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*第八日目 五月十九日(月)

 朝は五時起床。六時ちょっと前、「起きてます~?」とおばさんに声を掛けられる頃には、足にテープを巻いていた。

 六時ちょうどに、朝食を載せたお膳を運んで来てくれる。生卵・焼き海苔・焼魚。味噌汁の味噌は、普通の味噌。


(何が「普通」かは人それぞれだろうが、一般的関東の人間にしてみれば…という意味だ)。


 それと、お漬物などなど。


 六時半過ぎ、薄曇りで薄暗い中、おばちゃんと、わざわざ奥から出て来てくれたおばあちゃんに見送られ出発。

 なんだかちょっと、物悲しい。何度も思い出してしまう。最後のおばちゃんの言葉、「わざわざこんな遠くまで」に、ちょっぴりしんみりさせられた。

 確かに、こんな歩き遍路の旅に出ていなければ、ご縁は無かっただろう。そんな宿でした。


「さて」

 感傷にひたってもいられない。

 宿を出た先に、酒屋や食堂などが数軒かたまった場所。ここの自販機で飲物購入。

 その先、集落が切れたあたりで右上に向かうのが遍路道。細い道なのに、若い男性の乗った乗用車が降りて来る。出勤だろうか? 続いて、軽トラのおじさん。狭い路肩で立ち止まり、やり過ごす。この上にも、人が住んでいるようだ。

 そこからは、テクテクと上り続ける。最初の目標「玉ヶ峰」までは、5キロの道程(みちのり)


 上の方に上がっても、小さな集落があったり、ポツンと民家があったり…そんな一軒の庭先で、おじさんと目が合い、朝の挨拶。

「どこに泊まったんだ?」

「福原の…」

「○○さんか?」

「ええ」

「(お寺まで)三時間もあれば行けるじゃろ」

…との事。


 宿を発ってから一時間ほど歩いた頃、果樹園脇の道端で一休み。曇っており、気温も低めで歩くには調度良い。

 しかし、ず~っと上り。ザックと接する背中側は、すでに汗でグッショリ。無理し過ぎないよう、ここで水分補給。


 この後も、舗装路だが狭い上り道。それに…どこへ行くのか? このあたり、地図には無いが、同じような太さの分かれ道も結構ある。

『?』

 森でいっそう薄暗く、湿った空気のまっすぐな上り道に入った。

『これでイイのだろうか?』

 向こうから、カブに乗ったおじさんが、ユックリと降りて来る。そこで道を確認。これでよいそうだ。

 そうこうするうちに「玉ヶ峰」。坂道を上り切った、峠の切り通し…といった場所。緩い右カーブになっており、左外側には…石積みの基礎の上に、小さいが、木造の屋根で囲われた墓石のような碑(?)。赤い前掛けのお地蔵様も数体並んでおり、あたりの雰囲気はちょっと神秘的。


と、ここまでは順調だったのだが…『なんだこりゃ?』。

 そこを後にし、どんどん下った三叉路。右にも左にも、目指す次のお寺「焼山寺(しょうざんじ)」と書いてある。

 要するに、どちらからでも行けるのだが…予定のコースは、「鍋岩(なべいわ)」という所から右上へ上るルート。その「鍋岩」は、ここを左に行ったもっと先だったのだが…『ここが鍋岩』と勘違い。右に入ってしまう。


(このあたり、実際に自分の足で歩いてみるとわかるが、小さな道が複雑に入り組んでいる。手持ちの大雑把なガイド・ブックでは、そんな細かい所まではわからない)。


 先に言ってしまえば…上から戻って来るまで全然気づかなかったのだが、帰りに通るつもりだった「左右内(そうち)」から、これも帰りに下るつもりだった「一番坂」を上ってしまう。

