凛と魔法師団団長・9
凛にとって、人の死は身近なものではなかった。
両親は、凛が物心つく前にこの世の存在ではなくなり、写真でしかその姿を見た事はなかった。
だが、凛には兄や姉が居た。大切に育てられ、寂しさを感じた事は一度もない。
両親が死んだという事実はあるが、それでも、凛にとって人の死というものは、テレビを通して見る、何処か現実味にはかける身近ではない事実だった。
その他人事だった死が、凛の目前へと当たり前のように立っていた。ただ、それは凛に対しては背を向けていただけ。それを凛は自分から駆け寄り、その背に追いついただけの話し。
「リーンさんは何で、殺されたくないんすか?
関係ないすよね~。見なかったふりをして帰れば他人事で、現実味なんてないただの日常の一こまっすよ」
まるで凛が殺されそうになっているかのようなテノの口調。
「そうですね。ちょっと前までそれは、現実味のない他人事でした。
毎日のように死が伝えられているのに、オレにとってそれは直ぐに忘れてしまえる世界の一風景に過ぎなかった。
なのに、今回はその死を見たくないっていうオレの我が侭ですよね」
100%自分の為ですね。
笑いながら言葉を付けたし、テノの反応を待った。
「自分の為?」
「はい。自己満足っていうのかな。後は…オレは人の死に慣れてません。当たり前じゃないんです。
目の前の出来事じゃなかったら、あまり気にしないで直ぐに忘れると思います。でも、目の前で人が傷ついたり死んだりするのは嫌なんです」
今回の件について、凛が自分から飛び込んできたという自覚はあった。
それは今更で、テノも突っ込んだりはしなかったが、凛を伺うような眼差しだけは向けていた。
「綺麗事で固めた偽善よりは好きっすけどねー」
命を奪うのは嫌です。掛け替えのない命なんですよ。
なんて言われたら、テノは右手に宿している魔力を即座に発動させていただろう。
人でなし、なんて言われたら心底面白くて笑ってしまう自覚もある。
だが凛は、自分の為と言った。
予想していなかった言葉に、少し興味がわいたのかもしれない。
テノは右手に宿していた魔力の形を変え、闇を纏った数人へとソレを放った。具現した魔力は殺す意志を持ってはおらず、凛はテノのする事を黙って見ていた。
テノの光に纏っていた闇を奪われ、姿を現したのは十代前半の子供たち。
その子供たちの首には黒い首輪が巻かれ、鎖がついている。
「飼ってるんすよ。恩恵持ちをね──…他所の国で産まれた恩恵持ちは、化け物って言われる場合が多いすから、金さえ積めば簡単に売るんすよ。
あぁ。この国でそれはないっすよ。陛下は名君すから。それでも、世界の軋みは止められない」
それを言ったテノの表情を伺う事は出来なかった。
テノは魔法を発動させ、子供たちの首に巻かれた首輪と鎖に被せるように陣を組んでいく。その時家の中に灯りがともる。
闇が晴れたのだ。
「範囲、人物指定、《不可視乃光》」
次々と灯りがともり、人々の声が大きくなっていく中、凛は迷わず魔法を発動させていた。このままだと、騒ぎの中心になってしまうだろう。騒がれるのは得策ではない気がしたのだが、テノの表情を見るとその判断は間違っていなかったらしい。
「さっきのすか。どうもっす」
凛が見てきたテノより、今のテノはぶっきらぼうな感じがした。こういう場面だからか、これが素なのか、凛にはまだ判断がつかない。
「とりあえず移動するっす。リーンさんは……ついてきそうすね」
「お願いします」
迷うテノに、凛は頭を下げた。
すると、テノは何も答えず凛の足元へと魔方陣を発動させる。
「(小さな玉が沢山…)」
玉といっていいか分からない程小さな粒。それらが集まり、魔方陣を構成していた。
「(こういう使い方もあるんだ)」
使う魔法を固定しない、その場に合わせて変更出来るテノの玉の使い方。凛の足元に転がる砂のような小さな粒を視界に収め、改めてテノの底知れぬ何かを感じた。
テノの領域の上に立っていたらしい。テノがその気になれば、凛を拘束する事は簡単だったはずで、それをしなかったテノの真意を凛には量り知る事は出来なかった。
凛の足元に構成された陣が光を放ったかと思うと、その眩しさに目が眩み凛は反射的に目を閉じていた。
目を閉じていたのは時間にしてほんの一瞬。
