*第二十八日目 六月八日(日)
夕べは窓を開けて寝たのだが…部屋は角部屋。窓が二ヶ所ある。でも、二枚とも開けていたのでは涼し過ぎる。通り側は閉めて、駐車場に面した方だけ開けて寝る。
しかし…酔っ払いの声は聞こえるし、何だか寝つきが悪かった。
そして、何時頃だったか? 目覚ましのセットを変更していない事に気づく。電灯の小玉を点けて、五時半にセット。
再び目覚めたのは、目覚ましの電子音。この時点で、膀胱は満タン寸前。ちょうど良いタイミングで起き出し、六時半の朝食までに準備を整える。
窓の外の景色は霞んでいる。この時点では曇りだと思っていたのだが、実は霧。
六時半に、下の食堂へ。
生卵・焼き海苔・竹輪と大根おろし・お新香・甘口の白味噌スープ・御飯は茶碗二杯。
食後、歯を磨いてトイレ「大」。二階からの「汲み取り式」なので、かなりの落差。「おつり」の心配はいらないが、下が見えず「奈落の底」といった感じで…久しぶりに、子供の頃にはお馴染みとなっていた「不気味さ」を感じる。
(「汲み取り式」を知る世代だが、「水洗」が当たり前と思っていた昨今。これからの時代、このような所に生まれ育たなければ、きっと臭いや雰囲気にガマンのできない人間に育つ事だろう。最近ではむしろ、「清潔過ぎる」「潔癖過ぎる」ことが問題となる世の中だ。そういった構造は、今後いっそう加速される事だろう)。
本日は硬目で、量も少な目。そして午前七時、おばさんに見送られ、宿の前の道を先へ。ここが本来の遍路道。
『今日は日曜のはずだけど…?』
小学生が集団登校。ランドセルを背負っていないので、何かのイベントでもあるのだろう。
それにしてもここには、「宇都宮」姓がとても多い。四国に「宇都宮」姓があるという事は知っていたが、ここにこんなに沢山存在するとは思わなかった。地元「宇都宮」に、「宇都宮」姓はまったく無いのに…。
(これも偶然なのか? この日の夕に、その理由を知る事となる。それは本日の後半にて)。
「国道56号」と並走する旧道で、「宇和」の町を抜ける。日曜という事もあってか、通りは少ない。
街並を出ると、いっそう霧が深くなるが…経験上、こういった夏の朝霧は、天気が良くなる証拠だという事を知っている。
(湿度が高く、天気が良いので霧が発生する。この濃霧の外側には、晴天の空が広がっているはずだ)。
やがて七時五十分。「真土」という場所で国道に合流。
『Tシャツでは寒いか?』と思っていたが、歩いている分にはちょうど良い。
そしてこのあたりから、急速に霧が晴れ上がり、予想通り、初夏の太陽が顔を出す。こうなると眩しい。先ほどまでの寝ボケ眼では、強い日差しに射抜かれて、クラクラしてくる。
休業中のコンビニ店舗前で、本日最初の休憩。進行方向は北向き。建物はその右側、つまり東側なので、店の前には日陰ができている。
少々早いが、靴を変更してからの問題点…右足・小指の付け根が痛み出した。地ベタに座り込み、靴を脱ぐ。馴染めば楽になるだろうとマッサージ。
「ふう~…」
霧が晴れると、付近の全貌が見えてきた。このあたりは平地だが、向かう前方には山・山・山。
ここからは、主に国道を歩くが、所々に旧道あり。こんな所の旧道に見るべきものは無いが、大体が国道をショート・カット出来る配置。ことごとく入る。
でも、まだ太陽が昇り切っていないこの時間。右前方の、低い位置から差す日差しが眩しい。
やがて、ずっと前方に見え続けていた山の麓に至る。
ガイド・ブックによれば、この先、国道のトンネル内に歩道は無いようだ。どちらにしろ、遍路道で峠を越えるつもり。国道通過なら「4・5キロ」だが、峠越えはプラス約1キロの「5・5キロ」。時間にしてプラス1時間ほどの行程となるらしい。
