表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/31

*第七日目 五月十八日(日)

 お酒が入って妙にハシャいだ翌朝は、顔を合わせると、テレが入ったよそよそしさを見せる人がある。


 夕べは部屋に蚊がいたが、朝晩は冷えるせいか、羽音に悩まされる事も無く・刺される事も無く、朝を迎える。


 元々、蚊には好かれない体質?…血液型B型の人間だ。それは、そばにO型の人間がいると、いっそう顕著。何が違うのか?…詳しい理由は知らないが、みんな向こうに集まってくれる。

 初めてそれに気づいたのは、まだ小学生の頃。真夏の夕方近い屋外プール。弟と二人で遊んでいた時の事。閉園まぎわになり、陽射しが大きく西に傾き・人波が退()くと同時に、蚊が大量発生。O型の弟は、全身蚊に刺されボツボツになりながら、逃げるように退散。なのにこちらは、そのおこぼれ程度。

 そしてそれは、蚊に限った事ではないし、今でも実感する事。一例を()げれば…どういう訳か最近までやっていた仕事、ほとんどがB型とO型の人間ばかりなのだが…


(一部A型もいるが、ナゼか「O型みたいな」A型ばかりだ。そして、「親方」をはっているのは皆「O型タイプ」。ただし、結局は「お山の大将」の域を出ない。一方のB型は、束縛される事が嫌いな「自由人タイプ」。大勢でやる仕事ながら、一人でできる仕事を探しては、群れから離れ、一人勝手に仕事をしている。どちらにしろどちらも、人の言う事に耳を貸さない「サラリーマンには向いていない人種」ばかり。「組織」というものは、「報告に始まり・報告に終わる」仕組みになっている。実作業など、やって当たり前。途中経過に過ぎない。「他人の事など、どこ吹く風」といった人間には、向いていないのだ。そう言う自分もそんなタイプだが、先に述べた事を知っているだけ、まだマシだ)


…とある現場での休憩時間。夏の日の屋外に、対面に置かれたベンチ。

 向かいに座る二人の頭上には、それぞれ小虫が逆三角形の渦を作って舞っている。フト、こちら二人の頭上を見上げれば、綺麗な夏の青い空。

 こちら二人はB型コンビ。向こうの二人はO型ペアーだった。

『なるほどな』

 自分の仮説に自信を深めた瞬間だった。


(事実これは…理由や根拠は未だ不明ながら…科学者も医学者も認める事実らしい。実際、身近な現象などは、すべて解明済みかと思いきや、「ナゼ水は液体より固体の方が体積が増えるか?」「ナゼ虫は闇の光に寄ってきて、自ら火中に飛び込むか?」などの原因は不明なのだ)。


 話は変わって…

 朝食は六時からとの事で、六時前に起床。

 目覚めに、昨晩夕食後、隣りの酒屋前自販機で購入しておいた缶コーヒー。

 サプリメントにテーピング。

 すでに先客あり。後にもう一人。


(そこから宿を出るまでは、玄関で靴をはいている光景のみ)。


 今日は日曜。それでなくても静かな街並なのだろう。お参りを済ませ、境内を出る。


 昨日やって来た道を少し進めば、右に入って行く方角に「舌洗の池」と書かれた案内板。

 目標の「左前方」とは異なる「右前方」方向。

 でも、昨日入って来た新道角に、コンビニにがあったはずだ。先ずは食料調達のため、そこに向かおうと思っていたのでちょうど良い。

 その場所に着くと、小さな屋根付き休憩所。まだわずかな距離しか歩いていないが、早々に一休み。


 ここは「義経伝説」の地。掲げられた解説の看板によると…

 元暦二年(1185)、二月十七日。

「小松島」付近に上陸した「義経」公一行。「屋島」に(こも)る「平家」進攻の途上、ここで馬に水を飲ませ休憩を取ったと云う。

 里人に地名を尋ねると「勝間の井戸」と答え、幸先(さいさき)良いと喜んだとの由。またここは、灌漑用水としても大切にされてきたそうだ。


 でも…枯れた石造りの小さな井戸があるだけ。湧き水なのだろうが、出ていなかった。

 そこに座っていると…来た来た。宿で二回も行ったのだが…出物・腫れ物、所かまわず。最近、少々「トイレ恐怖症」気味。

 元々、好き嫌いはまったく無い。


(ここで他人の悪口を言わせてもらえば、貧しい育ちを語る人間に限って「好き嫌い」が多かったり、食べ方が汚い…つまり「食べ残し」が多かったりするのはナゼだろう? 「皿までなめろ」とは言わない。しかし、ゴハン粒の残った茶碗は見苦しい。また、「過食・飽食の時代」と言われ、自制も必要だろう。でも、「出された物くらい、文句を言わずに綺麗に食べろ。それが礼儀というものだ」と言いたい。最近の付き合いは、「三分でメシを食い、二分でタバコを吸う」なんて、「早食い」を自慢するような奴等ばかりでウンザリしていたところだ。「花粉症」や「アトピー」などのアレルギーにしてもそうだ。偏食な人間に多いように思われる。だから、遺伝もあるのだろうが、同じ食生活・同じ家庭環境、親子でそうなってしまう訳だ)。


