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*第三十七日目 六月十七日(火)

 今朝は五時起床。

 今日も曇り空。外からピチャピチャと雨の音。

 目覚めはすごくダルい。けっこう疲れが溜まってきたし、夕べは少々飲み過ぎ。

 本日は「目覚めの缶コーヒー」も無く、ダラダラとしていたつもりだったが、六時に朝食の声が掛かる頃には、大方の準備が出来ていた。


 三人で2F食堂へ。席順は昨晩と同じ。

 朝食の内訳は…塩鮭・卵入りとろろ・レタスとトマトの添えられた卵焼き・焼き海苔・お新香・味噌汁。

 仕上げのお茶を飲んで、出立(しゅったつ)の準備。トイレに行き、歯を磨き、あれやこれや。

 二人には先に出てもらう。その後、もう一回トイレに向かい、六時五十分に出発。


 先ずは「大興寺」の前を通過。水田地帯に出る。

 宿を出る頃には雨も上がっていたが、ウエット路面。霧も出ているので遠望は利かない。

 1キロほどで「国道377号」に出て左折。

 本日最初の自販機は酒屋前。ここでペットを一本仕入れる。

 人里離れた山道が控えているなら、ザックの両脇に一本ずつ挿すところ。だが、もうこの旅の終了まで、そんな場所は残っていない。少し行けば、どこかに自販機くらいはあるだろう。ならば少しでも軽い方が良い。ましてや暑くなってきたこの季節。どうせ飲むなら、買いたて・冷え冷えの方が良いに決まっている。


(本来、運動中に冷え過ぎた飲物はいけないそうだ。だがあいにく、何をやっても二流の域を出られなかった人間。そんなに強い精神力は持ち合わせていない…だからこそ、二流止まりだったのか?)。


 ここでついでに「モーニング缶コーヒー」。自転車を押して通り掛かった地元のおじさんに声を掛けられ、少々立ち話。

 国道はほんの数百メーターで、右の道に()れる。

 一ヶ月ぶりの「香川県」は、「緑が濃くなった」…と言うより、「深くなった」という表現がピッタリ。昨日は悪天候で気づかなかったが…本日も、それほど良い天気というわけではない。でも、雲は多いが薄曇り。昨日よりははるかにマシだ。

 小学生の群れとスレ違いながら田園地帯を抜け、少し広い道に出て、「観音寺」市街地方面を目指す。

 この街は、映画で見て、小説でも読んだ「直木賞」作家「葦原(あしわら)すなお」氏原作「青春デンデケデケデケ」の舞台となった街。


(またハイティーンの頃。春先にバイクで「九州・沖縄」に向かう途中、この街の郊外の橋の下で野宿した事があったが…どこだったのだろう? とにかく「春」とは言っても、暮れれば寒い三月初旬。橋の下は意外と暖かかったという記憶が残っている)。


 ここの通り沿いに、その映画で登場したうどん屋さんがある…と、ユキちゃんが言っていたのだが…「高松自動車道」の高架をくぐった先で、道端にシートを敷いて休憩しているユキちゃんとTさん。自販機の前だったので、再び缶コーヒー片手に立ち話。それを飲み干し、先に出る。

 結局、うどん屋さんは未確認。


(でもそんな場面(シーン)、あっただろうか?)。


 段々と街並が深くなり、やがて「観音寺」の中心部へ。

 へんろコースからは(はず)れるが、駅前に行ってみる。時刻は九時。小さなバス・ターミナルのベンチに腰掛け、しばし休憩。

 向かいに見えるコンビニで食料調達。店を出ると、ユキちゃんとTさん。ここは遍路道から()れているはずなのに…三人で、メインと思しきアーケードを抜ける。ちょうど、どの店もシャッターを開けた始めた時間。ここは、どこのお店の人も、挨拶の言葉を掛けてくれる街。

