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3/21

*第二日目 五月十三日(火)

 必要最低限の物だけを(たずさ)えて、生き方としては、とてもシンプルだと思う。


(朝一番。目覚めの寝床にて)。


 朝は五時二十分起床。

 その少し前に、一度トイレに立っていたが、腕時計の目覚ましが鳴り出すまでウトウト。

 目覚めの缶コーヒーは、昨日買ってある。

 朝食は、他の人達に合わせて六時から。

 生卵・焼き海苔・味噌汁と、簡素な内容。ゴハンは、大盛り二杯を頂く。


 大方の準備は整えてあったが、「大自然の呼び声」が掛かりそうな気配に、待つ事しばし。昨日は緊張のせいか、まったくお声が掛かっていなかった。

 男の一人旅。山間部など、人目が無い所なら問題無いが、できる事なら面倒な思いはしたくない。

 そうこうするうちに…『来た!』。しかし、わずかばかり。

 とりあえず身支度を整えていると、再び『来た!』。

 都合二回。二回もトイレに駆け込んでいれば、当然宿を出たのは一番最後。

 六時半頃、女将(おかみ)さんに見送られ、二日目へと旅立つ。

「国分寺」脇の細い道もあるようだが、女将さんに教わった道順を辿(たど)る事にする。

 かたくなに「へんろ道」にこだわる人もいるようだが、これも何かの(えん)。人の忠告は、素直に受け入れる事にしよう。


「さて…」


 空は薄曇り。だが、当面雨の心配は無さそうだ。

 まずは宿の前の道を、昨日来た方角とは反対方向。つまり先へ。

 道沿いには民家が並んでいるが、七時前では人気も無い。

 最初の目標である、左に建つラブ・ホテルの角を左へ。


(閑静な住宅街には、不釣合いな建物だ)。


 緩やかな上り道を、眼前に見える山々を目指して進む。

 今のところまだ、どの山をどう越えて行くのか見当はついていない。それほどの高度があるわけではないが、平地からの取り付きだ。それなりの覚悟は必要だろう。


 住宅地を抜けると田園地帯。遍路札に従い右へ左へ。

 墓地が見える所で、下って来た遍路姿のおじさんと朝の挨拶。こんな時間に、どこから下りて来たのだろう?

 その墓地を、まっすぐ抜けるのが遍路道。ここから急に勾配がきつくなる。

 やがてコンクリート舗装が切れ、地道が現われる。

 少し行くと、右上に展望台風東屋(あずまや)

