凛と魔法師団団長・8
濃い闇の気配を感じて、テノは悟られないように歩みをゆっくりしたものへと変える。
「今日の晩飯は何かっすかねー。こういう場合は寮暮らしにするか迷うすね」
いつも通りに独り言を呟きながら、外には一切出さずに身体の内に魔力を溜め始めた。
「(純粋な闇じゃないすね。複合……質より量すねー)」
口笛を口ずさみながら、持っている鞄を振り回す。なんとなく。
「おっと」
何も考えずに振り回していたら、壁にぶつかって鞄の横に付けていた玉が地面へと音をたて転がった。
それを拾うと、壊れた金具をどうしようかと頭をかき、仕方ないから上着へとしまい込む。
「(人通りがまったくないすね)」
拾うと同時に辺りの様子も伺うが、人通りはなく、闇が広がるだけ。飲み屋が数多く存在する大通りのこの場所は、いつもだったら人で溢れかえっているはずの場所。ちらり、と横目で店の中を確認するが、そこには人らしき影が横たわっていた。しかも複数。
「(相手の思惑を考えると頭が痛いすかね)」
人払いに眠りに闇。それぞれの魔法の質は高くはないものの、それらを同時に行使する事から術者の人数の多さだけは伺える。が、甘いなぁ、と無意識に笑みが漏れた。
ついさっき、鞄から落ちて上着にしまい込んだ玉に、溜めてあった魔力の一部を注ぎ込むと、それと連動させている瓶に仕込んである細かな玉が微かな音をたて始める。
「(《翔》)」
連動させた玉に言葉を紡ぎ、辺り一帯の広範囲に飛び散らせておく。
相手の思惑を考えると、眠っている人々も、建物も傷つけてはならない。
そんなテノの立場をわかった上で、大掛かりな魔法を仕掛けてくるだろう。
目的は…と呟き、わかりきった事実にテノの口からは笑いがもれた。
テノは断ったのだ。はっきりと。ヒースを敵に回す気にはなれなかったし、凛の事を調べて売る気にもなれない。
正直、ヒースの方が怖いというのもある。
「(どうせ傷つけたら…起こして俺のせいにする気すよね……師団長も甘く見られたっすよねぇ)」
少し離れた場所で感じる魔力。飛び散らせた小さな玉に更に魔力を注ぎ込むと、複数の陣を一気に発動させた。
態々、前もって陣を練成しなくても、常に身に着けている無数の玉が飛び散り、陣のかわりを果たしてくれる。テノが好んで使う魔法の一つでもあり、その使い方は熟知しているが、今回はその内一つの陣を護る事に特化させ発動させた。
無数の小さな玉で一つの区域以上の範囲を覆いながら発動させた陣は、その中で動く術者の情報を事細かに教えてくれる。
「やっぱ数だけっすか」
口元を歪めながら笑い、自分の死角に形を潜める影たちに視線を投げかけた。
「最近の恩恵持ちの質は……随分下がったっすよねー。だから俺の探す魔力に会えないんすかね? こーんなにレベルが低いんじゃ――ね」
面白そうに、未だに姿を見せない影たちに向かって笑いかける。
呪文の詠唱をしている事は感知しているが、やはり身近な部隊はテノに姿を見せる気はないらしい。
じゃあ、姿を見せさせればいいか、と右手を振り上げると、
「《爆》《爆》《爆》――《停》」
散らばせた玉が、テノの言葉に反応し次々と小さな爆発を起こす。爆発する場所、規模さえも注ぐ魔力で制御し、隠れている襲撃者たちを表へと引きずり出す。襲撃者の周りを爆発させ、炎を纏わりつかせた状態を維持されたまま転がるようにテノの前へと飛び出した小さな影たち。
それにテノが、もう少し魔力を込めれば、襲撃者たちは跡も残さずにこの世から消えるだろう。
「さて…と。ここまで一方的だと送り込んだ相手の頭を疑うっすね。どれだけ師団長って位をなめてるんすかね?