 そこを抜け、「財田川」に架かる橋を渡れば、目の前は「琴弾公園」となる山。


(「高知市」郊外。「三十一番 竹林寺」がある「五台山」を小さくしたような場所と雰囲気)。


 橋を渡ったすぐ先に遍路道。その左横に、神社へ登る階段。ここの神社には寄る予定。ここで二人と別れ、石段へ。

 九時半に、頂上にある「番外霊場 琴弾八幡宮(ことひきはちまんぐう)」へ。

 ここは、大宝三年(703)、「日証上人」により開創された場所。

 祭神に「八幡大菩薩」「神功皇后」「玉依姫命」を(まつ)っている。

「弘法大師」が、807年から同11年にかけて、ここの「七世別当」を勤め、明治初年の「神仏分離令」までは、ここが札所だったそうだ。


 着いて先ず、あわててトイレを探す。階段に取り付いた時点で、タンクはすでに満タン状態。神社脇から少し下がった目立たない場所に、今ではほとんど使われていないであろうトイレ。ホッと一息後、お参り。

 社務所の中に人影が見える以外、人出はまったく無し。

 トイレの真上に位置する、展望所風休憩所でしばし。天気が良ければ瀬戸内海が望めるのだろうが…霧で遠望はまったく無し。

 神社を奥に抜ければ、すぐに周遊道路。その突端が、かの有名な「銭形」を見下ろせる場所。


(海岸近くに、砂で形作られた「銭形」文様。そのいわれなど、詳しい事は不詳。中には、「財宝のありかを標した目印ではないか?」などの説もある)。


 幸い目視できたが…白い砂に曇り空。日が照って、陰影が付けば「はっきり・くっきり」するのだろうが…こんな天気ではぼやけている。

 その先の駐車場で、掃除をしていたおじいちゃんとチョット立ち話。

 話の中に「佐伯(さえき)さん」の名。


(「佐伯さんのトコにいくのかい?」みたいな感じ)。


 一瞬「(ハテ)」と思うが、『そういえば…』。「弘法大師―空海」は、この地方の豪族「佐伯氏」の出身だという事に気づき、話の流れを途切れさせずに済んだ。このあたりでは、「佐伯さん」と呼ぶのだろうか? 本日、この後向かう「善通寺」が、その「佐伯さん」の地元なのだ。


 そこから少し下ると、お寺への階段道。六十八番の旧本堂に出る。さらに石段を下れば、二つのお寺が同じ敷地内に並んで建つ。


(札所唯一の、珍しい配置だそうだ。セッセと「納経」している人にとっては、得した気分になれる事だろう)。


《第六十八番札所》

琴弾山(ことひきざん) 神恵院(じんねいん)


  本尊 阿弥陀如来(伝 弘法大師作)

  開基 日証上人

  宗派 真言宗大覚寺派



 大宝三年(703)、「日証上人」が「琴弾山」山頂に社殿を造り、「琴弾八幡」として(まつ)ったのが始まり。

 大同二年(807)、「弘法大師」が本地仏の「阿弥陀如来」を染筆し、本尊として安置。

 明治初年の「神仏分離令」により、本地仏の「阿弥陀如来」を隣りの「観音寺 西金堂」に遷座し、札所「神恵院」となる。


《第六十九番札所》

七宝山(しっぽうざん) 観音寺(かんおんじ)


  本尊 聖観世音菩薩

  開基 日証上人

  宗派 真言宗大覚寺派


 大宝年間、「日証上人」により「神宮寺」として開創される。

 大同二年(807)、ここの第七代住職となった「弘法大師」が「聖観世音菩薩」像を刻み、「琴弾山」中腹に建立した堂宇に安置。堂塔を整備拡充し、寺号を「観音寺」と改める。