 さらに、こんな健康的な毎日だと、ハラは減る・メシはうまい…で、ついつい食べ過ぎる。


(修行の基本「粗食に耐え、食べ過ぎに気をつける」とは逆行した行為だが…)。


 だから朝に一度や二度のトイレでは足りないのだ。

 毎度の事で恐縮だが、生身の人間。映画やドラマでなら、うまい具合に場面が切り替わるのだろうが…

 クソも出ればションベンもする。それが現実。そうして毎日、生きてゆかなくてはならない。

「生きる」という事は、そんなに都合良くはいかないものだ。


「ふ~!」

 時間切れとなる前に、路地を抜け、コンビニ到着。レジの前にザックを置かせてもらい、先ずはトイレに直行。

 ここで、お昼用におにぎり三ケ購入。


 その後、新道右側を南下。

 数百メーターほど行った所で、前方(はる)かを、笠に黒い法衣を(まと)った僧(?)が、右から左に道を横切る。

 そこは信号のある交差点。辿(たど)り着いて道路の向こう、左側を見れば「四国のみち」の道標と、トタン板にペンキ文字の小さな三角形の看板が…。

 あの人がいなかったら、片側一車線とはいえ中央分離帯のある広い道。見落としていたかもしれない。ここで右に行くのが、次のお寺へのコースらしい。


(本当は、宿を出てまっすぐ一本道。先ほどから、ずっと右側に平行して見えていた街並が「遍路道」なのだろう。ガイド・ブックには無い、大きな新しい道ができてしまったのだ)。


 見えていた街並に入る。ここも、古い建物が建ち並ぶ。

 人気(ひとけ)の無い道を標識通りに進んだが、お寺の裏手をグルッと…過ぎて行く。ここは、車用の経路のよう。

 そこで目星を付け、人が通れるほどの路地を抜けると、ちょうどお寺の門前。


《第十五番札所》

薬王山(やくおうざん) 国分寺(こくぶんじ)


   本尊 薬師如来(伝 行基菩薩作)

   開基 行基菩薩

   宗派 曹洞宗


「聖武天皇」(在位724~729)の勅命で建立された寺。

 弘法大師が刻んだ「鳥瑟沙摩(うすさま)王尊」像が(まつ)られている。


 山門の所には、お接待の白髪混じりの男性。細身の五十歳前後か? 穏やかな口調で、荷物を両脇のベンチにどうぞ…と言ってくれる。

 日の光が燦々(サンサン)と降り注ぐが、カラッとしており気持ちが良い…と思っていたが、ザックを降ろすと、接する背中の部分にはすでに汗。

 ベンチに腰掛け、しばし雑談。

 手作りの布製ケースに入った、ポケット・ティッシュを頂く。とある熱心な篤信家の女性…かなりの高齢との事…に頼まれたものなのだそうだ。

 もう、自分では歩けない。つまり、「お接待をする」という行為は、「自分の思いを巡礼者に託す」ことなのだ。


 たとえば、「餞別(せんべつ)」という行為。「お伊勢参り」が発祥ではないか?…といった話を聞いた事がある。

 江戸時代の頃に盛んに行なわれた「伊勢詣出(もうで)」。かと言って、誰もが出掛けられるわけではない。発つ人に「餞別」を渡して、自分の代わりに・自分の思いを託したという次第らしい。


「お接待は断ってはいけない」…でもそのせいで、事件も起きている…などといった話も聞かされる。

 特に若い女性は要注意だが、こちらは(よわい)四十。そんなにウブではない。


「さて!」

 時刻はまだ八時代だが、歩き遍路さんの姿もチラホラ。一息ついたところでお参り。

 ここも「国分寺」址。遺構が残り、本堂も古めかしい。ケバくなくて、古臭くて、いかにも遺跡といった風情。見ているだけでカビ臭さが漂ってきそうで、かなり良い。


 帰り際、先ほどのおじさんからお茶のペット・ボトルを一本頂き、次を目指す。

 狭い道。静かで閑散とした家々の間を抜け800メーター。溜池から少し上がった所に…


《第十四番札所》

盛寿山(せいじゅざん) 常楽寺(じょうらくじ)


   本尊 弥勒菩薩(伝 弘法大師作)

   開基 弘法大師

   宗派 高野山真言宗


 弘仁六年(815)、「弘法大師」がここで「弥勒菩薩」の像を刻み、堂宇を建立して安置したお寺。


 ゴツゴツした岩盤の上に建っている。

 納経所は新しいが、ここも前のお寺同様、販売機も無い静かなお寺だ。


 でも、今日は日曜。まだ八時半ほどだが、「国分寺」と同じく、ポツポツとではあるが人が絶える事はない。

 山門を少し入った、納経所前のベンチに座ってしばし。

 先ほど頂いたお茶を飲みながら、本堂を眺めたり…隣りに座った太ったおじさんとふたこと・みこと、言葉を交わしたり…と、少々長居。

 車利用や団体さんばかりでなく、歩き遍路の人も(否、歩きであるからこそ、いっそう)やる事やったらサッサと立ち去る人が多いが…お経もあげなければ、納経もしていないニセ遍路だが、せっかくの札所では、できるだけ長い時間を過ごしたいものだ。


 次のお寺までは、標識によれば2・3キロとの事。

 右に左に細い道。少し登ると、溜池や水田。やがて下って、裏から集落に入る感じで「県道207号」に突き当たる。ここを右。

 さらに進んで、「鮎喰(あくい)川」を渡る「一宮橋」へ。歩道のある右側歩行。緩やかに下る長い橋。

 対岸に着いた所で、自転車・歩行者用の、橋の真下へ降りるスロープ。ここに「へんろマーク」発見。そこを通って右下に降りる。

「へんろマーク」や「四国のみち」の標識に従い、田んぼに囲まれた道。

(ハテ)

 道路左脇を流れる用水路(それとも小川?)。

 フトのぞいてみれば…「おっきなカエルにオタマジャクシ」。

 昨日のあの()が言っていたのは、コイツらの事か?

