第148話「質問される日、答えを持たない日」
(語り手:日下部ゆら)
そのイベントは、夏休み後半。
市の科学交流フェアの一角だった。
「高校生による自由研究ブース」——私たち物理研究会も出展した。
テーマは、風船ロケットの軌道と空気抵抗の関係。
春から夏にかけて何度も挑戦して、ようやく「発表できる」と思える形にした実験だった。
「飛ばすところを見せてください!」
「この角度って、計算で決めたんですか?」
「誤差の原因は何だと考えていますか?」
来場者の質問は、容赦なかった。
小学生の素朴な「なんで?」も、
理系大学生の鋭いツッコミも、
私たちのブースには絶えず人が訪れて、絶えず“答え”が求められた。
けれど——答えられないことの、なんと多いことか。
空気抵抗の具体的な数値。
誤差の定量的な検証。
実験間の比較と仮説との照合。
どれも、まだ“途中”だった。
「ちゃんと答えられない」ことが、恥ずかしく思えた。
夕方、一段落してから私はポスターの前に立ちすくんだ。
「私たち、発表しない方がよかったのかな……」
ぽつりとそう呟いたとき、隣にいた朝比奈さんが、静かに首を振った。
「ねえゆら、それでも今日来てよかったって、思わない?」
「……うん。でも、答えられなかったの、悔しい」
「悔しいのはさ、“伝えたい”って思ってたからじゃない?
伝えるには、まだ知らないことがいっぱいあるって、気づいたんだよ」
私は目を伏せて、ポスターの角を指でなぞった。
そのとき、小さな女の子がふらりと立ち止まり、言った。
「ねえ、お姉さんたち、これ作ったの? すごーい。風船、ほんとに飛ぶんだね」
私は驚いて、うなずいた。
「うん……まだ、うまくいかないけど、でも飛ぶの」
「なんで飛ぶの?」
私は一瞬迷って、それから言った。
「空気の力が、風船を押し出してるから、かな」
「ふーん。なんかカッコイイね!」
小さな「わからない」と、小さな「なるほど」。
その間に生まれる“好き”の気持ち。
それが、私たちがやってきた物理なんだって、ふと思えた。
記録ノートの最後に、こう書いた。
質問されて、答えられなかった。
でも、聞かれて、考え直した。
答えを持たない日でも、
私たちは、物理が好きだと胸を張れる。
きっとこの日も、いつか誰かの問いに、つながっていく。