 休憩所のようだが、まだ歩き出して三十分も経っていないし…わざわざそこまで登る気にもなれないし…で、そこは無視して先へ。


 ほどなく正面に、コンクリート製トイレとベンチのある休憩所。

 常に片手に握りしめているガイド・ブックによると…ここは「石鎚休憩所」のようだ。

 左方面に、「石鎚神社」の矢印が向いている。

 宿を出て、ここまで約三十分。一日の後半なら無視しただろう。でもまだ、軽く息が切れる程度。距離もほんの数十メーター。行ってみる事にする。

 左手を流れるせせらぎを小橋で渡り、岩盤に掘られた(それとも洞窟?)小さな(ホコラ)で行き止まり。

 鉄製の柵の間から中をのぞいていると…『ヤバイ!』。急激な便意がやって来た。

 わかり切っていた事だが、今朝の二回では足りなかったのだ。

 出発前日は両親の元に顔を出し、かなりの食べ過ぎ。なのに昨日は、まったく出ていない。

 (あわ)てて取って返す。でも、考えてみれば良いタイミングだった。ザックを降ろし、ティッシュを握りしめ、先ほどのポットン・トイレに…。


「ふ~」

 鳥のさえずりと、沢を流れる水の音。静かだ。ここにはそれしかない。うぐいすの鳴き声が強調されている。

 ここで、一息ついでに一回目の休憩。

 木々に囲まれ、展望の利くような場所ではないが、無言のまま、あたりを見回す。


 こうしていても、色々な事を考える。考える時間は沢山ある。歩きながらでも、こうして休んでいる間でも…。

 そして、こんな状況にあって、フト思い出されるのは…

 都会の朝の喧騒(けんそう)。駅のホームに(たたず)む大勢の人達。道に(あふ)れる車の群れ。

 ちょうどそんな時間帯。

 中には寝起きで寝ぐせを立てて、ゾンビのように頭の中はカラッポ・ボ~ッと見開いた目は何も見ていない…なんて人もいるだろう。

 渋滞にはまってタバコ「スパスパ」…イライラしている人もいるに違いない。

 ここでこうしている間も、遠く都会では、そんな光景が繰り広げられているはずだ。

 かつては大都会で、満員電車に揺られる毎日…そんな日々を送っていた事もある。

 でもみんな、石地蔵ではないはずだ。黙って立っていても、たいていは何かを考えているはずだ。


(人間は、たとえ頭の中でも、言葉を使って思考する。だから、聴力を持たずに生まれてきた人より、盲目で生まれてきた人の方が、知能の発達は早いそうだ)。


 有名な「パスカル」の言葉、「人間は、考える(アシ)である」が思い浮かぶ。

 出発前は、頭の中は常に「何か」でいっぱいだった。

 寝ている間もそんな感じで、いつも「何か」で満たされていた。


『いったいそれは何なのか?』


 漠然とした感覚なのだが…とにかく今は、ユックリ考えていられる。

 そういえばいつだったか、ジョギングをしていて思い浮かんだ言葉がある。


『走る事は哲学する事』


「哲学」とは、端的に言えば「考える事」。

 昔の哲人たちは、思想家であり、医者であり、科学者であり、また芸術家でもあった。

 すべての文化・科学・芸術は、「考える事」「感じる事」…つまりは「哲学」する事から生まれ、派生していったわけだ。


(「人間を人間たらしめている大元である」と言っても過言ではない。最近では死語になりつつある単語だが、大好きな言葉だ)。


 いま現在は、『歩くこと イコール 考える事』。

 身体を鍛える事に熱心な人は多いが、頭も鍛えてこそ「文武両刀」。


 それに、身体を動かしているからこその“ひらめき”もある。

 だから、「身体を動かす事」と「考える事」が好きな人間に、「走る行為」と「歩く行為」はちょうど良い。


 そしてフト思ったこと…

 目先の事だけにあくせくして、何も考えてないような連中より、『考えるサルのほうが、まだマシだ』。


「さて…」

「考える“足”」を続ける事にしよう。


 ここから、「へんろ ころがし」と呼ばれる急坂が始まる。

 登るにつれ、傾斜がどんどんきつくなる。

 朝方のこの時間。それに薄雲がかかっているせいもあり、少々肌寒いくらいだったが…急な登りに、一斉に汗が吹き出す。

 元々、汗っかきの体質。

 さらに身体を壊した頃から、一段とひどくなった。

 あの頃、真夏の真昼の炎天下、ちょっとした用事があり、素肌の上に半袖Yシャツ&ネクタイ着用で出掛けた事があった。

 到着した当方の姿を見た先方は、「雨降ってるんですか?」と(おもて)の様子をうかがう。外はピーカン…『ガッカリだ』と、(こうべ)を垂れる。

 夏とはいえ、わずか二十分ほどの徒歩移動。なのに、『せっかくの正装が台無しだ』。それほどまでにビショ濡れになっていた。

 それ以来、暑い季節にこそ、Yシャツの下に下着を着用するようになった。


 そしてそれは、現在でも変わらない。

「熱い」夏場の機械室。


(場所によってはフル・スケール「60度C」の寒暖計を振り切り、止まっている機械の金属部ですら、熱くて触れないくらいの現場もある)。


 そんな場所では、全身シャワーでも浴びたよう。

 ただ、あまりにきれいにビショ濡れなので、はた目にはそれと気づかないほどだ。


「ぷ~!」

 朝一番の重労働。目覚めきっていない身体に(ムチ)をくれ、上を目指す。

 所々に、「南無大師遍照金剛なむだいしへんじょうこんごう」と書かれた赤い旗が立つ。

 時おり、風にはためいて…パタパタパタ。パタ、パタパタ。誰かが言葉を風に乗せ、何かを語っているようだ。


親父(オヤジ)にもらったこのトレッキング・パンツ、柔らかくて履きやすい。四国八十八ヶ所の御利益を付けて返してあげるのも良いか…』


 そんな事を考えながら登っていると、本日二人目の人の気配。

 ボランティアだろうか? 遍路道沿いの草を刈る男性。年の頃は五十代。挨拶をして通り過ぎる。

 このあたり、数百メーター毎に道標があるので、ペースがつかみやすい。


 山に登って標識を見ると、いつも思う。

『それって、地図上の直線距離じゃないの?』と。

 たとえば、百メーターの垂直な断崖があったとする。でも、平面上での距離は0メーターになってしまう。

『こんな山道の距離、どうやって測っているのだろう?』

 そう思うのが毎度の事。

 でもここには、頻繁に標識がある。『こんなものかな』と納得。


(どちらにしろ、『まだか、まだか』と思いながら登るより、気分的には楽だ)。


 あと二百・あと百…そして視界が開け、広い舗装路に出る。

「県道180号」だ。

 時刻は七時半。取り付きから正味二十分ほどで、ここ「一本松」に到着。


「ふ~!」

 けっこうきつい登りだった。

 でも、距離的には大した事はない。それに、適度な登りがないと、かえってつまらないものだ。


 もう二十年以上も前の高校生の頃。

 休日ともなれば、盛んにサイクリングに出掛けていたが、『登りの苦しみがあってこそのダウン・ヒル』と思っていた。


(一番退屈なのは「サーキット・トレーニング」的な道。中途半端な上り下りが連続する所だ。上り切った下りの先に、また上り坂が見える…なんて、苦痛以外の何ものでもない。上るなら上る。上った分だけ下りが続く。そんなルートがお気に入りだった)。


 また、「山頂を極める」という行為は、未だ見果てぬ夢を追い求めているこんな人間にとって…おのれの力量さえ(わきま)えていれば…割りと手軽に、「達成感」や「征服感」を満足させてくれる行為だ。


