表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/40

*第二十日目 五月三十一日(土)

 道もお寺も宿も、先の事は何もわからないまま毎日歩いているが…もっとも、先がわかっていたのではツマラない。

 学生の頃の三年ほど、日本の北から南まで旅をした。「北海道」も「沖縄」も数回訪れ、「宗谷岬はこんなトコ」「石垣島まで行ったらこんな感じ」。最後は「もういいや」となった。

 あの時は、海外に出ようとは思わなかった。スポーツ競技を称して「筋書きの無いドラマ」という表現は、よく使われるセリフ。だからサーキットに戻ったのかもしれない…自分の能力がわかってしまうまで。

 始めからわかっていたのでは、『旅に出よう』などと思わないタイプの人間なのかもしれないが…もちろん、一度や二度で、すべてを網羅する・把握するなどといった事は出来ない相談だ。行けない場所・見落としている点・経験できない状況なども多々あるだろう。


(いや)、むしろその数は、無限に近い膨大なものだろう)。


 ただ、何の下調べも無く、快適さを求めている旅ではないが、「ここは当たり」などと思う事がある。今晩の宿は、そんな感じ。

 ガイド・ブックには「民宿」と記してあったし、かなり辺鄙(へんぴ)そうな場所なので、「フツーの民宿」を想像していたのだが…予約を入れた時、「(宿代込みで)六千円と七千円があります」と言われ詳細を尋ねると、「料理が違う」との事。そう言われると『七千円にするしかない』といった気分になるし、『歩いて体力使ってるから』と「七千円コース」でオーダー。

 最寄りの駅は「有井川(ありいがわ)」という無人駅。


(JRの頃は「東大方駅」だったようだが、現在この路線は「土佐くろしお鉄道」になっており、駅名も変わったのだろう)。


 でもそこから結構あり(距離的には大した事はないはずだ。気分的に、一日の最後はいつもそんな感じになるものだ)、余裕の時間調整のつもりが、着いてみれば五時二十分前。

 一見『モーテルか?』といった門構え。道路に沿って、横に長い二階建て。名称も「民宿」ではなく「ホテル」になっている。

 この宿を選んだのは…先ず、ちょうどよい距離に、ポツンと一軒あったから。


(もっとも、足の調子さえ良かったら、もっと先まで行っていただろうし、来てみると、ガイド・ブックに載っていない宿も点在していた)。


 そして次に、その名前。妖怪の名前でもある「海坊主」。


(坊主頭でお寺を(めぐ)り、むしろ妖怪を探している人間にはピッタリだ)。


 部屋は、二階の一番右奥。西の方角だ。室内の造りは「リゾート・ビジネス」といった(おもむ)き。

 中に入って靴を脱ぎ、部屋に上がる。フエルト貼りの床が、疲れた足裏に心地好い。右にクローゼットと机と椅子。それに、ラックに載ったテレビ。左のドアを開けるとユニット・バス。大きなセラミックのバス・タブ、トイレに洗面所。部屋のその先がさらに一段高くなっており、六畳たたみ敷き。ここに布団が敷いてある。奥に面した窓は、大きな窓。縦長のサッシ横三枚。南面の景色が一望できて、良い感じ。

『これなら海坊主が現われれば、すぐ見つかるな』

 すぐ下まで、海が迫っている。見れば、まだ大きなうねりが押し寄せている。「波の音がうるさい」と言えばうるさくもあるが、台風が接近した昨晩にこそ、泊まってみたかった。

 湯に浸かって一息。そろそろ夕食の時間。

 表の看板には、「海賊料理」と書いてあったが…ここは外海だが、瀬戸内海は、かつて「村上水軍」が活躍した地。また紀伊半島には、「源平の戦い」の時、海戦を得意とする「平氏」に対し、「源氏」に力を貸した水軍があったと云う。このあたり、紀伊半島に似た、海賊が(ひそ)んでいそうな入江が沢山ある。もっとも、「海賊」や「水軍」と言っても、そればかりを生業(なりわい)としていたわけではないだろう。「足軽」歩兵が普段は農民であったように、日常は漁業にいそしんでいたはずだ。


 でも、『周りを海で囲まれた日本なのに、海洋冒険(たん)が少ないのはナゼだろう?』。かつては、そんな風に思っていたものだ。でも最近に(いた)り、辿(たど)り着いた推論は…「必ずしも、そうとは言えないのではないか」という事。日本にだって、海に乗り出していた時代があったはずだ。長い「鎖国」の時代に遠洋航海術が(すた)れてしまったのと同様、政治的意図もあり、時の為政者により記録さえも抹消されてしまったのではないか?