「左右内」は、お寺への最後の登りを前にした谷の底。民家のすぐ横を降りて、綺麗な沢の所から、つづら折れに登って行く。

 森の底深く。湿った土や岩盤が露出している箇所もあり、要注意。ヘビにも気を付けなくては…実際、この後の林道に横たわるヘビ。細い道だったら、完全に行く手を(さえぎ)られる長さだった。

 その手前には、今まで見た事もないような巨大ミミズもいた。黒っぽい胴回りは、大人の手の小指ほどの太さ。長さは、履いている27センチの靴の二倍以上。

 ちなみに、目指すお寺は大蛇伝説のある所。なんとなく納得だ。


「ふ~!」

 途中からは、ガイド・ブックをザックにはさみ、フリーにした両手には手袋をはめる。

 作業服屋で売っている作業用手袋。指や(てのひら)は、薄手だが皮製。丈夫で感触も良い。


(布製の物を山歩きに使うと、特にどこかに引っ掛けた覚えもないのに、すぐに指先が破けてしまうものだ)。


 甲の部分はジャージのような素材で、通気性も良く、伸縮性もあるのでフィット感も良好。山歩きや、夏場のバイク・ライディングに使っている。値段も手頃な優れ物だ。


「フッ! フッ! フッ!」

 一歩一歩、踏み締めるように登る。急坂以外の登りでは、後ろ手に、ザックとの間に両手を差し込み、腰の曲がったおばあさんスタイルで登るのが楽。

 一方下りでは、あえて肩ヒモをゆるめて、後ろに重心を移すと楽。それに、背中に隙間ができるので、換気にもなる。汗かきの人間には、良好なポジション。


「フッ! フッ! フッ!」

 暑いが、(ソデ)を下ろしたまま歩いていると…『ハテ?』。どこからか、人の声が響いて来る。女性の声。上からなのか? 下からなのか? 判然としない。複数のようにも聞こえるし、独りで歌でも歌っているようにも聞こえる。

『こんな場所なのに…』

 時折、流れるように聞こえて来る。しかし、汗がポタポタ落ち始める頃、誰ともスレ違う事なく、誰にも追い付き・追い付かれる事なく、下から上って来た林道に合流。そのままそこを登れば、左右に走る舗装路に突き当たる。

 右はお寺の駐車場、左は下からの舗装路だ。道路向こう側の歩行者用の道を行けば、間もなく山門に到着。


《第十二番札所》

摩廬山(まろざん) 焼山寺(しょうさんじ)


   本尊 虚空蔵菩薩(弘法大師)

   開基 弘法大師

   宗派 真言宗高野派


 汗だくのまま、先ずはお参り。

 ここには毒蛇の伝説があり、「弘法大師」が開山しようとした折、山に火焔(かえん)を放って抵抗したと云う。故に、寺名を「焼け山の寺」=「焼山寺(しょうさんじ)」。山号に「火()せ」を意味する梵語(ぼんご)摩廬(まろ)」を持つそうだ。

 本堂より1キロほど登れば、「蔵王権現」を(まつ)る奥之院。

 その途中に、大師が護摩修法された大岩があり、「大黒天堂」には、大師爪彫りの「三面大黒天」が(まつ)られてあるそうだが…


 でも、本日の行程はまだ序の口。先はまだまだ長い。本堂・大師堂以外は遠慮しておこう。

 その後、納経所近くのベンチに荷物を下ろし、昨日使用済みだが、乾いているTシャツに着替える。

「ふう~」

 本日第一の関門を突破し、ホッと一息。時刻は九時半。

 境内は、朝からまずまずの人出。かつては山深い場所だったのだろうが、今では車道もすぐ下まで来ているし、ここには宿坊もあるからだろう。

 ここで、茶店で新しいペット・ボトルを二本仕入れ、煎餅をかじりながらホットの缶コーヒー。天気は相変わらずの薄曇り。だが、火照(ほて)った身体を休めるには調度良い。高度も上がったせいか、ホットを飲みたくなるくらいに涼しいし…