「さて…」

 道路手前の(きわ)に立つのが、地名の由来の「一本松」なのだろう。

 道を横断した正面に、地道の遍路道が続いている。山間(やまあい)の県道なので、通る車はほとんどない。

 道を越えた先に、少し広くなった場所。ベンチがある。

“朝いち”の重労働に、頭がクラクラする。そこで、しばしの休憩。

 すでに汗ダクだったが、山の香りが染み込んで良い匂い。

 山を登った時にかく汗の匂いは大好きだ。

 木々や草花の移り香…そんな理由が一番だろうが、必ずしも、そればかりとは言えないと思う。

 きっと、身体の使い方・心の置かれた状況によって、分泌物が違うのだ。

 たとえば、走った時。

 特にマラソン大会参加時は、塩を吹く汗をかく。乾くと、あちこち白くなる。

 そしてそれは、ハーフより10キロ、10キロよりも5キロと、距離が短く、つまり、ペースが速くなった時の方が、その傾向が強い。

 また、仕事中にかく汗。

 特に、暑くなり始めの最初にかく汗は、ベタベタと気持ちが悪く、乾くと臭い。

 その他、冷や汗・脂汗…等々。

「山歩きの効用」を説く人は多いが、『こういった事が影響しているのではないか?』と思うのだ。


(また、「木こりにハゲなし」と言うそうだ。その話を聞いて以後、『もっと早くに「山歩き」を始めていれば、あるいは…』と悔やむ事しきり)。


 一息ついていると、先ほど草刈りをしていたおじさんが、この道を先に行く。

と、入れ違いに、そちらの方角から、尼さん姿の、けっこう年配の女性がやって来る。

 そして「この先は私にはきついので、県道を行く」と残して去って行く。


 この道を進むと、次のお寺からその先へと、片道3キロほどの距離を往復する事になる。


『それではつまらない』


 汗が退()いたところで腰を上げ、県道を行く事にする。先ほどの登り坂から見ると、左向き。西の方角だ。

 本日は頭に、薄い灰色を基調としたバンダナを巻いている。

 特に夏場、ハイキングや登山の際には、白っぽい色調の帽子やバンダナを着用する事にしている。

 理由は「(ハチ)()け」だ。

 蜂の遺伝子の中には、本能的に「黒っぽい頭を持つものは敵である」という情報が()り込まれてあるという。

「黒い頭」とはつまり、蜂蜜を求めてやって来る天敵、「熊」の事だ。

 だから、黒っぽい帽子を被っていると、蜂に刺されやすいと言うのだ。


(黒髪の日本人なら、脱帽状態でも同様?)。


 一方、『四国に熊などいないだろう』と思っていたが(実は間違いだったが)、「熊対策」としては、賽銭用の小銭をポケットに入れて、チャラチャラさせていた。

 こんな所で…と思われるかもしれないが、四国の「熊事情」をよく知らないし、地元の山で、人里と目と鼻の先で熊を目撃した事がある。用心に越した事はない。

 それに、熊()けにラジオなんて、果たして効果があるのだろうか? ラジオの音は、山中では意外と響かない。すぐ近くに行くまで、ラジオをつけた登山者に気づかなかった経験は何度もある。こちらが熊だったら、大変な事になっていたかもしれない。


(だいたいラジオなんて、どこでも電波が届くものだろうか? ラジオの効果については懐疑的だ)。


 テクテクと、舗装路の端を歩く。通行量は少ないが、歩道の無い道。注意して歩くが…前々から、不思議に思っていた事が一つある。

 徒歩に限らず、めったに車など通らない道…なのにどういうわけか、カーブや交差点、道幅の狭くなった場所や、見通しの悪い地点に差し掛かると、突然対向車が現われたりするものだ。

 どうして、こういったタイミングで出会うのか?

 何かが引き合っているとしか思えないような間合い。

 なぜなのだろう?

 見通しの良い、農道の交差点での接触事故もよく聞く話。

 譲り合う気持ちがあれば、出合い頭の事故など簡単に防げそうなものだが…

「最悪のグッド・タイミング」

 そんな事もあるのだろう。

 だから、車を運転していても、そういった場所に差し掛かると要注意。できる事なら、無用な面倒は起こしたくない。


(オートバイで公道を走り始め、長い事バイクに乗っているから、「防衛運転」が身に付いているのだろう。同業者の中には、シートベルトも締めないくせに、「衝突安全性」を気に掛ける阿呆もいるが…「バイク乗り」にとっては、どちらが良い・悪いではない。どちらにしろ、痛い思いをするのは自分なのだ。だから「ぶつかった時にどうか」ではなく、「ぶつからないためには、どうするか」の方が大切なのだ)。


 時に遍路道は、地道にそれながら先へ先へ。

 左側には自衛隊の演習場があるらしいが、まったく見えない。

 このあたり、高度は上がったが、見晴らしの利くような場所でもない。

 やがて、右に建つ自衛隊関連の建物脇に、遍路道の標識。そこの敷地際に沿って、地道が延びている。

「車道で2キロ・歩道で1キロ」の表示。

 別に、近道をしようと思ったわけではない。いつまでも舗装路ではつまらないと思い、そちらに入る。

 兵舎と思われる建物が切れた所でT字路にぶつかる。お寺はここを左。帰り道は、ここまで戻る事になる。

 そこから先は森の中。お寺まではずっと下り。自衛隊の敷地から流れ出た水で、岩や石コロが多い路面はビチャビチャ。

 途中、重装備の若いお遍路さん・昨晩同宿だったおじさん二人と、次々とスレ違う。やがて山門前へ。


《第八十一番札所》

綾松山(りょうしょうざん) 白峯寺(しろみねじ)

   本尊 千手観世音菩薩(智証大師作)

   開基 弘法大師

   宗派 真言宗御室派


 ここは弘仁六年(815)、「弘法大師」が白峯山頂に「如意宝珠(にょいほうじゅ)」を埋め、「閼伽井(あかい)」(神仏に奉げる水の湧く井戸)を掘って『衆生済度(しゅうじょうさいど)』を祈願した場所。

