第119話「本番は突然やってくる」
卒業式を目前に控えた、とある三月の午後。
物理室の掃除もだいたい終わって、
みんなちょっと気が抜けてた、そんな日のこと。
「――ちょっと、急なんだけど」
物理の先生が準備室から顔を出して言った。
「さっき、教育委員会の人が来ててね。
**『生徒による探究発表、何か今すぐ見せられるのない?』**って」
涼子がフリーズする。
加奈子は「それ、絶対やばいやつじゃん」って笑う。
でも先生は、至って真面目だった。
「3人で何か話してくれないかな?
自由研究でも、文化祭でも、何でもいい。
“いまの生徒が、何を探してるか”を見せてほしいって」
私たちは顔を見合わせた。
準備は、してない。
プレゼンの資料も、原稿も、パワポもない。
でも不思議と、私はこう思った。
――あ、来たな。「本番」だ。
「やるよ、先生」
そう答えていたのは、私だった。
その一言で、涼子も加奈子も、うなずいた。
場所は、視聴覚室。
スーツ姿の大人たちが十数人、整然と並んでいる。
加奈子が袖を引っ張ってきた。
「ねえ、本気で何話すの?」
「……最初に“失敗”の話から入ろっか」
涼子がぽつりと答えた。
そして、私たちは前に出た。
「こんにちは。
私たちは、〇〇高校・物理研究会の3年生3人です」
涼子の声は、いつもより少し緊張していたけど、まっすぐだった。
「いきなりですが、私たちは、よく失敗しました。
ロケットは飛ばない、回路はショートする、音は出ない。
でも、それが物理の“入口”だったと思っています」
次に、加奈子が前へ出た。
手には、自分で描いたスケッチのコピー。
「これ、私たちが実験してたときの図です。
正確じゃないけど、“そのとき考えてたこと”は、描けたと思います。
つまり、わかるって、そういうことだと思うんです。描けること」
最後に、私が口を開いた。
「物理は、答えがひとつに見える学問だけど、
私たちは、“問い”を持ち続けることが物理なんだと思ってます。
理解とは、たぶん“共鳴”で、
それはいつも、突然やってきます――まるで、今日みたいに」
最後に、3人でこう締めた。
「本番は、たいてい突然やってくる。
でも、私たちは、物理を通して“答えの出ない時間”を重ねてきました。
それが、たぶん今の私たちです」
沈黙。
そして、思っていたよりもずっと大きな拍手。
あとで先生が言っていた。
「伝わったと思うよ。形式より、中身だった。君たちの“軌跡”が」
私たちは、準備してなかった。
でも、この3年間が全部“準備”だったんだと思う。
そして私は、あの日、
“いつかやってくる”と思っていた“本番”が、
実はずっと続いていたんだと気づいた。
卒業はもうすぐ。
でも物理は、まだまだ終わらない。