凛と魔法師団団長・5
鳥の囀りやカーテンから差し込む日差しに眼を細めながらも、いつも通りの朝の風景がそこにはあった。
「(…夢? には思えないな。それに…)」
琥珀の事が夢ではなかった証拠が、机の上や凛が寝ている布団の上に散らばっていた。琥珀に手伝ってもらいながら作った玉。それらには、重ねて閉じ込めた陣が薄っすらと浮かび上がっている。
凛の魔力が尽きるまで魔法の効果を確かめたり、陣の使い方を学んだりもした。その知識は確かに、凛の中で確実なものとして根付いている。だが、使い方は学んでも凛の知識はまだ拙く、図書館から借りた本を見ながら魔法の基礎の勉強を独学で進めた。
その勉強すら、琥珀に学んだ前と後では感じ方がまったく違っていて、魔法や陣の感覚が掴めるからこそ読み進めるのが面白くなり、何冊もの基礎の書物をあっさりと読み終えてしまう。
やはり、陣は大掛かりな魔法を使う時は必須。陣があった方が安定度が違うという理由から用いられるらしいが、個人でそれを使う存在は稀だという事もわかった。
それについては、既存の基本的な陣は使い勝手が悪いという事。威力のある魔法を込める事は出来ないという事。強い魔法を込められるオリジナルの陣を持つには高い魔力が必要だという事。その辺りから個人で作成する事は敬遠されているらしい。玉の精製が難しいという事も関係しているかもしれないが。
凛にとってみたら、鍵となる言葉を唱えるだけで発動する陣は使い勝手がいいのだが、使う条件を整えるのは大変らしいと、その時に初めて気づいた。その大変らしい陣を自由に使い勝手よく使えるようになったのは、琥珀の存在が大きい。琥珀が居なければ、凛の魔法は呪文を詠唱するものに偏っていただろう。
魔力で玉の中に陣を書き込んでいるが、本当はそれも難しいらしい。玄人向きな作業らしく、間違えて持ってきてしまった明らかに基礎ではない書物にそんな事が書いてあった。
「・・・・・陣は手書きでもいいんだ。大きな魔方陣は皆で協力して描くのかな。っと、そうだ。とりあえずこれを持ち歩くためには…テグスがあったな。不恰好だけど仕方ないか」
鞄の中に入っていたペンチとテグスを使い、玉を腕輪や他のものに取り付けた。やはり見た目は不恰好だったが、長袖を着てしまえば目立たなくなる。
手伝いや図書館へ行く時間の合間をぬう様に、暫く凛の作業は続けられた。
そんな中、凛はいつものように厨房へと顔を出した。
朝食の準備が始まる少し前。料理長であるマークの姿を見つけ声をかける。
「おはようございます」
「おはようございます。リーン様」
様付けはいらないと何度言っても、未だに直らない料理長。屋敷に勤める全員がそうなので、最近では諦めて何も言わなくなった。
「これ、この間のレシピです」
とりあえず先に本題のレシピをマークへと手渡す。
凛が食材の味を試しながら、地球の料理をこの世界の料理に合わせてレシピを作成するので中々作れないが、出来たら料理長に渡してアレンジしてもらうのだ。それに、新しい料理のきっかけにもなる。
「ありがとうございます。リーン様のこれ、好評ですよ。今度本でも作っていいですか?」
「本? 別にいいですけど……オレのレシピよりマークさんの味覚を優先して下さいね。オレじゃ自信がないので」
その辺りはやはりというか、異世界なのだ。生活をしていて味覚に差はないようにも思えるが、それでも自信なんてもてるはずがない。
「わかりました。その辺りは俺の味覚を優先させてもらいますね。本を楽しみにしてる奴が多くてね。完成したらリーン様に初めに見てもらいますから」
「楽しみにしてますね」
その時の凛のイメージとしてはコピー本。印刷してホッチキスでとめて、背に製本用のシールを貼って終了。そのぐらいの認識だったのだが、後々、この世界の本というものを改めて認識させられるのだった。
厨房に顔を出した後は庭へと向かう。そこで、庭園の植物に水をまくのも凛の日課の一つだ。
その日課を終わらせ、凛は辺りを見回し一息ついた。凛としてはもっと手伝いたいのだが、説得の上、勝ち取った条件は一日一回のお手伝い。つまりは朝の水遣りのみ。
それが仕事ですから、という皆の意見と、ただ飯食いは嫌です、という凛の言葉。
結局、折れたのは使用人たちの方だった。
かといって、凛とは違いこれが仕事の人たちのやる事を取りすぎるというのもどうかと思い、結局はこれで落ち着いたのだ。
そして今、朝の仕事が終わり、凛は使った桶を倉庫へと片付けた。この後はいつものように図書館で本を読む。フェルディナントから貰った鞄を背負いながら、庭師のダルンの姿を探した。
「ダルンさーん。図書館に行ってきますねー」
枝の剪定をやっていたダルンに声をかけ、図書館への道のりを歩き出す。
琥珀が言っていた言葉。凛も感じた情報の隠蔽。だが、今はそれでも、図書館の書物の情報ぐらいは入手しておきたかった。
行く途中に空を見上げてみると、段々と曇り始めているような気がした。
この世界にきてから初めて、雨が降るのかもしれない。
「気持ちいいかな。酸性雨ではなさそうだし」
ふと、そんな事を考えた。
図書館の奥の方に、本棚に隠れた薄暗い場所に置かれた机。
そこが凛の定位置になっていた。この図書館を利用し始めてから一度も、凛以外の人が使っているのを見た事はない。そんな場所に、即席のノートと本を並べ、この世界の情報を調べ始める。
目に付くのは、金と銀の双月と対の世界。
「・・・・・」
読みふけようとした瞬間を狙ったかのように投げかけられた視線。
「・・・・・」
視線の主を確かめてみれば顔見知り。
「こんにちは、テノさん」
迷ったが、結局は凛から声をかけてみた。
「こんにちわっす。凛さんは勉強すか?」
机の上に並ぶ本と、束ねた紙に視線を落としたテノは、相変わらずの笑顔で聞いてくる。
だが、その視線は凛が作ったノートに興味深げに注がれていた。
「ノートっていうんですよ。オレの国で使われていたものなんです」
「へぇ、珍しいっすね」
「この国は便箋ですしね。持ち歩くには便利ですよ」
内心、自室用と図書館用のノートは別々にしておいて良かったと思ったが、テノの視線は凛ではなくノートへと向けられたまま。その様に、漏れそうになる笑みを奥に留めながら、鞄からもう一冊ノートを取り出した。
「作り方は結構簡単ですよ。もしよければこれどうぞ。先日のお礼もかねて…受け取ってもらえると嬉しいです」
何冊か持ち歩いていた未使用のノート。
断られる前に、先日の礼という事を含めながら。テノの目の前へとノートを差し出す。指先に微かに触れるノートを手に取り、改めてそれを近くで見るテノの瞳は、何処となく輝いている。
多分きっと、こういうものが好きなのだろう。
テノとしては、先日のアレは礼を受け取る程何かを教えたわけじゃないとは思っていた。が、ノートには興味がある。作り方は簡単らしく、これを見本にすれば作れるようになるだろう。
「・・・・・こちらこそありがとうっす」
結局はノートの誘惑には勝てず、照れくさそうに頬を赤らめたテノが礼の言葉を口にするのだった。