第122話「最後の一行を書けない」
(語り手:赤﨑蘭子)
卒業式のあとの教室は、静かだった。
あんなににぎやかだった黒板も、今は真っ黒。
私たち3人は、最後に物理室へ足を運んだ。
机の上には、研究会の“最後のノート”。
涼子が数日前に「残しとこう」って言ってくれて、
あれから、誰もその“最終ページ”を書いていなかった。
「最後の一行、誰が書く?」
加奈子が言ったけど、誰も手を伸ばさなかった。
私は、ずっと考えてた。
どんな一言で締めればいいのか。
でも――何を書いてもしっくりこない。
「私さ、何か“ちゃんとしたこと”を書こうとすると、止まるんだよね」
涼子が、ぽつりとこぼした。
「わかるー。あとから見た人に“カッコつけたな”って思われたくない」
加奈子が笑う。
「でも何か残したい気持ちは、あるんだよね」
私が言ったとき、3人とも黙った。
記録でも記憶でもない、“ことば”という残し方。
それがいちばん、やっかいで、愛おしくて、
そして、むずかしい。
私は、ペンを持った。
でも、やっぱり書けなかった。
「ねえ……これさ」
涼子がゆっくり言った。
「“最後の一行”、書かなくてよくない?」
「え?」
「だって、物理って、いつも途中で終わってるじゃん。
新しい発見があっても、“最後の答え”は出ない。
だったらさ、このノートも“未完”でいいんじゃない?」
その瞬間、私はハッとした。
“終わらせる”ことばかり考えてた。
でも、終わらせないっていう選択肢が、
こんなにも自然に、正しく思えたのは初めてだった。
「未完……」
加奈子がページの下に小さく、鉛筆で書いた。
> ※このページは、いつか続きを書くかもしれません。
私たちは3人で、ペンを置いた。
そして、そっとノートを閉じた。
「最後の一行を書けない」
それは、弱さじゃない。
未来を信じているから、空白で残す勇気。
物理も、人生も、
答えが出るとは限らない。
でも、問いが続いている限り、
私たちの物語は、まだ続いている。
そして、私たちは歩き出した。
それぞれの未完の物語を胸に。