『気候が良いからデカくなるんだよ』

 そう思う。


 そこを過ぎるとほどなく、けっこう車も通る道に出る。「県道21号」。周辺には宿が数軒。右折したすぐ右側が、次のお寺。


《第十三番札所》

大栗山(おおくりざん) 大日寺(だいにちじ)


   本尊 十一面観世音菩薩(伝 行基菩薩作)

   開基 弘法大師

   宗派 真言宗大覚寺派


 弘仁六年(815)、護摩修法中の「弘法大師」が「大日如来」の霊示を受け、「大師ケ森」(現在の徳島市入田町海先)に建立。

 元亀・天正の兵火で焼失後再建されるも、「一宮神社」の別当寺としてここに移転される。


 道路のすぐ脇にへばり付くように建つ、狭いお寺だ。

 中に入ると…先ほど十四番や十五番で見掛けたマウンテン・バイクのおじちゃんと若者のコンビ。巡礼なのか? 逆打ちなのか?

 それに、「昔はツッパリ風」庭師のおじさんが、仕事をしているだけ。


「ふ~…」

 今日は日曜。本日は「休足日」。

 お参り後、道路向かいの「一宮神社」の境内で、先ほどからボ~ッとしている。

 歩いているルートは、第十二番への道。ここは、道中いくつかある難所「遍路ころがし」の一発目を、逆にたどるコース。


(「八十一番 白峯寺」への「遍路ころがし」は、前に述べた通りだ)。


 本日出て来た宿から、宿坊のある第十二番を過ぎて、(ふもと)の街まで降りるには行程が長過ぎる。

 そこで、本格的な登りに掛かる前の地点に、今晩の宿を決めてあった。

 しかしそこまでなら、時間も距離も十分過ぎる。石のベンチに腰掛け、しばし境内を眺めていた。

 訪れる人はポツン…ポツン。こういった「無」の時間を、こういった場所で過ごせるなんて…良いものだ。

 でもいつまでも、こうしてはいられない。

 時は十時二十分。目の前の道を、上に向かって歩き出す。


『こんな夏なら最高なのに』

 梅雨入り前の晴天の日は、いつもそう思う。日向(ひなた)は暑いがカラッとしており、日陰に入れば涼しいくらい。

 でも、路肩はあるがそれほど幅のある道ではないし、車通りも結構ある。郊外のせいか飛ばしている車も多く、少々歩き(にく)い。


 それに、『この道でいいのだろうか?』。

 このまま行ったのでは、本日の宿泊地に早く着きすぎてしまう。そこで、左に入った十三番の奥之院、番外霊場「建治寺(こんぢじ)」を経由しようと思っていたのだが…

「入田町」の少し大きな集落に入ったところで、右側を流れているであろう川の方向に向かってみる。数百メーター入った所にあった橋の名は「春日橋」。

『しまった!』

 目的地への左折路は、すでに通り過ぎている。

 先ほど、不安のままに通過した道の左上に、宗教風建物が見えた場所があった。そんなに近いはずはないが、あそこが入口かもしれない。


 とりあえず…アセッても仕方ない。橋の手前にあった、公共の物と(おぼ)しき新しい建物。そこの道路沿いに設置されたベンチに座り、一息入れるが…『ハテ?』。

 先ほどから、大勢の人が車で乗り着けては、建物に出入りしている。

 今日は「徳島県」の「出直し知事選」。どうやらここが、この地区の投票所になっているようだ。

 ただし、「大勢」とは言っても、この街にしては…という意味。

 それにしても、投票に来るのだからそれなりの年齢なのだろうが、こんな所(失礼)にも、けっこう若い女性がいるようだ。

 そんな光景を眺めながらしばし。


 その後、少し戻って、進行方向左、山側にある小高い丘を目指す。

 上には、お寺らしき建物が見える。たどり着いてみれば、二段瓦屋根の古いお寺。

「紫雲山 西福寺」とある。

 人気(ひとけ)のまったく無い本堂には、赤・黄・緑・紫の幕が垂らされて、怪し気な雰囲気がとても良い。


 そのすぐ先には、古ぼけた神社。

 でも、この道は違ったようだ。間もなく下って、民家が点在するあたりに出てしまう。

 突き当たった左角の家。垣根の所に、補聴器を着けたおじいちゃん。少し大きな声で、はっきりと道を尋ねると…予想に反して、ハキハキと教えてくれる。

 今突き当たったこの道を、左に登って行けばいいそうだ。

 ツイてる。運が良い。その細い道を上へ。


 やがて分かれ道には「へんろマーク」。さらに細い道を右へ。

 民家も畑もまったく無い山の中。先ほど下の県道で見掛けた、ドカヘルでスクーターに乗るおじちゃんが降りて来た。会釈。

 左下には沢が流れ、少し湿り気を帯びた森の中に入る。

 でも、いつの時代の物か? いったい何があったのか? 家の土台とも思われる、草に覆われた石垣が残っていたり…昔ここは、どんな感じだったのだろう?…などと思いを(めぐ)らしてしまう。