 例えば、あまり知られていない話だが、「織田信長」公も水軍を所有していた。伊勢・志摩に本拠地を置く「九鬼(くき)氏」が率いる水軍だ。強敵「本願寺」派に(くみ)した「村上水軍」との戦いでは、鋼鉄の装甲を(まと)った戦艦を造ったりもしている。

 鎌倉に幕府を開いた「源頼朝」公も、伊豆に水軍を構えていたとの説もあるし、さらに(さかのぼ)って「卑弥呼(ヒミコ)」女帝の時代。日本には一大艦隊が存在し、大陸での戦いに援軍を送ったとの記述が、中国の文献に見えるという。

白村江(はくすきのえ)の戦い」や「好太王の碑文」などに疑いの目を向ける人もあるようだが、日本人は未だに、「鎖国」以前の日本海洋史に偏見を持っている…と思えるのだ。


 先の時代の技術が、後の時代のものに劣る…という常識は、長い歴史を見れば必ずしも当てはまらない。

 例えば「ピラミッド」。有名な「三大ピラミッド」以降に造られた物の中には、すでに崩れ落ちてしまっている物が多数ある。

「行列のできるラーメン屋」が、量の増加と共に味が落ちるのに、似てやしないか?

 始めは良い製品を作っていた皮工房。規模の拡大が質の低下につながるのに、似てやしないか?

「邪馬台国論争」にしても、中国側のわずかな記録を頼りに場所を特定しようと熱心に勤めている人もいるが、「ムー大陸」や「アトランティス大陸」並みに無駄な行為と思われる。

「シュリーマン」氏が古い文献を頼りに「トロイの遺跡」を発見したのとは、訳が違う。ナゼなら、頼みの記録自体が「欺瞞(フェイク)」に満ちた物だからだ。「邪馬台国」は艦隊を率いていたと云われるように、多量の鉄器を有する軍事国家。当時、製鉄技術や鉄の産地は、軍事的トップ・シークレット。いくら中国使節団とはいえ(いつ、敵対関係になるとも限らない相手だ)、おいそれとその機密や所在を明かしたりするだろうか? ましてや、おそらくたぶん定説以上に、盛んに大陸と行き来していたのだ。今では、その実在がすっかり否定されてしまっている「日本武尊(ヤマトタケル)」皇子…これは「日本書記」式表記。「古事記」では「大和健命」となる。その足跡は先住民を制覇し(九州の「熊襲(くまそ)」や東北の「蝦夷(えみし)」…これは「勝った側」の呼称。「勝者の歴史」と言われるように、たとえば有名な「蘇我(そが)氏」。「馬子(うまこ)」「入鹿(いるか)」「蝦夷(えみし)」などは、勝者が付けた蔑称で、本当の名前は未だ闇の中なのだ)、鉄の産地を制圧する道だと言う。


(これは後の時代まで続き、征夷大将軍「坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろ」公や「八幡太朗(はちまんたろう)源義家(みなもとのよしいえ)」公の東征なども、これに当たると唱える人もいる)。


 さらに「聖徳太子」ですら、戦前から、その実在を疑う声がある。


(ちょうどこの時期、「天皇」ですら「実在か? 架空か?」と、意見が分かれる狭間の時代なのだ)。


「十人の話を一度に聞き分けた」などといった人間離れした伝説を、本気で信じている人はいないだろうが…もっとも、映画『レインマン』のモデルにもなったアメリカの「キム・ピーク」氏。右脳と左脳を結ぶ「脳梁(のうりょう)」が無い「サバン症候群」だが、右目と左目で同時に違う本を読めるという。普段は日常生活にも事欠くほどなのだが、おそらく人類史上最高と思えるほどの、抜群の記憶力を持つ異能の存在。

