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*第三日目 五月十四日(水)

 雨が降っている。シトシトと、湿るような雨。朝から雨が降っている。


 目覚ましは六時半。外は薄暗い。

 まずは目覚めの缶コーヒー。

 TVをつけると、「ドシャ降りが増え、小雨が減った統計が出ている」と、ニュースが報じていた。降り方は変わったが、トータルではほぼ同じだという事。

 ベッドから出て、窓を開ける。建物越しに見える裏通りの景色は雨。でも、まだ小雨だ。


 昨晩は、結局十一時過ぎまでこれを書いていた。

 近頃は、何をやっても、「ただ楽しいから」というだけでは、もう満足できない。

 食べ物にしてもそうだ。若い頃は、ただ腹が(ふく)れれば、それで満足だった。食うもの食って、出すもの出していれば、とりあえず事は足りていた。

 今では、そんな生活には(むな)しさを覚えてしまう。


『せめて何か一品』。『もうひとひねり』。


 そう思ってしまうのだ。

 それに…『あれは、いつの事だったのだろう?』。

 四十を過ぎると、フッと思い出される光景が沢山ある。

 ただ…『あの時は、どんなだったろう?』。詳細が不明な記憶も沢山あるし、すっかり記憶から消え去っているものだってあるだろう。

 二十代の頃は、先ばかり見ていた・考えていた。「太く短く」が理想だった。

 カッコをつけて「後ろは振り返らない」なんてセリフを口にするけど…でもそれも、もっともな話だったのだ。たかだか二十数年。振り返る過去など、まだたいしてありはしない。

 そして…目先の事ばかりにとらわれて、しゃにむに生きてきた三十代。周りを眺める、ゆとりも余裕も無かった。仕事に趣味に家庭。『人の三倍生きている』。そう思っていた・自負していた。身体を壊すまでは…。

 そして今…『ずいぶん長い事、生きてきたものだ』。最近では、フトそう思ってしまう。


(トルコでは、「四十年」という言葉は、「長い年月」といった意味で用いられるそうだ)。


『もし、あと四十年生きられたら、どれだけのものを見られるのだろう?』


 しかし、たとえば、毎年繰り返される四季の流れ。ほとんどの人は、季節のうつろいなんて、当たり前の事と感じている事だろう。

 でも考えてみれば、たとえ八十まで生きたとしても、たったの八十回しか経験できない事なのだ。


(もちろん、「物心」が付く前の数回は、「空白の季節」だ)。


 そう思えば、一回一回の「(めぐ)り」が、とても大切に思えてもくる。

『チョットばかり長生きしすぎてしまった』最近では、逆に少しでも長く生きて、いろんなものを見、経験したいと思うようになってきた。


(もし「前世」というものがあるなら…自分の「前世」について、だいたいの見当はついているのだが…今まで、ここまで「長生き」した事は無いように思う)。


 人間の身体の耐用年数は「百四十年」だと言う人がいる。もし百四十まで生きられたら、いったいどれだけの事を体験できるのだろう。

 きっと、「ギネス」にも認定される世界最長寿者。「アメリカ大統領」や「ローマ法王」以上の有名人。

 何と言っても「世界の最長兄(さいちょうけい)」。皆が、こちらの言葉に耳を傾けてくれるようになる。

 もしそうなったら、「世界平和のために尽力するのだ」…と、そこまではいかなくとも、せっかく生きているのだから、やりっ放しではつまらない。

 何か「生きた(あかし)」を残したい。


(細々と、趣味程度だが「物を書く」ようになったのには、そんな一因があるはずだ)。


 今回の事だってそうだ。

 歩き終われば、そこで一日が終わり…それでは毎日の仕事とかわらない。


(特に出張の時など、「あとは寝るだけ」と語る人は多い。はっきり言って、『一緒にしてほしくない』。そんな時はいつも、心の中でそう叫んでいた)。


「きちんと記録を取る」


 それが今回の旅で自らに課した(かせ)だ。


(ただし、単なる「旅行記」、手放しの「お遍路礼賛の書」にするつもりはない)。


 その後、「グア〜ッ」といった感じで寝入ったのだが、昨日の疲れと薄暗さにダラダラ。

 朝食は、昨日買い置きのおにぎり三個。

 トイレは大三回。

 生乾きの洗濯物をザックに詰め込んで、八時頃、宿を出る。


 先ずは、昨日来た道を、「国道11号」まで「打ち戻り」。


「打ち戻り」あるいは「戻り打ち」とは、「来た道を戻って次を目指す行程」を意味する遍路用語。

 ちなみに遍路では、札所に巡拝する行為を「打つ」と表現する。

 これはかつて、木や金属の納札(おさめふだ)を、本堂や大師堂の柱や長押(なげし)に打ち付けた習慣に由来しているらしい。

 なお、一番から順に辿(たど)るものを「順打ち」、逆に回るものを「逆打ち」と言う。

 昔から、「逆打ち」の方が御利益・功徳があり、今でも巡礼を続けているお大師様とスレ違えると信ずる人もいるらしい…

 実際、「高野山」に(まつ)られているお大師様には「入定(にゅうじょう)」という言葉が用いられ、現在でもそこに暮らすお大師様に、日に二度、食事が届けられるそうだ。

 ただ、このあと実感した事だが、標識などは「順打ち」用に配されているので、目印を見落としてしまう等、それだけでも苦労が増える事になる。

 また、今回のように一回で回る事を「通し打ち」、何回かに分けて打つ事を「区切り打ち」と呼ぶ。

 かつては一念発起。それなりの覚悟を決めて「通し打ち」の巡礼に出たのであろう。

 今では交通機関の発達が、「お遍路」を身近なもの変えた。実際、「区切り打ち」で回っているサラリーマンにも多数出会った。

 現代において、「通し打ち」を行なえる立場は…ましてやこの年代で…かなり恵まれた身分と言える。


 足早な通勤・通学の人の群れに混じって、「高松市」の繁華街を行く。


 下半身には安物の合羽、足元にはバイク・ブーツ用レイン・カバーを履いていたが、こんな所では傘の方が風景に溶け込める。

『歩き旅に傘?』なんて思われるむきもあるだろうが、いつもいつも山道ばかりではない。季節も季節だし、予想通り、傘はけっこう重宝した。


(高価な登山用レイン・スーツを持参している人ほど、傘を持っていなかった)。


 メイン・ストリートから「11号」に左折。道幅も歩道も狭くなる。

 雨は相変わらず。ビルの谷間を、時おり風が吹き抜け、傘があおられる。

「高野山 讃岐別院」の看板があったので、左に入ってみるが…どこだかわからない。とんだ無駄足。

 結局「11号」に戻って、今度は大人しく東へ東へ。


 徐々に街並が切れてきた。

 道路左側を歩き、やがて大きく視界が開ける高松市郊外。左手は海なのだろうが、煙っていて遠望は利かない。

 こういった天気のこういった場所。景色が単調で退屈だ。

 それに足先は、すでにグチョグチョ。いたって不快。

 履いていたバイク用ブーツ・カバー。はっきり言って、効果は薄い。直接濡れる事と、多少の防寒にはなるだろうが、この季節では、かえって蒸れてしまう。それに水溜りなど、下からの浸水には無防備だ。結局ビショビショ。

