凛と魔法師団団長・7
黄昏時。
図書館を出た時の鮮やかな夕日の朱はなりを潜め、今では深い藍が辺りを包み込んでいる。
夜の帳が下りてくると、昼間とはまた違った色を見せてくれる庭園。金と銀の双月に照らされ、足元の草花が段々と色を変化させていく。
月に照らされ、淡く光を放つそれらの染色は、太陽の下で見たものよりも随分と薄く色づく程度。
地球では見た事のない光景に見惚れ、変化が終わるまでの僅かな時を楽しむ。それが、凛の日課の一つになっていた。
一度、帰りの遅い凛を心配してフェルディナントとヒースが迎えにきた事があった。それ以来、持たされたのは通信用の魔道具。こんな小さい物もあるんだね――と言ったら、知らなかった? そうなんだよってヒースに笑われた事がある。
「(きっと、オレの知らない内にオレの事で使ったんだろうな)」
でなければ、ヒースはあんな風には笑わない。
まぁ、いいかと気を取り直して、衣服についた埃を払うと、袋から通信用の魔道具を取り出す。
「さて…と、帰るかな」
取り出した魔道具に手を翳すと。声には出さずに言葉を紡ぎ始める。
「(ヒース。聞こえる? 今から帰るから、フェルには心配しないでって伝えておいてくれる?)」
――わかったよ。伝えとく――
魔道具に向かって伝えると、凛の脳裏にヒースの声が響く。初めて使った時は驚いたが、何度か使う間にこの感覚にも慣れてしまった。
通信用の魔道具をしまうと、図書館で借りた本が入っている少し重い鞄を持ち上げ、肩へと掛けると、夜の闇を楽しむようにゆっくりと庭園を歩き始めようとする。が、凛から見える路地裏に幾つもの影が通り過ぎた。
明らかに人の影。
庭園に立つ凛には気づかなかったのか、影たちは凛から遠ざかるだけ。
「そういえば……今日は街灯が点いていないな」
凛が立っている場所は庭園の中。庭園を抜けたその先にある街路には何故か明かりが灯っていない。後ろを振り返り、図書館から庭園へと続く街路を確認してみるが、そこはいつものように明るく、人通りもある。もう一度影が通った場所へと視線を向けてみるが、やはり、いつもとは違う光景が広がっているだけ。
「庭園が境界線だ」
見比べればわかるのだが、それだけではなく、何かがおかしいと脳裏に警報が響き渡る。恐らくというよりは絶対に、庭園から足を一歩でも踏み出せば、凛も闇に呑まれどうなってしまうのかわからない。
多分だが、あの集団の目的が果たされれば闇は解除されるだろう。
「城内なのに大胆だよね」
アーフィイの時に感じた闇とは違い、目の前の闇には不快感しか感じない。どうするかな、と、決められた動作のように首を傾げた後、凛はベルトに付けられた装飾品のように飾られた小さな玉へと手を伸ばし、親指と人差し指でそれを掴む。
「落ち着いて…大丈夫。使える」
掴んだ指を擦り合わせ、小さな玉を割る。
瞬間、凛の身体は玉に閉じ込められた魔法陣に包み込まれていた。
「《不可視乃光》」
その陣に刻み込まれた呪文を唱えると、凛の身体は光に包まれ闇へと溶けた。
《不可視乃光》は、外部から存在を隠す為の呪文。足元に浮かび上がった陣は、凛を中心に展開されている為、場所は固定されない構造になっている。
陣の呪文は唱えなくても展開は出来るが、唱えた方が効果と持続時間が違う。陣入りの玉を何個かを同時に叩き割れば、呪文を唱えた時と同様の効果が得られるが、唱える余裕のある時にそんな無駄な事をする必要はない。
続けて、腕輪に埋め込んである玉に意識を向け、不可視乃光と同様鍵となる言葉を唱えた。
「《守護乃霧》」
使っている陣は、琥珀から教わった凛のオリジナルのもの。凛の中にある魔力の形を陣にした、凛が最も効果を発揮しやすい形になっている。