 はっきり言って、テレビ番組などに登場する「記憶の達人」の方法論など、脳の構造が違う一般人には到底無理な相談だとしか思えない。よく目にする「超記憶法」などにも、懐疑的な人間だ。漫然とした状態でそれがかなうならまだしも(実際、異能の持ち主の中には、ただ数字を頭に思い浮かべるだけで、複雑な計算式の答えが「見えてしまう」人もいるらしい)、「速読」なんて、通常の何倍もの集中力が必要だ。

 仕事で疲れた頭でなくとも、所有している脳ミソでは容量不足・能力不足。こういった場合によく聞く「決めゼリフ」…「誰にでもそういった能力が(ひそ)んでいる」などといったものは、やはりウソとしか思えない。前にも書いたが、「やれば出来る」なんて、「やって出来た人間」の言葉。そういった点では「求聞持法(ぐもんじほう)」を修めたという「弘法大師」も、異能の持ち主なのだろう。

 また、こういった事に関して、多くの人々が信じ込まされているものに「人間は、自分たちの脳の三~四割しか使っていない」というものがある。「ダーウィン」先生の『進化論』や「ラマルク」先生の説…「使われない器官は退化する」とは反するもの。


(もっともこちらは、「進化」「退化」より、「突然変異」の信望者)。


 はっきり言ってこの話には、大いに疑問を抱いている。


(特に最近では、いっそうこの思いが強い。十分に加齢した年代。もうとっくに『自分の脳力の限界に近づいている』との感があるからだ)。


 さももっともな顔をして、この話をする人間には、こう言ってやる事にしている。「三~四割しか使っていないのではない。人間は自分たちの脳について、三~四割しか理解していないだけだ」…と。

 例えば「ゴリラ」。ゴリラも人間同様、その能力からすれば必要以上に大きな脳を持っている(と思われている)。しかし最近の研究では、ゴリラも人間と同じく、集団を作って生きる「社会性」の生き物。


(この、「人間は社会性の生き物である」という事に気づいてからは、以前ほど「人間嫌い」ではなくなった)。


 何もしていないような時でも、その実…相手の顔色をうかがったり、集団の雰囲気を読んだり…と、集団生活を維持するために、多大な労力を消費しているらしい。

 人間だって、意識せずとも、そういった事に多くの脳力をさいているのだろう。だから、何かを会得しようと思ったら、人間関係はおろか、日常のささいな事すら排除して「こもり」に入る必要があるのだ。「空海」が「御蔵洞(みくろど)」に(こも)ったように…芸術家がアトリエに(こも)るように…。学者や小説家にも、似たような話を聞く事がある。きっと修行の時期には、そういったものが必要なのだ。一般人にだって、修行とまではいかなくとも、代わり映えしない仕事や人間関係などの日常を離れて、心を開放する必要がある。それがレジャーや息抜きなどの効用・必要性なのだ。

 ここは「修行の道場―高知県」。しかし、現代の社会は大きくなり過ぎた。並の人間の脳力では足りないくらいに…精神を病む人が増えるのも仕方が無い? でも、この事に気が付けば、心も少しは軽くならないだろうか?

 ここで思い浮かぶのは…「働いたら負けでしょ」。「ニート」の言葉だ。「ニート」なる単語が登場したのはごく最近の事だが、しかしそんなもの、昔からいたのだ。今にして思えば、一浪目の自分も「ニート」をやっていた。親の目の届かない都会で一人暮らし。予備校をサボッては、読書とウォーキング三昧(ざんまい)


(二十数年前のあの当時、「ウォーキング」なる言葉があったかどうか? 先にも書いたが、まだ「ウォーキング・シューズ」などといった物が無かった時代)。


 あるいは、アパートに(こも)っては、レコードにテープ。音楽ばかり聴いていた。


(ただし、小型のポータブルTVはあったが、テレビはほとんど観なかった)。


 不景気だの何だかのと言っても、豊かになった時代。数が増え、目立つようになったから騒がれているだけだ。「ひきこもり」や「対人恐怖症」など、精神の病ならともかく、気にするほどの事ではないと思う。