 ユキちゃんとTさんは、ちょうど納経が終わったところ。

 こちらはお参り後、軽く一息入れてから出発。

 山を下り、(ふもと)の街並を抜け、「財田川」沿いの道。間もなく海に注ぎ込む場所なので、川幅は結構広い。進行方向に向いた左側が遍路コース。

 見通しの利く、川沿いの一本道。前方に二人の姿。やがて追い付き、少しの間、再び三人。

 お寺を出てから約2・5キロ。道路左側にうどん屋さん。二人はここでお昼にすると言う。こちらは食料持参。二人とは、ここで別れる。


 コースは、そのすぐ先で右に入る。川沿い・土手上の遊歩道。次のお寺までは2キロほど。ここから少しピッチを上げるが、薄日が差してとても蒸す。

 しばらく行けば前方に、次のお寺の物と思われる塔が、森の中から頭を出している。目標物を捕捉したあたりの右下に、人気(ひとけ)の無い運動公園。時刻は十一時十分。そこに降り、ゲートボール場脇のテントの下でお昼にする。

 靴を脱いでベンチに上がり込み、パンを食べる。食後、少々ウトウトした後、次のお寺に向け出発。


(後でユキちゃんの言によれば、このあたりに捨てられた子猫がいたそうだが…?)。


 川沿いから左の街並に入り、ほど無く到着。


《第七十番札所》

七宝山(しっぽうざん) 本山寺(もとやまじ)


  本尊 馬頭観世音菩薩(伝 弘法大師作)

  開基 弘法大師

  宗派 真言宗高野派


 大同二年(807)、「平城天皇」の勅願を奉じ、「弘法大師」が創建。

「一夜建立」の伝説がある。

 ここは建立当時のままに残り、国宝・重要文化財の多いお寺。


 遠方からも見えていた五重塔があるお寺。

 着いてみると、二人はすでにお参り中。

 先に出て、「本山」の街並を抜けて「国道11号」に合流し左折。車通りは多いが歩道あり。

 しばらく行ってから、「へんろマーク」に従い左に入る。

 溜池のほとりを通り、国道からさほど離れていない場所に、人気(ひとけ)の無い神社。時刻はちょうど午後一時。ここの境内で、十分間ほどの小休止。


(「高津神社」とあったと思うのだが、「高瀬」の間違い?)。


 そこから「高瀬」の街中へ…と言っても繁華街ではない。国道からは大きく離れたようで、方角もよくわからない。

 天気は相変わらずの曇り空。時おり薄日が差し、そうなると蒸し暑い。

『これでいいのかな?』と思い始めた頃、「四国のみち」の道標。やがて「国道11号」に合流。すぐに「高瀬橋」で「高瀬川」を渡る。

 ここからは、しばらく国道を歩く。前方に見える山並のどこかに、次のお寺があるのだろう。雨の心配は無い空模様だが、いっそカラっと晴れ上がって欲しい。

 そのうち、「へんろマーク」に従い、左の旧道へ。狭いが車通りは少なく、直線部分の多い道。周りは田んぼが広がるが、道沿いには民家や農家が点在し、所によっては集落になっている。

『そろそろ休憩を』と思っていたのだが…適当な場所も見当たらず、飲物も買わずに歩いていると、やがて県道と思われる広い道を横断。

「観音寺」を下りてから、ほぼ平坦だった地形だが、次のお寺の入口である事を示す「双石柱」のあたりから、急に上り勾配が始まる。

 すぐ左を新しい道が走り、そこには「道の駅」もあるらしいが…わざわざ行く気にはなれない。

 その道を横断した先の左側。小さな池のほとりに、小さなお堂。「八丁目大師堂」とある。隣りに建つのは通夜堂か? そこの縁側(えんがわ)に腰を降ろし、残ったペットで一息入れる。時刻は二時十分。

