第117話「卒業アルバムに残した言葉」
3月の午後。
物理室に、卒業アルバムの見本が持ち込まれた。
「うわ、ほんとに来たんだ……」
加奈子がページをめくりながら、そわそわと笑う。
ページの端に、自分の名前と顔写真。そして、その横には空欄。
「卒業生ひとことコメント」
「この“ひとこと”、みんな書いた? これさ、簡単そうに見えてめっちゃ難しくない?」
「わかる。なんか、『物理研究会3年間ありがとうございました!』とかじゃ、私っぽくない気がして……」
涼子がつぶやきながら、シャーペンの芯を押し込んだ。
「私はもう書いたよ」
蘭子が、すっと言った。
「えっ、なに書いたの?」
「“重力があっても、空は見上げられる。”」
静かな声だった。
加奈子と涼子は、一瞬黙った。
けれど、じわじわと笑みがこぼれる。
「……らしいじゃん。蘭子」
「そういうの、3年間で何度も聞いた気がする」
「でも、ちょっと気に入ってる。重力って、いろんな意味で引っ張られるものだと思うし。……進路も、将来も」
涼子は頷きながら、自分のアルバムページを見つめた。
そしてゆっくり、シャーペンを走らせる。
「“なんとなく始めた。でも、なんとなくじゃ終われなかった。”」
書いたあと、涼子は少し照れくさそうに笑った。
「最初、ほんとに理由なかったんだよね。なんとなく入って、なんとなく3年……でも、気づいたら、自分なりの理由ができてて。いろいろ悩んだけど、それも物理研究会だったなって」
「……いいじゃん、それ」
加奈子が、少しだけ静かに言った。
「うーん……どうしよ。私のはさ、たぶん書かないと、“いかにも加奈子っぽい”って書かれそうでやなんだよな……」
「え、逆に見たいけど」
「……書いた!」
加奈子は太字で、勢いよくペンを動かす。
「空回りも、爆発も、全部が“あり”だった3年間!」
「うん、これだな」
「うん、それはもう加奈子以外に書けないやつ」
3人で笑った。
3人で、自分の言葉を残した。
黒板にはまだ、冬の実験で使った式が残っている。
けれど、そのとなりに並ぶコメントは、3年間の集大成だった。
重力があっても、空は見上げられる。
なんとなく始めた。でも、なんとなくじゃ終われなかった。
空回りも、爆発も、全部が“あり”だった3年間!
この部屋の机に、時間に、そしてノートに、彼女たちの“問い”と“言葉”は刻まれた。
卒業は、終わりじゃない。
ただ、“別の問い”が始まるだけだ。