 かつて、同業の年長者が、こんな風に語っていた事がある。「今の若者は無気力だと言うが、好きな事やらせればちゃんとやるよ」と。確かにあの頃は、何ら明確な目標を持っていなかった。それに最近の求人は「契約社員」ばかりで、「正社員」の募集はあまりないのが実情だ。だがそれとて、「ニート」の原因とは言い切れない。

『夢の見られない世の中なのか?』

 そうでもないだろう。あの人は、こうも言っていた。「昔は仕事があるだけマシ。職種なんて選んでいられなかったから、ガマンして働いてただけだ」と。

 例えば、「ミュージシャン」を目指して、「居酒屋」や「カラオケ・ハウス」でバイトしている人種を納得させるような「正社員の口」とは? かつてフリーターをしながらレースを追っていた自分と似たようなものだし、気持ちもわかる。


(もっともそれは、現在でも大して変わっていない)。


 ただし「芸は身を助く」と言う。その後に見つけた仕事、「テスト・ライダー」は、まさにうってつけだった。

「なりたいものはいつでも、就職情報誌に求人が載るようなものじゃない」

 これだけ豊かになった時代。混沌としており、かえって夢が見にくくなった観もあるが、けっきょく時代がどんなに変わろうと、「夢を見られない奴」はいるのだろう。

 しかし…夢や目標あっての事ならまだしも、最近、変な連中が増えている事も確かだ。かつて十年以上も前の事。


(1990年代だ)。


「サイレント・ベビー」なる言葉があった。「紙おむつ」の普及により、不快感を訴えて泣く事が無くなった赤ん坊。「ビデオ」の普及により、繰り返し同じテープを流しては、テレビの画面の前に座らせられている赤ん坊。それら泣かなくなった赤ん坊を称して「サイレント・ベビー」と呼んだのだ。そんな環境で育った子供は、いったいどんな大人になるのか? 当時、テレビに登場した専門家は、こう語っていた。

「答えは(この子たちが成長してみなくては)わかりません」

 そして、その子供たちが成長した現代になって登場した「ニート」等々…。それが答えなのだろうか? 


 話があちこちに飛んでいるが…「ヤマトタケル」と「聖徳太子」。どちらも後の創り話。ただし、二人のモデルになった双子の貴族がいたという説もある。


(「獣腹(けものばら)」という思想がいつ頃のものなのか? 詳しくは知らないが、かつて、一度に多産は動物と混同され、忌み嫌われた時代があったという。だから、一人を除いて川に流され間引かれる…などの行為があったと云う。案外そういったものが、「桃太朗」や「一寸法師」など、「川から高貴な子供が流れて来る」式物語りの源流になっているのではないだろうか? 預言者「モーゼ」もこれにあたる? もっとも大半は、かつて貧しい時代に行なわれていたという「口減らし」行為だろうが)。


 元に戻って「邪馬台国」(正確には「邪馬台」と書いて「ヤマト」と読むのが正しいそうだ。この記述を見ても「邪馬台国」イコール「大和朝廷」と思えるのだ)。

 個人的には「九州・大分起源説」を信望しており、さらに(さかのぼ)れば「大陸人渡来説」に行き着く。でも、一時(いっとき)・一度にやって来たとは思っていない。「平家落人(おちゅうど)の里」などといった地を訪れると、『かつて中国・朝鮮から、戦争や政争で敗れた人々が、文化や技術を(たずさ)えて渡って来たのでは無いだろうか?』と思ってしまうわけだ。


(実際、イカダ程度の船でも、海流に乗れば二日で日本に流れ着くと言う)。


 それでなくとももっと以前、「縄文」の頃に、朝鮮半島から対馬・日本海沿岸にかけて、一大文化圏があったと唱える人もいる。その時代の日本には、海を生活の場とする「海洋民族」と、山から山へ、山伝いのルートだけを辿(たど)って生活している「山岳民族」がいたと云う。


(今のように、水利が整った時代ではないのだ。頻繁に川が氾濫していた時代、低湿地は人が住めるような場所ではなかったのだろう)。


 このあたり、後の「柳田國男」先生と「南方熊楠(みなかたくまぐす)」先生(「博物学者」で有名な人物。多少関わりのあった人たちを知っていたのだが、当時地元ではふんどし一丁で街を徘徊(はいかい)するなど、「奇人・変人」で通っていたそうだ)の「山人論争」や、近・現代にまでつながる「サンカ」「木地師(きぢし)」、あるいは「山伏(やまぶし)」などの修験者(しゅげんじゃ)の歴史とも関係するかもしれない。

 そこに、大陸からの移民がやって来て、低湿地に住み着いたのではないか?


