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7/31

*第六日目 五月十七日(土)

 お四国・お遍路「乱れ打ち」。

 今日は一番まで上がって、そこから十七番に向かう予定。


 本日の起床は六時十分。

 夕べは蚊の羽音に悩まされ、寝付きが悪かった。

 朝方近く、トイレに立とうかとウトウトしつつ、結局目覚ましが鳴るまで布団の中。


(なにしろ、トイレ完備の部屋ではないので、面倒なのだ)。


 朝食までに、洗顔・着替え・おおよその荷物整理と済ませ、別棟の食堂へ。

 外は薄曇りだが、悪くはなさそうだ。


 今朝は、ここの御主人と思われる男性がおり、ゴハンのお替わりをついでくれる。

 生卵や焼き海苔。赤だしの味噌汁(四国の朝は、どこでも赤だしなのか?)。


 食後、洗面所で歯を磨いていると、隣室のおじさんが出発。明日(あす)明後日(あさって)と逆回りする予定なので、どこかでスレ違うかもしれない。

 その後、「用」を済ませ、挨拶をして宿を出る。


 時刻は七時半。

 先ずは、目の前の「県道12号」を左方向なのだが…


「う~ん」

 靴下の具合が悪い。本日朝一番の足の調子は…多少むくんだ感じ。すぐさま靴を脱いで、履き直す。


「よし!」

 毎日の歩き始めはユックリと…と思うのだが、思ったようにはいかないものだ。


(「走る」という行為に関しても、同様の事が言えると思う)。


 ナゼなら、各人それぞれ「持って生まれた速度感」というものがある。

 それより遅く走ったから・ゆっくり歩いたからといって、それが良いとは限らない。自分のペースが乱れ、かえって疲れたりするものだ。

「生まれながらのスピード感」

 それが短距離向きならスプリンター。ロング向きなら、あとはどのくらいの距離、その速さを維持できるかの、スタミナの問題なのだ。


『足慣らしのウォーミング・アップは必要なのだろうけど…』

 何につけても、「基本・基本」とこだわる人がいる。毎回「いち」から“おさらい”しなくては、気が済まないのだ。

 そこまではいかないが、たとえば、本を読むならきちんと1ページ目から…

 元々は、そういった几帳面な一面も持ったタイプの人間。ずっと以前の自分だったら、今回の事も、一番から始めなくては納得しなかったかもしれない。


(もっとも、「人と同じ」を、始めから・無条件で・極端に、毛嫌いするヘソ曲がりな一面もある)。


 でも今は…ほとんど毎日の事に、多少の“はしょり”があってもいいだろう。気にするほどの事でもない…そんな感じだ。


 少しの区間、県道を歩き、道標に従い左の遍路道に入る。

 このあたりでは、旧市街地を抜ける道。早い話が旧道だ。

 この二つ先、四番のお寺に()れた時以外、着かず離れず、先ほどの県道が右手を走る。


(三番のお寺から先は、その向こう側を「JR高徳本線」が平行に延びている)。


 今となっては、そちらがメインの通りなのだろう。そのせいか、街並は静か。それに、今日は土曜日だ。


(逆にそのせいか、同宿だったおじさん、本日予定していた宿が満杯で、その近くのビジネス・ホテルに予約したそうだ)。


 フト気がつけば、いつの間にか前方に、同方向へ歩く男性遍路さん。逆打ちなのか? すぐに追いつき、挨拶程度に言葉を交わす。菅笠の下に見える顔は、無精ヒゲの伸びた三十前後。先に行く。

 本日は、このあと一番のお寺まで、幾人ものお遍路さんとスレ違う事になるが…挨拶どころか、目も合わせてくれない人が多かった。

 こちらが、遍路姿でない事ばかりが理由ではないだろう。皆、まだ歩き出したばかりの初心者遍路さん。期待・不安、そして「照れ」が入っているのだろう。


 3キロほど歩いて、本日の一発目は…


《第五番札所》

無尽山(むじんざん) 地蔵寺(じぞうじ)


   本尊 延命地蔵菩薩(伝 弘法大師作)

