第12話「『難しい』が口ぐせの涼子」
(語り手:佐倉涼子)
「難しい……」
気づけば私は、そうつぶやいていた。
蘭子先輩がこちらを見て、わずかに眉を上げる。
「また言ったな、涼子」
「え、な、何がですか……?」
「“難しい”って。たぶん今日だけで7回目くらい」
加奈子が笑いながら数を指折り数える。
「朝:『今日の内容難しそうだなー』
昼:『レポート、難しいんだけど』
今:『難しい……』って」
「うぅ……。だって、本当に難しいんだもん……」
私は思わず机に突っ伏した。
今日の研究会テーマは「等加速度運動」。
斜面を転がる球体の加速度を測り、グラフにプロットするという、実験+プレゼン付きの大仕事だ。
なぜか今回、発表役が私に回ってきた。
しかも「できれば“自分の言葉”で」とか言われている。
無理に決まってる。私は理系の人間じゃない。
なんとなく入っただけで、ちゃんと理解してるわけじゃ――
「でもさ、涼子って、ちゃんと“見よう”としてるよ」
ふいに加奈子が言った。
「この前の水温の実験もさ、誰よりも真剣だったじゃん。
『難しい』って言うくせに、ノートぎっしりだし」
「……そ、それは……」
「難しいと思ってる人がやるから、すごいんじゃない?」
加奈子の言葉は、飄々としていて、でもまっすぐだった。
発表は放課後の準備室で行われた。
私たち3人の前に、蘭子先輩、そして顧問の先生が座っている。
教卓の上に置かれたノートパソコン。
その前で私は、乾いた喉で言葉を絞り出す。
「えっと……今回の実験では、斜面を転がる球体の加速度を、記録しました」
スライド1枚目。斜面の角度、球の質量、距離。
「最初は、うまく測定できなかったです。球が途中で止まったり、速すぎて見逃したり……でも、何回も繰り返すうちに、少しずつコツが掴めてきて――」
2枚目、グラフ表示。
「……このグラフは、距離と時間²の関係を示しています。
“加速度が一定なら、距離は時間の二乗に比例する”って教科書に書いてあった通り……この実験でも、ほぼ一直線のグラフになりました」
そこまで話して、私は少しだけ、胸を張った。
震えてるけど、言葉は自分のものだった。
発表が終わったあと、蘭子先輩が静かに言った。
「――いい発表だった。
公式を暗記するよりも、“意味を理解しようとしてた”のが伝わってきた」
「……本当ですか?」
「“難しい”と思っても、それを言葉にする勇気がある。それは、研究者の資質だ」
私は、うまく言葉が出なかったけれど、心の中で少しだけ思った。
たぶん、“難しい”って言葉は、逃げじゃなくて、挑むための口ぐせだったのかもしれない。
帰り道、加奈子がぼそっと言った。
「“簡単だった〜”とか言ってる人より、今日の涼子の方が、かっこよかった」
「……それ、録音しとけばよかった」
「次から録音可で」
私たちは笑いながら帰った。
“難しい”という言葉の向こうに、何があるのか。
少しだけ、それが見えた気がした午後だった。