(そこしか「縄張り」を張れる所が無かったのだから、なおさらだろう。それに日本における「灌漑(かんがい)」とは、乾燥地帯を流れる大河から水を引くのではなく、湿地帯に流れ込む水を()き止めるという、通常のイメージとは逆のパターンらしい)。


 最近では歴史の時間に習った、「縄文式土器」を持った狩猟民族が発展し、「弥生式土器」を使う定住稲作民族になった…という定説は、すっかり覆されているようだ。土着の「縄文人」と呼ばれる人たちの住む日本に、別種の土器と「稲作技術」を(たずさ)えた大陸からの「弥生人」がやって来た。最新の学校教育では、どういう風に教えているのだろう? 我々は、間違った知識を教え込まれていたのだろうか?


(ハナからこれは「知識」ではなかったのだ。あくまで「(学)説」だったのだ。この事は、科学の分野においても言える事。「教え方」についても、一考の余地があるだろう)。


 そう考えれば、戦いの無くなった江戸期以降から、戦いを控えた明治期にかけて確立された「武士道」(戦いが無くなったゆえに・戦いが始まるゆえに、規律・統制のために、こういった思想が必要とされたのだ)同様、「大和民族」が創られた思想、夢・幻である事に気づくはずだ。

 その何よりの証左として、「血液型」がある。民族は、純血に近づくほど、型が絞り込まれていくと言う。

 例えば、かつての「アメリカ・インディアン」は、「O型」しかいなかっただろうと言われている。


(「O型」は血液の基本形。「O型」に、農耕系の免疫酵素が結び付いたものが「A型」。また遊牧民系の酵素が結び付いたものが「B型」。数千年以前の人骨からは採取されない…ゆえに最新型と(おぼ)しき「A」と「B」、両方を(あわ)せ持つものが「AB型」だ。ちなみに「A型」は、ジャングルなどの見通しの悪い場所で発達したものだろうと言われ、「B型」は、ジプシーや北方騎馬民族など、平原などを移動する民族に多いと言われている)。


 一方で日本には、その比率に違いこそあれ、主要な型が四つもある。つまりこの事実は、それだけ混血が進んでいるという事の証明なのだ。

「大和魂とは、いったい何だ?」

 大陸顔で妄信的に「愛国」などを叫ばない方が、身のためだ。


(「秀吉」公の『朝鮮出兵』や「西郷隆盛」公の『征韓論(せいかんろん)』、「大日本帝国」の『日中戦争』など。大陸に向かったのは、単なる領土の拡大ばかりではなく、「瑞穂国(みずほのくに)」…旧「日本」の国名…の征服民、自称「大和民族」が、大昔に国を負われた報復・復讐・名誉回復などの潜在意識も作用しているのではないか…という気がするのだ)。


 ことわっておくが、「民族主義者」ではない。むしろ「混交大歓迎」。

「タイガー・ウッズ」氏の例を()げるまでもなく、色々な血が混ざりあった方が、優秀なものが出る確率が高い…という説がある。


(血縁が濃くなり過ぎるのは良くないという話は、多くの方が御存知だろう)。


 日本でも、外人とまではいかなくとも、「外婚」信望者は、特に女性に多い。

 それにしても不思議なものだ。人類が元々共通する祖先から生まれたものなら…「白人=コーカソイド」「黒人=ネグロイド」「黄色人種=モンゴロイド」と、どうしてこうも違うのだろう? 今の学説では、人類は「アフリカ起源」とされているが…中には、最古の文明とされる「シュメール文明」が(おこ)った中東地域を「人類発祥の地」とする説もある。