   開基 弘法大師

   宗派 真言宗御室派


 朝(もや)も晴れ、すがすがしい気分…と言いたいところだが、この手前から、急激に(もよお)してきた。急いで山門をくぐり、トイレを探す。間一髪でセーフ。

 ホッとしたところで、缶コーヒー飲みながら最初の休憩。時刻は、八時を過ぎたところ。まだ人出はほとんどない。


ここは…

 弘仁十二年(811)、「嵯峨天皇」の勅願を受け、「弘法大師」が開いたお寺。

 本尊に「勝軍地蔵菩薩」を刻んで安置したと云う。


 本堂・大師堂をお参り後、裏手にある「奥之院 羅漢堂」に行ってみる。


(「羅漢(らかん)」とは、仏の弟子で、最高境地に達した人を指す)。


 ここの開基は、元・安永・天明年間(1772~1789)、「実聞」・「実名」の兄弟僧による。

 本尊は「釈迦如来」。

 大正四年の焼失後、再建されたものだそうだ。


 ここは拝観料二百円を取られるが、入ってみることにする。

 入口のおばあちゃんに料金を払い、チケットとパンフレットを受け取る。


 コの字型の古い木造建物の、左翼から右回り。

 中は薄暗く、破れ戸から日が差し込む以外、照明は無し。映画館ほどではないが、明るい屋外から入ると、かなり暗く感じる。

 館内は少々カビくさいが、それがかえって「いかにも」といった雰囲気を(かも)し出している。

 やがて段々と、目が馴染んでくると…『五百もあるのだろうか?』。とにかく沢山の、埃を被った古い木像が立ち並ぶ。

 順に眺めていくと…『あの人に似てる』『アイツみたいだ』『こちらは近所の○○さん』といった感じ。

『自分に似ている像は…』なかったと思うが…


 自分とは、「一番近くて、一番遠い存在」。

 写真や鏡では見られるが、直接自分で自分の顔見ることは到底不可能。

「臨死体験」や「幽体離脱」でもしないかぎり…つまり、普通の常識からすれば、どうあがいたって絶対に無理な話。永遠に対面する事はできない。


『自分の事なのに、どうにもならないなんて…なんだかとても、もどかしい』

 初めてその事に気づいた時の、あの閉塞感。

『あれは、いくつの時だったろう?』

 そんな単純な事に気づいたのは、三十も過ぎた頃だった。

『案外、たいした感性持ってないな』

 そして…

『いったい自分は、他人の目にはどう映るのだろう?』

 ただでさえ「客観的に自分を眺める」という行為は難しいのに、自分の姿は直視できない。

 おまけに「見かけ」は、特に「色気づく」年代以降、物欲・金銭欲などと並ぶ、大きな煩悩の一つ。


(「持って生まれたもの」が大きな比重(ウエイト)を占めるから、なおやっかいだ。英語の表現に「銀の(さじ)―シルバー・スプーンをくわえて生まれてきた」というものがある。「裕福な家庭に生まれた」という意味だが、「見栄え」はある意味、一番手に入りづらいものだ。おのれの努力だけでは限界がある一方で、何の努力も無く、気づいた時には持っている人もいるわけだ)。


「見映え」…人はいつもその事で、必要以上に頭を悩ませる。


「ふ~ん…」

 ひとつひとつ、ジックリ見るには多過ぎる。

が、中でも一番気になったのは…よだれ掛けみたいな物を首に巻いた子供の像。

 開いた両手を顔の両脇にかざし、お座りした低い位置からこちらを見ている。


『これって、目ははめ込み?』

 何か、悲しい言われでもあるのだろうか?

 ナゼか、目線を合わせる気にはなれなかったのだが…


『ハテ?』

 作り物とはいえ、これだけの像が並んでいると、誰かの視線のようなものを感じてしまう。

 一辺を終えるたびに、何とはなしに振り返ってみるが…単にラッキーなのか? それとも「そういうこと」なのか?