 この時点ではまだ、道を間違っている事には気づいていなかった。


『さて、下りはどこ? へんろ道はどこ?』

 先ず山門を出て、駐車場の方へ行ってみる。ここで、マイクロ・バスの運転手さんに道を尋ねてみるが…少々年配のおじさんだったが、「歩き」遍路道は知らないそうだ。


(お遍路相手とはいえ、車の運転手さんは案外そんなものだ)。


 でもわざわざ、大雑把な地図の載ったガイド・ブックを出して来て、アスファルトの上に広げて探してくれる。そして二人の意見は「このまま舗装路を下る」で一致したのだが…

 お礼を言って駐車場を出る。すると、道路左直下、間近に見下ろせる先ほど登って来た林道を、遍路姿の女性が一人、上がって来る。

 ちょうどお互い、合流点に差し掛かったところ。菅笠(すげがさ)を目深にかぶり、年の頃ははっきりしないが、同世代といったところ。

 同じ道を登って来たので、同じルートかと思い()いてみるが…

『ハテ?』

藤井寺(ふじいでら)から上って来た」と言う。「藤井寺」とは、これから向かうお寺だ。

『さっき聞こえた女性の声は、この人か?』

 でも一人だ。時間も結構()っている。それに「藤井寺」からなんて、『いったい何時に出たの?』。

「焼山寺」まで登ったとはいえ、いったん谷底まで下って、もうひと山越えなくてはならない。次のお寺まで、ずっと山道で、まだ12キロもある。これからここを発っても、到着は夕方近い時間になるはずなのに…。

 そして、「もういらないから」と、⑩~⑫周辺が大きく載った「空海の道」と題されたマップをくれる。


 そんな短いやり取りの後、『きっとさっきの合流点を過ぎて、そのまま林道を降りるのだ』と思い、行ってみて気が付いた。ここが、帰りに下ろうと思っていた「一番坂」。少々ガッカリ。なるべく「戻り打ち」しないコースを取りたかったのに…。

 でも、良いタイミングだった。あの人が、ちょうどあの時あそこに差し掛からなかったら、きっと車道を降りて大損していた事だろう。それにしても…いま述べたように、不思議と言えば不思議な女性だった。

 とにかく、先ほど登って来た道を、「スタコラサッサ」と降りる。ここからしばらく、来た道を取って返す事になる。

 渓流を渡り…民家脇を登り…来る時、『ヘンな形をした屋根だ』と思い、写真を撮った空家のある集落まで戻る。


(その形とは…外側に丸みを帯びて、急角度で下に下がるライン。四隅は最後でツンと跳ね上がっている。その下に、軒のような張り出しのある二段屋根。関東では、見慣れない形だ。ただしトタン製)。


 民家の軒先におじいちゃん。道を()いてみる。「すぐ先を左」だそう。そして裏山を示し、「ずっと登りだよ」と教えてくれる。

 行ってみれば、まさに先ほど写真を撮った空家の向かい角。左に鋭角に曲がって、上に続く道がある。

 でも、『ここでいいの?』。「へんろマーク」は見当たらない。そこには入らず、もう少し先まで行ってみるが、「ずっと登り」のはずなのに、下り始めている。

『おじいちゃんの言葉に、素直に従うべきだった』

 戻って、『これでいいの』と思った道に入って行くと…間もなく「へんろマーク」発見。

 ここが「逆打ち」の難しいところ。マークはすべて、正面から見えるように貼られているのだ。

『正打ちなら、見落とす事はなかったろう』などと、ブツブツ考えながら歩いていると、「そっちじゃないよ」と、上から声がする。見上げると、右斜面の上の畑で作業をしているおじさん。

「一本杉に行きたいんです」

 そう返事をする。「焼山寺」に向かっていると、勘違いされているかもしれないからだ。

「一本杉」への入口は、もっと手前にあるそうだ。すぐ手前のヘアピン・カーブまで戻ってみると…カーブの外側となる右側に「へんろマーク」。またまたすっかり見落としていた。ここで舗装路を()れるようだ。

