凛と魔法師団団長・10
全ての力を使い切ったのか、凛はその場に崩れ落ちるように膝をついた。
「……ッ」
指先一つ動かす事すら億劫で、無理に動かそうとすると痛みさえ伴う。この症状には心当たりがあったが、あの時は琥珀のお茶で一瞬で回復したが、今回はそうはいかないだろう。
子供たちの五体満足の様子を確認して、身体から力を抜いた。トン、と背に当たるのは冷たい石。
熱を持った身体に冷たい石は気持ち良くて、瞳を閉じる。
このまま眠っちゃいそうだなぁ、なんて思っていたら、段々と意識が闇へと沈んでいく。
完全に闇へと沈む瞬間、背に誰かの手が触れたような気がしたが、それを確かめる気力はなかった。
「お疲れ様っす。頑張り過ぎすよ」
聞こえてはいないけれど、テノは眠っている凛へと言葉を紡いだ。沈んだ意識は暫く浮上はしないだろう。
疲労で意識を手放した凛を抱き上げ、マントをひいた上へと横たわらせる。
「さて…と。ヒース様に連絡っすよねぇ」
凛の衣服の中から存在を主張する魔道具。先ほどから煩い程魔力を放ってくるが、その波動に心当たりがあり過ぎてテノは頬を引き攣らせた。
魔道具を通して連絡を取ろうと試みているという事は、逆探知の効果はつけていないらしい。
「ヒース様正解っすー。今のリーンさんにそれは危険すよ」
凛の魔法の腕前を知らないであろうヒースを思い浮かべ、納得するように頷きながら凛の衣服から通信用の魔道具を取り出す。
通常、通信用の魔道具は微かに光を放つだけで、ここまで存在感は主張していない。小指の先程の魔道具から放たれる朱と緑の魔力。ヒースとフェルディナントのモノだが、テノはそれを自身の魔力で覆うと宙に浮かし、それから通信を開始した。
「どーもっすー。ヒース様、フェルディナント様。正気すか?」
次の瞬間、魔道具を通して攻撃的な魔力が放たれるが、それはテノの魔力によって防がれ霧散する。
「短気すね。相変わらず。別に俺が誘拐したわけじゃないすよ?」
通信用の魔道具を更に魔力で覆うと、2人の出方を伺う。
会話にならなければ、陛下に丸投げしようと決意するが、意外と冷静な声がテノの脳裏へと響いた。
──わかってるよ。誘拐してたらそれは使わないでしょ。要点を纏めて報告してよ。いい加減、後ろでフェルが煩いんだ──
「……」
攻撃的な赤い魔力の波動は収まる所か、更に威力を強めている。
面倒だなぁ、とばかりにテノはため息を落とすと、要点を纏めながら報告し始めた。
「ここに来るのは、リーンさんが起きてからにして下さいすよ?
それまでに落ち着かせといて下さいっす」
最後にそれだけ言い、一方的に通信を切った。
はっきり言って、恩恵持ちの子供たちを相手にしたり黒幕を掴んだ時よりも、今の数分のやりとりの方が疲れた。背中に嫌な汗をかいているが、この際それには目を瞑る。
「子供たちの治療…は必要なさそうすね。後は中身…すか」
外傷は凛によって完璧といっていい。が、問題は縛られていた中身だが、それはすぐに判断はつかず、テノは転移陣で子供たちを監獄から移動させた。医務室にでも転移させておけば、後は陛下が対処してくれるだろう。
五体満足で生きている事が奇跡なだけで、テノとしてはどうでも良かった、というのが本音だ。
とりあえず、意識を失った凛が気づいた時の為に疲労回復ようの飲み物を用意しておく。
移動も考えたが、動かそうとすればその瞬間起きてしまうだろう。
「……あー…ヒース様たち行動が早いっすね」
凛が起きてから、という注意は効果があったらしく、起きるまで上で待つらしい2人にテノの口からは苦笑しか漏れない。
何時起きるかわからないのに、ヒースやフェルディナントは待つ気なのだ。
「まぁ、上で待つだけならいいすよ。眠りを妨げるなら怒るっすけどね」
凛に向けては優しく。
眠りを妨げる侵入者には冷淡に。
テノは俯いたまま口元に笑みを貼り付かせた。
ぼやける視界に働かない脳。
身体は動かす事が出来ないまま、ただ天井を眺めていた。
