第134話「涼子、教育実習で戻ってくる未来」
(未来時制・語り手:佐倉涼子)
私が“あの物理室”に戻ってくるのは、4年後の春だった。
大学の教育学部で物理を専攻し、教職課程を進みながら、
何度も「向いてないんじゃないか」と思った。
けれど、不思議なことに、そのたびに思い出す光景があった。
チョークの粉で白くなった袖口。
風船ロケットが失敗してしょんぼりした加奈子。
理論が暴走して、先生に止められる蘭子。
そして、その真ん中で、何度も「わからない」と言っていた自分。
気づけば私は、
「あそこに戻ってみたい」と思っていた。
教育実習初日。
朝の昇降口で深呼吸しながら、上履きを履く。
高校生たちの会話が、少しうるさいくらいで、懐かしくて、心地よい。
物理準備室の引き戸を開けると、顧問の先生が笑って言った。
「戻ってきたね、佐倉先生」
先生のその一言に、なぜか胸がいっぱいになる。
あの日々から、まだそんなに経っていないはずなのに、
物理室の机は少しだけ古びて見えた。
放課後、私はその物理室に一人残って、
かつて使っていた“あの黒板”に、チョークで一行書いてみた。
「物理は、問い続けることから始まる」
ふと、背後から声がした。
「先輩……あ、じゃなくて、先生?」
振り向くと、1年生の女子が立っていた。
どこかで見たような目つき。
もしかして、あの頃の私たちに少し似ているかもしれない。
「質問、していいですか?」
「もちろん」
「“問い続ける”って、やっぱり、ずっと不安なんじゃないですか?」
私は、少し考えてから言った。
「うん、不安になるよ。でも——」
「その不安を面白がれるようになったら、もう大丈夫。
私たちの物理研究会って、そういう場所だったから」
女子生徒は小さく笑って、黒板を見上げた。
そして言った。
「……なんか、物理、やってみたくなりました」
私はその言葉に、心の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
あの日、蘭子に誘われて入った部活で、
私はずっと「やってみたい」を探していた。
そして今、
誰かの“やってみたい”に火をつける側になろうとしている。
未来はまだぼんやりしている。
でも、この道は、きっと悪くない。
私はその日、物理室のカーテンを開けた。
柔らかい夕日が黒板を照らし、
白いチョークの一行が、少しだけ光った気がした。