 結局ほかには誰も入ってこず、終始良い感じ。もっとユックリ見たい気もしたが、そうそうノンビリもしていられない。


 ここを出ると、次なるお寺を目指して左へ・左へ、北へと上る。

 一番から十番まで、ほぼ東西に並んでいるのだが、続く四番だけは、わずかに北に飛び出している。そこまでは、ここから2キロ弱の行程だ。


「徳島自動車道」の高架の下をくぐる頃には、すっかり街並から出て、緩やかな上りが続く。

 右側に歩道があったが…特別、理由があったわけではない。路肩は広いし、お寺を出てから、そのまま道の左側を歩いていた。

 途中、その道路際に、小さな神社。

 何とはなしに写真を撮り、そのまま通り過ぎようとしたのだが…

『アレ?』

 フト、目に留まった柵の石柱の一本。

 何たる偶然。『今日も来た!』という感じで、歩を停める。

 こういった所のこういった場所には、寄進者の名前が彫られているものだが…

「○○ ○」。仕事の相棒と、同姓同名。


(相棒とは言っても、ずいぶん年下だが)。


 彼の姓は、関東ではまずお目にかかる事の無い苗字。

 四国には、関東では馴染みの薄い苗字が数多くあるが、これもその一つ。

 親父さんが、四国は香川の出。こちらにはある名前だそう。


(実際、商店の名など、香川県で何度か目にした)。


 でも、下の名前まで一緒とは…わざわざ歩道の無いこちら側を歩いていなかったら、気づきもしなかった事だろう。

 記念に写真を一枚。

 でも、何だか妙な気分だ。もうあの仕事、辞めたつもりでこの旅に出ていたのだから…。


 そこからは、道路を横断して右側を歩く。

 緩い上りを登り切れば、その先に、赤い山門のお寺が見えてくる。


《第四番札所》

黒巌山(こくがんざん) 大日寺(だいにちじ)


   本尊 大日如来(伝 弘法大師作)

   開基 弘法大師

   宗派 真言宗東寺派


 この地で修行された「弘法大師」が、ここで「大日如来」を感得。堂宇を建て、「大日如来」の像を刻んで安置されたとの由。


 ここは、それほど大きなお寺ではない。

 本堂・大師堂とノン・ストップで廻り、そのままお寺を後にする。


 少し戻ると、『ハテ?』。

 歩道が、車道沿いと左下へのものとに分かれた地点。

 きれいに整備された道路は、窪地を平らにまたぐよう、数百メーターに渡って盛土されたのだろう。車で何気なく走っていたのでは、それと気づかないほどにさり気ない。


(もっとも、安全・快適のため、それが狙いでこのような構造になっているのだ)。


 しかし徒歩では、チョットした問題となる。

 車道沿いは、軽く上って下り。左側はグッと下がって、その先は…? どちらにしても面倒だ。

 単純に…来た道と同じではつまらない。それに…『何か怪しい』。

 そこで、下に降りてみる。

 すると左に、この先へ向かう遍路道入口が…ずいぶんとカンが良くなったものだ。


 すぐに地道となり、入って間もなくの小さな橋は工事中。現場のおっちゃんが大丈夫と言うので、そのまま進む。

 この近辺で、新お遍路さん二人とスレ違う。

 ここからは、しばらくクネクネ道。

 畦道(あぜみち)(と呼んでもおかしくない所)を通ったり…民家の軒先(みたいな場所)を抜けたり…きっと新遍路さんたちは、そんな風情に感激し、ずっとこのような道が続くと思うのだろう。一番から歩き出せば、多分そんな風に思ったに違いない。


 そんな道中の途中に、番外霊場「金鶏山(きんけいざん) 愛染院(あいぜんいん)」がある。

 ここは、ただ今向かっている三番の奥之院。

 開基は「弘法大師」。

 本尊に、大師の作と云われる「不動明王」が安置されているそうだ。

 でも、敷地はそれほど広くない。門構えも、それと書いていなかったら、一般の民家と間違えそうだ。

 中をのぞくと…日当たりの良い、賽銭箱への階段上がり口や回廊に、ネコが三匹、くつろいでいる。

 お堂の戸が開き、おばあちゃんの姿が出ては引っ込む。中から、にぎやかな声が漏れて来る。近所のおばちゃん連中が、井戸端会議でも開いているのだろうか?…で、サッサと退散。