 そのせいだろうか? 左足が靴ズレ気味。

 雨や汗で濡れると、皮膚がふやけた上に、変な摩擦が増えるためだろう、靴ズレがいっそう加速されるものだ。


 こんな事があった。

 真冬の雨中のマラソン大会。

 レース後、シューズを脱いでみると、右足の指先が鮮血に染まっている。靴下を()ぐと、親指の皮がズル()けになっていた。

 あの時は、寒さで感覚が鈍っていたのだろう。出血に気づくまで、大した痛みは感じていなかったのに…

「イテテテ…」

 傷口を見たとたん、ズキン・ズキンと痛み出したのだ。


「イ・テ・テ…」

 歩き出して一時間弱。急に痛み出した。

 ちょうど、開店前の釣具屋さんの店先。大きく張り出した(ひさし)の下には、ベンチと自販機もある。

 まずは、『飲物を調達しよう』としたのだが…「ん?」。

 フト見ると、つり銭返却口に十円玉。

「御利益! 御利益!」

『お賽銭だ』と、とりあえず頂いておく。

 ここでベンチに腰掛け、靴下を脱ぐ。


 テープを巻くため、タオルで一本一本指先を(ぬぐ)っていると…

 なんだか自分の足の指が(いと)おしく感じられて…

 一本一本、それぞれに人格があるようで…


『頑張ってるな、お前ら!』


 そんな心持ちになってくる。

 今まで、自分のカラダに対して、こんな風に感じた事があっただろうか?


 テーピングを巻きながら、足の指を一本一本つまんでいると、不思議な感覚が湧いて来る。

 親指と小指には神経を集中させやすいが、その間の三本はどうだろう?

 人差指・中指・薬指。(さわ)ればわかるが、すでに三本一緒くた。

 残念ながら、自分の感覚だけでは区別がつかなくなっている。


 幼い頃、読んで聞かされた木こりの寓話を思い出す。

 大勢の木こりが並んで腰を降ろし、足を投げ出して休憩していると、どれが自分の足かわからなくなり、立ち上がれない。

 困っていると、そこに現われた老人(仙人だったか?)が、杖でたたいて各々の足に気づかせてやった…というお話だ。


 そこで一つ。

 幼い子供がいるなら、就寝前に絵本を読んであげると良い。

 幼児の脳というのは、物語を組み立てる能力が無いそうだ。

 路地から飛び出す→車が来る→ぶつかると痛い。そんな風に筋道を立てて物事を考えられるようになるのは、四~五歳を過ぎて以降。それまでは、「アブナイ!」「アブナイ!」と叫んでも無駄なのだ。

 そういった思考が出来るようになる以前の子供の安全は「親の責任」。

 そして、そういった能力を鍛えるのは「親の義務」。

 だだ果たして、テレビなどの画面を目で追っていくだけで、この能力が身に付くだろか?

