第130話「蘭子、後輩に“聞かれる”」
(語り手:赤﨑蘭子)
物理室の窓の位置は、昔と変わらない。
午後の光がちょうど黒板の端に差して、チョークの白がまぶしく浮き上がる。
私はその空間に、ちょっとだけ“部外者”として立っていた。
「赤﨑先輩ですよね! あの、去年の文化祭の“磁力浮上モノレール”の動画、何回も見てます!」
物理研究会の新一年生、田原さん。
真っ直ぐすぎて、ちょっと目を合わせるのが恥ずかしい。
「そんなすごいものじゃなかったけどね。試作機、すぐ脱線したし」
と笑って返したけど、
彼女はまったく怯まない。
「でも、なんであんなの思いついたんですか?
私、物理好きだけど、“何やったらいいか”でいつも止まっちゃって」
その言葉に、一瞬だけ返事が遅れた。
なんで、か。
理由なら、いくつか“後付け”できる。
磁力の実験に興味があったから。
過去の先輩の記録に刺激を受けたから。
見た目のインパクトがあるから。
でも、本当の理由は、たぶん違った。
「……やってみたかったから、だと思う」
私はそう言った。
「上手くいくかどうかじゃなくて、
“それって面白そうじゃない?”って、思えたから。
理由って、あとからついてくるんだよ。たぶん」
田原さんは、まっすぐ私の目を見て、
少し考えて、ぽつりと返した。
「それ……なんか、いいですね」
“いいですね”って言葉が、こんなにあったかいなんて思わなかった。
「先輩たちって、すごい実験いっぱいしてきたんですよね?」
彼女がそう聞く。
私は、静かに笑った。
「ううん、“いっぱい失敗した”のほうが正しいよ。
でも、その失敗にワクワクできる人が、この部にはいた。
それだけで、続けられた」
彼女は、何かを書き留めるようにうなずいた。
そういえば、昔の私も、
“すごい実験”にあこがれて、
でも最初はぜんぶグチャグチャで、
それでも“楽しかった”のだけは、本物だった。
聞かれるって、怖いことだ。
でも、聞かれて初めて、自分の“はじまり”が見えるときがある。
帰り際、田原さんが言った。
「私、何をやるかまだ決まってないけど……
“わかんないけどやってみる”って決めました!」
その言葉に、
私は、ふっと肩の力が抜けるような笑顔で応えた。
また、誰かの“問い”が始まった。
今度は、私が背中を押す番だ。