第14話「加奈子のぶっ飛びノート」
(語り手:佐倉涼子)
ある日の放課後。
私が準備室に入ると、すでに加奈子はノートを広げて、なにやら猛烈な勢いでペンを走らせていた。
「……うわ」
思わず声が出た。
そのノート、普通じゃなかった。
図、式、スケッチ、謎のキャラ、そして謎のタイトル。
『第7次音速超進化計画~光を越えるその日まで~』
「ちょっと待って、どこへ向かってるの、それ……?」
加奈子は顔を上げて、キラッキラの目で言った。
「ねえ涼子、この世にはまだ、未知のエネルギーがあると思わない?」
「……うん、あるとして、それ今関係ある?」
「あるよ! だって物理って、“わかったつもり”を壊す学問でしょ?!」
蘭子先輩がちょうど入ってきた。ノートを見て、少しだけ眉がぴくりと動いた。
「これは……混沌だな」
加奈子の“ぶっ飛びノート”は、彼女の妄想力……いや、発想力の結晶だった。
そこには、こんなことが書いてあった。
音速は空気中で約340m/s → これを風船で超えられないか?
ゴムを引いて縮めて、反発力で物体を音速に近づける
万が一、超えた場合に備えて衝撃吸収用の「マシュマロシールド」設置案
「加速しすぎた結果、異世界転生する可能性について(※仮説)」
「仮説じゃなくて妄想だよ、それ」
私は思わず突っ込んだ。
けれど、よく見れば、そのノートの端々にはちゃんとした計算式もあった。
ばねの弾性エネルギーの式、運動方程式、音速の伝播に関する媒質の密度――
ところどころツッコミどころ満載なんだけど、でも、核にはちゃんとした物理がある。
蘭子先輩がページをめくりながら、ぽつりと言った。
「突飛だけど、本気だな。
“式が間違っていても、考えた痕跡がある”っていうのは、なかなかできないことだ」
「そうそう! 想像力と物理は切っても切れない関係だし!」
加奈子は得意げだった。
その日、私たちは“ぶっ飛びノート”をもとに議論を始めた。
「このゴムの弾性エネルギー式、mghに変換できるかな?」
「いや、エネルギー保存使うなら、こうなるんじゃない?」
「マシュマロシールドはとりあえず外そう。そこはファンタジー入ってる」
気づけば、机の上は数式と図で埋め尽くされていた。
帰り際、加奈子が小声でつぶやいた。
「……正直、自分でも変なこと考えてるって思うときあるんだよ。
でも、“これって変?”って聞ける人がいるの、ありがたいなって」
私はその言葉が、ちょっとだけ刺さった。
物理を“できる人の世界”だと、どこかで思ってた。
でもたぶん――考える勇気のある人の世界なんだ。
翌日の黒板に、加奈子が書いた言葉。
『ぶっ飛んだこと考えた人から、世界は変わってきた』
物理準備室の空気が、なんだか少しだけ澄んで見えた。