 専門家ではないので何とも言えないが、「読んで聞かせて、自分の頭でイメージを抱かせる」。

 そちらの方が、効果が上がるように思えるのだ。

「起承転結」

「原因」と「結果」

「ストーリーを作り上げる能力」

 それはきっと、大人になってからも役に立つ。

 勉強だって仕事だって、「段取り八分(はちぶ)」…この程度については、仕事の内容・語る人によって比率が変わるが。

 同じ動作の繰り返しなのに、何回やっても同じ間違いを繰り返すのは「学習能力」の欠如。

 また、実際の社会では、何事も多少のアレンジが必要となるが…

 段取りが下手・仕事の流れが読めない…

 そんな人間を相手に、もどかしい思いをする事もしばしば。ダメなヤツは、不思議といつまでたっても向上しない。

 きっと先を見越して、頭の中でストーリーを組み立てる事ができないのだ。


(人間は、大きく分けて三つに大別できると思う。「言わなくてもできる奴」。「言えばできる奴」。そして、「言ってもできない奴」だ)。


 白日夢に(ふけ)ってばかりでも困るが、そういった能力は、社会で効率良く生きていこうと思うなら…特に、人の上に立つ人間には、絶対に必要な能力だ。

 そしてこれが「読書の意義・効能」なのだろう。

 情報量が増えた現代。確かにみな知識が豊富になった。

 しかしマンガやテレビばかりで「読書」と無縁、さらに悪化して「読書」を否定する人間の多くには、この能力が欠けている・劣っているように見受けられるのだが…。


「う~ん…」

 言う事を聞かない指たちに四苦八苦。

 苦労しながらテープを巻いていると、『自分のカラダとはいっても、しょせんは細胞の集合体』。そう思えてくる。

 病気やなんやかやと、自分の意のままにならない物体なのだ。


 本来、足の指は、手先並みに器用で敏感なのだそうだ。訓練すれば、鉛筆を握って字を書く事もできる。

 ただ長い年月、その能力を活用しないまま、眠らせ、封印してしまっているのだ。

「使われない器官は徐々に退化する」。

「ダーウィン」先生の『種の起源』に先立つ事およそ五十年。生物進化の理論を唱えた「ラマルク」先生の説だ。


 アメーバなどの単細胞生物から始まって、分裂や合体を繰り返し進化していった(とされている)生物。

 解剖学図鑑でしか目にする事がないような臓器や器官などの内容物が、あなたの身体の中にも詰まっている。

 たまにはあちこちに神経を集中させて、彼等に呼び掛けてあげよう。

「みんなでひとつの自分のカラダ。いっしょに頑張ろうな」と…。

 案外こんな事が、病気の予防にもつながるのではないだろうか。ガンなどは、自分の身体が反乱を起こす好例だ。

 人間には、元来「自殺願望」があると語る人がいる。

 暴飲・暴食、飲酒に喫煙。

 どれもこれも、自己破壊的な行為だ。自傷行為や薬物乱用なんて、その最たるもの。

 そういった行動に走るのは、知らず知らずのうちに、自らを「死」へと(いざな)っているから…そうかもしれない。


「健康のためにするのが運動。身体を壊すためにやるのがスポーツ」


 今にして思えば…『身体を壊すためにスポーツをやっていた』『自分の身体を痛めつけて、快感・満足感を覚えていた』。そう思う。

 そしてそういった傾向は、若い頃の方が強い。

 あの頃は、『一瞬でいいから輝きたい』、そして『華々しく散って()きたい』。そう思っていた。

「栄光」のためなら、悪魔に魂を売る奴などいくらでもいる。

 はっきり言って、本気でスポーツをやっている全員がそうだと言っても過言ではないだろう。

 そうでないのは、ごく一握りの「天才」と呼ばれる人達。たとえば、三十歳を過ぎても「世界陸上」の第一線で活躍していた「カール・ルイス」選手。


(言わずと知れた、「ロサンジェルス五輪」「男子百メーター」のゴールド・メダリスト)。


 十八年間もの長きに渡って活躍した彼は、「練習のしすぎに注意」していたそうだ。

 それゆえに長く走り続けられたのだろうが、並の人間には、イヤミなくらいに(うらや)ましい話だ。

 片や、いったんはルイス選手を破った「ベン・ジョンソン」選手。

 しかしドーピング検査の結果はクロ。メダルも世界記録も剥奪されてしまう。

筋肉増強剤アナボリック・ステロイド」を使ってまで、自分の肉体を「改造」していたのだ。

 やり過ぎると、身体が壊れる薬剤。

 間違いなく筋肉は増えるそうだが、肝臓に障害が出たり、ホルモンのバランスが崩れ、女性は生理が無くなったり、男性は筋肉の上に乳房が生えたりの異常が出るらしい。


(もっとも日本の女子マラソン。「生理が止まるくらいまで走り込まないと一流になれない」と言われているそうだ)。


 しかし彼は、そこまでしてでも「勝利」を欲したのだ。


(その後の彼は、かつてのムキムキした筋肉は削げ落ち、いわゆる普通の陸上選手体型に戻ったようだ)。


 わからないでもない。抜群の才能を見せ付けられた凡人は、どうしたらいいのか? 選択肢は、そう多くない。

 普通は「ひたすら努力」。血の出るような努力を重ね、わずかな可能性に賭ける。身体が壊れるまで…と最近なって、やっとその事に気づいた次第。

 そして、少々長く生きすぎてしまった現在、「(せい)」に対する考え方もかわってきている。

 でも、思えば不思議なものだ。生命力に(あふ)れる人ほど、危険なもの…モーター・スポーツや登山・格闘技などに、()かれるのだ。

 案外この「歩き旅」も、「()りない自分」(ちょっと具合が良くなると、「不整脈」のクセにマラソンなんぞを始めてしまった)の延長なのかもしれない。


 テープを巻き終え、乾いた靴下の上にビショビショの靴を履く。

 このあたり、街並が切れたせいで、海からの風が強くなった。雨足はいっこうに衰えない。むしろ、強くなってきている。

 ここからは、傘をたたみ、ポンチョをかぶって歩き出す。

 ポンチョの下にはビニール合羽。(そで)の無いポンチョだけでは、腕が濡れてしまうからだ。


 単調な国道を淡々と歩くと、再び建物が増えてくる。

 左手に、半島のように突き出して見えるのが、「源平の合戦」でも有名な「屋島(やしま)」の山。山頂は、霧に覆われてまったく見えない。

 もし地球温暖化で水位が上がり、平坦なこのあたりが水没しても、そこは島となって残るだろう。


 実際、太古の昔においては、そんな時代もあっただろう。

 事実、我が県・県北の英雄「那須与一(なすのよいち)」公…今でも地名となって残る「芦野」氏の出だ…が、源平の合戦の折、かの有名な、船上の扇の的を矢で射たのはこの近所。

 そこは現在、完全に陸地となっており、建物や住宅が建ち並ぶ一角らしい。


 目指す次のお寺は、そちらに登った所。

 このあたり、電車も通っているし、高松市内への通勤圏で観光地。かなり(にぎ)わった感じが見て取れる。

 ガイド・ブックの通り、「琴電(ことでん) 潟元(かたもと)駅」の脇から路地に入る。

 狭い道で「屋島」の街中に入って行くと、遍路の石碑や地図入り案内板のある溜池下。見上げれば、ほとりに屋根付き休憩ベンチ。

 時刻は九時半。前回の休憩からここまで、まだ三十分ほど。

 でも、「屋島」のお寺は山の上。この先から登りが始まるはずだ。

 それを見越し、ポンチョを脱いで小休止…と、ここまでは良かったのだが、ここで痛恨のミス・コース。

 ちょうどここからお寺までは、「戻り打ち」の行程となるのだが…溜池を降りた所で、戻ってから進む「へんろマーク」が目に入ってしまう。

 掲げられた大きな地図も良く見ずに、迷わずそちらへと進んでしまったのだ。

 家々の間を()うように延びる路地。でも徐々に、「屋島」の山から()れて行く。

 天気が良ければ、もっと早くに気づいたのかもしれない。でも、上からの雨の(しずく)、ポンチョのフードで視界も狭く、前だけを見て歩いていたのがいけなかった。


『おかしい』


 途中、「屋島神社」に立ち寄ったりもしたが、分岐点の溜池下に戻るまで、三十分ほどのタイム・ロス。

 この雨の中、アセリも入ったのでペースが乱れ、体力的にも大きな損失。

 溜池を右に巻いて進めば、ほどなくお寺への歩道入口。これから山道だというのに、すでに息が切れ、ポンチョの外は雨、中は汗と湿気でビショビショ。

 でも、『グズグズしてられない』。

 そんな思いがあったし、この雨の中、雨粒をしのげる場所も無い。そのまま、「屋島」への登りへと取り付く。

 足下(あしもと)はずっと舗装された道だったが、いきなりの急勾配。これだけの降りだ。もし舗装されていなかったら、滑ること間違いなし…そんな角度の斜面もあった。

 樹木に覆われ、一段と薄暗さの増した参道を登る。

 降り続く雨。きつい登り。

 すでに息が上がり、調子は良くない。

 こういった場所で、こういった状況になると、必ず思い出される光景がある。

 高校二年の、秋も深まった頃。


『もうダメだ…』


 どしゃ降りの雨の中、自転車を放り出し、濡れたアスファルトの上に座り込む。


『もう漕げないよ…』


 合羽の首筋や(そで)口からは、自分の身体が発した湯気が立ち上る。

 十一月の冷たい雨の降る日。ロープウェイ乗り場のある小さな温泉街。そこに(いた)る道の途中。急坂の続くあたりでの事だった。


 その日は少々朝寝坊。牛乳一本と食パン二枚をかじっただけで、家を出ていた。

 あいにくの空模様だけど、せっかくの日曜日。

 合羽と長靴で身をかため、学校までの通学にも使っている「五段変速」「セミドロップ・ハンドル」の愛車に(またが)り、北に(のぼ)っていた。

 この季節、サイクリングに出掛ける時は、たいていまず北を目指した。北関東のこの地では、晩秋から春先まで、北からの強い季節風が吹く日が多い。

 でもどういう訳か、風が吹き始めるのは、午後の時間になってからの事が多かった。それでまず、午前中のうちに、風上となる北に向かう事にしていた。

 もし朝から北よりの風が吹いても、最初に辛い思いをしておいた方が、帰りは追い風で楽になる。


(それにここは、関東平野の北のはずれ。北や西に向かうという事は、常に上りを意味する。帰り道は、楽な下りで帰って来たい。それと、これもどういう訳なのか、昼間の季節風、日没と同時に、ピタリと止む事が多い)。


