*第三十六日目 六月十六日(月)
朝は、周りのガタガタいう音で、いったん目が覚める。
時計をのぞくと午前四時半。『このまま起きてしまおう』と思ったが、結局五時の電子音で目を覚ます。二人はすでに出発した模様。
一人静かに準備を済ませ、六時ジャストに下に降りる…と、ちょうどそこに宿のおばさん。「一緒じゃないの?」から始まり、「一人の方が気楽よね」と、少々話をしながら靴を履く。
前の道を上って行けばよい事を確認し、六時五分、宿を出る。本日は、最後の関門を迎える事になる。
外に出ると、今日も霧。昨日以上に濃い霧だ。
少し寒いくらいだったが、Tシャツ姿で歩き出す。湿度が高いので、歩き出せばちょうど良い。
「伊予三島」の街を山側へ上って、郊外へと向かう。
『「豊受山」ってどこだろう?』
先日テレビで見た、「風神・雷神」の話を思い出す。天気が良ければ、山や海が見えるのだろうか? とにかくホント、深い霧。
(市街地はそれなりに視界は利くが、遠望は望めない)。
山の斜面に沿って広がった街なのだろうか? 始めから、ずっと上り。勾配も結構きつい。
宿を発って間もなく。出来たての「11号バイパス」に入るが、「へんろマーク」完備。すぐにバイパスを右に逸れて、マークに従って進む。
住宅地を右に左に。「松山自動車道」をくぐって、その先、高速に沿った山の斜面に墓地が広がる。
月曜の朝だというのに、早くから掃除やお参りをする人達。ちょうど初老のおじさんが降りて来る。朝の挨拶と共に、「これから三角ですか?」と、向かっているお寺の名を挙げる。
「はい」
高速沿いの道が良いとの事。数百メーターの間、左側を走る高速に沿って進む。
街並が切れた頃から、勾配がいっそうきつくなる。雨粒は落ちて来ないが、あたり一面濡れている。
高度が上がると、霧がいっそう深くなる。見通しは利かないし、途中、あちこち入ったり曲がったりで、方角の見当はまったく付かない。
ガードレールがあり、狭いが舗装された上り道。通る車は一台も無い。八十八番への「旧遍路道」を思い出す。
要所要所に立つ「四国のみち」の道標には、距離も記載されている。ペースがつかみやすいので、気分的には楽。
そうこうするうちに、お寺の下へ辿り着く。時刻は七時二十分。
先ずは、お寺への石段。見上げると、ちょうどそこに、Tさんとユキちゃんが降りて来た。上に休憩小屋があり、そこにナオちゃんがいるそう。
二人とは、ひとまずそこで別れ、長い階段へ。でももう慣れた。
そこを登り切れば、山門をくぐってお寺の境内に入る。
《第六十五番札所》
「由霊山 三角寺」
本尊 十一面観世音菩薩(伝 弘法大師作)
開基 行基菩薩
宗派 真言宗高野派
天平年間、「聖武天皇」の勅願により「行基菩薩」が開創。
弘仁六年(815)、「弘法大師」が本尊を刻み、二十一日間の護摩秘法を修す。
天正九年、「長宗我部」の兵火で焼失。嘉永二年(1849)に再建。
ここはおそらく、このあたり一帯に広がる山地の一角。それほど広くない境内は、周りを木々に囲われているし…頭上は抜けているが、早朝の、それもこんなに深い霧に覆われた曇り空の下…あたりはとても薄暗い。
先ずは入って左。ナオちゃんと、歩き遍路のおじさんのいる東屋へ向かい、朝の挨拶。
五十代と思われるこのおじさんとは、初顔合わせ。横に大きなザックを置いている。本堂・大師堂とお参りしている間に、先に出発した模様。
休憩小屋に戻り、昨晩買い置きの、パックに入ったおにぎりセットを取り出す。近くに汲み取り式トイレがあり、あまり芳しくない匂いが漂って来るが…まあ仕方がない。この先、朝の御飯に適した場所がある保障はどこにも無いし、時間的にもちょうど良い。
この間、ナオちゃんが出発。
食後、境内を出て、階段下の自販機で缶コーヒー…を飲みながら、掲げられた、大きな地図入り案内板で次のコースを確認…していると、若い男性遍路さん。こちらも初めて見る顔。
モーニング・コーヒーを飲み干して、お寺を後にする。