 十分ほどの休憩中、上から下って来たタクシーの運転手さんが、車から降り、賽銭を入れて手を合わせる。お互い軽く会釈して、立ち去って行った。


 ここから先は、舗装されているが森の中の細い歩き道。けっこう急な登り。多少雲が多くなったが暑い。

 少し登り、下からの車道を横断する箇所は、「道の駅」の敷地のはずれ。でも、広い駐車場をまたいでまで、自販機に向かう気にはなれない。先を目指す。

 間もなく、山道入口。

 木々に囲まれ、薄暗く、湿っぽい参道を登る。石段だが、長くて急角度。各所にお堂や石像が配されているが、てっぺんの本堂まで、石段の数はかなりのもの。

「ふ~!」

 意識朦朧(もうろう)。確か…朱塗りの、まっすぐな橋のような、一○八(ひゃくやっつ)の階段を登って大師堂に到達。

 もう(すで)に汗でビッショリ。だが、本堂はさらにその少し上。一気にそこまで上がる。


《第七十一番札所》

剣五山(けんござん) 弥谷寺(いやだにじ)


  本尊 千手観世音菩薩(伝 弘法大師作)

  開基 行基菩薩

  宗派 真言宗善通寺派


 天平年間、「聖武天皇」の勅願を奉じ、「行基菩薩」が創建。

「弘法大師」は幼少の頃、この岩窟で学問されたと云われる。

 唐から帰国した後の大同二年(807)、本尊を刻んで安置。

 寺名を「剣五山 弥谷寺」と改める。

 その後焼失したが、慶長年間に再興される。



 先ず、本堂でお参りを済ます。

 その後、納経所と一緒になった大師堂へ降りると、ちょうどナオちゃんが出て来たところ。

「今日は『善通寺』まで行く」と降りて行った。


(先に述べたが、「善通寺」とは「弘法大師―空海」・本名「佐伯」さんの生まれ故郷。この後、お寺を三つ経由した10キロほど先。もちろん「善通寺」というお寺があるが、「善通寺市」でもある)。


 それから大師堂の中をのぞくが…納経所の前を通らないとお参りができない。何だか気が退ける…で、入口から手を合わせただけでそこを去る。

 少し下った所に電話ボックス。電話帳を()ろうと、ガラス張りのドアを押すが…。

「ん?」

 今どき、こんな所にある公衆電話を使う人などいないのだろう。扉は張り付いており、『鍵が掛かっているんじゃない?』という状態になっていた。意を決して、一気に押し開ける。

『できれば善通寺のビジネス・ホテル』と思っていたので、目ぼしい所の番号を打ち込もうとケータイを見ると…ユキちゃんからのメッセージあり。

 今日は、この先のお寺近くの民宿と言っていたのを思い出す。余裕を見るならそちらの方が良いが、少々近過ぎる。かと言って、これから「善通寺」に向かうとなると、ノンビリしている暇は無い。ビジネス・ホテルの番号だけ控えて下へ。


(はっきり言って、ケータイの使用法、それほど精通している訳ではない。ここで「留守電」再生に手間取っているゆとりは無かった。それに、喉も渇いていた。上に自販機は無かったのだ。『後で休憩中にでも』と思っていたのだが…)。


 山道の登り口近く。来る時も通って来た茶店まで下る。ここに冷たい飲物がある事には気づいていた。そこで、ここまで降りて来た訳だ。

 宿にもなっている茶店が見える所まで下って来ると…店の前を掃き掃除しているおばさんの後ろに着いて、白くてちっちゃいのがチョロチョロ。白い子犬。まだ、生後半年にもならないくらい。

『かわい~!』


(もちろん、ワンちゃんも大好きだ)。


 店の前の木製長イスに腰掛けて、100円コーラを飲みながら、しばしイヌと(たわむ)れる。おばさんは五十代と思われる。ここに独りでいるそうだ。

 そこにフッと、ユキちゃんが現れる。「本山寺」から12キロ強。『完全に振り切った』と思っていたのだが…。

 一緒にイヌとジャレていると、息を切らせ、少し遅れてTさん登場。曰く「この人が、アンタに会いたいもんじゃけー」と言われるが、その時はそんな言葉、気にも留めずに聞き流していたのだけど…。