瞼越しでも光の粒が目の前で踊っているかのように点灯を繰り返しているのだが、凛は足を踏みしめながら閉じていた瞳をゆっくりと開けた。
グラッと視界が揺れそうになるが、凛は気にせず辺りを確認する。
凛の目の前にはテノ。少し離れた場所には子供たち。その子供たちだったが、ざっと数えても10人以上。
テノと対峙していた子供たちは5人だったと確認していたが、他にも居たという事実に凛は視線をテノへと向けていた。
「15人すよ。面倒なんで、一緒に転送したす」
「・・・・・」
凛は無言のまま、小さく頷く。
「場所すか? 大丈夫っすよー。陛下には許可貰ってるすから」
一体いつの間に、とも思うが、どうせ魔法が絡んでいるのだろうと凛はそれ以上は考えず、テノが陣を被せた子供たちの鎖に視線を向けた。
場所が場所だからだろうか。
罪人のような首輪と鎖が、凛の意識を不快にさせる。
無機質な場所。長方形の石が積み重ねられ、部屋のような空間はあるものの鉄格子で遮られ、窓もない。
「ここは丈夫なんすよ。監獄すから。リーンさん、あの鎖…どう思うっすか?」
凛の思考を読み取ったかのようにテノが言葉を紡ぐ。
「契約…ですか? 繋がれてる??」
監獄から意識を離し、ただ視界に収めているだけだった鎖と首輪に集中する。目を細め、テノの言葉の意味を見逃さないようにしっかりと見えない何かを確認していく。
すると、繋がれていない鎖の先が、何処かに向かって伸びていることに気づく。物体じゃない魔法の鎖。
物体の鎖と魔法の鎖の境目をテノは魔方陣で覆い、魔法の鎖を伝いながら元へと向かって光を絡ませていく。
その瞬間、凛の目の前で鎖に皹が入り、それと呼応するかのように子供たちの身体に裂傷がはしる。
「正解っす。この分だと本体を掴めるか微妙っすね」
魔法の鎖に絡み付いていた光は既にこの場にはない。子供たちを縛る鎖の先にいる人物に絡みついているのか、焦ったように鎖が壊れていく。
声を発する事も出来ず、鎖と同時に子供たちの身体も裂傷が入り、腕が落ちる。
「俺の光が到達する前に子供たちが死ねば、鎖は壊れるっすから」
「……」
テノの言葉の意味を、どういう気持ちで聞いていたのか凛にはわからなかった。
ただ、不快で仕方なかった。
言いようもない、言葉に出来ない怒りが沸いてきて、身体が熱を持つ。
テノの魔法が大元を掴むより先に、子供たちを殺そうとしている鎖の主。
子供たちが死ねば鎖が壊れ、テノの放った光も意味を持たずに消えるだろう。
だからこそ、この鎖を通して殺そうとしているのだ。利用していた子供たちを。
──癒しは作っておきましょうか。ね、凛様。きっと役にたちますよ──
夢の狭間で会った琥珀の言葉が、凛の脳裏を掠めた。
ひょっとしたら琥珀にはわかっていたのかもしれない。この事態が。
一歩足を前へと踏み出しテノの隣に立つと、袋にいれてあった大きめの玉をテノへと手渡す。
「増幅です。使って下さい。
この子達はオレがなんとかするので、そっちに集中して下さい」
更にもう一歩足を踏み出し、袋から、もう一つ大きい玉を取り出す。
穴をあけて鎖を通した玉。鎖を手首に通すと、右手でそれを握り締めた。
これは、琥珀が一緒に作ってくれたモノ。玉の効率的な作り方を凛に教える為に、凛の魔力を琥珀は自身の魔力を使って導いてくれた。
だからこれには、琥珀の魔力が宿っている。
その玉に、琥珀は癒しと増幅の陣を込めた。
玉を握り締めた右手を前へと突き出し、その上に左手を添えて魔力を注ぎ込む。
テノは何か言いたげな表情を浮かべたが、声をかける事無く凛に背を向けた。背中越しに感じるテノの魔力。
魔力の質が琥珀に似ているからなのか。それとも凛が渡した玉を使ったからなのか。何処か安心する気配に凛は全神経を子供たちへと向ける。
5人にかけた《沈黙乃枷》は既にその効力を失っていた。
自由を奪ったはずの四肢は引き裂かれ、臓物は床へとばら撒かれ、生きているのが不思議な状態。
でも、まだ生きている。
辛うじて……生きてくれていた。
「大丈夫。大丈夫にするから・・・・・」
誰に言うのでもなく、凛の口からは言葉が漏れた。
魔力を注ぎ込んだ玉に刻まれた陣は子供たちの身体へと刻まれ、凛の魔力の波動を受けて光を放つ。
全ての音が消え、凛の意識は外とは完全に切り離された。
──凛様──
その瞬間、琥珀が声をかけてくれたような気がした…。