これで、「菩提の道場」…「伊予の国・愛媛県」の札所を打ち終える。次は、「涅槃の道場」…出発点でもある、「讃岐の国」は「香川県」へと戻る事になる。
ここからは、かなりきつい下り。谷合に降りて行く感じ。
しばらく歩き…どのあたりになるのだろうか? ガイド・ブックの大雑把な地図では正確な地点はつかめないが…土建屋さん(?)の向かい。道路右側に、まだ新しい遍路小屋。そこに、昨日の自転車遍路さんと、先ほどのおじさん。
(よく見れば、持物にも気合と年季が入っている)。
このまま通り過ぎるのも何だし、少々疲れた。立ち寄ってみると…自転車遍路さんは、こちらの来訪などそっちのけ。身振り・手振りを交えながら、「護摩堂は人の念が入っているから…」とか「肩が重くなって、仏像を出したが、○○の○○だけは払えない」など。
(「○○」の部分は意味不明で、記憶に残っていない)。
一方のおじさん遍路さんは、淡々と(単に面倒臭かっただけ?)、「それはアンタの修行が足りんからじゃろ…」みたいに返している。
『ふ~ん』
しかし、「霊感のある者同士は引かれ合う」「真に強い霊感は、たとえテレビの画面を通してでも伝わってくる」という持論からすれば、この人達は…? この後の話題で、この自転車遍路さんが語った言葉に『ただの変人・変わり者』との確信を得たが…その内容は、伏せておく事にしよう。
そうこうするうちに、雨が降り出した。ここのところ、テレビを見ていない…つまり、天気予報を見ていない…が、台風が接近しているようだ。その雨なのか? どちらにしろ、もうすっかり梅雨。
それに…悪いが、この自転車遍路さんの不運な「気」に当てられたくは無い。向こうにしても、初めからこちらの存在を好ましくは思っていないようだ。今まで一度だって、まっすぐこちらに視線を向けて来た事が無い。
「ウマが合わない」以前に、初対面の時から敬遠してくる人・敵対心を持って接してくる人と出会った事がないだろか?
こういった旅先などでなら、「それっきり」で済ます事が出来るので楽だが…それが学校や職場でなら、少々面倒な事になる。
そういった場合の対処法は…「自分」を打ち出し、とことん向かい合うしかない。むしろ、向こうが嫌がるくらいに押してみるのが正解だ。
そういった人達には、「否が応でも(自分の存在を)認めさせる」必要がある。
だから…人間関係が原因で退学・退職する人は、結局どこへ行っても、また同じ目に遭う。
「人が代われば、内容も変わる」
たまたま一時、良い機会・良い場所に恵まれても、それがいつまでも続く事など、めったにないのがこの世の中だ。人の入れ替わり・立ち代わり…出て行く人もいれば、新たにやって来る人もいる。
信念を持って、確固たる自分がなければ…「ふ~!」。
社会の荒波を乗り切るのは、けっこう大変だ。
(ここで述べているのは、「いじめ」という問題に関してではない。「いじめ」という感情は、もっと別の次元の話となり、単純な善悪では片付けられない話なので、ここで持論を展開するのは控えておこう。ただ一つ言える事は…「善人」でもなければ「偽善者」でもない。本音を言えば、「理性」を越えたところで「いじめ甲斐のあるヤツ」というのが存在する…という事だ)。
誰にでも好かれようとは思わないが…まあ、その程度の人間という事だ。
(しかしきっと、「弘法大師」だってそうだったはずだ。托鉢に訪れた先で、無下に断わられたり、邪険に扱われた事だってあっただろう)。
おじさんがトイレに立っている間、ポンチョを被り、傘を差してそこを立ち去る。
雨が降り出すと、霧が晴れる。相変わらずの曇り空で遠望は臨めないが、近くの視界は利くようになった。
高速(松山自動車道)の下をくぐり…このあたりで、つまらないミス。
堰のように開かれた斜面。その上方を縦走している道。そこを歩いていたのだが、フト下を見れば、平行に走る小道。その道沿いに張られた金網製のフェンスに、白い札。
『へんろマークか?』