 あの日は、県北に位置する山に向かって、ペダルを漕いでいた。

 山頂は活火山で、いつも噴煙を上げている。

 その山の、登山道の起点ともなる「湯元(ゆもと)」が、目指す目的地。往復すると、百数十キロの行程となる。


 でも…『おなか空いたよ…』。

 本当は、登りにかかる手前の街で「お昼」にしようと思っていたのだが…『寝坊しちゃったし…』。

 それに、『合羽を着たり脱いだり面倒だ』。

 それで、『とにかく、目的地まで行っちゃおう』。

 そう思い、登りに掛かったのだ。でも、朝からロクな物を胃袋に詰め込んでいなかった。

 途中で、完全なガス欠症状。自転車のダウン・チューブに取り付けてある水筒(ボトル)も、もうカラッポ。

 それで、たびたび休憩を入れなくてはならない状態になっていた。


『下ってしまえば楽なのに…』


 確かにその通りだった。下の街までは、ずっと下りだ。使った労力の割りには、距離だってそんなにないはずだ。下りてしまえば、食べ物にありつける。

 でも…『でも、もう少し』。

 そう思いながら、少しずつ、前に進んでいた。

 日曜とはいえ、紅葉シーズンが過ぎた雨の高原道路。行き交う車もほとんど無い。

 サドルにもたれ掛かり、自転車を押してみる。でもヨタヨタするばかりで、かえって疲れる。

「自転車は、漕げるうちは漕いだ方が楽」という話を思い出した。本当にその通りだった。


『よし! もう少し』


 目的地までは、もうそんなにないはずだ。ここまで来たら、距離的にも時間的にも、上を目指した方が早い。

 頭のてっぺんから雨に打たれながらも、気を取り直す。

 でも…『ダメだ~』。

 ちょっとペダルを漕ぐと、すぐ(あし)に力が入らなくなる。


「ふ~」


 またひと休み。カーブからカーブまで、ペダルを漕いではひと休み。


「よし!」


 そしてまた立ち上がり、上を目指す。そんな事を何回か繰り返した後だった。


『もうダメだ…』


 濡れたアスファルトの上に、「大の字」に寝転んだ。


『いつもなら…ちゃんと食べていれば…こんな坂、とっくに登り切れていたはずだ』


 十一月の、高原の冷たい雨が、体温や、ひいては体力まで、いつも以上に奪っていたのだろう。


『もう、一歩も動けない…』


 降り続く雨でビショビショだったが、もう“bone dry”. カラカラだった。

 でも、『?…アレ?』。

 上から落ちて来る雨粒も気にせず、寝転んだままジッとしていたのだが…時折、音楽が聴こえる事に気が付いた。


『まさか幻聴?』


 こんな所で「遭難」なんて事にはならないだろうが…しばらく、そのままの格好で耳を澄ましていると…


『やっぱり聴こえるよ』


 途切れ途切れだけど、確かに聴こえる。風に乗って、流れて来るように…。


『きっとアレは、「湯元」からだ』


 それに気づいて飛び起きる。気を取り直し、放り出してあった自転車に跨がる。

 カーブをいくつか過ぎると、向こうにチラチラと、人工の建造物が見えてきた。


『あそこだ!』


 はっきり目的地を確認すると、がぜん元気が出てきた。

 最後の力をふり絞って、「湯元」に到着。

 まっ先に目についた、食堂も兼ねたおみやげ物屋に飛び込む。


『た・食べる物! なんでもいいから早く』


 まず、出来上がっている「おでん」を一皿注文する。

 そして…「カツ丼」「親子丼」「玉子丼」。「おでん」はトータル二皿に、「甘酒」一杯。


『よくもまあ、入るものだ』


 自分で自分に感心してしまう。

 お店の人も、次々に「腹にたまりそうな物」を注文するものだから、最後にはあきれ顔。

 まあ、健康な男子高校生なんて、「体力」と「食欲」、そして「性欲」だけは、底無しみたいなものだ。


『ふう~。もう食べられないよ、ゲプ~』


 サイフの中身と相談しつつ、最後の仕上げにコーヒー一杯。

 レジでお金を払うと、お店のお姉さんが、おまけにガムをくれた。


 店を出ると、曇り空だが雨はすっかり上がっている。

 現金なもので、「体調」の方も、食べる物を食べたらすっかり回復。

 ガムを噛みながら、一気に(ふもと)の街まで下り降りた。


 高校生の頃…あの頃は、さかんにサイクリングをしていた。

 もう、遠い昔の記憶だ。


「ふ~!」

 登りが階段になった所にあるベンチで、雨に打たれながらペットのお茶を飲む。


『バテた~』


 ついつい水分補給が不足しがちなのは、その性格と、ペット・ボトルの収納場所に原因がある。

 背負ったザックの両脇にある、飲物用ポケット。歩きながらや、立ち止まった時にちょっと…という場所ではない。

 おまけに、特に登りでは、区切りの良い所まで一気に行かないと気が済まない(たち)

 さらに、直登と迂回のコースがあれば、勾配がきつくとも、最短のルートを取るタイプ。

 ついつい無理しがちなのだ。でも、今日は特別。


『バテた~』


「食わずの梨」の前にあったベンチで、再び座り込む。

 立て看板の案内によると…

「弘法大師」を案内した僧。

 うまそうな梨がなっているが、「食べられない梨」とウソをついた。

 するととたんに、石になってしまったと云う場所。


 ここで水分補給と、カロリーメイト一箱。

 その間、若いお遍路さん。後から来て、先に出て行った。

『水戸黄門』のテーマソングの一節が思い出されるが…あとから来たのに追い越されても、動けない。

 そのうち、上から若いお坊さん。傘を差して下りて来て、近くにある石像を拝んで戻って行った。草履ばきのところを見ると、もうそんなにはないのだろう。

 しばらく休んで元気回復。ここから一気にお寺を目指す。


「御加持の水」(登頂途中で休憩された「弘法大師」が、清水を湧き出させたとされる場所)を過ぎ、登る事しばし。

 最後の石段を上がれば、山門が見える。

 三つほど門が続いているのだが…

 これはかなり卑猥(ひわい)な配置。ヒダヒダがあって、最後に「御開帳」といった感じ。

 こんな風に見てしまうのは、ヘンだろうか? 考え過ぎだろうか? こんな神聖な場所で、不謹慎だろうか?

