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第127話「三人、ばらばらの夏」

物理室の扉は、今日は誰にも開けられなかった。


 


 七月の終わり。

 かつては「合宿しようよ!」「虫が無理!」と騒いでいた時期。

 けれど三年の夏は、いつの間にか、別々の道を歩くようになっていた。


 



 


 赤﨑蘭子は、図書館にいた。


 冷房の効いた自習室の端で、膨大な参考書に囲まれながら、ひたすらノートに数式を書いている。

 窓の外は、濃い青空とセミの声。

 だけど蘭子の耳には、紙とペンの音しか聞こえていなかった。


 ──わかってる。夏が勝負。


 それは受験勉強のことだけじゃない。

 “本当に自分は、物理が好きなのか?”

 “物理を武器にして、未来に立てるのか?”


 ……そんな自問と向き合う夏でもあった。


 



 


 佐倉涼子は、塾の教室にいた。


 生徒じゃない。講師のアルバイトとして。

 白板の前に立ち、苦手だったはずの力学を、今は中学生に教えている。


 


「なんでこうなるのか、先生わかる?」


 そう聞かれたとき、一瞬戸惑う。

 でも、それを必死に言葉にしようとする自分が、確かにそこにいた。


 ──教えるって、面白いかもしれない。


 そう思ったのは、初めてだった。

 物理を“説明する側”になって、やっと見えてきたものがあった。


 



 


 徳田加奈子は、美術室にいた。


 窓全開の蒸し暑い部屋で、扇風機の風を背中に受けながら、

 「理科とアートの交差点」みたいな展示をひとりで構想していた。


 絵の具のにおい、木材を切る音。

 「物理って、こういう色なんじゃない?」

 そう思って描いた線が、キャンバスににじんでいく。


 


 ──どうしても、言葉じゃ足りない。


 それを思い知ったのが、この3年間。

 だからこそ、最後の最後まで、自分なりの“表現”を手放したくなかった。


 



 


 三人が、同じ時間に別々の場所で、別のことをしていた夏。


 ばらばらなのに、不思議と孤独ではなかった。

 物理室にいた時間が、それぞれの背中を支えている気がした。


 


 きっとまた集まる。

 でも、次に顔を合わせるときは、きっと少し違う“自分たち”になっている。


 


 ばらばらの夏は、それぞれが自分を見つめるための、静かな分岐点だった。

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