そこで、わざわざ下の道に降りてみる。だが、『ガッカリ』。工事の時にでも使われた目印か? かつては何か書かれてあったのだろうが、プラスチック製の白い札。
引き返すのも何だし、『うまい所に出ないとも限らない』。そのまま進んで、用水路と一緒になった地下道をくぐり、けっきょく登って元の道に合流。無駄な遠回り。それも上下方向に。
(川の流れを見ながらの薄暗いトンネルは、変わった風情を堪能できた…と納得しよう)。
やがて、下方に大き目の集落が見えてくる。
ここには、遍路道沿いに「椿堂」の名で呼ばれる番外霊場「邦治山 常福寺」がある。
本尊に「延命地蔵菩薩」を祀り、開基は「邦治居士」。宗派は「真言宗 高野派」。
大同二年(807)、「邦治居士」が庵を結ぶ。
弘仁六年(815)、「弘法大師」が訪れ、病封じの祈祷をし、そのとき地中に立てた杖から椿の芽が吹き大樹になったとの云われから「椿堂」と呼ばれるようになったそうだ。
「不動明王」の祈祷寺としても知られているらしい。
しかしこの天気。中をのぞいただけで先へ進む。
谷底を流れる「金生川」沿いの集落を抜け、対岸を走る…と言っても、山間なので川幅は広くない…「国道192号」へ。ここから上り。
少し行った道路右側に、バス待合小屋。時間は十時代。
(毎度の事だが、本日のような悪天候の日は、写真の数が極端に少なくなる。記録も方も、飛ばしたり・忘れたり・不正確だったり)。
宿を出てから、すでに13~4キロは歩いている。ここで休憩。雨は普通の降り。ポンチョの中はビッショリ。
休憩後は、右に左にとコースを入れ替えながら、一気に3キロほど先、峠のトンネルを目指す。
雨は小降りになるが、高度が上がるにつれ、再び霧が出てきた。視界が悪くなってきたのに、峠付近には歩道が無い。それに、所々で道路工事中。こういった場所では、通りの少ない旧道に入るとホッとする。
トンネル手前で国道に戻ると、左に入って行くルートの表示。手持ちのガイド・ブックには載っていないコースだ。このまま進む「トンネル・コース」が9キロなのに対し、「11キロ」とある。雨も降っているし、どんな道かもわからない。台風の日の「七子峠」…再びあのような思いはしたくない。
まっすぐ進み、傘を畳んで「境目トンネル」に右側歩行で入る。「855メートル」と、歩くとかなり長いトンネル。しかし、歩道は無し。壁際を歩かなくてはならない。
(側溝分の幅で、一段高くなっている。これだけでも、少しは安心)。
こんな日は、『雨がしのげるだけマシ』と思う事にしよう。
(実際そうだ)。
ポンチョがバタつくと危険なので、裾をつかんで歩く。
(車道とは、感覚的にはそんな間隔)。
トンネルの中で「徳島県」入る。
先に「涅槃の道場…讃岐の国・香川県」と書いたが、このあたり、「愛媛」・「香川」・「徳島」の三県が接している場所。
(「高知県」だけは、もう少し南。ここで、四国四県が接していない事を知る)。
次のお寺は、実のところ「徳島県」にあるのだが、「讃岐」の札所に数えるそうだ。
トンネルを抜けると下り。
少し下った先の右側に、うどん屋・コンビニの入った建物。峠も越えたし、時間も十一時。『休憩するには、良い場所とタイミング』…と、そちらに向かうと、ちょうどTさんとユキちゃんが、うどん屋から出て来た。ナゼか今日、この二人とはそんなタイミング。
二人を見送り、コンビニに入る。ここでトイレを借り、サンドイッチと飲物購入。
この建物に、「休憩所」と書かれた幟のある場所。表のコンクリート製階段を数段上がり、入口を入った所。狭いが赤い絨毯が敷かれた、ビジネス・ホテルのロビー風。白いビニール貼りのソファに腰掛けて休憩。ここで三十分ほど。雨はポツポツ程度。
そこからは、傘も差さず、ポンチョも脱いで下り始める。
1キロちょっとで、次の分岐となる「佐野」の集落。国道を左に逸れ、旧道に入るが…集落を出る頃、強まる雨足にポンチョと傘を出す。