 道は細いが、まだ舗装。

 やがて、二つ目の分岐点。左には「車両通行不可」の文字があったのだが…ちょうど右上から、おじさん二人が乗った軽乗用車が降りて来て、そちらに入って行く。

 こちらは滝経由の道。車の後を追うかたちで、こちらもそちらへ。

 道はさらに細くなり、間もなく地道。いくつか登ったつづら折れ。カーブの途中で、先ほどの車が切り返し。方向転換をしているようだ。

 ここで、そのおじさん達と少々立ち話。地元の人ではないのだろう。滝があると聞いたので入って来たと言う。「歩いて行こう」などと話し合っていたが、こちらはサッサと先へ。

 気がつけば、道はすっかりハイキング・コース。崩れ落ちそうな木の鳥居から先は、かなりきつい登り。

 おまけに、木が倒れていたり…急斜面で倒木をまたぐのは、けっこう骨の折れる仕事だ。それに、下草で隠されているが、足場も悪い。こんな所、訪れる人はあまりいないのだろう。荒れ放題といった観。


 山の中の石ころなんて、誰かが手を触れなければ、永遠にそのままそこにありそうなものだが…雨も降れば、霜柱も立つ。大気の存在する地球では、たとえば月面に見られるようなクレーターも消えてしまう。この地上に、不変・不動、永遠不滅の物などありえ無い。

 だが、「唯物論」的に考えれば、月面の・木星や土星の衛星の・果ては未知の惑星の石ころは永遠不滅。太古の昔からそこにあり、永劫の未来までそこにあるはずだが…

「唯心論」によれば、それらは誰かによって認識されて、初めて「存在」する事になる…らしい。


(この考えを、さらに推し進めたものに「人間原理宇宙論」とういものがある。この「宇宙」を認識してくれる存在がなければ、この「宇宙」は存在する意義がない。ゆえに、人類が誕生したのは「必然」によるものだ…とする考え方だ)。


 電子や素粒子など、ミクロの世界を扱う「量子力学」などは、こういった考え方をしないと理解できないそうだ。

 かなり曖昧(あいまい)で、偶然に支配されているように見える世界。

「神はサイコロを振らない」

 晩年の「アインシュタイン」先生の言葉だ。自らの理論により導き出された、この世の矛盾。高名な天才科学者も、失意のうちに亡くなったのだ。


(もっとも、すでにご存知の事とは思うが、生来のヘソ曲がり。「アインシュタイン」先生とて、言われているほどの天才だったとは思っていない。多眠で知られた大先生。『相対性理論』のヒントも、夢の中でひらめいたと云う。単なる「運の良い夢想家」だったのではないだろうか?)。


 しかし科学者なんて、因果な商売だ。頭が良ければ良いほど、自分が「究極の真理」にたどり着けない事に気づくのだろう。

 そういった意味では、「ニュートン」先生などは、かなりの幸せ者だ。いったんは、彼の理論をもって、物理学の「終息宣言」が出されたのだから…つまり、「すべての物理法則は解き明かされた」とされたのだ。確かに「ニュートン力学」は、この地球上に()いては、ほとんど完璧に機能する…らしい。

 だが、この地球環境というものは、全宇宙から見れば、いたって特殊な場なのだそうだ。

 たとえば、誰でもが良く知っている物質の三態「気体・液体・固体」にしてもしかり。宇宙規模で見れば、四態目の「プラズマ体」の方がポピュラーなのだそうだ。


(原子から電子が遊離した状態。大気圏突入時のスペース・シャトル表面は、高温のため、この状態にあるそうだ)。


 また宇宙の平均温度3(ケルビン)は、「摂氏」で表わすとマイナス270度。


(「絶対0度」はマイナス273度だ)。


 これは、物質の粘性が消える「超伝導」状態が当たり前に起こる環境だ。


(ちなみに、絶対温度の単位「K―ケルビン」は、物理学の終息を宣言した科学者「ケルビン卿」を(たた)えたものだ)。


 しかし、そこに天才「アインシュタイン」博士が登場し、『相対性理論』を創唱!


