第140話「新しい問い、最初の実験」
(語り手:日下部ゆら)
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「これ、何だと思う?」
そう言って、先輩——2年の伊東さんが机の上に置いたのは、
小さな風船と、割り箸と、ストロー、そして細い糸だった。
「……えっと、ロケット?」
私が答えると、隣にいた同じ1年の朝比奈さんが言った。
「それ、例のノートに載ってたやつじゃない? 風船ロケット。」
——“飛ばなかったロケット”の記録。
それが、今から私たちがやる、最初の実験のテーマらしい。
正直、ちょっと拍子抜けだった。
だって、もっとこう、ちゃんとした科学装置とか、
難しい公式が飛び交うような……
そんな“実験っぽいもの”を想像していたから。
でも、伊東先輩は言った。
「最初に“うまくいかない”のをやるといいよ。物理って、そういうもんだから」
机の上に、風船ロケットの試作機が並ぶ。
うまく風船を固定できなくて、空気が漏れる。
糸がたるんで、ロケットが途中で止まる。
たったそれだけのことに、みんな真剣になってる。
やがて私は気づいた。
この空気の中に、“問い”がある。
「なんで止まったんだろう」
「どこで失速した?」
「空気漏れ? 摩擦? 糸のたるみ?」
わからないことが出てくるたびに、笑い声が混じる。
伊東先輩は黒板に図を描きながら、こう言った。
「いいね、どんどん“問い”が出てくる。
それって、もう実験始まってるってことなんだよ」
私たちのロケットは、3回飛ばして、3回とも失敗した。
でも、4回目に、たった30センチだけ、
糸の上を滑るように進んだ。
その瞬間、部室の中にちいさな歓声があがった。
私も、思わず立ち上がってしまった。
「やった……飛んだ、よね?」
「飛んだ!」
「めっちゃ短かったけど、これは飛んだって言っていい!」
私は、その風船を手に取りながら思った。
答えを出すためじゃなくて、
答えを探しにいく時間そのものが、
こんなにも心を熱くするものだったなんて。
実験ノートの最初のページに、私はこう書いた。
「問い:風船ロケットの速度を伸ばすには?
感想:楽しい。笑いすぎて疲れた。」
きっと、これが“物理研究会の始まり方”なのだ。
決して完璧じゃない。
でも、たしかに、ここから始まる。
そして私は思う。
あのノートを残してくれた3人に、
今、少しだけ近づけた気がした。
次のページには、私たちの問いを刻んでいく。
答えが出なくても、進めばいい。
だって——
それが、私たちの最初の実験だから。