その先から、左の登山道へ。先ずは、高速を見下ろす急坂。
その先は延々と、身の丈ほどもある深さの「V字溝」型の山道。左右の見通しすら利かないし、かなりの急坂。『大量の雨でも降れば、川になりそうだ』と思いながら登れば、そのうち、前を行く二人、Tさんとユキちゃんの後姿が見え出す。
一度立ち止まり、ペットのお茶を飲むが、それでも間もなく追い付いてしまう。登りはかなりのスロー・ペース。二人の速度に合わせて着いて行く…が、『間が空き過ぎてつらい!』。前の二人のペースだと、踏み出した足が接地するまでの滞空時間が長くて、かえって疲れてしまう。
それにしても退屈だ。どちらにしろ左右は、土壁に遮られ景色は見えないが…憶えているのは、ユキちゃんのお尻ばかり。別に他意があった訳ではない。急坂で前を行く人がいれば、目線はちょうどお尻の高さ。ユキちゃんのお尻ばかり眺めて、そればかりが印象に残る登り坂となる。
やがて道は、荒れているが舗装された道に出る。高原の開けた場所。畑が広がり、高圧線の鉄塔が立っている。少々興覚め。
トラックや、遍路さんを乗せたワンボックスが数台。ただし、標高は最も高い所にある札所。上は相変わらずの曇り空だが、下には、山々の裾野を覆う白い雲海が広がっている。間もなく到着するであろう次のお寺「雲辺寺」の名の通りの良い眺め。
しかし…『雨は上がったが、あそこまで下りれば』の予想が、後で的中する事になる。とにかく、舗装路をしばらく行けば、次なるお寺。毎度の事だが、思ったほどではなかった。
《第六十六番札所》
「巨鼇山 雲辺寺」
本尊 千手観世音菩薩 (伝 弘法大師作)
開基 弘法大師
宗派 真言宗御室派
延暦八年(789)、「弘法大師」がこの山に堂宇を建てる。
大同二年(807)、「嵯峨天皇」の勅願を奉じ再度入山。本尊を刻んで安置。
天正年間、「長宗我部」の兵火で焼失。久しく荒廃していたが、阿波藩主の手で再興される。
到着は一時二十分。納経所の前にはナオちゃんもいる…が、あたりは一面濃い霧。時折ふ~っと流れて行く事もあるが、「一寸先は何も見えない」といった感じ。
一通り回って、皆がいる所から一段下った裏側に、休憩所のような建物。その張り出した庇の下のベンチに荷物を降ろし、ビショビショになったTシャツを着替え、おにぎり三個を食す。
その後、三人…ユキちゃん・ナオちゃん・Tさんの所に戻ると、一気に霧が遠ざかる。
納経所前のベンチでもう一休みして、ちょうど午後二時頃、ナオちゃんも交え、四人で下りに掛かる。またもや「しんがり」…だが、何も今回に限った事ではない。昔からいつも、集団で移動する時は…バイク・ツーリングなどでも、だいたいが、自然と最後尾となる。
(もちろん、レースをやっていた時は先頭を目指していたが)。
まあそのおかげで、二十年以上に渡って「無事故・無違反」を続けていられるのだろう。
(前を走る五台のバイク仲間全員が「追い越し違反」で検挙された時も、ただひとり難を逃れた…という経験がある)。
羅漢像の一群が並ぶ小道を抜け(このような天気の下、不気味な感じが「とても」良い)、下りの山道に入る。
先頭を仕切るTさんは、後ろにピタリと着けたナオちゃんにあおられ、登りとは一変、かなりのハイ・ペース。
しかし、路面はツルツルの赤土。この靴では、かなり気を遣う。おまけに、案の定、下るに従い、予想通り再び雨。こちらはユキちゃんと二人、無理せず遅れ気味になりながら着いて行く。
途中で「香川県 観音寺市」に入ったはずだが…5キロ近い長い下り。次のお寺までは10キロ弱。このくらいのペースを維持しなければ間に合わない。こちらは納経しているわけではないが、その近くに宿を取ってある。どちらにしろ、そこまで行かなくてはならない。
傾斜が緩くなり、広い車道を横切れば、そこから先は舗装路。ここで約半分。
道も平坦になり、景色も開けてきた。このあたり、今降りて来た山々の裾野にあたるのだろう、開けた感じの緩やかな丘陵地帯。このあたりで、本当は「トイレ休」をしたかったのだが…Tさんは速度を緩めない。