 後貞観二年(860)、「智証大師」の手になる「千手観世音菩薩」が本尊として安置されたそうだ。


 周りは木々に囲まれているが、お寺の付近だけは少し開けている。

 あたりに漂うお香の香り。でもこれは、杉の木のせいもあるのだろう。花粉症の人にはありがたくない事だろうが、線香臭いのも悪くない。


 もちろん現代人。それ程ひどくはないが花粉症だ。

 でも、自分も花粉症である事に気づいたのは、割りと最近、ここ十年来の事だ。

 そして思った事は、『こんなもの、昔からあった』だ。

 ここ二十幾年かの間に「花粉症」などと言って騒がれるようになったが、三十年以上前にだって、あったのだと思う。

 あの頃は「青っ鼻」…つまり、ドロッと緑色した鼻水…を垂らしている子供なんてざらにいたし、毎年春先になると、熱もないのに鼻水が出て、『風邪ひいたかな?』と薬を飲んでも一向に良くならない…などといった経験があった。

 風邪ではなかったのだから当然なのだろう。

 最近になって騒がれるようになったのは、花粉の量が一段と増え、アレルギーを持った人も増えた事が大きな要因だろう。

 しかし、『こんなもの、昔からあった』のだと思う。


 山門をくぐると左手には、「お休み処」だろうか? 営業はしていなかったが、それらしき建物がある。

 それぞれのお寺の経営者(?)の意識・考え方の違いだろう。それぞれに特色がある。

 正面突き当たりには、お寺グッズの販売所。

 そこを左に折れると、正面奥に立派な建物が見える。左右に狛犬(こまいぬ)がいるところを見ると、神社のようだ。

 軽く中をのぞくが、目的の場所はここではない。ゆっくり見たい気もしたが、本日の行程はまだまだ長い。早々に立ち去る。


 そこの手前右に、本堂への石段が上へと延びている。

 ちょうど、同時に上を目指して歩いていた、おじさん三人組。聞こえてきた話によると…ここの石段の数は、「四十二」など、「厄年」にちなんだ数だという。ここは「厄除け」のお寺のよう。だから、それにまつわるお堂も建つ。


 石段を登り切った正面に本堂。

 左右に、大師堂や阿弥陀堂、(ホコラ)…などなど。その他、薬師堂や鐘楼…等々。


 足が痛くなってきたので、靴を脱いで「仏足石」に載ってみる。

(石の上に描かれた、大きな足形。図説書きのある「足踏み式健康板」から、表面に打たれたイボイボを取り去った感じ。足腰の弱い人はもとより、歩き疲れた遍路こそ、霊験を期待してしまうような代物だ)。


 そして最後に、「崇徳上皇」の御陵前で手を合わせる。

 ここには、昨日訪れた下の七十九番、「高照院」に(まつ)られていた「崇徳上皇」のお墓がある。

 中世、「保元の乱」で「後白河天皇」に敗れた上皇は、この地に流され憤死。その呪詛(じゅそ)は凄まじく、その後、歴史的に見れば正統であるはずの南朝政権が倒れたのも、その呪いによるものだ…などと現在に至るまで、伝奇物の中などで、直接・間接に登場する人物。

