第3話「加奈子、器具を壊す」
物理研究会の活動は、放課後の物理準備室で行われている。
古びたスチール棚と、どこか焦げた匂いのするカーテン。
廃棄寸前の装置たちと、貼りっぱなしの紙ポスター。
その雑然とした空間の真ん中に、私たち三人の机があった。
「加奈子、そこ触っちゃ――」
パキンッと、嫌な音がした。
「あ」
加奈子が、両手を上げたまま固まっている。
彼女の手元にあったのは、精密な実験用スタンド。棒と台座とクランプで構成されたアレだ。いや、正確には、だった。
「えっと……これ……私、壊した……?」
床には、金属のクランプ部分が真っ二つに割れて落ちていた。
涼子と私は思わず顔を見合わせた。
「ちょ、ちょっと待って……大丈夫、大丈夫かなこれ……!」
涼子が慌てて破片を拾い集める。一方で、加奈子はまだ両手を上げたまま。
「いやー、なんかね、ちょっと回したら……パキってね……」
「加奈子、それ、調整ネジじゃなくて、固定用の溶接部だよ……」
蘭子が静かに言った。
白衣の胸ポケットから、彼女は細いドライバーを取り出して、破片をじっと見つめる。
「亀裂はもともとあった。だから、君の力が直接の原因じゃない。だが――」
蘭子は、ちらりと加奈子を見た。
「“触る前に構造を確認する”のが、科学の基本だ」
「……ごめんなさい」
加奈子が、少しうつむいた。
珍しく元気がない。
空気が一瞬、重くなる。
そのとき、涼子がふと破片を見て言った。
「……でも、これ、すごいきれいに割れてるね」
「?」
「断面が、なめらかというか……これ、熱じゃなくて力の応力で割れたんじゃないかなって……あっ、いや、素人意見だけど……!」
焦ったように言い添える涼子に、蘭子が目を丸くする。
「それは……いい観察だ。まさにその通りだと思う」
「え? ほんとに!?」
「応力集中による破断。応力を計算して再現できれば、面白いテーマになる」
蘭子は目を輝かせ、割れたクランプを手に取った。
「この“失敗”を使って、破損メカニズムの実験ができる」
「え、それってつまり……?」
加奈子がおそるおそる訊ねる。
「加奈子。君は、貴重なデータをくれたということだ」
しばらくの沈黙のあと――
加奈子が、破裂したように笑った。
「やったぁ! 壊して怒られると思ったけど、データ扱いって最高!」
蘭子は少し呆れたように笑い、
涼子は「それはどうなの」と呟きながらも、くすっと笑った。
それが、たった三人の研究会の、最初の“事故”であり、最初の“発見”だった。
物理は、失敗から始まる。