 少し道に迷ったが、朝から並走していた「県道12号」、その手前の、遍路コースである旧道に戻る。

 相変わらず通りは少ないが、舗装された道。


 途上、左に、大きな御神木のある「諏訪神社」。

 長い石段が見える。まだ元気な朝の時間。『見晴らしが良いのでは』と登ってみるが…裏手に新興住宅地が迫る、山ではなくただの台地。

 おまけに…ここの守り神? 大きなクマンバチが二匹、こちらを威嚇してか、頭の上を飛び回る。

 神社とはだいたい、普段は人気(ひとけ)がなくて良いのだが…逃げるように退散。


 やがて街並に活気が出てきて、「JR高徳線」の踏み切りを越えれば「板野」の街。

 駅があるだけに、女子中学生が制服でタムロッていたり、土曜休みの子供達がチラホラ。

 商店街の方へは向かわず、遍路道はY字路を左へ。

 少し気温も上がってきたが、見通し・風通しの悪い路地風の道。風の抜けが悪く、余計に暑さを感じる。

 そこを進めば、左に次なるお寺が見えてきた。


《第三番札所》

亀光山(きこうざん) 金泉寺(こんせんじ)


   本尊 釈迦如来(伝 弘法大師作)

   開基 行基菩薩

   宗派 真言宗高野派


 ここは天平年間(729~749)、「聖武天皇」の勅命を奉じた「行基菩薩」が創建。「金光明寺」と称す。

 後年、「弘法大師」によって「金泉寺」と改名。

 境内の「黄金井戸」は、長寿に霊験ありと云われる。


 時刻は十時半を回ったところ。

 土曜日のこの時間ともなれば、日の差す境内には結構な数の参拝客。


 先ずは、山門を入ってすぐの所にあった販売機で飲物を買う。喉が渇いていたし、賽銭用の小銭も必要だった。

 ベンチに座り、しばしあたりを眺める。

 でも、そうそうユックリもしていられない。今日の予定としては、昼前までにはあと二つ、一番まで済ませておこうと思っていたのだが…

 ここから二番までは2・5キロ。そこから一番までは、さらに1キロ強…

 朝は出るのが遅かったし、午前中ではきつそうだ。

 まあ、それでも昼過ぎには着けるだろう。


 ここから先は街並も切れ、退屈な道程(みちのり)

 右手に見える県道・線路と、ずっと平行に走る旧道遍路コース。

 左に里山、右に「あわかわばた」の駅を見たりしながら、人も車の通りもほとんど無い、古い舗装路をテクテク歩く。


 足の方は…絶好調とは言えないが、今のところ問題無い。

 今日は右足で歩いてる…といった感じ。

 思い出すのは…初めてホノルルでフル・マラソンを走った時の事。それ以前は、ハーフまでしか走った経験がなかった。


(元々、「ホノルル・マラソン」を走ろうと心に決めて走り出したのだ。『初のフルはホノルルで』と決めてあった)。


 半分を過ぎたあたりから、ふくらはぎがパンパンに張ってきた。よく言われるように、「水泳は上半身・自転車は太もも・ランニングは膝下」なのだ。


(つまり、それら三種混合が「トライアスロン」なわけだ)。


『このままではヤバい』


 初のフル・マラソン。気合いが入り過ぎ、前半のハイペースが(たた)ったようだ。


(もちろん「ハイペース」とは言っても、「自分なりに」という意味だ)。


 しばらく我慢して走り続けるが、ここに(いた)って最初の目標「止まらずにゴールする」を断念。給水所で水を飲むついでに、(スジ)を伸ばしたり、屈伸運動をしたり。

 でも仕方ない。なにしろ、「参加する事に意義がある」市民ランナー。「完走」しなくては意味がない。

 そして考えた。

『意識して(もも)を上げ、膝から上で走るようにしよう』

 そして今回…昨日までトラブルを抱えていたのは左足。そこで意識して、右足で歩くようにしていたわけだ。


 広い道と交差する、信号のある交差点。そこのすぐ手前に、左に上がる「へんろマーク」。


(と言っても、山や丘を越えるとかではない。道路左側が少し高くなっているだけだ)。


 木々の間を抜けると墓地。そこを緩やかに下った先に、二番のお寺が見える。


《第二番札所》

日照山(にっしょうざん) 極楽寺(ごくらくじ)


   本尊 阿弥陀如来(伝 弘法大師作)

