遠慮に首筋に突きつけられた、喉にあたる冷たい感触。
ズキン、と痛む所を見ると、剣先で傷をつけたらしい。
手で傷の確認をしたいが、目の前の男は許してはくれなさそうだ。
「(しかし・・ありえない格好だなぁ。ゲームのキャラみたいだ。
本人は至って真面目そうだから・・・)」
異世界ってやつか。
何処までも冷静に、自分を殺すかもしれない男を見つめた。
「フェル。その物騒な剣、しまいなよ。
予言は害在る者じゃない。不確定なだけで。
お兄さん、名前を教えてもらえる?」
突然現れたように見える男。
剣を突きつけた男――フェルを退かし、目の前へと立つ人好きのする笑みを浮かべる男。
胡散臭い笑み。
正直に思う。
自分と同種か・・・
内心嫌そうに、ため息を落とした。
「鈴風 凛。多分、この世界じゃない所から来たと思うよ」
言っている凛でも思う。
頭がおかしいのかと。
そう疑われても仕方のない言葉。
「すごく冷静だね。喉、怪我させられてるのに。
自分は殺されないとか思っちゃってる?」
やっぱり性格は悪そうだ。
リンは、声には出さずに呟く。
「いえ。喉は痛いですよ・
異端を目の前にした人間の行動なんて、何処でも一緒だと思うので…」
ここで1回言葉を区切ると、
「どうせならサクッとしてほしいですね。
この世界に目的があるわけでもないし、オレから引き出せる情報もないですし」
苦笑を滲ませる凛と、苦笑いを浮かべた男。
決定権は笑みを絶やさない男の方が持っていそうだと思うが、凛はそれ以上は何も言わずに黙って男たちを見つめた。
恐らくというよりは絶対、この男の好感度は下がりまくっている。
凛と同種というのもあるかもしれないが、気に入るような会話もしていない。
「(面倒だな・・・結論が出てるなら、早くしてくれないかな)」
ここには護るべき女の子も、完璧な自分を見せなきゃならない姉もいない。
物心ついてから当たり前のように演じていた自分。
それを初めて脱ぎ捨て、抜け殻となった状態。
力を抜くとこんな感じになるというのは凛にとっては初体験だったが、だからといってどうにかなるわけでもない。
開いていた目を、ゆっくりと閉じた。
折角なら、ふかふかの布団で眠りたかった。
そんな事を思いながら・・・。