琥珀の協力を得るまでは、本に載っている陣を使用していたのだが、琥珀の協力によって、凛は自分だけのものを手に入れられた。
後は、魔方陣の中心に、その魔法の核となる名を書き込み、周りにもう一つ円を加え、呪文を書き込めば様々な効力を持つ魔法陣が完成する。
凛が使用していた一般的な、比較的誰もが使いやすいものは本や教科書には載っているが、それだと効果が相手にわかり易かったり、複雑な呪文を構築する事は出来ないという難点があり、自分だけの陣を手に入れられる魔力があれば、態々それを使う存在はいないらしい。
「さて…と。これでオレの護りは完璧だけど……どうしようかな」
ネックレスを首から外し、それに袋に入れてあった穴あきの玉を幾つか通し、左腕へと巻く。これに封じ込めた陣は、言葉によって玉から押し出して使用するタイプのモノで、ベルトに仕込んだモノとは違い割る必要はない玉。
「何となくほっておけないんだよなぁ…この感覚は知り合いが狙われてるのかな」
通信用の魔道具の存在は脳裏に浮かんでいるのだが、何故かそれを使ってヒースたちに連絡を取る気にはなれず、それを鞄の中へとしまい込んだ。
今の凛は《不可視乃光》によって外部からその存在は完全に隠され、《守護乃霧》によってどんな干渉も受けなくなっている。
つまり、この闇の中を誰にも気付かれずに歩く事が出来るのだ。自分の力を過信するわけではなく、この玉たちについては協力者への信頼が勝っているのか、凛はこれが誰にも破られない事を解っていた。
だからこそ、一寸先も伺う事が出来ない闇の中へと足を踏み出し、身を投じる。
瞬間、凛の身体に纏わりつこうとしていた闇は《守護乃霧》に阻まれ、凛の身体に触れる事無く霧散するが、《不可視乃光》によってそれは、誰にも気づかれる事なく行われ続けていた。
改めて辺りの状況を確認する為に視線を流すが、不自然に倒れている人たちを見つけて眉根に皺を寄せてしまう。
「眠ってるだけか……でも、あまり考えてないんだな」
発動と同時に眠らされたのか、受身も取れない状態で地面に伏した人の治療をしながら凛は歩いていく。殆どがかすり傷で済んでいたが、それは運良くといった所だろう。
「この世界に来てから怒りっぽくなったかなぁ」
地球にいた頃は思わなかった感情。
こんな不快な闇はさっさと払ってしまおう。苛立ちに精神を冒されないように凛は深呼吸を繰り返した後、ベルトに手の平を当てながら思い浮かべる。
今必要な魔法は――探査。
すると、ベルトの奥の方から小さな玉が凛の手の平の中へと収まる。
「《探査乃糸》」
玉の中の陣に籠めた魔法の名を紡ぐと、玉が光を帯び、その光を細く糸のように伸ばしながら凛の腕へと巻きつかせた。
凛の《不可視乃光》の範囲から出ないように、玉がある方向に動き始める。
「そう。この闇の理由を知りたい」
玉に語りかけると、玉の導きに従うように歩き始めた。
「人が少なくなってきたね」
《探査乃糸》に導かれるまま進んでいると、倒れていた人が疎らになり、更に歩いていくと人の影すら見えなくなる。
「人払いの魔法ってあるのかな。ありそうだね。想像力の問題だから出来そうだし」
独り言が多いなぁ、なんて呟きながら、無意識に玉を握り締めた。
ただ、握り締めた玉は、攻撃用のものではなく護り主体のモノ。
琥珀から教わりながら作った玉の中には当然、攻撃用のモノが多数ある。効果も狭間と呼ばれる場所で確認してみたから知っている。
街中でも使うのに問題のない攻撃用の玉も多数存在しているのだが、何故かそれは、手に取る気にはなれなかった。
「まぁ、傍観者で済めばそれが楽だしね」
攻撃用の玉を手に取らなかった理由を、凛はそう結論付けた。