第116話「涼子、先生に質問をぶつける」
(語り手:佐倉涼子)
卒業研究の発表会から、数日が経った。
あのときの蘭子の言葉が、今もずっと残ってる。
「エネルギーは消えない。形を変えて残る」
なんだか、それが“自分にも言われてる”気がした。
私の卒業研究のテーマは、「理解のプロセスの可視化」。
「わかる」ってどういうことか、
ノートと録音を使って、自分なりに分析してまとめた。
だけど正直、最後まで確信は持てなかった。
どこかに、ずっとモヤモヤが残ってた。
「“理解”って、数値化できるんでしょうか」
私は、放課後の物理準備室で、
先生にそう訊ねた。
いつもコーヒーのカップを持ってる、無口な物理の先生。
私たちの研究会を、3年間、黙って見守ってくれていた人。
先生は、少し驚いたように眉を上げた。
「……なかなか深い問いだね。どうして?」
「卒業研究で、“わかったつもり”と“本当にわかった”の境目を探してたんです。
でも、インタビューしても、アンケート取っても、
曖昧で、主観的で、どうにも“定量化”できなくて……」
先生は静かにうなずいた。
「佐倉さん、君の“問い”は、物理学者がずっと悩んでる問題だよ。
たとえば、“観測”ってなんだろうって考えたとき、
同じ現象を見ても、人によって“意味”が変わる」
私は、小さく息をのんだ。
それ、私がノートに何度も書いたことだった。
「じゃあ、“正しく理解された”かどうかは、結局どう判断するんですか?」
――これが、私の中でずっと残ってた問いだった。
先生は、黒板の端にチョークで、こう書いた。
「理解 ≠ 計算」
「理解 = 共鳴」
私は、目を見開いた。
「言葉で正確に説明できなくても、
相手の目が“ああ、そういうことか”って変わる瞬間がある。
私は、それを“理解の手応え”と呼んでるよ」
それは、私がプレゼンで味わった“あの一瞬”だった。
話すと、会場が少し静かになって、
相手の顔が、ふっと変わる。
そのとき、“伝わった”ってわかる。
先生は、コーヒーを口に含んでから、つぶやいた。
「物理ってね、突き詰めると“人間”の話になるんだよ。
“世界がどうなってるか”より、
“私たちがどう受け取ってるか”の方が難しい」
私は黙って、ノートを開いた。
そして、新しいページの一番上に、こう書いた。
「理解の確かさは、相手のまなざしに宿る」
たぶん、私は“数字”じゃなくて“人の反応”を見てた。
だから、あんなに正確な実験にこだわってたはずなのに、
最終的に選んだのは、「あいまいな答え」だった。
それでも、私はそれを“物理”だと思いたい。
黒板に残された式を、私はそっとスマホで撮った。
理解 = 共鳴
この一行だけで、
私の卒業研究は、完結した気がした。