(『光量子理論』―光は「粒子」と「波」という、相反する性質を(あわ)せ持つ…とする理論。大先生が「ノーベル物理学賞」を受賞したのは、かの有名な『相対性理論』ではなく、先に発表されたこの理論によってだ)。


『相対性理論』―この理論が提唱された当初、「理解できるのは世界で数人しかいない」と言われたそうだが、今や「古典物理学」と呼ばれる。一言で述べるなら…

『特殊相対性理論』=すべてのもの―時間・長さ・質量は相対的。この宇宙で唯一不変のものは「光の速度」だけ…となる。


(『光量子理論』で光の性質を解き明かした、「アインシュタイン」先生の面目躍如といったところだ。しかし…ならば、この地球を宇宙の中心に据える「天動説」だって、可能となるのではないか?)。


『一般相対性理論』=「万有引力」等、「重量場」に関する理論。


…など、当時の人には考えもつかなかった理論を提出し、振り出しに戻ってしまったわけなのだ。


 現在では、『超ひも(スーパー・ストリング)理論』や『M理論』が提唱されている。


(「M」とは「(メンブレン)」という意味だ)。


 それによれば…物質の最小単位は、限りなく「ゼロ次元」(縦・横・高さの無い、究極の「(てん)」の事)に近い点ではなく、ある程度の広がりを持った「ひも」状の物が振動した状態である…これが「スーパーストリング理論」。

 ところが、ロープも遠くから見れば線になり、筒も切り開けば面になる。「ひも」を切り開いた「(まく)」状の物が物質の最小単位であるとするのが「M理論」。


(しかし、分子の先に原子・原子の先に素粒子があったのと同様、まだまだ先があるかもしれない)。


 ちなみに、その理論によれば、この世は10(超ひも理論)~11(M理論)次元で構成されているそうだ。

 たとえば、高さの無い空間が横倒しになっていたら、その空間には気づきもしないだろう。この世界は、複雑に巻き上がった空間で出来ている。今のところ、人類の技術では、その理論を実験・実証する手立てすら無いのだ。人間には知覚・測定できない次元や空間があるとしたら…


 天文学的問題「暗黒物質(ダーク・マター)」―この宇宙は、人間が観測できる物質だけでは、あまりにも質量が少な過ぎるそうだ。人間が知覚できるのは(つまり、私達が「物質」と呼んでいる物は)、たったの4パーセントにすぎないという。目には見えない、「暗黒物質」と名付けられた「なにか」が必要らしい。


 物理学的発見「真空のエネルギー」―からっぽの「無」とされている「真空空間」から、突如素粒子が誕生する事があるらしい。

 また、素粒子レベルでは、「空間移動―テレポーテーション」すら確認されているのだ。


 最近では、空間自体「物質」である…との説がある。なるほど、「重力場理論」によれば、「質量を持った物質の近くでは、空間が歪む」とされるが、何も無いなら歪むはずはないわけだ。


色即是空(しきそくぜくう) 空即是色(くうそくぜしき)


「空」は読んで字のごとし。「空間」を意味しているのかもしれない。

 案外、前述の「暗黒物質」とも関わりがあり、ひいては「ビッグバン」の謎に近づけるかもしれないし…さらには科学ばかりではない。「霊」や「悟り」、「神」や「仏」に…


『西洋物質文明・唯物主義に限界を感じた科学者・哲学者・思想家・芸術家が、東洋思想に傾倒するのも当然の成り行きだ』


 そんなこ難しい事を考えながら歩く。汗が吹き出す頃、滝に到着。

 しかし、滝とは言っても小さなもの。流れる量も、銭湯の打たせ湯並み。水量が少ない時期なのか? 岩肌に沿って、湧き水が落ちて来る程度。

 (ホコラ)と案内板のある右側に回る。

 ここは「建治(こんぢ)の滝」。落差もそれ程ではないが、雰囲気はある。

 そして「滝行」の場。

「修行」というと滝に打たれる場面を思い浮かべるが、門外漢が不用意に行なうと身の危険すらあるそうだ。「その道」の人にとっては、心身の汚れを洗い流し、水のパワーを吸収する行為だが、その分あたりには、洗い落とされた(けが)れや低級な霊が漂っている。先達(せんだつ)に着いてきちんとした手順を踏まないと、それら悪霊に憑依(ひょうい)され、金縛りや乱心する事があるという。冗談半分にやっていいものではないようだ。


(意外に、銭湯や温泉の「打たせ湯」、お湯が止められ使用不可になっている所が多い。案外、何か理由があっての事だろう…と思っている)。


 かつて若かりし頃、訪れた南の島の滝つぼで泳いだ事もあるが、そういった事には割りと敏感、人に言われなくとも「百も承知」なところがあった。

 人並みに悪戯(イタズラ)をする子供ではあったが、昔から、ナゼかそういったものには用心深かった。だから「コックリさん」が流行(はや)った時にも一切近づかなかったし、学校行事など以外で「きもだめし」に参加した事もない。心霊モノの映画やドラマもなるべく見ないようにしているし、心霊スポット(めぐ)りなどといった行為はもってのほかだ。「臆病だから」ではない。そういったものを、半ば信じているからだ。

「興味本位で、無闇にそういったものを(おか)すべきではない」

 それが持っている持論だ。


(そうそう、映画「エクソシスト」が公開され、「コックリさん」が流行した中学生の頃は、「トイレット・ペーパー買い占め騒動」で有名な「オイル・ショック」のまっただ中。「バブル景気」崩壊後の現在も、ちょっとしたオカルト・ブーム。景気が良いとスポーツカーが売れるようになり、モーター・スポーツは盛り上がる。しかし景気が後退すると、オカルト・心霊ものが頭をもたげるものなのだ)。


 (ホコラ)の所で、小径(こみち)は二股に分かれている。ここからさらに登り。

 左はロープのある岩場。その先には、鉄製ハシゴが崖上まで掛かっている。

 右は、古くなった木製ハシゴが並んでいる場所もあるが緩やかな道。

 ここがコースだと思い、左のルートをよじ登るが…かなりの急角度。直立近くに立て掛けられたハシゴでは、重たいザックを背負っているので重心が後ろに掛かり、少々怖いくらい。

 そして登ったはいいが、今度は崖っぷちに張り付いて行かなくてはならないような場所。

「う~ん…」

 子供の頃に見た冒険モノか、「インディアナ・ジョーンズ」ばり。先を見ても、右に回り込んだ断崖は、果たして続いているのか???


