第129話「加奈子の置き土産」
(語り手:赤﨑蘭子)
その日、私は久々に高校を訪れていた。
進学先での課題の関係で、どうしても物理室に残っている実験器具を確認したくて、顧問の先生に頼んで時間をもらったのだ。
「どうぞ、あの子たちが最後に使ってた棚は、まだそのまま残してあるよ」
顧問の先生はそう言って、私を物理室へ通してくれた。
棚の隅。
ノートの山、針金のかたまり、無造作に丸められた回路図。
3人で過ごした時間が、そのままの空気で残っていた。
その中に、ひとつだけ、明らかに“異質な箱”があった。
段ボール。手書きのイラスト。マジックで書かれた文字。
「加奈子式・実験便利セット(試作)」
※開封厳禁ではありません。むしろ開けて。
私は笑いながら、その箱を開けた。
中には、小さな袋に分けられた部品と、
細かくラベリングされた説明書。
紙には、こう書かれていた。
「“次の誰か”がちょっと困ったとき用に、
私が“超勝手に”まとめたセットです。
これさえあれば、簡単な実験はすぐ始められるはず!」
「使用例:バネ伸ばして、計測。風船飛ばして、記録。
ていうか、やってるうちに“やりたいこと”見えてくるって。
あとはよろしく!」
——徳田加奈子(元・物理研究会/自称・実験部品の妖精)
胸が、いっぱいになった。
加奈子は、卒業式の日に言っていた。
「置き土産とか、なんか“かっこつけ”みたいでやだよな〜。
でもまあ、ちょっとぐらい誰かの役に立ったら、楽しいかも」
その言葉を思い出して、
私は、加奈子の箱の中から、小さなスイッチ部品を取り出した。
高校時代に、風船ロケットを飛ばすのに使ったのと同じ型だ。
未来の誰かが、この部品を手にしたとき、
何を思うんだろう。
難しい理屈なんてなくてもいい。
加奈子の“問い”は、こうだ。
「それ、面白そうだなって思える?」
「やってみたいって、思える?」
それが物理の“入口”なら、最高だ。
私は先生に頼んで、その箱を“実験準備棚の一番目立つところ”に置いてもらった。
そして、ちょっとだけメモを添える。
「加奈子の置き土産。中身は“最初のきっかけ”です。
使ったら、誰かにまた“何か”を残してね。」
帰り道。
風が少し強くて、髪が乱れたけれど、
私はなぜか、うれしくてたまらなかった。
私たちは、未来の誰かの背中に、
小さな“押しバネ”を仕掛けていく。