「東西の文化の交流地」と言われ、様々な民族・文化が入り乱れているが、逆にそこから分かれて行ったと見る方が、自然であるような気もする。


(この定説も、「縄文人」と「弥生人」同様、いつ覆されるかわかったものではないだろう)。


「全世界的に、もっと高い水準で経済と教育が均一化され、民族・宗教・言語などが問題とされないくらいに混血が進み、国境や国家などという枠組みが取り外される」

 それが思い描く、理想の「未来地球」だ。


(しかし、相変わらず戦争・紛争の絶えない人類。そのためには、「ペリーの黒船」以上のカルチャー・ショックが必要なのかもしれない。宇宙からの来訪者「未知との遭遇」でもなければ、無理なのだろうか?)。


 もし、一つの所から生まれ出た人類ならば、そうなるのが当然の帰結だろう。


(それ以前に、もし「ビッグバン宇宙論」が正しいとするなら、すべての物は「無」の世界から「特異点」を()て、一三八億年の昔、ひとつの所から誕生したのだ。「すべて同じ出自」。そう思えば、すべての物質・あらゆる生命について、見方も変わってくるはずだ)。


…と、遍路とはまったく関係無い話で、大幅に横道に()れたが…腹が減った。そろそろ下の食堂に行ってみるか。


 今日の夕飯は…刺身・魚のフライ・貝と(カニ)()え物・小さな烏賊(イカ)が丸ごと一尾・豆と(たけのこ)・イカとワカメの酢の物・御新香・味噌汁。添え物で、キャベツ・レタス・トマト、久々のパイナップル。


 昨日同様ノン・アルコールなのは…部屋を出ると少々寒気がするし、右足首も少し()れているから。今朝、薬局でもらったシップを貼る。

 それに反対側の足首も、右足をかばっていたせいか、同様の症状が出始める。


(ナゼか二つあるもの…手や足など、健常の方も、痛めた側と似たような状態になる事が多い。こういった経験、スポーツをやっていた人ならわかるのではないだろうか)。


 本日後半は、それでバランスが取れた。右にヨロヨロ、左にヨタヨタ。

 それでは、本日の行程を順を追って振り返ってみると…


 朝は、八時からという遅い朝食に合わせ、七時に目覚ましをセット。

 昨日はあのような天気の一日。たまには遅くまで寝ているのもいいだろう。

 でも最近、早起きが習慣化。六時半には目が覚め、布団から抜け出す。

 外の様子は…カーテンを開けると、一面の曇り空。パラパラとだが、まだ雨も残っている。

 近頃は、かつて持っていた「台風一過の青空」というイメージは、必ずしも当てはまらない。いつまでも、グズグズと尾を引いているような印象があるのだが…これも、「地球温暖化」の影響だろうか?

 TVをつけ天気予報を見ると、台風は「愛媛県」の「宇和島(うわじま)」に上陸したそうだ。

「高知県」の予報は、午前も午後も、かなり高い確率で雨。ガッカリだ。

 でもまあ、昨日ほどではないだろう。早い回復を願って、荷物をまとめる。


 八時少し前、呼び出しの声が掛かる前に、一階の食堂へ。

 出張と思われるおじさんも加わり、四人が顔を揃える。簡素な朝食。宿代を払って部屋に戻り、もう一回トイレ。

 その後、荷物を持って下に降りると、玄関で「門司のおじさん」が合羽を着込んで準備中。


(「室戸」で会った「ジャン・レノおじさん」もそうだったが、良い合羽を持っている人にかぎって、傘を持っていないもの。このおじさんもそうだった)。


 靴は昨日の大雨でビショビショのまま。両足にコンビニ袋を履き、今日一日を過ごす。

 お遍路二人が手間取っている間に、出張のおじさんが先に出て行く。

 朝食までは長袖シャツを着ていたのだが…台風が運んできた南の空気。暑そうなので、脱いで出る事にする。

 時刻は八時二十五分。遅い出発だが、今日・明日の行程に、立ち寄る場所は無い。ただひたすら、歩くのみ。

 傘を手に持ち、表に出ると…雨は止んでいる。雨具姿の「門司のおじさん」と共に、宿を出る。


 先ずは右に出て、すぐ先の広い通りへ右折。昨日通ったメイン通り。

 少し行った所で左折。「門司のおじさん」は、右手に見える郵便局に寄るとの事で、ここで別れる。

「国道56号」までは間もなく。右折で入って、南・「中村」方面へ。

 ここで、右側にあった薬局に目がとまる。右足首は、昨日ほどではない。一晩で少しは回復したが、今日一日歩けば…?