 でも、「観音様」や「御開帳」などの言葉は、性的表現を意味する隠語として広く使われている。


『どうしてなのだろう?』


 たとえば、男性器を表すものとして、「マラ」という言葉がある。

 これは「魔羅」と書き、元々は仏教用語で「修行の妨げになるもの」という意味を持つ。

 それが転じて、広く「男根」を意味するものとして使われるようになったわけだ。

 健康な成人男性にとって、修行の妨げになる一番のものは、やはり「性欲」に他ならない。

 そしてこれは、何も男性に限った事ではない。

 例を()げれば、西洋の修道院。

「魔女」と「修道女」は紙ひとえ。そういった場所にこそ、「悪魔憑き」現象が多いらしい。


(こういったものの99パーセントは、科学的・医学的に説明がつくそうだ。ただし残りの1パーセント…百件中一件は、人智を越えたもの。そこで「悪魔祓い師(エクソシスト)」が登場し、「悪魔祓い」の儀式が()り行なわれる事になる)。


 しかしそれも、もっともな話。

 自ら選んだ道なら我慢もできるだろう。

 でもかつて、まだ世の中が貧しかった頃、自分の意思ではなく、口減らし等の理由で、否応無しにその道に入れられた子供も大勢いたはずだ。

 堕落した坊さんや司教・司祭に牧師、(みだ)らな尼さんや修道女。

 それは、ありもしない男の幻想とも言い切れないらしい。

 そしてそれは、宗教関係に限った事ではないない。中世の「魔女」にも、これと似た時代的背景・原因があったはずだ。


(高名な歴史哲学者「ヘーゲル」先生の弟子、「ミシュレ」先生の著書『魔女』を参照されたい)。


『禁欲を茶化すのは、罪な行為だろうか?』


 まして、「原始宗教」の多くは、「生殖」と「豊穣」を結びつけた。それは、人間の根本心理とも言えるものなのだ。


『それに着目しただけでも、大したものだ』


 インドの「性典」と言われる『カーマスートラ』の根底にも、そういった思想が流れている。


『すべての「動機」は「性欲」に起因する…とする「フロイト」先生あたりに分析してもらいたいものだ』と思いつつ、最後の門をくぐってお寺に到着。


(ただし、「フロイト説」に対しては、「懐疑派」に属する人間だ)。


《第八十四番札所》

南面山(なんめんざん) 屋島寺(やしまじ)

   本尊 十一面千手観世音菩薩(伝 弘法大師作)

   開基 鑑真和上

   宗派 真言宗御室派


 ここは山頂部なのだろうか? 境内は開けた感じ。


(境内という言葉、神社だけでなく、お寺にも使用可のようだ。どこかの立て看板に、この文字が記されていた)。


 ただ、今だに雨が降り続き、高度が上がったせいか霧も流れており、あたりの様子はわからない。

 でも、お寺や神社という所は、天気や季節に左右されない。晴れには晴れの・雨には雨の、春夏秋冬それぞれの「(おもむ)き」があって良いものだ。


 このお寺は…

 天平勝宝六年(754)、かの有名な唐の「鑑真(がんじん)和上」が、朝廷に招かれて来日。


(幾度の遭難に遭い、やっと来朝した頃には目が見えなくなっていた…という話、歴史か何かで習ったはずだ)。


「奈良」の都に向かう途上、この山頂北嶺に霊場を開創。

 その後、弟子の「恵雲師」が堂宇を建立。

 弘仁六年(815)、「弘法大師」が伽藍を現在の場所に移し、本尊を安置したと云う。


 山頂部とはいえ、敷地はけっこう広い。本堂右には、大きなタヌキの石像が二つ…

 そうここは、新潟・佐渡の「団三郎」や淡路の「芝右衛門」、徳島・小松島や愛媛などと並び称される、有名なタヌキが住んでいた所。

 この二体は、「蓑山(みのやま)大明神」の「大三郎狸」夫妻。

「弘法大師―空海」がこの地を訪れた時、人の姿をして道案内に立ったとの言い伝えがある。


 また、やはり「空海」が、修行の地を求めて紀伊の山々を歩いていたところ、ある山の神が人の姿を借りて現われ、自分の領地に案内し、そこを「空海」に譲ったと云う。それが聖地「高野山」だ。

 なお、「弘法大師」が(めぐ)ったとされる土地には、「辰砂(しんしゃ)」…不老不死の秘薬生成には欠かせない、「水銀」を含んだ「硫化水銀」。見事な朱色で「(しゅ)」とも呼ばれる…の産地があるそうだ。

「空海」が「別当」を勤めた「奈良」の「東大寺」は、「弘法大師」伝説の残る「若狭」…水銀の鉱脈がある…と密接な関係にあるという。

 当時最先端の中国「錬丹術」を身に付けたお大師様が、「丹=水銀」を求めて各地を探訪した可能性は否定できない。

「高野山」とて例外ではなく、もともと「高野山」一帯には、「丹生津姫(にうつひめ)」という神が(まつ)られていた。その名の「丹」の字を見れば、納得がいくだろう。


「宮崎駿」氏のアニメ映画『平成狸合戦ポンポコ』好きの人間には興味深い。

「ポンポコ」は、男であり、妖怪好きな人間には面白い作品。


(氏のプロデュース作品には、傑作『風の谷のナウシカ』や『天空の城ラピュタ』などの「大作モノ」以外に、「男性向け」と「女性向け」の作品に区別できると思う。男が好む『(くれな)いの豚』が面白いという女性には会った事がないし、その反対の作風の作品、はっきり言って見たいとも思わない物がある)。


 でも、これらのタヌキたち、実在のモデルがいたのではないだろうか。

「清水の次郎長(じろちょう)」や「国定忠治(くにさだちゅうじ)」みたいな、そちら方面の人達。

 話や雰囲気が「任侠(にんきょう)」っぽい。

 実名を出せないからタヌキに例えたのか、タヌキを連想するような連中だったのか…たぶん、そんな感じではないだろうか。


 これも考え過ぎ?

「ヘソ曲がり」な性格は、生まれついてのもの。

 さらにこの年になると、映画やドラマで語られる「歴史的な出来事」、鵜呑みにできない事に気づいてくる。

 学校で歴史の時間に習った事柄にしても同様だ。

 たとえば、「縄文文化」と「弥生文化」。

「日本史」の時間に、「縄文」が発達し、「弥生」に移行したかのように教わったはずだ。

 しかし現在では、土着の文化に、大陸から弥生式土器と稲作技術を携えた人々がやって来た…が定説になりつつある。

 時代劇の英雄(ヒーロー)にしても、後世になって…特に、庶民文化が発展した江戸時代以降に、イメージが創り上げられたものが多い。

「任侠」などとは言っても、しょせんはヤクザ。寄生虫なのだ。

 暮らしていけるのは、自分の縄張りの一般民衆のおかげ。大切にするのは当然の理由。

 だが一歩外に出れば…自分の利権を守るために、血なまぐさい抗争に明け暮れていた?


