第101話「物理研究会、最後の年へ」
(語り手:赤﨑蘭子)
4月の風は、少しだけ背中を押してくれるような匂いがする。
新学期。新しい教室。新しい時間割。
そして、最後の一年が始まった。
物理準備室に貼られた、新しい部活動使用予定表。
そこに「物理研究会(3年赤﨑・佐倉・徳田)」と書かれた文字を見て、
私は、ほんの少しだけ喉の奥が詰まった。
「三年、か……」
涼子がぽつりと言った。
「なんか、早かったような、まだ途中のような」
「それな。ていうか私、まだ重心の感覚ちゃんとつかめてないのに!」
加奈子が言って、私たちは笑い合った。
でも、笑いながら思っていた。
“最後の一年”って、ほんとにくるんだな。
思い返せば、1年生の春にこの部屋で風船ロケットを飛ばして、
レポートに徹夜して、器具を壊して、
2年の文化祭では議論してぶつかって、でも、ちゃんと前に進んで、
いつの間にか、誰もが「物理研究会の三人」って顔で呼んでくれるようになっていた。
でも、3年生になって、最初に感じたのは、焦りじゃなかった。
「ねえ、今年って何やる?」
私がそう言うと、涼子がふふっと笑った。
「受験の年だよ?」
「うん、知ってる。でも、最後までちゃんと“物理研究”したい」
「……ああ、それには、賛成」
今年の活動ノートの1ページ目に、私は書いた。
「最後の1年。
答えが出なくても、考えつづける。
それが私たちのやり方。」
「今年のテーマは?」
加奈子が言う。
私はホワイトボードに3本線を引いた。
『時間』
『重力』
『観測と誤差』
涼子が目を見開いた。
「なんか、ずいぶん哲学的じゃない?」
「でもさ、最後の年くらい、“ちゃんとわからないこと”をやってみたくて」
「うわ、それっぽい! 最高!」
加奈子が拍手する。
“物理の面白さは、答えが出ないことにも意味がある”って、
この2年間で、私たちは知ってしまった。
なら、最後の年は、“正解のない問い”を追いかけよう。
自分たちなりの仮説を立てて、ぶつかって、
それでも考えつづける時間にしよう。
ホワイトボードの隅に、私はマーカーでこう書いた。
「答えは出ない。でも、それでいい。」
それが、物理研究会・3年目のはじまりだった。