「どうせ留守電、聞いとらんじゃろ」

 確かにその通り。次のお寺近くの宿は、臨時休業中との事。そこで「善通寺」の某所に決めたらしい。ユキちゃんは、そこにしろと言う。

 今晩は、ビジネス・ホテルでユックリしようと思っていたのだが…基本的に、いったん宿に入ったら、部屋を出るのも億劫(おっくう)な人間なのだ。そして明日は、お遍路とは無関係の「金比羅(こんぴら)詣出(もうで)」が控えている。


(もっとも昔から、お遍路のついでに「金比羅参り」をする人も多かったようだ)。


『今日中に善通寺まで行ってしまえば、もう顔を合わせる事も無い』と思っていたのだが…。

 二人は上へ。こちらはその後、缶のお茶をもう一本。

 遍路道はここから、先ほどやって来た道と分かれてまっすぐに延びている。しばらく竹薮の中を歩くが…このあたりの記憶、先ほどの登り疲れと、竹薮内の結構な蒸し暑さのせいで、曖昧模糊(あいまいもこ)としている。

 まだわずかしか歩いていないが、「高松自動車道」をくぐった三時半。高速沿いの側道の道端に腰を降ろす。ここで十分間の小休止。

 その間、ユキちゃんからのメッセージを聞く。内容は先ほど言われた通りだが…実際のところ、ユキちゃんの喋り方・話し声って、おっとりしていて僕好み。特に声の質は、大好きな部類に入る。別に「煩悩(ぼんのう)」を捨てにきた旅ではないけれど、そちら方面の本能はすっかり枯れており、無理していた訳ではないが、そういった事に関しては、興味も関心も無かったのだが…だいたい、二十五歳の女の子と「どうのこうの」なんて、もしこちらにあったとしても、向こうには「まったくあるわけがない」と思っていたから、特に意識した事など無かったのだけど…とにかく、言われた通りの宿に予約して出発。


 そこから「上池」「大池」の間を抜け、「国道11号」に出る。

 けっこう大きな「大池」の南面を回って、歩道が切れる頃、石柱の表示に従って右の道に入る。おそらく「県道48」。歩道の無い道だが、通り沿いには民家も増え始めた。車通りはかなりある。路肩も狭くて、『嫌だな~』。

 でもほど無く、右の細い道に入るのが遍路コース。このあたり、右手に見える切り立った山の裾野。周りには『何の木だろう?』。果樹園の広がった丘陵地帯。多少のアップ・ダウンのある地形を、標識通りに進めば…


《第七十二番札所》

我拝師山(がはいしざん) 曼荼羅寺(まんだらじ)


  本尊 大日如来(伝 弘法大師作)

  開基 行基菩薩

  宗派 真言宗善通寺派


「弘法大師」の出自「佐伯家」の氏寺として、推古四年(596)に「世坂寺」として建立される。

 大同二年(807)、唐より帰国した「弘法大師」が三年の月日をかけ堂宇を建立。「両部曼荼羅」を安置し、「大日如来」を勧請して寺号を「曼荼羅寺」と改める。


 ここの横に、ユキちゃん達が泊まろうと予定していた民宿。民宿とは言っても、かなり大きな建物。


(「臨時休業」とある)。


 一方のお寺は、こじんまり。人の姿はチラリホラリ。この先の事もあるので、サッサとお参りを済ませ、ここから数百メーター、次のお寺へ。


《第七十三番札所》

我拝師山(がはいしざん) 出釈迦寺(しゅっしゃかじ)


  本尊 釈迦如来(伝 弘法大師作)