 ちょうどそこにいた地元のおじさんから、「こっからは、50メーターおきくらいにマークがあるから」とのアドバイスを頂く。


 先ずはきつい登り。ここからは、地道や木の階段のあるハイキング・コース。時に林道に入り、時に林道を横断しながら…でも、頻繁にマークがあり、札がブラ下がり、「四国のみち」の石柱や木製看板があり、道に迷う事は無かった。

「一本杉」の(あん)までは、森の中の細い道が続く。背中に手を回し、一歩一歩、踏み締めるように登る。途中、同じ年頃の男性遍路さんとスレ違い、やがて「一本杉」へ。

 (いおり)ホコラ(ホコラ)、手前には古ぼけたトイレもある。(ハエ)や蚊が飛び回り、日当たりも良くない。それに、風が抜けないせいか少々臭う。

 休憩するには不適な場所と、祠やお堂に手を合わせ先へ進むと、反対側にはコンクリート製のトイレ。そして、名前の由来ともなっている一本杉の前に立つ「空海」像。

 背後に(そび)える杉の木は、横にも広がった、なかなかに(たくま)しい造形だ。

 またここは、番外霊場「一宿山(いっしゅくざん) 浄蓮庵(じょうれんあん)」でもある。

「弘法大師」がここで、木の根を枕に仮眠されたというので「一宿」なのだろうか?

 その時、夢枕に「阿弥陀如来」が現れたので、本尊を刻み、堂宇を建てて安置されたと云う。その時植えたとされる杉が、通称ともなっているこの大木なのだろうか? 「厄除け大師」のこの銅像と、そこに至る四十二段の最後の階段(当方はこれから下る事になるのだが)は、大正の頃、とある篤志(とくし)家が建立したそうだ。


「一本杉」横のベンチに腰を下ろし、息を整えていると…順路側(つまり「正打ち」方面)から、お坊さん風の人がやって来た。年の頃は三十代半ば? こちらより少し長い坊主頭。金剛杖と長い数珠、それに首に掛けた輪袈裟(わげさ)


(遍路正装具の一つ。しかし、笠や杖のように実用性のある物では無い)。


 それ以外は普通のハイカー・スタイルだが…大師像前で、右手に杖を突き、数珠を巻いた左手で拝む姿が、(どう)に入っている。それで『お坊さん?』と思ったわけだ。夜行で今朝着いたそうだが…二人とも、口数少な。そして二人とも、ここでお昼。

 まだ十一時を少し回ったくらいだが、朝が早いせいかお腹が空いた。

 宿で作ってくれた握り飯を頬張っていると…遍路装束のおばちゃんがやって来た。年の頃は五十代。黒(ブチ)めがねの小柄な女性。先着の二人とは好対照。ホント「おばちゃん」といった感じで、ひとり良く喋る。「大分」から、コンビニで売っているようなガイド・ブックだけで…後からやって来るおじいちゃん(六十八歳)にもらったというおにぎり一個を食べている。度胸が良いのか、怖いもの知らずなのか…こちら以上にお気楽な感じ。少し先から歩き出したと言う。

「一番坂は大変ですよ」

 二人を見送り、一番最後にそこを発つ。距離はまだまだあるが、きつい登りはあと一つ。


(次のお寺に行くだけでも、山道ばかりであと8・5キロ)。


「空海」像の前から四十二段の階段を降り、地道の下り。

 間もなく、先ほど話題に上ったおじいちゃんらしき人に出会う。「逆打ちですか?」との問いに、「変な回り方をしているもので」と答える。


 その先で森を抜け、日当たりの良い未舗装の林道に出ると、すっかり晴天になっている事に気づく。

「暑い!」

 上から照り付けられるし、けっこう気温も上がっている。

 それにやはり、林道は退屈だ。再び狭い道に入り、いったんアスファルトの林道に出、すぐ左を登った先に番外霊場「柳水庵(りゅうすいあん)」。

「弘法大師」がここで休憩された時、柳の枝を()って加持されると清水が湧き出したと云われる所。一宇を建て、尊像を刻んで安置されたそうだ。


 一本杉から2キロほど。

 お堂や(ホコラ)がある敷地には、旅館風の建物。以前はここで宿泊もできたそうだが、おじさんが病気で倒れてからは休日のみの営業らしい。今日は月曜。雨戸は閉ざされている。

