第145話「ゆら、初めてのレポート」
(語り手:日下部ゆら)
「レポートってさ、誰に向かって書くのかな」
そう口にしたのは、パソコンの前に座って30分が経っても、最初の一文が書けなかったからだった。
夏の自由研究——
テーマは「風船ロケットの軌道測定と速度変化の試み」。
中間発表で一度やった実験だけど、
そのまとめを“自分の言葉で”書く。それが課題。
だけど、画面の前で手が止まってしまった。
「事実だけ」を書くのは、つまらない。
かといって「気持ち」ばかり書くのは、レポートっぽくない。
私は、ノートをめくった。
佐倉先輩たちが書いた、あのページが目に入る。
「データ取れず。風で飛んだ。笑った。次回に期待。」
それは、まるで日記みたいな文章だった。
でも、ちゃんと“何が起きたか”が、残っている。
私は、キーボードに手を置き直した。
そして、思い切って書き出した。
【実験目的】
本研究では、風船ロケットの飛距離と速度の測定を通じて、空気抵抗と発射角度の関係を考察する。
【導入】
はじめは、ただ“飛ばしたかった”だけだった。
でも、思ったよりまっすぐ飛ばなくて、その理由を知りたくなった。
タイピングの音が、部屋に響いた。
気がつけば、言葉が次々に湧いてくる。
【考察】
音速も熱量も計算できなかったけれど、
「何がズレていたのか」を考える時間が、物理を一番近くに感じる時間だった。
ふと、画面の端に小さな通知が表示された。
朝比奈さんからのメッセージだった。
「レポート書けてる? 私、導入で悩み中〜」
私はすぐに返した。
「書いてる。よかったら、あとで見せてもいい?」
夜が深くなって、最後の一文を打ち込んだ。
【おわりに】
私の問いは、まだ答えにたどり着いていない。
でも、問いを持ち続けることこそが、
きっと、物理と向き合う一歩だと思えた。
保存ボタンを押したあと、私は目を閉じた。
ああ、これが“書くことで考える”ってことなんだ。
誰かに届けるために書いたら、自分の中にも答えが浮かんできた。
はじめてのレポート。
不完全で、でも、確かに“私のレポート”。