第11話「ゴムと重力の午後」
(語り手:赤﨑蘭子)
ゴムを引いて放せば、ものは飛ぶ。
上に向けて放せば、空に向かい、やがて落ちてくる。
ただそれだけの現象が、私は昔から不思議で仕方なかった。
なぜ飛んで、なぜ落ちるのか。
目に見えない「力」が、なぜそこに働いているのか。
その疑問が、私を物理に導いた。
そして今日――放課後の午後、私はもう一度、その原点に立っていた。
「今日は、これやってみようか」
私は、机に輪ゴムと金属球、そしてメジャーを置いた。
「“鉛直上向き投射”の実験。
ゴムの力で球を上に飛ばして、その最高到達点を記録する」
加奈子が興味津々でのぞきこむ。
「つまり、ゴムの引き加減でどこまで飛ぶかってやつ?」
「厳密には、“初速の大きさ”と“上昇距離”の関係を測る。
重力加速度が9.8m/s²で一定なら、理論値も出る」
「でた、数式モード」
涼子が笑いながらノートを広げた。
私たちは、校庭の隅にシートを敷いて、実験を始めた。
ゴムの引き距離を5cm、10cm、15cm、20cmと変えて、そのたびに球を放つ。
最高到達点は、地面からの距離でメジャーを使って測定する。
風はややあったが、午後の日差しは穏やかで、どこか落ち着いた時間が流れていた。
「15センチ引いた時が、だいたい3.5メートル……。
でも20センチの時は、逆に少し低くなってる?」
「誤差……かな? それとも、ゴムの性質に限界がある?」
私はうなずいた。
「可能性として、“ゴムの非線形性”もある。
つまり、引けば引くほど力が比例して増えるわけじゃない。伸びきってしまう」
涼子がふとつぶやく。
「へぇ……自然って、思ったより“まっすぐ”じゃないんだね」
「……そうだな。
でも、そこが面白い。自然は不完全なようで、繰り返せば法則が見えてくる」
私はそのとき、ふと思い出していた。
小学校の頃、一人で輪ゴムを使って石ころを飛ばして遊んでいた。
それを見た父が、ふと紙に何かの式を書いて見せてくれた。
「この式で、どこまで飛ぶか予想できるんだよ」
その言葉が、私にとっての“物理の入り口”だった。
日が傾く頃、最後の測定が終わった。
記録用紙には、無数の数字と矢印が並んでいる。
でも、私にとって今日の実験は、数字だけの価値じゃなかった。
「蘭子先輩、何でそんなに物理好きになったんですか?」
加奈子がふと訊いた。
私は少しだけ空を見上げて、それから答えた。
「飛ぶものと、落ちるものの違いが、知りたかったんだ。
なぜ、空に向かうものが、必ず地面に戻るのか。
それが当たり前だとみんな言うけど、私は……知りたかった」
「……ロマンチックだね」と涼子。
「いや、ただの物理バカだよ」
そう言いながら、私はほんの少しだけ笑った。
重力とは、目に見えないけれど確かな“引力”。
私が物理に引き寄せられたのも、ある意味、それに似ていたのかもしれない。
静かな午後の空の下、私たち三人の間に流れていたのは、
“好き”というエネルギーの共有だった。