 水道で顔を洗ってからお参り。

 日陰のベンチで一息入れていると…狭い敷地のすぐ先から始まる急坂から、フラフラと、五~六十代のおじさんが降りて来る。ここでお昼のよう。

『でも大丈夫?』

 こんな時間に、まだこんな所。時刻は一時近い。それに、だいぶお疲れのようだし…『まだ二つもあるんだよ、急な登り』。そうこうするうちに、さらに年配の男性二人連れ。先着のおじさんより年はいってそうだが、まだハキハキしている。少し話をするが、もう十分休んだし、先に出発。


 そこでちょうど、こちらより少し若そうな男性とスレ違う。

 そこからどれくらい登った頃か? 舗装の林道を横切る手前で、こちらよりは若そうだが、ヘンロヘンロになっている男性お遍路さん二人。

『今頃こんな所で、このさき大変だな~』と思っている頃、少し年配の女性を最後に、誰とも出会う事が無くなる。

 午後のこの時間では、もう上を目指す人はいないだろう。


(上のお寺の宿坊からは、予約者が到着しないと捜索が出るそうだ)。


 日当たりの良過ぎる西側斜面。延々と、ダラダラと…下り・下り・下り。

 虫たちも元気で、ガサゴソ・ガサゴソ。しかし、『ヘビでも飛び出さないか』と少々不安。


(なんでも、それとは知らずにヘビに遭遇した時は、三人目が危ないそうだ。一人目で驚き・二人目で身構え・三人目に襲いかかる…と聞いた事がある。ちなみにヘビは、トグロを巻いている時が一番危険で、360度どちらの方角へでも、即座に攻撃に移れる体勢なのだという。つまり、軍艦のミサイルが「垂直発射(VLS)」になった理屈…船の向きを変えてから撃ち出すより、時間が短縮できる…と同じだ)。


 途中、狭いコース脇に、ちょうど良いベンチ。

 これから下りるのであろう「鴨島(かもじま)」のあたりが一望できる。その先前方は十番、さらに先は八十八番方面であろうか? つい数日前の事ではあるが、妙に懐かしく思い出される。

 ただ、気温が上がったせいか霞んでおり、遠望は良くない。


 そこから程なく、番外霊場「長戸庵(ちょうどあん)」に到着。

「弘法大師」が「焼山寺」に登る途上、休憩したとされる場所。大師を(まつ)るお堂がある。

「ちょうど塩梅(あんばい)良き所」なのだそうだが、まだ休憩したばかりだし…頭上の木々が切れたここは、日当たりが良過ぎるし…その割りに、周囲は森で囲まれ風通しは悪いし…そのせいか、虫たちがブンブン・ブンブン飛び回っているし…で、ここは早々にやり過ごし先へ。

 下に下るにつれ、段々と森が深くなってくる。(ふもと)のお寺まで、残すところ1キロあまりの場所に、コンクリート製の休憩小屋。長々と続く下りで、つま先が痛み始めていた。それに暑いし、道程は退屈だし、疲れていたし…靴を脱いで大休止。小屋の日陰は風も来るし、眺めもまあまあ。最後のお茶を飲み干して出発。

 ホコラ(ホコラ)の並ぶ奥之院を過ぎて降りて行くと…


《第十一番札所》

金剛山(こんごうざん) 藤井寺(ふじいでら)


   本尊 薬師如来(伝 行基菩薩作)

