第102話「赤﨑蘭子の志望校」
(語り手:佐倉涼子)
「決めたんだ」
放課後の準備室で、蘭子はホワイトボードのマーカーを持ったまま、ぽつりと言った。
「え、何を?」
私が聞き返すと、加奈子がソファから身を起こす。
「まさか……」
「うん。志望校。」
あの蘭子が、ついに、**“決めた”**と言った。
蘭子は、誰よりも物理が好きで、
その熱量で私たちをぐいぐい引っ張ってきたけど、
意外にも進路の話になると、ずっと「まだ考え中」って濁してた。
「どこにしたの?」
私が問うと、蘭子はちょっと恥ずかしそうに、でもはっきりと答えた。
「国立の理学部。物理学科。
研究重視で、学生の自由研究にも力入れてて、
あと、天文と理論系の両方が強いとこ」
「うおーっ、らしい!!」
加奈子がなぜか立ち上がって拍手する。
「いいと思う」
私も言った。
「っていうか、蘭子ってずっと“わからないことを楽しめる人”だったから、
研究向きだよね」
蘭子は、ちょっとだけ俯いてから、ぽつりと呟いた。
「……たぶんね、研究者になりたいわけじゃないかもしれないんだ」
「え?」
私と加奈子が同時に声をあげた。
「でもさ、たとえば大学に行って、“答えの出ない問題”と向き合ってみたい。
それって、きっと、私が物理を好きな理由の根っこなんだと思う」
なるほど、と思った。
“何になるか”じゃなくて、
“何をやりたいか”が、志望理由の中心にある。
それって、すごく蘭子らしい。
「つまり、“物理ともっと真剣に付き合ってみたい”ってことか」
私が言うと、蘭子は真顔でうなずいた。
「うん。ちゃんと知りたい。ちゃんと、わからなくなりたい。
そのうえで、もう一度、“物理って面白い”って思えるか試したいんだ」
加奈子がうーんと唸ってから言った。
「もうそれ、志望理由書に書きなよ。そのまま」
「いやでも、“わからなくなりたい”って、変でしょ」
「変だけど、超説得力あるよ!」
ホワイトボードに、蘭子が小さく書いた。
「正解より、問いを抱えて進むこと」
それが彼女の志望理由であり、
私たちが3年間かけて向き合ってきた、物理というものそのものなのかもしれない。
赤﨑蘭子。物理研究会の“火力担当”。
そのエネルギーは、進路という未知数に向けられた今も、
相変わらず強くてまっすぐだった。
最後の年。
彼女の選んだ“進学”という実験が、どんな結果になるのか。
それを見守るのもまた、物理研究会の一部なのだと思った。