そして午前九時。左への遍路道との分岐点。その左角にあった道路管理施設の建物の日陰に入る。
ここでもしばし、足のマッサージ。見上げれば、木の上で、鳥同士が喧嘩(?)している。これから向かうのは「鳥越峠」。なんとも象徴的ではある。
そこからは、すぐ下の田んぼの中の集落に下りる。
そこを抜ける途中に、左に入る「へんろマーク」。ここから山道だ。峠まで1・5キロとある。
峠まではずっと上りだが、勾配はそれほどきつくない。
頂上は森の中。地蔵があったか? 先が下っているので、『ここが峠だな』と思うような場所。
『この道を上がって来たの?』
右脇に軽トラ。その先の藪からガサゴソ音がするので、人がいるようだ。
下りに掛かった所で「一旦停止」。水分補給してから下り始める。
途中に、木枠を石で囲った小さな祠。中には、子供の頭ほどの丸い石が祀られてある。立看(板)には「日天月天様」とある。
解説によれば…昔、世の中で一番尊いと考えられていたものは、昼は燦々と光を注ぐ「お日様」、夜はほのかな明かりを落とす「お月様」。梵字(古代インド文字)が刻まれた御神体は、これを表すものとして、「日天月天様」と呼ばれ祀られてあるそうだ。
近くには、寝泊りできるような木造の小屋もある。
その後、林道を横切り、やがてアスファルトの道に入る。
左下の方角から、国道を走る車の音が聞こえる。国道を左に逸れたのに、その道が左を走っているのはトンネルのせい。わかってはいるのだが、何だかヘンな気分だ。
国道方面やバス停に下りる道もあったが無視して進むと、未舗装の林道。長くて退屈なダラダラ道。
最後に、右の方へ行く林道から逸れ、草の茂っている左下への遍路道を下れば…。
番外霊場「佛陀懸山 札掛大師堂」
「弘法大師」がここで休息した折、「釈尊」の御影札を松の木に掛けたとの言い伝えがあるそうだ。
山門風の門構えだが、お寺というより豪農の家…といった造り。白い「弘法大師」の石像が見えるが…チョイと中をのぞいただけで先へ。
ここから民家の間を抜ける路地を通り、小学校の前を過ぎた先に国道が見える。
「国道56号」に出て右折。間もなくの所の道路右側に、工事で車線規制されている場所。少し先で、橋の工事をやっているのが見える。
(下では、新たな高速道路を建設中)。
簡易のガードレールで仕切られた休工地帯に入り、地べたに腰を降ろす。時刻は十時四十分。
ここで、先日「宇和島」で、自転車のおばちゃんからもらった餅を食べながら二十分ほど。
(賞味期限は今日までだ)。
ついでに、先を見越して本日の宿の予約。この先20キロ弱。「内子」の町の宿。
『さて、宿も決まったし…』
ここから国道は下り。どんどん下る。上り側には登坂車線もあるので、道幅は広い。歩道完備だが、場所によっては反対側にしかなかったり…飛ばしている車の多い三車線分の道幅を、ビッコを引きながら、小走りで横断しなくてはならない。
底まで下ると、国道「56」&「197」、「大洲道路」が複雑に入り組んでいるあたり。
手前に「へんろマーク」。右側の小さな街並に入ると「国道441号」。左手の川に沿った道。
「あち~!」
山々に囲まれた谷底みたいな地形のせいか、空気が動かず、とても暑い。おまけに、川に沿った道には、日陰になるような物も無い。暑さで「ふうふう」言いながら歩く。
「大洲道路」の高架をくぐると…「涼し~」。日陰だし、風も抜けている。ここから先は、日陰はないが、少し空気が動いている。
やがて「へんろマーク」。十字路を左に曲がって、橋を渡る。
右手に移った川原は…水と緑で、何か良い雰囲気。前方左岸に見えるこんもりした丘には、東屋風の建物。
ここはすでに「大州市」。「柚木」という地名のあたり。