 元来の「天の邪鬼(じゃく)」。そんな事・所に思いを()せるのも悪くない。

 たとえば…「源平の合戦」で、ここ「屋島」にも縁のある「判官―源義経」しかり。


(「ほうがん」が正しい読み方。(くらい)を表し、後述する「検非違使(けびいし)」の尉)。


 希代の美少年とされているが、実は小柄で不細工、「サルみたいだった」との説がある。


(だから京都「五条大橋」での「武蔵坊弁慶」との対決や、かの有名な「八艘跳(はっそうと)び」ができた? だいたい「弁慶」にしたところで、その実在を疑う声があり、その出生地については現在でも「和歌山」と「岡山」で論争が続いているのだ)。


 悲劇のヒーローとの呼び声高いが、しょせんは「身から出たサビ」。

「ひよどり越え」の奇襲攻撃が有名だが…当時は、たとえ(いくさ)といえども、決まり事があった。

「名乗り」を()げて、正面から正々堂々と戦う…そんなしきたりがあったそうだ。

 それを、何の宣戦布告も無く、後ろから襲うなんて…闇夜に後ろから切りつけるようなもの。卑怯極まりない行為だったわけだ。

 最後の決戦「壇ノ浦の戦い」にしても、海戦の得意な平家に対し、船頭を襲うという「禁じ手」を使っての勝利だった。

 だから時の為政者、兄「頼朝」に滅ぼされてしまうのも、当然と言えば当然。

 兄弟とはいえ腹違い。三十も過ぎた頃にやって来て初見参では、他人も同然。

 公家様におだてられ、断りも無く「検非違使」…今の「警視庁長官」みたいなものだ…の職に()く。

 やりたい放題の田舎者。

「木曽の義仲」の前例もある事だし…

 同じ源氏の流れを汲む義仲。先に都に登ったが、人望薄く、京の都は無法地帯と化してしまったのだ。


『こんなヤツじゃ、いつ寝首を()かれるか分かったものではない』と、そう思われても仕方ない?

 まあ、その後に続く「権謀術数」渦巻く「戦国時代」の先駆けになった事は確か?


「武士道精神」なんてものも、戦乱の無くなった江戸に統制を保つため、あるいは明治期以降、戦争を控えて「国威高揚」のためデッチあげられたもの。

「いざ! 鎌倉」とは言っても、「御恩と奉公」などといった考え方は、まるで現代のサラリーマン…奉公しても御恩の無かった「元寇(げんこう)」が、「鎌倉幕府」が倒れるきっかけとなった。

「リストラ」や「ヘッドハンティング」なんてものも、当たり前に行なわれていた時代。

 でも、命にかかわる事だから、当然と言えば当然。

 そういった意味では…生死につながるというほどではないにしろ…現代は戦国時代に近いのかもしれない。


『歴史の真実なんて、案外そんなものだ』


 さて、話を元に戻そう。

 まずはあちら・こちらと、境内をウロつく。

 裏手には、薄暗い中、小さな赤い鳥居が続く場所。奥に入ると、今度は「おきつね様」の稲荷神社。


(現在の神社仏閣、太古の昔からあったものばかりではない。近年の歴史を見ても、「神仏習合」や「神仏分離」などの変革があり、消えていったものもあるそうだ。名も無い土着の神様の中には、お稲荷様の名を借りて、今に生きながらえているものも多いらしい)。