   開基 行基菩薩

   宗派 真言宗高野派


 ここは「弘法大師」が「無量寿」の秘法を修めた地。

「阿弥陀如来」を刻んで安置し、大師が植えたと云われる「長命杉」がある。


 先ずは一息。入口手前のお土産物屋で、冷たい缶ココア購入。軒先のベンチでそれを飲みながら、納札を書く。すぐ横にも、納札を書く中年男性遍路さん。

 目の前の公衆トイレに寄ってから境内へ。

 ちょっと派手な色遣いだが、綺麗に整備された庭園風。

 時刻は十一時半。時間も時間だし、アマチュア・カメラマンの団体がいたりと、なかなかの人出。

 モデルに、お遍路姿の子供が二人。男の子に女の子。ポーズの注文をつけながらの撮影会。

 その横をスリ抜け、お参りを済ますが…そんな状況に少々閉口。サッサと立ち去る事にする。


 ここからは、ずっと並走していた「県道12号線」に出る。退屈な県道を1キロちょい。

 いよいよ一番だが…でも、何か雰囲気ではない。

 だいたい、どうしてこのような場所なのだろう。お寺の名前に「山」の字を持つが、山でもなく・海でもなく…何も無い平地にポツン…といった感じ。

 その昔は、今では県道となっているこの道沿いに、何気なくあっただけ? 『もっと起点らしい何かがあってもいいのでは』と思ってしまう。


(「弘法大師―空海」が開いたとされる四国霊場。実のところ、「水戸黄門」の全国漫遊ほどではないにしろ、全部回ったかどうかは「?」らしい。「八十八ヶ所」は、後世、徳島の「阿波学派」と呼ばれる人達が中心になって制定したものだそうだ。そのせいか、お寺の数も信仰の度合いも、お大師様の生まれ故郷「香川」と、ここ徳島が圧倒的だ)。


 まあ一番だけあって、周りには食べ物屋さんなどもあるし、場違い(?)な若いカップルなどもいるが、とにかく中へ。


《第一番札所》

竺和山(じくわざん) 霊山寺(りょうぜんじ)


   本尊 釈迦如来(伝 弘法大師作)

   開基 行基菩薩

   宗派 真言宗高野派


 略縁起によると、弘仁六年(815)、「弘法大師」が、ここで十一日間修行されたそうだ。


 ここの境内も、かなりの混雑。基本的に、人混みが苦手な人種。やる事やって、外に出る。


(そうそう、八十六番で見掛けた、手押し車のおじさんの姿があった)。


 お寺を出て、先に見えたコンビニに向かう。

 ここで、足の治療用の消毒液。


(バイ菌でも入って、熱でも出したら面倒だ)


 カメラのフィルム。


(諸般の理由から、デジタル・カメラは持っていない。元々「電気仕掛け」は信用していない人間。壊れてしまったら、中のデーターは一瞬にしてすべてパアになってしまう。それに…特に今回のように、お寺や神社を(めぐ)る旅にデジカメは御法度なのだ。こんな事があった。とある山中にあった名も無い(ホコラ)。その写真を撮った直後から、電動の「自動巻き」が壊れてしまった事がある。また、墓参りで撮った写真に「何だこれは?」といったものが写ってしまった事もある。ところでデジカメって、「心霊写真」写るのだろうか?)。


 それと地図帳を買う。

 中国・四国版の道路地図。かさばるし、八百円もしたが仕方ない。ガイド・ブックは局地的な図ばかりで、全体像がつかみづらいし、遍路道周辺以外の道は載っていない。この後、遍路道を無視して、十七番に向かうのだ。


(だいたい、ヘソ曲がりな人間。意識してやっているものもあるが、そればかりでもなさそうだ。それが証拠に、たとえば雑誌。右開きは左から・左開きなら右からめくるのがいつものクセ。新聞の一面は…これは多くの人がそうだろうが、本来最後のTV欄。ついついそういう事になる、生まれついての「天の邪鬼(あまのじゃく)」)。