この付近、公園になっているようだ。休憩できる場所もありそうなので、通りかかった道路左際の自販機で冷たい物を買っていると…向こうからやって来た車が停まり…「『臥龍山荘』ってどこですか?」。声がする。見ればおばさんの二人組。
『?』
こちらだって、たった今ここにやって来たばかりなのだ。あたりを見回すと、おばさん達がやってきた方向に「臥龍山荘」の文字の見える看板が…その事を伝えてあげる。
その先から、旧い街並が始まる。Y字路を右。
『川に出ようか』
そこで、右の「大洲神社」の方に入って行くと、川岸の高台に出る。それほどの高度ではないが、川面を見下ろせる場所に、祠に入った地蔵様。その横に、ベンチが数基並んでいる。
そこに座って休憩。木陰で風も吹いており、眺めも良好。
足元の川岸では、おじいちゃんが魚を釣っている。
神社があるであろう、先の山の上の方から、祝詞の声が降りて来て…しばし『没我の境地』。良い言葉だ。
でも…『ハラへった~』。我に返る。時間は、ちょうど昼の十二時。でも、今日はあいにく、何も持っていない。「食」を求めて街並に戻る。
少し行けば、「大洲」の中心部。「市」だけあって、大きな街。それに、旧さというか、歴史を感じさせる街並。ここで銀行ATMに立ち寄り、お金を下ろす。
(でも、今日は日曜日。手数料は倍。失敗した~)。
「56号」に出て右折。「肱川橋」で「肱川」を渡る。川の両岸には、「鵜飼」(?)或いは「屋形船」(?)。屋根の付いた舟が、何隻も舫いである。
左に見える丘の上には「大洲城」があるはずなのだが…すっぽりとカバーされ、「大洲城」の文字。改装中のようだ。
国道沿いに「へんろマーク」。旧市街を抜け、もうそろそろ街を抜けてしまうが…『今日のお昼は絶対ラーメン』。そう決めてある。
特別「好き」というわけではない。でも、「昼は外食」みたいな仕事をしていると、ラーメン店に立ち寄る割合はかなり高い。しかし少なくとも、ここ一ヶ月は食べていない。
それに…『四国には、ラーメン屋が少ない』。フトそう思った今日、無性にラーメンが食べたくなっていた。
(実際、先ほどの休憩からここまで、街中を抜けて来たというのに、ルート上には一軒のラーメン屋も無かった。少なくとも、関東ではあり得ないこと?)。
『ダメかな?』
店自体が無くなりかけた頃、国道右側に、赤い看板のラーメン・ショップ。関東にもあるチェーン店だ。
店内は…『涼しい~』…エアコンが効いている。時刻は午後一時。まあまあの混み具合。
空いていたカウンターの角に着席。右にL字型の右角。右隣りには、中学生と思われる男の子四人組。
塩ラーメンとライスを注文。味の方は…『まあ、こんなものでしょ』。
でも、『料理というものは、センスの違いが出る。たとえFC店とはいえ、作る人によっては別物になってしまう』と、「脱サラしてこの仕事やってます」風の、店のおじさんの動きを見ていて、そう思いました。
食後、店の前にあった自販機で飲物を仕入れ、カンカン照りの国道を先へ。
街並も終わりか…と思っていたのだが、この先、「松山自動車道 大洲インター」がある。その近辺に、新興のショッピング・センターなどが広がっており、日曜の今日、かなりの賑わいを見せている。
そんな中…『?』。
インターの入口を過ぎた先。道路左側に白装束の集団が…番外霊場(番外第八番札所)「十夜ケ橋 永徳寺」とある。
かつて、この下を流れる川の橋の下で、「弘法大師」が野宿をした場所らしい。
寒さと空腹のあまり、一晩が十夜にも感じたとの伝えから、この名が付いたそうだ。