 事件・事故・災害で、九死に一生を得た…ゆえに運が良い・強い霊に守られている…などといった論を展開する人もいるが…こちらは、そんな人達よりも、もっと強運だ。なにしろ、そんな場面に出くわした事は一度も無い。もし「本当に運が良い」「なにものかに守られている」なら、始めから危険な場所・場面などには出くわさないはずだ。


 どちらにしたって、背中に重い荷物を背負(しょ)って、オーバーハング気味の崖沿いなんて…足がすくんでしまう。

 高い所は嫌いではないが、無用なリスクは避けるべき…言いたいのは、落ちる落ちない以前の話。


 高所作業での、こんな話を聞いた事がある。

 高層ビルの工事現場。ついさっきまで、細い(はり)の上をヒョイヒョイと歩いていた男が、何かのキッカケで恐怖心にかられ、行った先で身体がまったく動かなくなってしまったそうだ。半ベソをかきながらうずくまっているところを、(トビ)の仲間に引きずり戻される…独りでそんな事態に陥ってしまったら、もう戻っては来られない。「下を見るな」は、案外本当なのだ。


(現在までの仕事でも、多少の高さに登る必要があった。そこまでいかなくとも…『これ以上はヤバい』…それに近い経験はした事がある。自分の限界はわきまえているつもりだ)。


“Fear Will Not Kill You”―恐怖では死なない―


 とある映画で、拳法の達人が、ビルの屋上の(ヘリ)を走り回る訓練をしている時に、弟子に語ったセリフだ。

 集中力で恐怖心を追い払うためのトレーニング。でも、果たしてそうだろうか?

 モーター・スポーツでは、よくこんな話が引用される。曰く「地上で1メーターの幅を跳び越すのは簡単だ。でも、数十メーターの高さでそれができるか?」。


(ちなみに、地上十階ほどの高さ、つまり、適度に下が見えるくらいの高さが一番恐怖心をあおるそうだ。スカイ・ダイビングほどの高度まで上がってしまうと、かえって怖さが薄れると言う)。


 極限の状態では、簡単にできる事もできなくなる。心理的な要素が強い命題ではあるが、恐怖にかられて我を見失えば、「恐怖」に殺されかねない。


『たぶんここは、展望台みたいなもの』


 さほど眺めは良くなかったが、そう割り切って降りて来る。


(確認はできなかったが、滝で身を清めた後、「鎖の行場」へと続く「梯子の行場」であるようだ。どちらにしろ、素人が安易な気持ちで立ち入ってよい場所ではない)。


 降りてみれば、すぐ脇が道のようだ。そこを行けば「へんろマーク」出現。「緩やかな道」と思われる小道が右から合流。

 少し行けば、左上に向かう鎖場があるが『もうコリゴリだ』。

 そのまま進むと…上方に石の柵が見えてきて…石段になってお寺の下。さらに階段を登ると…

 番外霊場「大滝山(おおたきざん) 建治寺(こんぢじ)


 コーラの赤い自販機が見える。先ずは、まっすぐそこへ。

 コーラの百円缶。ガブガブ飲みながら、息を整える。もう汗グッショリ。

 本日は、山道に少々危ないと思いながらも、先ほど休んだ(ふもと)の街からTシャツ一枚。ここで脱いだTシャツをザックの背に掛け、素肌に長袖シャツを着る。


「ふ~!」

 やっと一息、あたりを見回す。

 ここは山の上方。周りは木々に覆われており、詳しい様子はわからないが…山の傾斜地の、ネコの額ほどの敷地に、押し込められるように建てられた小さなお寺。

 でも造りは立派で、手入れも行き届いている。


 掲げられた縁起によると…

 開基は白鳳時代、「天智天皇」(在位661~667)の頃、役行者(えんのぎょうじゃ)「神変大菩薩」による。

 弘仁年間(810~824)、四国巡錫中の「弘法大師」が修行場所として逗留。

 ある夜、「金剛蔵王大権現」を感得。斎戒沐浴(さいかいもくよく)して御本尊を彫刻。本尊として(まつ)られる事となった。


(ここで一言。「縁起」とは仏教用語で、「事物の起源・由来」。つまり、社寺・宝物(ほうもつ)などの由来、あるいはそれを記した文書(もんじょ)の事)。


 こんな場所の番外霊場、参詣客はもちろん、お遍路さんの姿も無い。お参りをし、同じ銘柄の缶のお茶を、減ったペット・ボトルに足して…時間はちょうど12時代。

 でも、お寺の人しかいないここで、昼飯を広げるのは気が退()ける。それに、景色も見渡せないし…境内を出て、先に見える駐車場の方へ向かうと、左上に登る小道がある。『時間もあるし』と行ってみる。