「さて、その前に…」

 何はさておき、とりあえず先ずは腹ごしらえだ。ここに到着した時点で、正午を少し過ぎていた。

 コンビニまでの数十メーターの間に、小綺麗な食堂があった。

 そこまで戻り、今日は久しぶりに「とんかつ定食」。オマケに「きな粉餅」が三切れ付いている。


 満腹になったところで店を出て、一番霊場駐車場脇のベンチに座る。

 直射日光のベンチだが、梅雨入り前のこの季節、カラッとしていて気持ちが良い。

 ここで地図を広げて、本日この後の算段。

 とにかく先ずは、今晩の宿。これを決め、予約を取るのが先決。

 地図とガイド・ブックとにらめっこ。十七番のお寺という手もあったが、そこは宿坊。その先、十六番近くの宿にTEL。


(十七から十一までは、ふたたび「逆打ち」となる)。


 宿泊できるとの事。そうと決まれば、グズグズしてはいられない。時刻はもう一時半。距離は、少なくともあと8キロはある。

 ここからは、地図を片手に歩き出す。

 地図上では、ここからほぼ真下。真南の方角。

 でも、道路はそんなに都合良く出来ていない。三角形の二辺を通る感じになるが、大きくてわかりやすい道を行く事にする。


 先ほどのコンビニ前を過ぎ、若干「鳴門市」方面へ。

「ばんどう」駅に右折する道を過ぎると、目指す「県道41号」の標識。右下に下りて、線路を渡る。ここに入ると、車の通行量がガクンと減る。

 歩道の無い田舎道をテクテク歩いて、川の堤防を越え、橋を渡り、田んぼの中の真直ぐな道を行き、遠くに聴こえるブギウギ風の曲にリズムを取って(農作業をしていた人のラジオ?)、もう一本橋を渡ると小さな集落。

 道はどんどん細くなり、『いくら県道って言ったって…』と思うほど。


(もっとも、関西方面に来ると、国道でもそんな経験がある。特に山間部とかでなくとも、街割りが古いゆえにそうなってしまうのだろう)。


 やがて視界が開け、広がる水田地帯の(はる)か前方に、左右に延びている街並が見渡せる。そこに沿って、大きな道が走っているようだ。

 ここで道路工事中。

『アレ?』

 右に曲がっているはずの県道が無い。実は左だったのだが、右だとばかり思い込んでいたのだ。

 交通整理のガードマンに道を尋ねてみるが…コロコロ行き先の変わる現場仕事だし、交通誘導員とは言っても、近所の人間とは限らない。むしろそうではない可能性の方が高い。案の定、わからないと言う。

 とりあえず、正面に見える細い農道に入ってみる。農道とはいえ、舗装された一本道。まっすぐ向こうに見える道に抜けられそうだ。

 やがて左手に、建設中の小さな団地。その先で一回クランク状に曲がれば、結構にぎわう「県道14号線」に出る。


(こんな歩き旅だからだろうか? 四国にあるのは県道ばかりのような気がするのは、気のせい?)。


 すぐ左に見える信号機。そこで交差しているのが、先ほどから歩いていた「県道41号」。


(後で地図を確認すると、大きく湾曲している「41号」を行くより、得をしたようだ)。


 その信号で「14号」を横断し、再び「41号」で南下。

「ふ~!」

 時刻は、午後も半ばの時間帯。天気も良く、ずっと日の差す平地の歩行。けっこう暑い。

 少し行った右側。広い駐車場のある、お弁当屋さんの敷地のはずれ。自販機が立ち並ぶ一角。機械の前にできた日陰に入り、軽く休憩。炭酸飲料を飲む。

 ここで、上着を脱いでTシャツ一枚に。ペットの水を買い足し出発。


 やがて住所は「藍住(あいずみ)町」から「徳島市」へ。

 車の量も、どんどん増えてきた。道も、広く綺麗になる。歩道も広く、歩きやすい。


「吉野川」に架かる吊り橋風の大きな橋「四国三四郎橋」は、右側歩行。

 河口に近いこのあたり、川幅があるぶん橋も長い。そこの中ほど、(けた)の張り出し部分でしばしの休憩。

 川下側・左岸遠くには、「徳島空港」を飛び立ったのであろう、右上に向かって高度を上げて行く旅客機が見える。

 その下方、右岸側には高いビルが建ち並ぶ。こちらが「徳島市」のメインのようだ。その先には、もう海があるはずだ。

 この後この川を渡ったら、そちらへは向かわず再び西。内陸の山間部方面に戻る事になる。


「う~ん…」

 車道をはさんではいたが、傾き始めた西日を背にして良い眺め。

 改めて思う。「四国の空と空気」。

 初日にここに降り立った時と同様、晴れ渡っているのに、光線の具合が、何かのフィルターを通したような淡い感じなのだ。

 楽しかった過去を振り返る時、あるいは、ナゼか心地好い夢の中の景色。そんな光景にはつきものの淡い光。

 緯度が下がったから? それとも、こんな歩き旅が、景色まで違って見せる、そんな心境にさせたのか?