上にはお堂も納経所もあるが、それほど大きな川ではない。お大師様の安眠を妨げてはならないと、橋の上では金剛杖を突かない慣わしだそうだが(それはここばかりでなく、すべての橋に共通だそうだ)、国道を車で走っていたら気づかないほどの小さな橋。
ずっと右側を歩いていたが、信号で止まった車の間を縫って左側へ。
お堂で手を合わせ、下に降りてみる。団体さんがお経をあげているので、遠巻きに眺めただけ。
その川沿いに、「四国のみち」の標識。それに従い、左の方角に進んでみるが…コンクリート工場の敷地を通ったり、遍路道とは微妙にズレている感じ。あまり深入りしてはマズいと思い、まだ右に見える国道に戻って前進。
道幅は狭くなったが、本屋・自動車屋、等々、まだまだ続く。
『?』
道路反対・右側のコンビニ前で、休憩している男女の遍路さん。
『気づいてくれたか?』
軽く会釈して通り過ぎる。
「新谷」という街の手前で、「へんろマーク」に従い左の旧道へ。
やがて「新谷」の街並。ここは、国道側に「JR予讃線」の駅があり、私立高校もあるせいか、集落と呼ぶには語弊があるほどの規模。
「あやめ祭り」会場ではカラオケ大会。
ピンク色の、移動アイスクリーム販売車が走り過ぎる。
街を出掛かった所の左に、「新谷へんろ休憩所」。お餅屋さんの店先が、無料休憩所になっている。時刻は二時半。
本来、こういった場所は苦手なのだが、本日は日曜でお店は休み。誰もいなかったので、脇に設置された自販機で冷たい物を買って休憩。
そこに、先ほど、国道のコンビニ前で休憩していたと思われる男女のお遍路さんが通り掛かる。
『?』
おじさんと若い娘の変な組み合わせ。おじさんは、たまたま通り掛かった小学生に逆接待。お菓子を手渡し、通り過ぎて行った。
しばらく経ってから歩き出すが、直線の先に、二人の後ろ姿。かなりのゆっくりペース。
その先、夜は「ほたる祭り」をやっているであろう小さな川を渡って、国道に戻る。
道は緩い上り。やがて、前方の二人に追い付くが…右側を歩いていたおじさんに呼び止められ、二人がこちら側に渡って来る。
そこから少し、おじさんと話をしながら歩く。女の子は終始無言。
元々のコンビではないようで、女の子は「横浜」から来たらしいが、おじさんは関西弁。「おじさん」というより「おっちゃん」といった感じ。しゃがれ声で、まくし立てるように話しかけてくるが…あいにくこちらは、初対面の人とベラベラ喋れるような人間ではない。ペースも遅いので、先に行く。
「大洲市」から「内子町」に入り、JR「五十崎駅」が右に見える頃、「へんろマーク」に従い国道を左に逸れる。
裏山といった感じの山道。大きな家庭菜園風の畑の脇を通って舗装路に出ると、間もなく「内子運動公園」。
野球場では、中学生が試合をやっている。販売機前で、冷たい物を飲んで立ち休み。
そこから下れば、どんどん「内子」の街中へ。メイン・ストリートと思われる通りに出れば、本日の宿。数階建てで、けっこう大きい「旅館」。
でもまだ早い。四時を少し回ったところ。
この先にある、「古い町並」へ行ってみる事にするが…すぐかと思っていたが、かなりあった。「町」だが、かなり大きな街。
着いてみると、確かに古い町並。おそらくこの地区は、建て替えが出来ないのだろう。美容室の看板を掲げている古い家もある。
そして、適当な所まで行って引き返す途中…往く時にも、左の道端の石段に座っていたおじさんに呼び止められる。向かいの家を示して、「日本庭園とかあるから見ていけ」と言う。
(もちろん無料)。
言われるままにのぞいて見ると、すでに数人の先客。入ってみれば…まだ「昭和」の初期には、あったであろう造り。
(つまり、それ以前に建てられた物なのだろう)。
出て来ると、おじさんは先に入っていたおばさんと話をしている。七十前後だろうか? ここがおじさんの家で、最近まで公開していなかったそうだ。