   開基 弘法大師

   宗派 臨済宗妙心寺派


 弘仁六年(815)、「弘法大師」四十二歳の時、「薬師如来」の尊像を刻んで寺を建立。

 約三百メートル山上の「八畳岩」に護摩壇を築き、十七日間秘法を修されたと云う。

 天正の兵火、天保三年の火災に遭い、現在の堂宇は万延元年の再建によるもの。奥之院には「大日如来」を(まつ)る。


 強い西日の差し込む境内。敷地はそれほど広くはないが、「焼山寺」への起点ともなるお寺。良い雰囲気の、小さな古めかしい茶店もある。

 でももう三時半ほど。人気(ひとけ)少な。

 お参りを済ませ、時期が合えば綺麗な花をつけるのであろう、藤棚の下の石のベンチに腰を降ろす。

 ここで宿の算段。この先の「鴨島」の街は、けっこう大きな街のよう。宿も何軒かあるようなので、ここまで来てから手配しようと、あらかじめ思っていた。

 それにここからは、またまた遍路コースを(はず)れて「徳島市内」経由「十八番」へと、国道を行くつもりだ。

 ちょうど、その「国道192号」沿いにあるビジネス・ホテルに部屋が取れた。

 販売機で買った飲物で水分をたっぷり補給し、「鴨島」の市街地を目指して歩き始める。

「逆打ち」の常。最後に山門をくぐって、先ずは右斜め方向。

 大体の目星を付けて、適当な所で左折。国道があるであろう方角に、まっすぐ進む。

 徐々に家々が建て込んできて、やがて市街地へ。歩く道は、ちょうど「鴨島駅」へと向かう道だった。

 国道に出た所で右折。片側一車線。まだ街中なので(にぎ)わっているが、歩道は無い。路肩が広いので、スリ抜けの車にさえ注意していればよい。

 この道は、先日、十六番「観音寺」あたりで少し歩いた場所へと続く道。そこから10キロほど、西に来た地点。そのせいか、なんとなく雰囲気が似ている。明日はずっとここを歩く予定。

 ホテルがあるあたりはマップから切れているが、間もなく右側に、目印となる病院の大きな白い建物が見えてきた。宿は、そこのほぼ向かいにあるはず。

 ここまでずっと道路右側を歩いていたが、反対側にコンビニが見えた所で横断。素泊まりなので、ここで食料調達。

 ホテルはもうすぐそこ。着いてみると、二階建ての、さほど大きくはないが、まだ新しそうなビジネス・ホテル。隣接する建設会社で経営しているようで、その施設も兼ねている。そちら関係の人達も出入りしているが、宿自体は空いている模様。


(ここで、新しいビジネス・ホテルの設備発見。「カード・キー」「暗証番号式ドア・ロック」「スティック・タイプの電源キー」等々、新しい物が登場するが、ここにあったのは…テレビから延びたワイヤー付きリモコン。スピーカーが内臓されている。隣室への音の配慮なのだろうが、これなら“アダルト”にはもってこい?)。


 お値段の方は、『この設備と建物なら、都会とくらべれば安い』といった価格。お遍路さんには妥当な料金。コンビニ弁当だが、食事付きのお遍路宿と同程度の出費で上がる。

 昨晩みたいな宿と違い、プライベートが完璧に守られるので独りでユックリできるが…ビジネスでは、全国どこでも大差ない。「アット・ホーム」といった点では、昨日の宿みたいな所の方が良いし、旅の風情も感じられるが…それぞれに、持ち味・一長一短がある。要は使い分けだ。


「ふ~」

 とにかく、本日の歩行は終了。

 二階の部屋に入って先ずは…コイン・ランドリーがあるので洗濯。バス・タブに浸かってから夕食。本日のメニューは「のり弁」と「割り子そば」。今宵(こよい)はノン・アルコールで、炭酸飲料ガブ飲み。


 本日は、ひたすら山道を歩いただけ。疲れたし、そんなところです。


本日の歩行 34・82キロ

      45222歩

累   計 252・90キロ

      328481歩


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