 入って来たのとは違う門から外をのぞくと…レストハウス風の建物が見え、観光バスが沢山停まっている。

 歩行禁止の自動車専用道を登って来ると、こちらに側に出るのだろう。ケーブルカー駅もあるはずで、天気が良ければ絶景が広がっているのだろうが…

 深い霧で覆われ、方角もよくわからない。「『龍のナントカ(・・・・)(傍点不明)』に行きませんか」と声を掛けてきたおじいさんがいたが…

「この天気じゃ見えないかも」と、メガホンを持ったおばさんに言われていた。


 お参りを済ませ、お線香用の大釜近く、雨のしのげるベンチでしばし休憩。元気が戻ったところで、来た道を下る。

 でも、足裏がこんな状態では、下りの方がこたえるものだ。


 思い出すのは…初めてフル・マラソンを走った「ハワイ」の「ホノルル」。

 残り5キロで、「ダイヤモンド・ヘッド」からの最後の下り。

『ここまで来れば』と思っていた、楽なはずの下り坂。でも、あまりの足裏の痛さに、最後の最後、ここまで来て歩いてしまったのだ。


「イテテ…」


 それに、『こんなに急だったの』というほどの勾配。つま先に体重が()かりながら、山を降りる。

 先ほどの溜池から少しの区間は、一度通った遍路道。

 さらに、交差する自動車道を突っ切って裏街道直進。

 やがて、歩道の無い、小さな川沿いの道。フト気づくと、右脇を流れる川の対岸は自転車・歩行者用の道。そちらに渡る。

 少し行けば、歩道のある道に突き当たる。橋のたもとにあった石碑に従い左折。

 周りを田んぼに囲まれた、開けた場所に出る。でも、風が吹き抜け、下からポンチョが舞い上げられる。

 フードを押さえながら歩くが、『腹減った~』。時刻は、フードが欲しいお昼過ぎ。

 しかし、家々もまばらで…と思っていると、「うどん」のネオンが下から上へ。小さな電飾看板だ。

 左側を歩いていたが、その看板につられて右側へ。

 ちょうど角にある店。道の角には、石造りの遍路の道標。ここを右折なのだが、こんな天気の日、この店がなかったら見落としていたかもしれない。


 先ずは、その店に入って腹ごしらえ。

 ポンチョを脱いで、暖簾(のれん)をくぐる。

 正午はとっくに過ぎている。お客はチラホラ。

 そして…『うどんでも、くうかい』。こちらへ来て、初の「さぬきうどん」。


(「讃岐うどん」というものは、中国留学から帰った「空海」が伝えたと云われている。ルーツは向こうの拉麺(ラーメン)だ)。


『こういうのを「セルフ」って言うの?』


 テレビで見た事はあるが…どこかの社員食堂を、グッと押し縮めた感じ。すぐ向こうは厨房だ。

 トレーを取って、色々と並んでいる中から、お皿に竹輪(ちくわ)の天ぷら一つ。うどんは、普通にスープに入った「かけ」。

 初め「大」にしようかと思ったのだが…「小」=一玉・「中」=二玉・「大」=三玉とおばさんの説明を受け、「中」に決定。生卵入りにしてもらう。

 スープは薄口、味はシンプル。

 そして、何と言っても安い。料金は、商品引渡し時。しめて三百六十円也。


 熱いうどんをズルズルと食べて、ウォータークーラーに入った冷たい水をゴクゴクと二杯。

 昼時最後の客となり、返却コーナーに空いたどんぶりを持って行くと…

 そこにいた白装束(つまり割烹着)のおじいちゃん、地図を片手に、おもてまで出て来てアレコレと、道の案内をしてくれる。


(でも、あまり参考にならなかった。この後すぐに、本日二度目、痛恨のミス・コース)。


『道がわかりづらいのも遍路だということ、よ~くわかったよ』


 地元の人と触れ合う事。それが「弘法大師―空海」の教えだ。


(少し大袈裟?)。


 でも、『今でも人気のある「空海」って人は、大したものだ』などと思ってしまう。

 まあ、信心深い人からすれば、「なにを戯言(ざれごと)を」と言われそうだが…


 店を出て、店先の販売機でペットを一本購入。再びポンチョを着て、再び雨の中へ。


 店の角を右に。狭い車道の先は橋。そこを渡ると少し道幅が広くなり、間もなく交差する大きい道を横断。

 その先で遍路道は、番外霊場「眺海山(ちょうかいざん) 洲崎寺(すさきじ)」をかすめる。


(「聖観世音菩薩」を本尊に(まつ)り、「真言宗高野派」に属するお寺。「屋島の合戦」や「長宗我部」の兵火に巻き込まれるなどしたためか、創建は不詳とされる)。


 このあたり、民家は多いがこの天気。人気(ひとけ)はまったく無い。

 コースは、道なり直進・直進。小学校脇も直進。

 その先で…道が三つに分かれている。左とまん中は、住宅地に入って行きそうだ。右方向には石屋さんがある。フォークリフトが出入りしていたり、入りづらい雰囲気。


『どこかで間違えたのだろうか?』


 小学校先まで戻って、つい先ほど横断してきた広い道。けっこう通りが多い。角に石碑があるが、試しにその広い道に入ってみる。

 進行方向に向かって左方面。でもやはり??? 途中に周辺地図が立っている。見れば、やはり先ほどの道のようだ。

 見当を付けて左の路地に入り、小学校前に出る。 そして、石屋さんが数軒続く右の道へ上がって行く。

 そこを抜けると、畑の広がる丘陵地帯に出る。ここで、歩いていた近所のおばあちゃんに道を確認。このままで良いようだ。

 

 しばらく行くと、ケーブルカー乗り場が見えてきた。ホッと一息。

 トイレ脇のベンチでザックを降ろし、冷たい缶コーヒーを飲む。

 ここで、上の宿に電話をしてみる。まだ二時だが…この周辺を逃すと、次は7キロ先。行けない距離ではないが、朝から降り続く雨の中、二度の登りと、二度のミス・コース。はっきり言って、今日はもう歩きたくなかった。

 空いてなければ仕方無いが、予約が取れたのでこれ幸い。しばしノンビリする。

 でもこんなにビショビショでは、しばらく()つと冷えてくる。

 休んで回復する時もあるが、こんな時…つまり、ズブ濡れの状態では、かえって逆効果だ。

 足元を引きずり気味に、茶店の並ぶ参道に入る。


 ここからは、一気に登り。ケーブルカーがあるほどの、かなりきつい登り坂。

 しかし、体力的にはつらいが、足裏にはこちらの方が楽。

 舗装された細い道を、テクテクと登る。

 すぐに家並は途切れ、右の山肌に沿った道。木々に囲まれてはいるが、頭上は開けている。雨はまだまだ降り続き…あたりは湿っぽくて…森に落ちる雨音。

 まだ三時前だというのに、周りは薄暗く…人っこ一人いなくて…なかなか良い雰囲気。

 付近を見回しながら登る。やがて頂上近く…と言っても、本日はまったくその姿を見せないが、お寺の後方には「五剣山(ごけんざん)」が控えているはず。


(聖なる山は、入山禁止だ)。


 グルッとカーブを回ると、民家風の建物が目に入る。


『ハテ?』


 このまま他人の家の敷地に入り込んで「行き止まり」では、気まずくなってしまう。

 手前にあった小径(こみち)に戻り、右上に向かって石段を登って行くと、やがて大勢の読経(どきょう)の声。たぶん、テープだったのだろう。

 とにかく、お寺は近い。

「フッ! フッ! フッ!」


 良いペースで、最後の石段を登る。

 ジョギングやハイキングなど、それなりに足腰は鍛えてあるつもりだ。でも、ジョグとハイクでは、使う筋肉が違うもの。

 毎日のように走っていても、久しぶりに山に登ると、翌日、筋肉痛が出たりする。


(特に、お尻のあたりだ)。


 そして階段というものも、また違った力を要するもの。

 自分の歩幅(ピッチ)に合った階段は楽なのだが、よくハイキング・コースで見かける、高低差のある木製階段はいただけない。

 滑り防止のためなのだろうが、一段一段、自分(プラス)荷物の重さを引き上げるのは、けっこうきつい。逆に下りでは、落差は膝に来る。


(ついついペースが上がり気味の下り坂。平地に下りてみると、膝がガクガク・ヘロヘロになっている事は、よくある事だ)。


 だから、雨でも降って地面がツルツルになっていないかぎり、段差の横を、自分のペースで行った方が楽だったりする。


(マラソンばかりでなく、クロスカントリーの大会に参加した事もあるが…平地で速く走れる人が、アップ&ダウン、特に階段になると、極端に遅くなったりする事がある)。


「フッ! フッ! フッ!」


 目線の高さに続く石段を見つめ、登る・登る。

 山に登っていて頂上近くになると、特に坂がきつければきついほど、よく思い浮かべる白日夢は…


 重装備に身をかため、急峻(きゅうしゅん)な岩肌を、()うように登る登山家。


『もうダメだ…』


 何度も(くじ)けそうになりながらも、最後の岩場に手を掛ける。

 最後の力を振り絞り、ズリズリと、身体を引きずり上げる。


『頂上だ!』と、パッと眼前に広がる光景は…


 ケバケバしいネオンの(とも)る繁華街。

 目の前を横切るバニーガール。

 場違いな格好で、唖然として立ちつくしていると、バドガールが冷たいビールを差し出してくれる…


 案外、基本的には、そんな空想をしてしまう、そんな種類の人間なのかもしれない。


 戦争映画が好きなのは、戦争好き?

 ヤクザ物好きは、暴力的?

 サスペンス好きは、実は殺人願望がある?


 満たされない欲求を、そういったもので解消している…のだろう。


(恋愛・純情ものしかり。メロドラマで泣きたい心境なども、そうなのだ)。


 そういった需要があるから、そういったものが作られる。

 もしも誰もが心から平和を望むなら、ヘンなものは作られないはずだ。

 中には、それをキッカケに目覚めてしまう人もいるだろう。

 だからと言って、一概にそれを禁止してしまったら…

 ストレスのはけ口が無くなった、より多くの人々が、悪の道に走りはしないだろうか?