ここで、一時一瞬強い雨。下りはずっとポンチョだけで歩いていた。山道の途中で雨が強くなった時は森の中だったし、その後はしばらくポツポツ程度。傘を差したかったが、みな無言で、黙々と歩いているし…意を決して、道路左側、農機具が置いてある倉庫前で列から外れる。軒先で傘を出すが、ポンチョから出ている膝から下は、すでにビショビショ。
ちょうどそのハス向かいあたりに、ナオちゃんが今晩を当てにしていた「白藤大師堂」。ナオちゃんとは、ここで別れる。
雨は、その後間もなく上がってしまう。
そこから2キロ弱。左に「岩鍋池」を見れば残り2キロ。少しペースを緩め、前の二人と距離を置き…場所と頃合いを見計らい、道路脇で立ちション。だって、レディーがいたのでは失礼だ。
Tさんも、ここまで来れば時間も十分と見て、ペースを落とす。ここからは、ほぼ平地。水田地帯を通る。
所々に見える森のどれかに、お寺があるのだろうが…遠くには集落も見えていたが…『まだか』『まだか』と思いつつ歩けば、本日の宿前に出る。
そこを通り過ぎ、グルッと回って森を下った所に、本日最後の目的地。
《第六十七番札所》
「小松尾山 大興寺」
本尊 薬師如来 (伝 弘法大師作)
開基 弘法大師
宗派 真言宗善通寺派
弘仁十三年(822)、「嵯峨天皇」の勅願で「弘法大師」が開創。本尊を刻んで安置されたのが始まりと云う。
ここには、本堂の左右に「真言」「天台」の大師堂がある。二宗派によって管理されていた名残りと云う。
天正の兵火で焼失。慶長年間(1599~1615)に再建。
石段下の大樟は、大師のお手植えと云われる。
時刻は四時半。ぎりぎり間に合った。さっさとお参りを済ませ、正面に本堂と大師堂が見えるベンチに座り、二人のお参り風景を眺める。
周りには民家がポツポツとあるが、森と田んぼしかない辺鄙な所。山寺とは雰囲気が違うが、下界にあっても、こういった場所ならまた違った趣きがあって良い。
ただし、いつものように、宿に入ってからの飲物等を調達できず。その後、先ほど回って来た、妖怪でも出そうな墓石が並ぶ森を上がり、午後五時、宿に入る。
本日の宿泊客は、この三人だけ。二人は洗濯をしているので、先に風呂に入る。
その後、洗濯物を抱えて洗濯場に行けば、洗濯機の前に佇むTさん。アルコール切れの顔をしている。
いつもなら、宿入り前に歩行飲酒するほどの酒好きなのに…本日はこちらと同様、飲物(つまり酒)を購入する機会が無かったわけだが…『そうだ!』。昨日、三人で宿に入る前、Tさんから缶チューハイを頂いた。
しかしあいにく、明るいうちから酒を飲むのは「冠婚葬祭」のみ…と決めてある人間。でも、「食物を粗末にしない」事が信条でもある。ご丁寧にザックに忍ばせ、わざわざ山を越えて運んで来てあった。「お接待」すれば、『ちょうど良い軽量化だ』。
その本人にもらった物だが…こちらにすれば「ほんのささやかな」恩返し。しかし向こうにしてみれば、貴重な差し入れ。Tさんは、その場でフタを開けグイッと飲く。
洗濯物を乾燥機に放り込む頃、二階の食堂へ。カウンター風の厨房出入口。大きなガラスが張ってあったり、赤が基調の内装。ちょっとした団体さんも賄えるほどの広さに、たったの三人。
そこで、ビールに日本酒。調子が出て来て、けっこう飲んだ。
(この日は、こちらの「おごり」。二人とは「最後の晩餐」という事だったのだが…)。
飲んで、喋って…そのせいで、メニューはまったく憶えていない。しかし、ツマミには十分な質と量。
楽しい夕餉の一時を過ごしてから、部屋に引き上げる。ユキちゃんの浴衣姿は可愛いかったが、Tさんとは襖一枚隔てた部屋。イビキを聞きながら、眠りに就く。
最後の峠を越えて、いよいよゴールが見えてきた。残すところ、あと二~三日。
本日の歩行 42・66キロ
55414歩
累 計 1288・29キロ
1673681歩