 第七十五代天皇。

 七十四代「鳥羽天皇」の子とされるが、実は七十二代「白河天皇」の実子であったとも云われている。

 皇統を継いだものの、法皇となっていた「白河」の死後、「鳥羽上皇」との確執が深まり「保元の乱」へと発展。

 敗れた「崇徳」は、異例の遠国流しとなる。

 自らの血で写経した大乗経典の奉納を拒否されると、「天皇を取り捕まえて民となし、民を引き上げて天皇に」と、朝廷を呪い続けたという。

 事実その後、武家政権が誕生。

 そんな事もあってか、江戸期まで、人々は彼の(たた)りを恐れたという…と、あれこれ回っていたので、けっこう時間を食う。

 九時前にお寺に入ったのに、もう九時半だ。

 山門を出て、駐車場脇のベンチで小休止後出発。

 ここからは、しばらく山林の中。道草を食い過ぎてしまったので、ズンズン進む。

 来る時にも通った「下乗石(げじょうせき)」の前を過ぎ…


(この先は聖地であるから、どんなに高貴な人間でも、ここからは馬を降りて歩きなさいという(しる)し)。


閼伽井(あかい)」(前出)、「十九丁」の「丁石(ちょうせき)」と通過。


(「丁石」とは、丁数を刻んだ石の事。一丁は約109メーター)。


 やがて舗装路に出る。

 出た所で、遠足姿の中学生の集団とスレ違う。

 すぐ左には、「足尾大明神」と看板に名が書かれた小さな神社。地元に「足尾(あしお)」という名の町があり、懐かしさを覚える。


(日本最初の公害訴訟、「足尾鉱毒事件」で有名な土地だ)。


 少し先に、「五色台(ごしきだい)スカイライン」方面への左折分かれ道。手前が緑地公園になっている。

 ここにも、大勢の子供の集団。そんな中、トイレ前に、一人ポツンと座っているお遍路のおじさん。


(この旅を通してわかった事だが、歩き遍路で一番多いのは、定年直後の六十代男性。次がフリーター風の二十代。当然の事ながら、働き盛りの三〜四十代はほとんどいない)。


 この時間、朝方かかっていた雲も晴れ上がり、少し暑いくらいになってきた。

 喧騒(けんそう)から離れた木陰のベンチに腰掛ける。

 頭上では(セミ)が鳴いている。そんな季節だ。


「ふ~…」

「白峯寺」を出て四十五分ほど。でも、ノンビリもしていられない。少し休んで、再び日差しの中へ。

 いったん、右へと入る地道の遍路道。

 再び舗装路に戻り、下界の「鬼無(きなし)」から登って来た道が、右から合流するT字路のすぐ先を右に入る。下りの地道。

 上って来た老夫婦のお遍路さんと行き交う。

 どんどんと下って、やがて八十二番のお寺前。


「ん? なんだ、あれ?」


 山門手前、左手上に、巨大で奇怪(きっかい)な像が…

 黒い巨体に丸い両眼をひん()き、頭には二本の角と大きな耳。(とが)った指先は各三本。腕から脇腹にかけて、ムササビのような翼。

 こちらに踏み出すようなポーズを取っている。


 むかしむかし、このあたりにいたと云われる「牛鬼」(「うしおに」。あるいは「ぎゅうき」)の像だ。

 男の子が喜びそうな怪人・怪獣姿の像は、まだ新しい物のようだ。

 モデルとなったのは、江戸期に描かれた図画。


(ここには、その掛け軸と、牛鬼の物とされる角が秘蔵されているという)。


 昔から伝えられる妖怪の一つで、「枕草子」…平安期の書。「春はあけぼの…」で知られる「清少納言」の、今で言うところのエッセイ集だ…にもその記述が見られるという。


 でも、こうして像になった怪獣のような姿を見ていると、UMA(ユーマ)(Unidentified Mysterious Animal―未確認生物)的。

 その手の話は嫌いではないが(むしろ大好きだ)、実在したかどうかは「?」。


(むしろ否定的)。


 もちろん、長い歴史の中で、異形(いぎょう)の牛が生まれた事だって、あっただろう。


(九州・四国地方には、「(くだん)」と呼ばれる人頭牛身の妖怪も伝えられている。全国的にも、「牛妖(ぎゅうよう)伝説」はあちこちに点在している)。


 それに、水牛のように立派な物でなくとも、角が生えている牛もいる。


(実際この後、見かけたものだ)。


 確か「愛媛」あたりでは、その昔、「闘牛」(と言っても、牛と牛を戦わせるものだ)が盛んだったそうだし…

 元々そういった伝説が生まれる土壌は、あったのではないだろうか。


 心霊現象と違い、「妖怪」は学問の一つ。

「遠野物語」で有名な「柳田國男」以来、「妖怪」は「民俗学(フォークロア)」となった。


「ふ~ん」

 しばし牛鬼の像を眺めてから、山門前へ。


 門前には、野良犬が四~五匹。遠巻きにこちらを眺めている。

 前にも書いたが、ここ四国には野良犬が多い。放し飼いも多そうだ。

 ただし、みな気の抜けた顔をしている。気候が良くなったせいもあるだろうが、きっとこちらは暮らしやすいのだ。


「さて」

 時刻は十一時。

 車や小型バスの団体さんが、入れ替わり立ち代わりやって来る。

 ここは山岳寺院。元々は山深かったのだろう。

 今ではきれいに整備された道が近くを走り、お寺の前まで乗り着けられる。


(ただし、ここの門前は大型バスでは無理。旅行会社の方でも、お寺によってバスを使い分けているようだ)。


 たまたまそこにいたバスの運転手さん。大学時代のバイク仲間に似ている。


『たしかアイツは愛媛の出。つまりアイツは四国顔…って事か』


 そんな事を思いながら、人波が切れたところで山門をくぐる。


《第八十二番札所》

青峰山(あおみねざん) 根香寺(ねごろじ)

   本尊 千手観世音菩薩(伝 智証大師作)

   開基 弘法大師

   宗派 天台宗(単立)


『良い感じだ』

 石段を登りながらあたりを見回し、そう思う。

 (がい)して山寺の方が、雰囲気がある。それに、下から自分の足で登って来たかと思うと、達成感もひとしお。

 でも、いったん下って、また上り…と、けっこう長い。

 たとえ門前まで車で乗り着けた人だって、中に入れば自分の足で登らなくてはならない。


(この後、どこかのお寺で見掛けた光景。遍路ではない観光客のおばさんが、「私はここまででいいから…」と引き返す場面を目にした事がある。ここだって、普段運動とは無縁の人やご老人にはきついだろう)。


 ここは、弘仁年間に「弘法大師」が「華蔵院」を創建。

 天長九年(832)に「智証大師」が「千手院」を創建。

 この二院を総称し、「根香寺」と号するようになった場所。

 苦しい修行を重んじるようになった平安時代の、山岳仏教の場。


「ふ~」

 やっと、てっぺんの本堂前に到着。両手を合わせる。

 本堂裏側には、グルッと巡る回廊。暗くてヒンヤリとするその中には、三万三千三百三十三体といわれる無数の小さな観音像が奉納されている。


 お参り後、石段を戻りながら、要所・要所で立ち止まる。

 ペット塚ではないかと思われる所で手を合わせ…


(この春、十九年間連れ添った猫と、別れたばかりだ)。


 水辺に建つお地蔵様を眺め…


(良い顔をした像というのは、いつまで見ていても飽きないものだ)。


修験道(しゅげんどう)」の開祖と云われる「(えき)行者(ぎょうじゃ)」「役小角(えんのおずね)」の像を見上げたり…


(今流行りの「陰陽道(おんみょうどう)」以前、七世紀の人物。「阿部清明(あべのせいめい)」の「式神(しきがみ)」同様、「鬼神(きしん)」を使役し、空も飛んだと伝えられている)。