他の人達が立ち去ったところで、こちらに向かい「どこから来たんだい?」。「栃木です」と答えると、おじさんの顔色がパッと変わる。「なに!」といった感じ。
「栃木のどこだ?」
「宇都宮です」
「そうか…」
おじさんは、話し始める…元々おじさんの家系は、我が街「宇都宮」の東隣り、かつての「芳賀氏」の領地「芳賀郡芳賀町」の出なのだそうだ。
確かに家の表札には、三文字の姓の中に「芳我」の文字。そう言えば、ここまで来る間にも、「○芳我」という家があった。本来「我」は「賀」だったそうだ。
領地替えで(たぶん豊織時代か江戸の頃)、こちらに来たらしい。「宇和」に「宇都宮」姓が多いのも、そんな関係かららしい。
「こっちに居ても、元々の出の所は気になるものだ…」
遠くを見るような眼差しで語るおじさんが、彼の地「芳賀」を訪れた事があるのかどうか? 確認はしなかったが、御礼を述べてその場を辞する。そろそろ宿に向かおう。
本日の宿は、この近辺ではトップ・クラスなのだろう(先ほどのおじさんも、そんな風に言っていた)。たまたま選んだだけなのだが、料金は通常の一・五倍ほど。でも、たまには贅沢も良い。
ショート・カットの三十代と思われる女将さんに案内されて、三階「若松の間」へ。
床の間には掛け軸。それに…『まだこんな物が残っていたんだ』。何十年も前の子供の頃以来、最近ではまったく見かけなくなったが…障子紙風の白に、黒の格子模様…実はプラスチック製だが、四角柱の行灯風電気スタンド。「古い町並」だからという訳ではないだろうが…物自体は、そんなに古い物ではなさそうだ。『かつて、こんな物が存在していた』ということ自体忘れていたし…懐かしくもあるし…この年になって改めて目にすると、少々艶っぽくてエロティックでもある。
(もっとも今晩も独りだ)。
「さて…」
軽くくつろいだ後は…バス・トイレもある部屋だが、せっかくだ。同じフロアにある大浴場へ。
それほど広くはないが、天井の一部までガラス張りの浴室。浴槽はそれほど大きくはないが、外側は木張りのセラミック浴槽。本日は宿泊客も少なそうで、終始貸切り状態。「炭」洗顔石鹸&シャンプーあり。
その後、六時半に呼び出されるまで、本日の記録。
他に宿泊している人もいるようだが、一般客はルーム・サービス。「歩き遍路料金」(多少安くしてくれているみたいだ)の人間は、一人1Fの食堂へ…と言っても、食事は凝っている。ここでは若い女の子が、あれこれと料理の説明をしてくれる。
雉の柳川風鍋(固形燃料使用の一人前。卵でとじる)。
魚で巻いた赤いうどん(何と言う物かは「?」。これはホット)。
刺身。
レンゲに盛ってある生ジャコ&ワカメ(酢をつけて食べる)。
サザエ等の盛り合わせ。
キクラゲ入りこんにゃく。
大根の漬物。
押し寿司一個。
お吸い物に、デザートの抹茶ゼリー。
おかずたっぷりなので、御飯は控え目に茶碗二杯。
仕上げにお茶。
たっぷり食べて、女将さんに朝御飯は六時半とお願いし、部屋へ戻る。
距離は控え目だが、それはそれで、身体もそれに合わせて疲れてくれる…といった感じ。
部屋に戻って少しノンビリ。今、NHK教育テレビの美術番組で、「風神・雷神」の話をやっている。これから向かう「伊予三島」に吹く「やまじ風」の話。「豊受山」だそう。
部屋のエアコン、良く効くのだが、リモコンが使えない。少々冷え過ぎ。エアコンを切って寝ようと思うのだが…今晩も寝苦しくなりそうだ。
予報では、天気は下り坂だそうだが…いよいよ後半だ。がんばりましょう。
本日の歩行 35・85キロ
46568歩
累 計 980・40キロ
1273776歩