◯◯(なんとか)明神」を通り、鐘撞(かねつ)き堂の少し上手。上部に(ホコラ)風の二重屋根が載った、2~3メーターほどの高さの石垣の塔。「大瀧山」と刻まれてある。横には「皇太子御成婚記念」の碑。

 その塔の正面下。下界を見下ろせる、たぶん東側に、プラスチック製のベンチ。

 背もたれは無いが、石垣がちょうど良い角度で末広がりになっている。ここで、朝買ったおにぎり三個。食後、石垣に背をもたれていると…霞んでいて遠望は利かないが、見晴らしも良く、塔で日陰になっており、最高のお昼寝タイム。「う~ん…」と、少々まどろんでしまう。

 1時少し前。フッと我に返り、ここを発つ。

 駐車場先に、目指す方角へと延びている道。そこを下って行くと「へんろマーク」。舗装路から、ハイキング・コース風の遍路道へ。狭くて急な小径(こみち)を下る。マムシやハチの出そうな場所を降りて行くと、間もなく綺麗な舗装路に出る。

 たぶん、この道路向かいあたりに遍路コースが続いていたのだろう。しかしそうとは気づかず、その舗装路を、下っている右の方角へと向かってしまう。

 ガイド・ブックに記載は無いが、今ではこのあたり、「森林公園」になっている。そのせいか車も通るが、歩道は無し。道幅はまあまあ広いので、どんどん下る。


 緑地帯があったり…ゲートボール場で楽しむ、お年寄りの集団がいたり…やがて下方に、県道らしき道と橋・その周辺に広がる集落が見えてきた。

 下りてみると…出た所は、予定よりずっと手前の「高瀬」という集落。

 この時になって、先に述べたように、「遍路道を見落としていた?」あるいは「反対方向に向かってしまった?」ことに気づく。まあ時間もあるし、問題無い。


 ここで県道に左折。再び、前のお寺から続いている「21号」。目指す次のお寺方面から降りて来る「お遍路バス」も多い。

 道はおおむね川沿い。峡谷や谷底とまではいかないが、高度を増すにつれ、川幅は狭くなり、両側から山々が迫ってくる。

 先ずは、進行方向に向かって川の左岸。対岸にも、旧道なのだろうか? ずっと川沿いに道がある。時おり地図を見ながら進む。渡る場所を間違えたら大変だ。深い谷では渡れない。


 ここは、すでに何度か登場した「鮎喰(あぐい)川」。それにしても、綺麗な水だ。まっさらに澄んでいる。川底の石もくっきり見える。清々と流れており、コケも生えなければノロも着かない…といった感じ。

 四国の川は、どこへ行っても、一歩入れば清流だ。ここだって、徳島市内まで、それほどの距離があるわけではない。なのに、こんなに水が澄んでいるのは、距離が短いし、すぐに山だから、上流にヘンな物が無いからだろう。


『こんな所で育っていたら…』

「高度経済成長期」のまっただ中に育った。地方都市とはいえ、県庁所在地の、駅まで歩いて数分の所に住んでいた。近くを流れる川は、どこもドブ川だった。「魚釣り」とはまったく縁の無い人生を歩んでいるのは、そのせいか?


(もっとも、たとえそれが生きていなくとも、魚を触るのは大の苦手なのだが…それもその弊害?)。


『こんな所で育っていたら…』

釣り遊びに興じていたやもしれぬ。


(しかし、「高い山を志して行く」。そんな大そうな名前とは裏腹に、「そこに山があったって」、決して登ろうなどと考える人間ではなかった。なのに、どうしてこんな風になってしまったのか?)。


『あの頃は、海も汚かった』

「海無し県」に住んではいたが、年に一度は太平洋岸に海水浴に出掛けたものだ。

『黒潮っていうくらいだから黒いんだ』

 あの頃は、本気でそう思っていた。

『本当は澄んでいる』

 その事に気づいたのは、三十も後半になり、イイ年になってサーフィンを始めてからだ。

 数々の規制のおかげだろう。今では同じ海岸でも、浅瀬なら海底が見えるほどだ。そういった点では、現代もまんざら悪くない。


 テクテクテクテク、歩く歩く歩く。

 途中の、細い旧道が残っている箇所で…本来通ろうと思っていた、「建治寺」からと(おぼ)しき道との合流前だったか? 後だったか? とにかくその近辺。道幅が極端に狭くなっている場所で、正面から続けざまに二人、お遍路さんがやって来る。前を行くのは、十番で見掛けた、大きなザックの白髪(しらが)混じりのおじさん遍路さん。


(かなりお疲れのご様子だ)。


 続いて、九番にいた、荷物満載の学生遍路さん。車では、交互通行しなくてはならないほどの道幅。大学生の彼とは、狭い道の“あっち”と“こっち”で声を掛け合う。


 やがて「広野」の集落の入口付近。

 道端にあった自販機前で、缶ココアをガブ飲み。でも、ユックリできるような場所ではない。


 すぐ先の下方に、吊り橋が見える。学校脇の細い道に入って、その吊り橋を渡る。歩行者・自転車用。学校があるからだろう。

 対岸には、細いが時おり車も通る山際の道。先に進めば、車が通れる橋のたもとに出る。

 酒屋・ガソリンスタンド・JAの建物などがある。このあたりにしては大きな集落。


 そこを過ぎ、右岸側をさらに・さらに進む。集落は抜けたが、民家は点々と点在している。

 綺麗な川なので、川原に降りてみたいと思っていたのだが…今日は日曜日。降り口のある先では、バーベキューをやっていたり…畑仕事用の農道だったり。結局えんえんと歩いていた。