と、そうこうしながら山門へ戻る。腕時計を見ると、時刻はもう昼近い。結局ここでも、少々時間を食い過ぎた。


 休憩もそこそこに、来た道を登り始める…と、向こうから、二台のオフロード・バイクがやって来る。

 ヘルメットは被っていたが、前を走るのは女性。男女のペアだ。

「白峯寺」からの道にもタイヤの跡があり、『?』とは思っていたのだが…どうやらこの二人のようだ。

 ナンバーは見なかったが、林道ならともかく、こういった所にまで入って来るのはどうかと思う。同じバイク乗りとしては、非常に残念な事だ。


 入って来た分かれ道からは、左「鬼無(きなし)」方面へ。

 途中、地道の遍路道に()れたりもしたが、おおむね舗装路の下り。「根香寺」へ向かう時にスレ違った老夫婦に、追い着き・追い越す。

 この時間、日差しも強まり、足元からの照り返しと相まって、暑いくらいだ。


 分岐点にあった石段積みの(ホコラ)の前で、買い置きのパンでお昼にする。

 下界が見下ろせ、見晴らし良し。

 たぶんここは、ガイド・ブックに載っている写真の場所。

 同じアングルで一枚…と思ったが、あいにく葉をつけた木の枝が張り出している。残念!


 昼食後は、下へ下へ。

 下りが緩やかになる頃、(ふもと)の集落に入る。


 上から見るとよくわかるが、全国一「降水量」の少ない香川県…


(小学校の時、そう習ったはずだ)


 あちこちに「溜池」がある。


(習った通りだ)。


 そして水場には、必ずカメがいる。

 池にも川にも…みんな首を出して、こちらを見ている。

 それも、みな大きいヤツばかり。

 そんな溜池が、この集落にも一つ。

 そして野良犬が寄って来て、遠巻きにこちらの様子をうかがっている。


 そこを過ぎると、下りが終わって平地の直線路。

 県道と、それに平行して走る「JR予讃線」を、「鬼無駅」付近で横断。

 鬼無町内「岩田神社」まではよかったのだが…

 地図も確認せず、うっかり直進。ガイド・ブックにも載っていない、片側二車線の広い道に出てしまう。

 新しい道のようだ。とにかくそこを右折。


 方角的には間違っていないが、上から見て『ここか』と思っていた建物は、ガイド・ブックにも載っていない神社。


『がっかりだ』


 次に目指すお寺まで、あと7キロ。まだまだ(はる)か先。

 どうもまだ、歩きによる距離勘はイマイチ。


 しばらく歩いて、ルート発見。

 ホッとしたところで、スーパー前の自販機でコーラを買い、備え付けのベンチに座って一息入れる。


 ここからは、ガイド・ブックとにらめっこ。道標を見落とさぬようにと集中して歩く。


 犬に吠えられ…


(こちらの、特にイナカでは、犬を飼っている家が多い。「吠えない犬では番犬にならぬ」と言うけれど、少々閉口)。


 四国名物「潜水橋」で「加東川」を渡り…


(川が増水すると沈んでしまう低い橋。普段は水量の少ない四国ならではの物なのだろう。高知県「四万十(しまんと)川」の物が有名だが、小さい物ならあちこちにある)。


 河川敷沿いに「国道11号」の下をくぐり、ムシムシする堤防上のサイクリング・ロードを行く。


「成合橋」で川から()れ、住宅地を抜け、「国道32号バイパス」を渡った先に「成合神社」。

 それほど大きな場所ではない。人気(ひとけ)の無い境内に入り、ベンチに座ってしばしの休憩。

 時刻は、もうすぐ午後の二時。上着を脱いでTシャツに。

 山を下って、もうかなり歩いた。もっと早くに、そうしておけば良かった。汗でビッショリ。身体も火照(ほて)っている。


 山道を歩く時は、一年を通して、なるべく肌は露出させない事にしている。

 岩や木の枝・虫刺され。切り傷・擦り傷ばかりではない。「(うるし)」を見分ける知識は無いし、時には死に至る「ツツガムシ」や「スズメバチ」だって、どこにいるかわからない。

 そんな被害を避けるためだ。

 それに例えば、ミサイルの名前にもなっている「サイド・ワインダー」というヘビ。名前の由来は横にクネって移動するからなのだが、獲物の体温に反応するそうだ。そんな理由から、「熱追尾型ミサイル」の名前になったのだ。


 身軽になったところで先を急ぐ。


 続くお寺まで『もうわずか』と思っていたのだが、かなりあった。

 田んぼ道を通り…家並を抜け…下校途中の小学生達に混じって横断陸橋に登ると…向こうにお寺の看板が…


『着いた』


 駐車場には、白衣(びゃくえ)を羽織り、サイドカー付きのハーレー・ダビッドソンに乗ったおじさん。

 境内には、本日最後の団体さん。

 中に入る。


《第八十三番札所》

神豪山(しんごうざん) 一宮寺(いちのみやじ)

   本尊 聖観世音菩薩(伝 弘法大師作)

   開基 義渕僧正

   宗派 真言宗御室派


 ここは、前二つのお寺と違い、平地に建つ。

 それに、もうここは「高松市」の一部。周りはかなり栄えている。


 このお寺は、大宝年間(701~704)、「義渕僧正」により創建された。

 一国一社の勅命を奉じた「行基菩薩」が讃岐一の宮の「田村神社」を建立。

 その別当となり、「神豪山 一宮寺」と称する。

 大同年間(806~810)、「弘法大師」が「聖観世音菩薩」を刻んで本尊として安置。荒廃していた堂塔を補修整備し再興させたと伝えられている。


「ふ~」

 本堂・大師堂とお参りを済ませ、人波の退()いた境内で、ベンチに腰掛けちょっと一息。

 到着時刻は午後三時。

 宿を出てから、もう八時間以上が経っている。


『何時間かけようが、一日に歩ける距離には限界がある』


 左腕にはめた腕時計を見ながら、そう思う。

 少々足の裏が、特に右足の平が、痛み出していた。


 身長177センチ。靴のサイズは27センチ。そして体重は、だいたい70キロ半ばから後半を行ったり来たり。


『きっと重いから、不利なんだよ』


 前々から、特にマラソン大会に参加するようになってから、いっそう強く思うようになった。

 高クッション性を(うた)うシューズは多いが、いったいどれほどの体重を想定してのものなのだろう?