 店の前を掃き掃除するおにいさん。「やってます」との事で、中へ。おねえさんが応対してくれ、コールド・スプレーとテーピング・テープを購入。マラソン大会のスタート前は、このツンツンする匂いであふれかえる。


(たとえ海外の大会でも、日本人が多数参加するレースでは同様だ。ナゼか日本人の間では、スタート前からコールド・スプレーを塗布するのが慣行になっているが…運動前では意味が無いそうだ。小学校の頃の「かけっこ」を思い出す。あの当時、いくつかの迷信がまかり通っていた。「足首にサポーターを巻くと速くなる」とか「裸足の方が速く走れる」とか…実践してみた一人ではあるが、効果のほどは「?」)。


端数(はすう)は引いておきますね」とまけてくれ、おまけにサロンパス一枚とカットバン。「通行止めになっている所もあるみたなので、お気を付けて」と送り出される。

 街を抜けると、上りが始まる。

 今日は、何があっても国道一本。もっとも、国道が閉鎖されていたらお手上げだが…実際、電光掲示板の表示によれば、数日後には訪れるであろう「愛媛」との県境「宿毛(すくも)」では、「冠水通行止め」の箇所があるようだ。

 昨日あれだけ降ったのだ。このあたりだって…右下に見える、「四万十川」の支流ともなっている「吉見川」は、濁流・激流になっているし(日本最後の清流といわれる「四万十川」。このすぐ近くを流れているのだが、複雑に蛇行を繰り返して全長190キロ。海に注ぐ河口付近を渡るのは明日の予定)…山の多いこの近辺。

 道路脇のコンクリート壁の水抜きからは、滝か打たせ湯のように雨水が流れ出しているし…トンネル内の、壁の継ぎ目から水が噴き出している所は怖かった。心なしか、ドーム型の天井が(ふく)らみ、垂れ下がっているように見え、そこは足早に通り過ぎる。


 やがて、宿を出て丸一時間の九時二十五分頃。距離にして、5~6キロは歩いただろうか。「五在所の峰」登山道入口を過ぎた、峠のてっぺん。


(登山道に入って峠を越えるのが遍路道のようだが、もちろんパス)。


「峰の上」というあたり。ここから下りになるという場所で、最初の小休止。

 道路右側。歩道脇のコンクリート壁に腰掛ける。気温が高いからだろうか?

 それとも、こんなものなのだろうか?

 コンクリートの乾きは早い。このあたりだって、つい今しがたまで雨が残っていたはずだ。アスファルトの路面は、まだ濡れている。

 そこに、同宿だった自転車のおじさんが到着。自転車なので左側を上って来て、向かいでペットを一口後、下って行った。

「お気をつけて!」

 声を掛ける。ママチャリに荷物では、上りは大変だろうが…下りはノンビリ、かえって楽しそうだ。


 そこからは延々、何と言う事もない山間(やまあい)の道。

 海沿いに出てしばらく行くまで、ほとんどの箇所には左右どちらかに歩道があり、歩く事に気を(つか)わずに済んだが…特に代わり映えのしない景色。

 それに煙った山々では、遠望も望めない。


“Foggy Mountain Break Down!”