『生きていながら・目覚めていながら、“あっち”の世界に行ってるみたいだ』

 そんな感じがとても良い。

「ん?」

 振り返れば、上流から音楽を流しながらウェイク・ボードを()く船一艘。ジェット・スキーが伴走しながら、こちらに下って来る。

 水面(みなも)が西日を反射して、キラキラ輝いている。そこで、フト我に帰ったように歩き出す。


 橋を渡り、ひたすら直進。すっかり市街地だ。

 ヘタに脇道に入ると、歩道の無い道端を、ビクビクしながら歩くハメになりかねない。

 それに、購入した道路地図は自動車用の縮尺の物。細かい所はかなり大雑把。アテにしていると迷子になりかねない。

 街中は安全(パイ)。大きな通りを進む。


 やがて、片側二車線の「県道30号」に突き当たる。ここを右折。

 遠望は効かないが、商店が建ち並び、変化があって退屈しない。

 ここも、ひたすら右側を道なり直進。

 途中、銀行でお金を下ろし…「県道1号」を越え(ここで信号の変わり目ついでに、道路左側に横断)…ちょうど通り掛かったスポーツ用品店でテーピング・テープを購入し…街並がまばらになってきた頃、「鮎喰(あくい)川」を渡る。橋のたもとで、ボサボサ頭の若い男性遍路さんとスレ違う。

 川を渡れば、田畑の広がる田園風景。

 数百メーターほど行けば、「四国のみち」の看板。左斜めに農道風の道。そこを進み、集落に入った突き当たりに…


《第十七番札所》

瑠璃山(るりざん) 井戸寺(いどじ)


   本尊 七佛薬師如来

   開基 天武天皇勅願

   宗派 真言宗善通寺派


 白鳳二年(673)に建立。

 弘仁六年、「弘法大師」が「十一面観世音菩薩」を刻まれて安置。

 井戸の一夜掘り伝説の「日限り大師」の石像が(まつ)られている。

 再三の火災に遭い、現在の本堂は昭和四十六年に再建されたもの。


 ここは平地に建つお寺。

 境内は西日で(あふ)れている。時刻はもう四時を過ぎており、人気(ひとけ)も少ない。

 お参り後、軽く休憩して、ここからは「四国のみち」の標識に従い歩く。


 宿は十六番のお寺近く。あと3キロほどだ。

 道は狭いが、車通りはほとんど無い。歩くのは楽。

 かと言って、田舎道というほどでもない。少なくともコース沿いには、民家が続いている。それもそのはず、3キロの行程の半分も過ぎた頃だろうか? 「JR徳島線 府中駅」近くで線路を越えるあたりは、すっかり住宅地。右に左にとクネクネしていたので、細かい所までは憶えていられないが、間もなく「国道192号線」に出る。

 街道沿いは、全国的にお馴染みのハンバーガー・チェーン店なども見える(にぎ)わい。

 本当は、ここで道路を横断して直進だったのだろう。でも、通りの多い国道。それに、目の前に信号や横断歩道があるわけでもない。

『道沿いに行けば標識も出て来るだろう』と、道を横切らず、右折直進してしまう。あたりをキョロキョロ。


『もう、そう遠くは無いはずだ』。(確かにそうだった)。


 しかし国道沿いは、家や商店が建ち並び、お寺の姿はまったく見えない。

 ノロノロと進んだ少し先。非常用の食料を買うついでに、コンビニで店員のおにいさんにお寺の場所を()いてみる。

 確信なさ()に「少し先を左」みたいに言うので、行ってみたのだが…そのうち、左から突き当たっている広くて新しい道。ガイド・ブックにも載っていない。

『これ以上行ったらヤバい』

 そんな気がしたので、その道に入ってみる。遠くに看板らしきもの。案の定、目指す十六番の標識。200メーターほど行き過ぎていたようだ。


(コンビニのおにいさんのために弁解しておくと、きっと彼はもう一つ先の、十五番と勘違いしていたのであろう…という事にしておく)。


 標識に従い、左の旧道に入る。

 国道はにぎやかだが、一歩入ったここは、静かな古い街並。商店もポツポツある…と言うか、ポツポツしかない。

 そんな中、逆回り(本来の正回り)の旧道沿い左側に、ポツンとある小ぢんまりとしたお寺。


《第十六番札所》

光耀山(こうようざん) 観音寺(かんおんじ)