 クルマやバイクだってそうだ。車重や積載量に応じて、サスペンションやタイヤが違ってくる。

 もちろん、軽過ぎても問題が出てくる。品質過剰(オーバースペック)では、パワーを無駄に消費しかねない。


『いっぺん、メーカーに投書してみようか?』


 こんな事に頭を悩ますのは、かつての職業が、モーターサイクルの「研究・開発」業務…早い話が、「テスト・ライダー」だったから。

 それに、夢見て走っていたモトクロス・レース。

 エンジン・パワーより、足回りの性能が重視される不整地走行。

 そういった事に関しては、少しばかりうるさいのだ。

 それに、『カラダがデカいから、体重が重いからって、同じ人間の皮膚、そんなに違いがあるわけじゃない』と思っている。

 つまり、同じタイヤなら、車重が重くなるほど()かる負担が大きくなる。

 体重が軽い人と比べると、絶対的に不利。脚力で補えるというものでもないだろう。


(マラソンに細い人・登山に小柄な人が多いのは、自然淘汰された当然の結果。今さら身体を縮める事など無理。大柄・筋肉質は、始めからこういった事には向いていないのだ)。


 おまけに、クッション性を重視して履いてきたジョギング・シューズだが、新品というわけではない。


(どのみち、途中で一足くらい履き替える必要があると思っていたからだ)。


「さて…」


 閑散とした境内。見回せば、数人の人影が掃き掃除をしているくらいだ。

 いつまでも、こうしてはいられない。

 それに、ガイド・ブックによると、このあたりに宿は無い。もっとも、どちらにしろ今日は、高松市内まで行くつもりだった。


『たとえ遍路道からは(はず)れても、八十八ヶ所以外に、四国各県の県庁所在地の駅前を訪れる事』が、事前の目標でもあった。

 市街地まで、直線距離にしてまだ7キロ。先を急ぐ事にしよう。


 境内を突っ切り、敷地の反対側にある山門をくぐって寺を出る。

 山門側だから、元々はこちら側が玄関、そして本道なのだろう。今ではひっそりとしている。

 道路向かい側は、おそらく「田村神社」の敷地。

 山門を出て左。少し北に上れば、先ほど横断陸橋で渡った交通量の多い道。

 右折した所に「田村神社」入口。

 その前を素通りした先に、左右に走るのがガイド・ブックに示された道のようだが…「歩道の無い、通行量の多い道」とある。

 疲れてきたこの時間。行き交う車に気を配りながら歩くのでは面倒だ。

 そこは遠慮し、その少し先、片側二車線の広い道、「国道193号線」まで行き左折。

 左側の歩道を北上し、高松市街を目指す。


 この頃には、いつの間にか再び雲が多くなり、一面灰色の空。風も出てきたが、すぐにどうのこうのという雲行きではなさそうだ。

 それでも気温は高目。平地を吹き抜ける風が、かえって心地好い。


 前方には、お遍路姿の二人連れ。

 そんな光景を眺めていると、「同行二人」…そんな言葉が浮かんでくる。

 つい最近まで、これを「どうぎょう ににん」と読む事を知らなかった。「どうこう ふたり」だと思っていた。

 ただ、「たとえ一人で歩いていても、いつもお大師様といっしょ」という意味だという事は、ずいぶん前から知っていた。

 小学生の時分、愛読していた自動車雑誌に掲載されていた連載漫画。若者が、オンボロ・ジープで日本一周の旅をする…といった内容だった。

 その四国での(くだり)に、そんな話があったからだ。


 もしかすると、昨晩同宿だったおじさん二人か? この距離では、まだ確認する事はできない。

 段々と間隔が詰まってくるが、いい加減疲れてきている。


『追い付いて、挨拶とか、面倒だ』


 そんな心持ちになっていると、道の反対側にスポーツ用品店。片側二車線の道を横断して、店に入る。

 明日からの事もあるので、足に巻くためのテーピング用テープ購入。店先の自販機前で一息入れてから出発。

 先ほどの二人は、もう見えない。


 ちょうど下校時刻なのだろう。自転車の高校生達とスレ違いながら、市内を目指す。

 大きな道なので、所々に距離の標識がある。

 しかし、なかなか数字が減らない。実際、歩くスピードなんて、こんなものなのだろう。


「国道11号」を渡って、もうひとふんばり。徐々に建物が立て込んでくる。


 左からのガイド・ブックのルートと合流すれば、間もなく左手に名所「栗林(りつりん)公園」。

 時刻は四時半。まだ営業していたが、痛む足を引きずってまで、わざわざ入園料を払う必要もない。入口前の自販機でジュースを買って、最後の休憩。


 その後、市街地をさらに奥へと入って、「高松駅」を目指す。

 本日通ってきた山間部との落差が新鮮だ。


 都市部には、様々なエネルギーやパワーがあふれている。

 吐き出される排気ガス。

 (とも)る明かり。

 沸き返る人々が放つ熱気だって、バカにならないだろう。

 でもそれは、物理的・化学的なものばかりではない。


 性欲・金銭欲・出世欲。はたまた、(うら)み・(つら)み・(ねた)み、等々。

 人間の思念が生み出す数々の欲望。そんなものも渦巻いている。


 もちろん山間部にだって、あふれんばかりの生命力がある。