段々と気を失う前の事を思い出し、凛は自分の近くにある気配に視線を向けようとするが、それより先に気配の主が凛の横へと膝をつけると、金の色彩が凛の視界を掠める。
「テノさん…どうなりました?」
喉の感触がおかしい事もわかるが、それよりも子供たちの事が気にかかる。
「大丈夫すよ。五体満足っす。今は医務室で寝てるんじゃないすかね。リーンさん、それよりちょっと失礼するす」
凛の承諾を得る前に、テノは背中に腕を回し起き上がらせ、壁が背にあたるように座らせる。
「辛いとは思うんすけど、これを飲んで下さいす」
「ん」
テノから水らしき透明の飲み物を受け取ろうとしたが、手に力が入らず伸ばそうとした腕は重力に逆らう事なく落ちていく。
「更に失礼するっす」
そう言うと、テノはグラスを凛の口元へと持っていき、ゆっくりと唇を湿らせるように液体を喉へと流し込んでいく。
無味無臭の液体。水に近いが、その喉越しは水ではない。
コクコクと、いつもの倍以上の時間をかけて、グラスの液体を飲み干した。
「これで随分楽になるはずっすよ。リーンさん、お疲れ様す」
グラスを床へと置き、テノが困ったような笑みを浮かべながら言った言葉に、凛は思いついただけの言葉を返していた。
「テノさんも、お疲れ様です」
困った表情には理由がありそうだが、今はそこまで頭が働かない。
「ヒース様に連絡しといたっすよ」
それでも気遣う表情を浮かべる凛に、別の話題を投げかけた。
「あー…ありがとうございます」
一瞬視線を上へと投げ、次の瞬間には困ったようなやっちゃったような何とも言えない表情を浮かべ、凛は微かに頭を下げる。
公園で連絡したが、その後の事はすっかり忘れていた。
一体それからどれぐらい経ったんだろうと、首が動かない事も忘れて動かそうとしたらテノの手によって止められる。
「三時間すよ。リーンさんと会ってから」
「怒られそうだなぁ…」
三時間も音信不通にやっていたのかと、怒る二人を想像して凛は首をゆっくりと横へと振る。
「迎えに来るそうすよ。ヒース様がきたら、その玉の事は報告した方がいいっすね」
連絡をした時の2人の様子は話さず、テノは凛が使いこなしていた玉へと視線と話題を向けた。不恰好な、誰にも話さず独学で魔法を学んだ事がわかる装飾品。
「使い物になるかわからなかったから――…ていうのは通じないですよね?」
恐る恐る尋ねてみると、返事は別の場所から返ってきた。
「そうだね。君の魔法は魔法師団クラスだよ」
「……」
確認しなくても、その声の主が誰か――なんて事はわかる。
それでも、凛の身体は本人の意思通りに動く事はなく、顔はテノの方に向けたまま言葉を返した。
「そうなんだ。気付かなかったな」
「そうだろうね。初心者だから、加減がわからない」
ヒースの声音は当然心配の色が含まれていて、凛はせめて身体をヒースの方に向けようとしたが、それは別の手によって止められる。
「動かすな」
一言。静かな声音が真上から降ってきた。
それは、この世界に来て間もない頃、一回だけ聞いた事のある声音。
何処か影を含んだような、普段の彼からは想像がつかない程の淡々とした音。
「こういう時は俺かヒースを呼べ。そうすれば、リーンはこんな目には遭わない」
抱き上げられ、凛の視界はフェルディナントで埋め尽くされる。
「心配かけてごめんね」
フェルディナントの揺れる瞳を見た瞬間、考えるまでもなく凛はその言葉を紡いでいた。そして、痛まない程度の速度で腕を伸ばし、フェルディナントの頬へと触れた。
体温の高いフェルディナントの身体は驚くほど冷たく、表情は凍りついたかのように無表情になっている。
「オレは大丈夫。それに、誰も死んでないよ。それが、オレには嬉しい」
異世界に来てからそれ程時間は経っていないが、一つだけ判った事がある。
「(オレはもう…フェルの内側なんだ)」
探り合う関係だっただけに、凛にとっては予想外の真実。
そんな事に気付きながら、再び襲ってきた睡魔に視界が揺れる中、テノがフェルディナントの視界には入らない位置に立っているのが何故か凛の脳裏に深く刻まれていた。
【凛と魔法師団団長】はこれで終了です。