第7話「初めての『仮説』」
(語り手は佐倉涼子)
物理研究会に入って、気づけば三週間が経った。
正直、最初は「なんとなく」だった。
でも今は、毎日がちょっとだけ楽しみで、ちょっとだけ怖い。
特に今日は、“例のアレ”がある。
自由観察実験。好きなテーマを選んで、小さな現象を観察・記録・考察する、いわば“自主研究会”。
でも私にとっては、はじめて「自分で考える日」だった。
準備室の机に、私は持参の道具を並べた。
ストップウォッチ、メジャー、ビー玉、水の入ったタッパー。
加奈子に「なにそれ?理科というより図工だね」と笑われたけど、これでいい。
実験テーマは、「ビー玉の沈む速さは何で決まるか」。
なんとなく、風呂場でビー玉が沈むのを見ていて思った。
速いときと遅いときがあるような……気がする。
それって、水の深さ? 容器の形? ビー玉の重さ?
でも私が一番気になったのは――水の温度だった。
「じゃあ、“仮説”を立ててくれ」
蘭子先輩が言う。
私は少し緊張しながら、ノートを見た。
「えっと……仮説は、“水温が高いほど、ビー玉は早く沈む”です」
「理由は?」と問われ、私は自分でも不安な声で答える。
「水温が高いと、粘性が下がって、抵抗が減って……だから……たぶん」
沈黙。
私の声はだんだん小さくなる。けれど――
「……いい仮説だ。観察の着眼点も、物理的だ」
蘭子先輩が、はっきりと言った。
私は、胸がじんとするのを感じた。
“はじめての仮説”を、受け止めてもらえた。
実験は、熱湯ポットと氷水を駆使して、3つの温度で行った。
10℃、25℃、40℃の水。ビー玉を同じ高さからそっと落として、沈み切るまでの時間をストップウォッチで計測する。
「おお、40℃の方、明らかに速い!」
加奈子が嬉しそうに言う。
「でも、それって“見た目”だけだよね。数値で見ると……ほら」
私はノートを見せた。
10℃→2.4秒/25℃→2.0秒/40℃→1.7秒
小さいけど、確かに差が出た。
私はその数字に、ほんの少しだけ誇りを感じていた。
「仮説と一致している。もちろん誤差もあるが、この方向性は正しい」
蘭子先輩がそう言ってくれたとき、私は心の奥がふっと軽くなるのを感じた。
夜、帰宅してからノートを見返す。
仮説、実験、観察、結論。すべて、自分の手で書いたものだ。
たった数秒の沈む動きが、こんなに面白く感じたのは初めてだった。
思えば、物理はずっと「覚えるもの」だった。
でも今は、**「自分で考えて、自分で確かめるもの」**になってきた。
――この違いって、すごい。
翌日、蘭子先輩が一言だけ言ってくれた。
「君の仮説、観察、そして考察。……科学者の入口に立ったな」
それが、たまらなくうれしかった。