 たとえ雪で埋もれていても、ジッと(ひそ)むような大自然の息吹きを感じる事がある。

 でも都会には、ジッとはしていられない、性急で、かなり無秩序な「なにか」が、確かに感じられる。


(山から下りて来ると、いっそうだ)。


 中には、何かと「自然回帰」を叫ぶ人もいるが、それ一点張りでも困ってしまう。


(そう言えば最近では、そういった人の数も、ずいぶんと減ったような気がする)。


 人間個々は、大自然の中にあっては、きわめて弱い存在だ。だから群れを作って身を守り、社会性を身に付ける事により発展してきた。


(この年になってやっと、「人間は社会性の生き物である」という事が理解できるようになってきた。まったく孤立した「自給自足」などありえない。それはむしろ「物質的」なものでなく、「精神的」な面でだ)。


 それはきっと、猛獣や敵対する集団など、目に見え・手で触れるものに対してばかりではないのだろう。

 自然が減り、「もののけ」や「あやかし」の類いが減った事を嘆く御仁もいるが、案外、人間が集団を作った第一の理由は、そういった目に見えない「もの」から、自分達を守るためだったのではないだろうか?


 どちらにしろ歴史は、後戻りを許さない。今さら、不便・不自由な生活になど戻れない。

 ただ、人間の数が膨大になりすぎただけだ。


 また、「手つかずの自然」「遺跡の保存」に固執する人達もいるが、単なる自己満足としか思えない。

 あくまでそれは、人間のライフ・スパンを基準にしたものであり、地球的・宇宙的時間軸の中ではほんの一瞬。

 今までの地球の歴史を振り返ってみても、数度の「大量絶滅」があったのだ。

 過去から未来永劫にかけて、変わらないものなど、何ひとつない。


(このあたり、仏教の教えにもある通り。「色即是空(しきそくぜくう) 空即是色(くうそくぜしき)」。すべてはうつろい、変わってゆくものなのだ)。


「人間の私利私欲を加えない」といった考え方になら賛成もするが、かたくなに「そのまま」にこだわるより、共存・共栄。バランスが大切なのだと思う。


(もっとも、今現在の人類に、適量をわきまえた人がどれくらいいる事か)。


『太古の人類は、もっと上手に、自然との折り合いをつけてきた』


 そうとも思えるのだ。

 とにかく、「エッチラ・オッチラ エッチラ・オッチラ」歩く、高松の街。


 ここは四国の表玄関。港もあるし、故郷の街より大きそうだ。

 官庁街を抜けた先に「高松駅」。駅舎をバックに写真を一枚。

 日はまだ高いが、時刻は五時過ぎ。よい時間だ。

 電話ボックスに入り、電話帳を繰る。ここから見える距離にあるビジネス・ホテルにチェック・イン。


 フロントにいた、夫婦と思われる初老のおじさん・おばさんが二人でやっているのか?

 四~五階建ての三階。エレベーターも無い、少々古い建物。

 痛む足に階段の上り下りは少々きついが、料金はリーズナブル。

 まずはユニット・バスに浸かって、パンツ・靴下・Tシャツを手もみ洗い。

 浴槽を出てから、バス・タオルにくるんで足踏み脱水。

 夕飯は、近くのコンビニまで出向いて弁当を買う。

「唐揚げ丼」に「おろしダレ」の冷たいうどん。


 でも、疲れ過ぎてしまい食欲不振。暑い一日だったのに、ビールを飲む気にもなれない。

 軽い「熱射病」「熱中症」気味? 脱水・脱塩症状?

 ランニングやハイキングではなく、ウォーキングという意識が強いせいか、水分補給が足りなかったようだ。

 明日からは、もっとこまめに()らなくては…と反省。

 その後、ベッドに横になり、旅の記録をつけていたのだが…。


「ん?」


 つけっ放しにしていたテレビの画面。地元の公共機関が流しているケーブル番組だと思うのだが…。


「あれ?」


 流れていたのは、ここ高松で催されたクラシック演奏会。

 映っていたのは、女性フルート・デュオの演奏風景。

 ベッドから起き上がり、画面に顔を近づける。間違いない。その女性の一人には、見覚えがあった。


 芸大出身の元妻の同級生。

 結婚して我が街にやって来た元妻が、家から一番近いスーパーで、偶然再会した学友だ。

 向こうは向こうで、結婚後、ご主人の仕事の関係でこちらに来たそうだが…高校時代の同級生だった夫婦は、ここ高松が地元だという話を聞いたはずだ。

 そして、なかなか子供ができないとも…。


「はて…?」


 名前は、たぶん旧姓なのだろう。

 そちらの業界、結婚後も旧姓を名乗る人は多いが…こちらのような結末になっていない事を祈るばかりだ。


「ふう~」


 そんなこんなで、時刻はすでに十一時。明日は天気が崩れるそうだ。そろそろ寝るとしよう。



本日の歩行 37・14キロ

      48244歩

累   計 56・67キロ

      73612歩 


(この旅のために、わざわざ買った「万歩計」。やはり山道では無理があるのか? ガイド・ブックの距離と比較すると、ずいぶん足りない)。


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