 そしてそれは、性風俗に関しても言える事。

 日本は、公的には禁止されているものの、比較的バランスが取れている。


(貧しい時代ではないのだ。何事にも適正はある。「男とお金が大好き」なんて子には、まさに天職うってつけ。誰にも否定する資格など無い)。


「安全」に、「適正な価格」で、欲求が満たされる日本。


(アメリカなどに比べ、性欲がらみの殺人事件が少ないのも、そんな理由からだろう)。


 ただ最近は、少々行き過ぎの観がある。


(カタギの子でも、あからさまにプライベートを語られると、かえって興醒めだ。「ご想像におまかせします」なんて言える、化石(シーラカンス)のような()は、もういないのだろうか?)。


 ただし…言いたいのは、いつの時代にも語り継がれる「今の若いモンは…」ではない。

 近頃強く感じる事は…「最近、ヘンな大人がふえている」だ!



「フッ! フッ! ン?」


 石段を登りきる頃、前方を、右から左へ白装束の群れが、次から次へと…そぼ降る雨の薄暗さの中に、浮かび上がる白い集団。

 なんだか、「あっちの世界」に行ってしまったような気分。


(ちょうどケーブルが着いたのだろうが…)。


「ハー…ハー」


 登り切った所にあったベンチに腰を降ろし、荒い息を整えていたのだが…。


『ハー、ハー…何をそんなに見ているの?』


 こちらをジッと見ながら通り過ぎる、おじさんやおばさんたち。


『ハー、ハー…何か珍しいの?』


 荒い息するこちらを眺め、まるで『肉体を(まと)った人間が珍しい』とでもいった顔。

 手前から聞こえていた読経(どきょう)の声も、相変わらず響いている。

 受肉したまま「向こうの世界」に行ってしまったようで…こんな幻想的な雰囲気も悪くない。

 数年かけて読み終えた、「ダンテ」の『神曲』を思い出す。


『さて』


 ひとしきり続いた人の群れも去り、息も整ったところで、現実の世界に戻ろう。

 足を引きずりながら、白装束の集団が向かった左方面へ。もうすでに、お寺の敷地内のようだ。

 木々と悪天で、周囲の状況はわからないが…いま上がって来た斜面と、森のすぐ先に見える断崖に挟まれた、横に細長い平地。

 そこに、塔や護摩堂など、各種建物が並ぶ。その先に、本堂や大師堂。

 到着だ。


《第八十五番札所》

五剣山(ごけんざん) 八栗寺(やくりじ)

   本尊 聖観世音菩薩

   開基 弘法大師

   宗派 真言宗大覚寺派


 天長六年の創建。天平年間、「長宗我部」の兵火に遭い全焼。

 荒廃していたところ、寛永十九年(1642)、高松藩主「松平頼重」公により再建されたお寺。


 本堂の前で、左に折れ曲がったL字形の敷地。

 その先に、鳥居が見える。先ほど行き止まりと思い込んでいた道は、ここに続いているようだ。本来は、こちらが表参道入口なのだろう。

 でも、人気(ひとけ)はほとんど無い。

 今では、ケーブル駅側が玄関口。そちらの方が(にぎ)わっている。

 本日の宿は、この(さび)れた側に境内を出た所。

 しかし、まだ早い。

 お参り後、ケーブル駅まで行ってみたり…本堂脇から上に続く石段を登ってみたり…とヒマ潰し。


「ふう~…」


 自分の体力なんて、こんなものだったのだろうか? 時間があったって、もう歩けない。

 三時過ぎに宿に入って、まだ四時だというのに、風呂も済ませてしまった。

 まあ、こんな日に無理する事もない。

 本日は終日雨。そのせいで、写真も走り書きも極端に少ないからちょうどいい。

 浴衣の上に半纏(はんてん)を羽織り、ちゃぶ台に向かって本日のノート。ガイド・ブックの地図を片手に、本日の行程を振り返る。


 そして今、TVでは、「白装束の集団」関連のニュースをやっている。

 お遍路とはまったく関係無いが、ナゼかちょうどこの時期、世間を騒がしている宗教団体。

 (ちまた)にあふれる有害な電磁波を防ぐため、白い服に身を包み、射的の的のような「お札」をそこここに貼っている…のだという。


(オーケーこちらは、遍路に出ていながら白服を着用していないので、きっと電磁波にやられてしまうのだろう)。


 なんでも、昨日通ってきた「五色台(ごしきだい)」。

 そこに建つテレビ用鉄塔のボルトが十本、抜かれていたそうだ。

 そして、その団体に嫌疑がかけられているらしい。

 確かに、高圧線や携帯電話などなど…電磁波が人体におよぼす影響を懸念する人がいる。この事は、決して否定できない。


(目に見えないものだから、よけいに怖い。以前から気にはなっていた事だが、たとえばヘッドフォン・ステレオを近くで聴いていると、携帯受信中は「ブルブル」と雑音(ノイズ)が入るのだ)。


 最近、「キレやすい若者」が社会問題になっているが、その原因に携帯電話の電磁波を()げる人がいる。

 肌身離さずケータイを持ち歩いている、最近の若者。


(かえって行動を限定しているように見えるのは、トシを取ったせい?)。


 身近な所にもいる。

 そして…全員というわけではないが、確かにキレやすい。

 まるで電気製品のスイッチがオン・オフするように、ついさっきまでご機嫌だったのに、次の瞬間には何の理由も無く、突然不機嫌になったりする。


(はっきり言ってあんなもの…親の死に目に会えなくても仕方ない…仕事のとき以外、特に幼い子供からは、遠ざけておくべきだ)。


 しかし、何でこんなタイミングで、こんな人達が現われるのだろう?

 フト思ったのだが…昨晩のTVの知人・今朝の十円玉(たかが十円だが、めったにあるものではない)・「五色台」の事件。

『偶然が重なっている』と思っていたが、『案外、何か理由(ワケ)があって、必然的に四国に来ているのでは?』などと思ってしまう。


「ふう~…」


 たった今、食事を済ませてきたところだ。

 魚の煮物・刺身・天婦羅・ざるうどん・ナメコ・漬物…等々。ゴハン二杯半に、デザートのバナナ。


『静かだ』


 今夜の宿泊客は一人だけ。(さび)れた側の、古い木造の宿。


(入口の間取りを見ると、かつては、おみやげ物屋も兼ねていたようだ)。


 参道とは反対側の和室。

 表からではわからないが、裏の斜面に沿った建物。半地下に降りたような感じの部屋。

 窓からの眺めも、木々にさえぎられ、遠望は利かない。


『さてと…』


 本日の記録もつけ終わったが、まだ九時前。

 明日の予定は…足の状態次第なので、立てても無駄か?

 今夜はこの後、テレビでも観ながら足のマッサージでもしよう。


 本日は、雨とミス・コースで散々な一日でした。おしまい。



本日の歩行 25・57キロ

      33210歩

累   計 82・24キロ

      106822歩 


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