 そのうち、ガイド・ブックによると、左に渡らなくてはいけないあたり…で、「へんろマーク」発見。左下の川原に降りるようだ。

 下を見ると木の橋。両の枠木(わくぎ)の間に、縦長の木板を三列に並べただけ。良い雰囲気だが、でも…足を載せるとギシギシきしむ。

『抜け落ちないだろうか?』

 少々不安だが、ここも潜水橋なのだろう、すぐ下を水が流れる。橋の長さは2~30メーターほどだろうか。そろりそろりと歩く。これでは人しか渡れない…といった感じ。

 橋を渡り切ると、左側の川岸に良い岩場。多少ゴツゴツしているが、靴を脱いで座り込める大きさの岩の上。乾パンなどをかじりながら、ここでしばらく時間調整。時刻はまだ三時代。宿は、先に見える小高い丘を越えればあるはずだ。


 少し上流に釣り人ひとり。黒いアゲハが飛び回っている。川の流れる音を聴きながら、しばし(くつろ)ぐ。こわごわ渡っていた橋を、自転車で駆け抜ける、中学生の男の子が一人。


 やがて、四時少し前。靴を履いて、本日最後の歩行。

 きついが短い登りを登ると、川の両岸に広がる集落が見える。先ほどの「広野」ほどではないが、大きめの集落。ここから若干下った、開けた地形に広がっている。

 キョロキョロしながら入って行くと、右手で畑仕事をしているおじいちゃん。宿の所在地を尋ねると、すぐ対岸に見える家を示して「あそこだ」と教えてくれる。

「あそこに見えるカーブ・ミラー。そこを右に曲がれば橋がある」

 言われた通りに進んで、橋を渡る。

 その先で突き当たった道のすぐ右側に、本日の小さなお宿。「○○旅館」。控え目な看板が出ているが、それが無ければすっかり民家。こういうのも、悪くない。



 今NHKで、七十年代の歌謡曲をやっている。

 小学・中学・高校の頃。「カギッ子」という言葉が登場し、「もやしっ子」と言われ、「シラケ世代」と呼ばれて育った。あの頃は、「ん~、べっつに~」が口癖だった。


(ならば、今の子供達はどうだ? 「体力の低下」「無気力・無関心」等が(なげ)かれるのは、いつの時代も同じなのかもしれない)。


 そして今、四国を歩いている。だから…「今の若いモンは…」。そんなセリフだけは吐かないように、気を付けているつもりだ。


 今日の宿泊客は…もしかしたら、たった一人?

 ここは、変な歩き方をしている人間には好都合だが、通常の「歩き遍路」からすると、地理的に中途半端な場所。


 四時ジャストに宿に入り、旅に出て初めてのビールを飲んでいる。

 風呂上りの(ビン)ビール。フワフワして、何だかとっても良い気分。


(早い時間に入ったので、宿のおばちゃんは敷地の脇でゴミ燃し&草むしり。「まだゴハンが炊けなくて」と恐縮していたが、あまり早くてはこちらが困ってしまう)。


 イナカの家にありそうな、脚の太い、大きな・重そうなテーブルに向かって、本日の記録を書いている。

 それにしても、これも何かの縁?

 今、「香川」・「徳島」は、全国ネットの七時のニュースの一番・二番。

 一番は…ただ今、東南アジア方面で大流行中の新型肺炎「SARS(サーズ)」(重症急性呼吸器症候群)。ちょうど四国入りした頃、「サーズ」保菌者(キャリア)の台湾人医師が、観光で「京都」などを回った後、つい先日通ってきた「高松」の「栗林公園」などを訪れていたのだそうだ。

 そして次は、本日行なわれていた「徳島」の「出直し知事選」。


「ふあ~」

 欠伸(アクビ)が出る。

 部屋は、サッシの引き戸の玄関を入り、上がったすぐ右側の和室。

 中もすっかり民家の一室。床の間もあり、この家一番の部屋なのだろう。

 部屋の反対側。トイレへの廊下に出ると木の香り。


(最近、トイレとお風呂は改装したのだそうだ)。


 まわりはカエルや虫の鳴き声があふれていて…おばちゃんとおばあちゃん、二人でやっているこの宿に、今晩の宿泊客はただ一人。


(夕食は部屋で。食後、寝床の用意をしてくれているおばちゃんと少々世間話。近くの温泉に宿ができたので、客足が減ったとグチをこぼしていた)。


 足にはマメと靴ズレ。手にはペンダコができ始めた。

「ふあ~」

 アクビをもう一発。そろそろ十時、もう寝よう。

 今日は札所も三つ回ったし、距離の割りには盛りだくさんな一日となった。


本日の歩行 25・66キロ

      33329歩

累   計 218・08キロ

      283259歩


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