ここに5人。少し離れた場所に2人が5箇所っすか。15人……他国でまだ産まれてるんすね。恩恵持ち」
襲撃者たちが動揺を走らせたのがわかった。が、テノは構わず続ける。
「あんた等を捕まえた所で決定的な証拠にはならないすね。
いや。でも残念っすよ。貴重な恩恵持ち15人とさよならしなきゃならないなんて……本当に残念すよね」
冷たい光が瞳に宿る。
瞬間、テノの身体から金色の魔力が放たれた。
金色の魔力は、テノの魔力の象徴。
「さーてと…そんなに暗闇が好きなら――光は貰ってやるっすよ」
残酷なまでに静かな声が、辺りに響き渡る。
状況確認としては、闇討ちを仕掛けた相手が予想以上に強くて、でも仕えている存在も怖くて逃げれない。かといって、闇を纏っている存在を逃がす気など更々ないテノ。
少し離れた場所で様子を伺っていた凛だったが、どうしようかと考えるように顎に手を持っていく。凛がここに来た理由といえば、この闇の正体が知りたかったのと、怪我人をだしたくなかったからだ。だが、この分なら凛の手助けなど必要なく、あっさりと終わるだろう。
それに、手伝いをする気ではいても、相手はプロで凛は素人の違いがある。凛自身実践経験がないわけではないが、やはり、喧嘩とこの世界の戦いは根本的なモノが違っている。
場に呑まれないように、体中の空気を入れ替えるようにゆっくりと息を吐きだし、吸い込む。
《不可視乃光》の効果によって、凛の存在は誰にもばれてはいない。だからこそ、無理はせずに冷静に状況を確認する事に努めるはずだった。
「脳は焼かないっすよ」
だから安心していいす。と、テノがにこやかな表情を浮かべ、穏やかに言葉を紡ぐ様が凛の耳と目に飛び込んでくる。
戦いの場とは思えないほどの、いつも通りのテノ。
いつも通り過ぎて、逆に今はソレを不自然に感じてしまう。
テノが体に纏わせた魔力に鋭さが混じった瞬間、闇を纏う影たちから悲鳴が漏れた。
悲鳴が、凛の身体を突き抜ける。
怯えた、幼い声。
綺麗事だけじゃ済まない世界。
わかってる。
でも、そんな事など一切頭を過ぎらず、凛は腕輪とネックレスの鎖を巻きつけている左腕を前へと突き出し、言葉を紡いでいた。
「《沈黙乃枷》」
左腕の衣服の袖から覗くチェーンと玉と腕輪。材料の少ない所で無理やり穴をあけたりテグスで巻きつけたりしたそれは多少不格好だが、こんな時にそんな事を言っている場合ではないだろう。
凛はしっかりと想像力を働かせ、玉から魔方陣を押し出すイメージを固めながら言葉を紡ぐ。
陣を押し出す先は、影たちの胸の辺り。物体ではない陣は、闇をすり抜け身体へと陣を刻み込む。
「事情の知らないオレが手を出すべきじゃない、とは思うんですけどね。なんかほっておけなくて」
テノも、テノを襲った集団も、恩恵を預かる存在。
力が強い、弱いはあるが、体内から発せられる魔力で恩恵を預かっている事は凛でさえわかる。
恩恵を受けた存在の数は減っているらしく貴重だが、その貴重とは別の意味で凛は自分自身の何かが揺り動かされた気がしていた。
「その声は…リーンさんすか? 姿も存在も感じないすけど」
凛の声がした方角で場所はなんとなく分かるが、姿どころか存在を感じる事が出来ない。会う度に強まっていた魔力の波動もなし。
だが、襲撃者に刻み込まれた魔力から感じる波動は凛のモノなのは間違いようがなく、動かずに様子を伺う。具現された魔力の渦は消さないまま。
「《解除》」
《不可視乃光》だけを解除し、姿を見せた凛は改めてテノを真正面から見つめる。
「テノさん、彼らはもう魔法は使えません。しかも動けませんよ。その物騒なモノ、やめませんか?」
いつでも焼きつくせるように。その魔力は霧散されないままテノの手の中に収まっている。
「何か随分と強くなってるすね。良い先生でも出来たすか?」
凛の言葉には答えず、まるで挨拶でもするかのように気軽に会話を続けるテノ。
「さぁ。どうでしょう?」
あえて答えないテノに気にした素振りは見せず、少しずつ距離を縮める。
「ヒース様じゃないすよね? そのいかにも手作りってヤツは……独学っぽいすけど、その陣は独学じゃ作れないすからね」
協力者がいないと、オリジナルの陣は作れないらしい。口伝か何かなのかと思うが、今、それを訪ねている雰囲気ではない。
「彼等──自業自得の面もあるけど、怖がってますよ?
そろそろ弱い者苛めになっちゃてません? お互い引きそうにないし、かといってこの辺りの効果は切れそうだから時間はないし…どうします?」
命の危険があったのはテノ。そして、従ってしまったのは彼等。今回は偶々テノの実力が圧倒的に上回っていたから、襲撃者に命の危険が出てきただけ。逆だったら、今頃テノは死んでいただろう。
それを考えると良い気分はしなかったが、テノの魔法を強制的に消す気にはなれなかった。
だが…
「彼等の身体に写した陣の効果は沈黙。魔力の拘束と肉体の拘束。効果時間は無制限。破るまで、彼等は指一つ自分の意思じゃ動かせません。
それを踏まえた上で一つ、オレに貸し作りません?」
ある種の賭け。
テノが乗ってくれるかどうか。
凛は表情を変えないまま、テノの返答を静かに待っていた。