  開基 弘法大師

  宗派 真言宗御室派


 多少傾斜のある地に建つお寺。

 ここから南の方角に見上げるのが「我拝師山」。先ほどから目立っていた山だ。

 その山肌に、張り付くように見えるのが、このお寺の奥之院「捨身ケ嶽禅定しゃしんだけぜんじょう」。「弘法大師」七歳の時、捨身の修行をして、「釈迦如来」の御加護を(たまわ)ったとされる場所。

 行ってみたくなるような眺め。しかし、思いのほか遠いようで、「片道1・8キロ」とある。それに、あそこまで登るとなると、勾配もかなりきつそうだ。ここに泊まるのなら「それもあり」だが断念。


 ここにいたナオちゃんと、そんな話をしながら、自販機のある休憩小屋へ。ナオちゃんに、缶ジュースをお接待。


(何しろ、飲み水をもらい、通夜堂に泊まるような()だ)。


 少し話をする。彼女はこの旅が終わった後、しばらく「沖縄」方面に行くそうだ。

 さて…次のお寺まで、2キロと少し。五時のタイム・リミットまで、残り三十分。ナオちゃんが立ち上がったついでに、出発する事にする。

 ナオちゃんは、ここでもらった地図を頼りに、近道へと直進。こちらは「へんろマーク」に従い、「曼荼羅寺」の前へと左折。納経している訳ではないし、どちらにしろ、彼女のペースに着いて行く気は無い。

 お寺の前を通り、集落を抜け、先刻、国道から入って来た県道に出る。やはり歩道は無いが、しばしの辛抱。

 遍路道は、左の水田地帯へ。一方のナオちゃんは…右手に見える、川の土手沿いの道に姿が見えるが、どんどんお寺から離れて行く方角。ここからでは、叫んでも聞こえる距離ではない。

「今治」の「仙遊寺」で追い越した時もそうだった。「方向音痴」という訳ではないのだろうが、結構「あわてんぼ」さんのようだ。


(ちなみに、この近くに、番外霊場となっている「仙遊寺」というお寺がある。「弘法大師」(ゆかり)の地蔵堂があった所で、強い霊気のある場所らしい。「今治」のお寺とは関係ないだろうが、これも何かの因縁(いんねん)? 磁石のプラスとプラス・マイナスとマイナスのように、弾かれ・離れて行く…といった感じ)。


 ほど無く、お寺の裏山と思われる林。古墳のように、平地にこんもりと盛り上がっている。

 そこを回る道で、「もうすぐですよ」と、自転車に乗った農家のおじいちゃんに声を掛けられる。そこを回ると…


《第七十四番札所》

医王山(いおうさん) 甲山寺(こうやまじ)


  本尊 薬師如来(伝 弘法大師作)

  開基 弘法大師

  宗派 真言宗善通寺派


 弘仁十二年(821)、「嵯峨天皇」より「満濃池」修築の勅令を受けた「弘法大師」が、ここで完成祈願の秘法を行ない、「薬師如来」を安置。

 工事後、「薬師如来」を本尊として(まつ)り、「医王山」と命名した。


 予想通り、ナオちゃんより先に到着。もう時間はあまりない。

 お参りをしていると、ちょうどそこに居合わせたおじさん・おばさんの四人組に声を掛けられる。そこで少々立ち話をしていると…五時数分前。ナオちゃんが到着したのが見える。どうやらギリギリ間に合った模様。本堂の前に立つナオちゃんの後ろ姿を見ながら、先に境内を出る。

 山門を出た駐車場で、一服しながら立て看の地図を見る。続く「善通寺」までは1・6キロほど。

 お参りは、明日の朝にするとして…「弥谷寺(いやだにじ)」の茶屋のおばさんによれば、本日の宿、門の近くでわかりやすいと言っていたが…「善通寺」のお寺は、敷地がかなり広いようだ。

『いったいどの門だ?』

 門も一つではない。詳しく聞くのを忘れていた。

 とにかく、途中の自動販売機で飲物を仕入れ、「善通寺」の街へ入る。ここは「市」だけあって、かなり大きな街。それに、自衛隊の駐屯地もあるようだ。時折、自転車に乗った自衛官が通り過ぎる。だから、飲み屋も多い。