   本尊 千手観世音菩薩(伝 弘法大師作)

   開基 弘法大師

   宗派 真言宗高野派


 天平十三年(741)、「聖武天皇」の勅願で創建。弘仁七年(816)、「弘法大師」が逗留し、「千手観世音菩薩」「毘沙門天」「不動明王」を刻んで安置。

 天平年間に兵火で焼失。

 現在の堂宇は、阿波藩主により再建されたもの。


 時刻は…もうとっくに五時を過ぎている。参拝客は、他に一人のみ。

 それに…

『無い!』

 たぶん、さっきのコンビニだ。記入済みの納札二枚。落としてしまったらしい。名前・住所入り。

『カッコわり~』


(ちなみに、要らぬトラブルを避けたい方は、住所の「ところ番地」まで、事細かに書く必要はないそうだ)。


『お参りはあしたでいいや』と、本来来ているはずだった道を進む。

 ほどなく家々が並ぶ右側に、本日の宿発見。三階建ての、割りと綺麗な旅館。


 女将(おかみ)さんに案内されて、2Fの和室に通される。三~四人でも十分な広さの部屋に一人。アウト・バス&トイレだが、障子で仕切られた窓側には、洗面台とテーブル&イス。昔ながらの…と言っても、昭和四~五十年代の…いかにも旅館といった造りの部屋。窓外を見下ろせば、今来た通りが眼下に見える。

 先ずは…「イッ、テテテ」。

 足に巻いているテープを()がさなくては、風呂にも入れない。じかに巻いているので、最後はソ~ッと…「イッ、ツツ~」。


 人の痛みをわかる人間になれ…などと言うが、他人の痛みはわからない。

 でも、そのくらいの方が良い場合もある。たとえば、黒く死んでしまった爪()がし。

「抜いちゃいましょうね」

 お医者さんは簡単にそう言う。

『人の気も知らないで』

 でも、自分では決心が着かないから、こうして病院にいるわけだ。

「ブチッ!」

『テ~』

 イイ年こいて、(かたわ)らに立つ看護婦さんに軽くしがみつく。

 そんな光景が思い出される。


 そして本日から、風呂上り、昼にコンビニで買った消毒液を足に塗る。傷口からバイ菌でも入って、面倒な事にならないようにだ。


 あれこれ済ませた六時半。室内電話で案内され、一階食堂に降りて行く。

 手前のテーブルには、中年女性と若い女の子のペアが二組。女の子は二人とも二十代。連れは三~四十代。親子?…ではなさそうだ。

 奥の並びには男性陣。男性三人は皆、サラリーマン風五十前後。

 向かいにはソロのおじさん。左隣りには、「埼玉の所沢から来た」と言うおじさん二人組み。

 同じ関東の人間。

 それに、ハイティーンの頃、ほんのわずかの期間だが「所沢(ところざわ)」に住んでいた事もあり、あれこれと話をする。

 特に「上司」っぽい年配のおじさんの方は、酒が入った事もあり良い調子。予想通り、区切り打ちをする(サラ)リーマン・コンビ。

 向かいのおじさんは、こちらに背を向けて座っていた女の子と顔見知りなのか(こちらの女性ペアは、即席コンビのようだ)、今日の出来事について、話をしている。


「おっきなカエルにオタマジャクシ」


 茶髪の長めのショート・カット。一番からならまだ三~四日だろうが、けっこう日焼けしている。その女の子は、今日目にした光景を語っていたっけ…。


 一日の行程が盛り沢山だと、書く事も多くなって大変だ。

 カニ・エビ・刺身と、なかなか豪華な食事を済ませ(そのかわり、お値段の方も、遍路宿にしては少々高目)、テレビも見ずに遅くまで書き続ける。

 それに今日は、地図を買ったり、テーピング・テープやカメラのフィルム、消毒液など、出費も多い。


 本日の宿泊地は、行程的に少々中途半端。明日は無理せず、あさっての山越えに備えるつもりだ。



本日の歩行 36・04キロ

      46816歩

累   計 192・42キロ

      249930歩 


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