第121話「記録より記憶、だけじゃダメ?」
(語り手:佐倉涼子)
卒業式の朝。
私は、制服のポケットにひそませたUSBを何度も確認していた。
中に入っているのは――
3年間の物理研究会の記録。
実験データ、写真、動画、レポート、議事録、
そしてあの、泣きながら作ったプレゼン資料まで。
卒業文集に「思い出は心に」とか書いたけど、
私は不安だった。
“記憶”って、思ってるよりすぐに風化する。
あの日の熱、声、あの瞬間の空気――
どんなに大事でも、少しずつ輪郭を失っていく。
だから、USBを手放せなかった。
卒業式が終わって、教室で最後の片づけ。
物理室にも顔を出して、誰もいない棚を眺めたあと、
私は意を決して、あの二人に言った。
「ねえ……これ、コピーしておいてほしいんだけど」
USBを差し出すと、加奈子が首を傾げる。
「何入ってんの?」
「記録、全部。3年間の」
「全部?」
「うん、全部」
蘭子が静かに笑った。
「記録より記憶、って言うけど、涼子らしいね」
私は少しだけムキになって返す。
「どっちも必要じゃない? 記憶だけじゃ、残らないから。
私、たぶん10年後にはうろ覚えになってると思うんだよね。
“風船ロケットが飛ばなかった日”とか、“摩擦の誤差で言い争った日”とか、
今は笑って言えるけど、曖昧になってくと思う」
加奈子はふわっと笑った。
「じゃあそれ、10年後の私たちに送ってよ」
「……いいかも」
蘭子も頷く。
「10年後の私たちが“あー、いたいた、こういう高校生”って
ちゃんと思い出せるように、保存しておいて。物理的に」
私は、ふと安心した。
あのときの気持ちを、言葉にしてよかった。
帰り道、私はひとりで電車に揺られながら、
スマホにこんなメモを残した。
記憶はあいまいになる。記録は残る。
でも、記録があるからこそ、記憶は息を吹き返す。
物理と同じで、“保存”と“再現”は別物。
でも、両方あって、やっと次に進める。
私たちは、もう次のステージへ行く。
でもあの日々が、確かにあったと証明するものがここにある。
それが、
「記録」より「記憶」――だけじゃダメって思う、私なりの答え。