 お寺の場所はすぐにわかったが、宿の場所がわからない。結局、宿の近くの街中をグルッとひと回りして、午後五時四十分、宿を発見。東門のすぐ前にある、けっこう大きな宿。


「弘法大師―空海 生誕の地」のここは、ある意味、四国遍路の中心地。かつてはここから、遍路の旅に出る(なら)わしもあったそうだ。そんな場所だから、宿の対応もそれ相応。迎えてくれた女将(おかみ)さんと思われる女性(五十代?)は、玄関を入った中にある、小さな石造りの水場で、杖の先を洗ってくれる。


(そんな(なら)わしがあるなんて、最後の最後、この時まで知らなかった)。


 部屋は、大きな宿の奥の方。

 お風呂の入口には「女湯」の札が下がっており、『女性の時間帯だな』としばらく待つが…食事の呼び出しに、部屋の電話が鳴る。「女湯」の札は間違いだったようだ。それで先に風呂へ。


(男女のお風呂の順番や、生理中の女性のたしなみについて、Tさんやユキちゃんから貴重な話が聞けたのは、いつの事だったろう? Tさん曰く「女性は生理があるから男の後」。ユキちゃん曰く「生理中の女性は、たとえそれが女性専用でも、湯船には浸からない」…等々。この歳になるまで、そのような事、考えた事も無かった)。


 おじさんの先客一人。ここには備え付けのシャンプーは無く、石鹸のみ。もっとも、かなり伸びてきたが、この坊主頭にシャンプーは不用。

 風呂上がりに、フロント横の食堂へ。


(本日は、到着が遅かったし、明日は天気が崩れるそうなので、洗濯はパス)。


 向かいには、「曼荼羅寺」を出る時にスレ違った遍路装束の女性。細くて白い、二十代と思われる子。声は高いが、上品な感じ。西日本系と思われる言葉遣いだが、詳細は不明。

 そんな折、フト窓の外を見()れば、荷物を背負ったTさんとユキちゃんの姿。あの時間では、「甲山寺」を飛ばし、とっくに来ているものだと思っていたが…とりあえず「甲山寺」に向かうと、六時を過ぎていたが納経してもらえたそうだ。

「待っていろ」と言うが、御飯も味噌汁も出してもらった後。「食い()」に関しては…ましてや「おあずけ」状態で、我慢が出来る(やから)ではない。最初はチビチビ食べていたが、途中から『ええい、構うものか』と一気にフツーのペースで食事を終える。

 戻ってみると、奥の一角の三部屋が、各々の場所。ユキちゃん達はこれから食事。仕方がないので、少し遅れて食堂へ。こちらの「見送り会」第二回目。ビールで付き合う。

 そこに、先ほど宿に到着した際に顔を合わせた、三十前後と思われる、少し神経質そうな男性も加わる。Tさんとはすでに顔見知りの、九州は「大分」の人。五月に四国に入ったが、体調を崩し、一度帰っていたらしい。「胃潰瘍」だと言っていたが…この人も、自分では制御不能の(ごう)を背負ったタイプ。

 でも、食堂を見回せば、残っているのはこのグループのみ。遍路宿で遅くまで…と言っても八時くらいだが、いつまでもやっていたのでは迷惑が掛かる。

 場所をTさんの部屋に移すが、そこは窓の無い部屋。しかし酔っていたせいか、けっこう暑いのにエアコンも掛けずに喋っていた。時間は覚えていないが、この日は控え目で部屋に戻り、窓を開けて寝る。


 すぐ下に見える通りのスナックからは、夜遅くまで、カラオケの声が響いていた。ここは「弘法大師―空海 生誕の地」。「善通寺」だ。



本日の歩行 40・58キロ

      52704歩

累   計 1328・87キロ

      1726385歩



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