「煙った山を突き抜けろ!」


 バンジョーの(かな)でるメロディーに、「ボニー(パーカー)」と「クライド(バロウ)」の姿を頭の中に思い浮かべつつ、テクテク歩く。

 痛む右足をかばいながら…と、そんな感じで歩いていたのだが、どのあたりからだろう? 雨が降り出す。昨日ほどではない、言わば普通の雨。

 降ったり止んだり、時おり強く…なったところで、二度目の休憩。時刻は前回の休憩からほぼ一時間の十時三十分。 右側の歩道横。コンクリート・ウォールの一箇所が階段になり、裏の山に上がれるようになっている場所。

 うまい具合に、密集した木々が頭上に張り出しており、雨粒は落ちて来ない。濡れた階段にポンチョを敷いて小休止。

 ここからは、ポンチョに傘で歩き出す。


 上ったり下ったり、大きなカーブを右左。

「なんだ・かんだ」と考えながら歩いていたのだが…ここで突然、記憶がフラッシュ・バック。お地蔵様の前を()う毛虫。たしか今朝、薬局を出てすぐの所で、そんな光景を目にしたはずだ。


(たぶん子供の頃から…そんなタイプの人間だった。そして・そんな体験を、『皆に伝えたい』『皆に共有してもらいたい』。そんな風に思う人間だったから、モノを書くようになったのだ!)。


 その後 雨は上がり、ちょうど10キロ地点となる「佐賀温泉」前を通過。道路右側に建つ、銭湯のような施設。ここは「幡多郡佐賀町」だ。

 やがて、前回の休憩からさらに一時間。そろそろ腹が空き始めた昼少し前。うまいタイミングで…しかも、こんな山の中だというのに、飯屋がある。と言っても、定食屋ではない。小綺麗な店構えでもわかる通り、食事もできる喫茶店…といった雰囲気。

 店の前には、2(トン)のパネル・トラックが二台。中に入ると、手前の席にはトラックの運転手であろう二人組み。後に続いて、地元の人と思われるおじいちゃんとおっちゃん。

 でも、いかにも女性趣味の店内。それもそのはず、見れば若い女性が二人でやっている店。

 三十前と思われる店主(?)さんと、二十代半ばほどの女の子。何でこんな山奥に???…少々無用心な気がしないでもないが…とは言え国道沿い。それに「看板娘」が二人もいるのだから、馴染みの客も多いのだろう。


(先に記した客層を見れば、納得して頂けると思う。地元の人に運転手。小型のトラックだから、長距離ではなく、近場回りのルート配送風)。


 深いソファーのボックス席に腰を降ろす。

 本日の「日替りランチ」は「ハンバーグ」との事で、そちらを注文。別皿で、大きく長い「卵焼き」付き。ゴハンにうどん・お新香にお茶も載り、食後のコーヒー付き。

 若い方の子にお勘定を払っていると、店長さんも出て来て二言・三言。場所が場所だけに、お遍路さんも結構立ち寄るそうだ。

 本日の日替りランチ「ハンバーグ」は、七百円也。

 時は十一時四十五分から、十二時二十分まで。


 店を出ると、一時上がっていた雨が再び降り出している。

 店の外に置いてあったポンチョを着ていると…『アレ?』。敷地の奥には犬小屋のような物があり、でも、つながれているのはネコちゃん。

『ネコを表につないでおいたりすると、危なくない?』


 思い出す事がある。

 まだ幼かった頃。たぶん幼稚園生くらいの、昭和四十年前後。

 家族は、商売を営む祖父母と同居。我が家では、代々ネコを飼っていた。

 ただ、目の前には大きな通り…旧「奥州街道」が走っていた。大半のネコは、ここで車にはねられてしまったのだが…ネコをヒモで(しば)るような事はなかった。

 そんな我が家のネコの中に、生後半年にも満たない小さな子ネコがいた。季節は、たぶん春先の頃。ナゼってその子ネコは、店の前の日向(ひなた)の中で、まどろんでいたのだから…でも、不幸は突然襲って来る。あの頃はまだ、野良犬がウロウロしていた時代。そんな野犬の中には、徒党を組んでいる連中もいた。家のまん前で、あの子は囲まれてしまったのだ。幼い自分の無力さ。あわてて祖父を呼びに行ったが、時すでに遅し。

 逆光の中、ボロ雑巾のようになった子ネコを、右手でつまんで戻って来る祖父のシルエット…それが、あの時の悲しい記憶だ。


 左目の上に傷がある白いネコ。元は野良なのだろうが、よく見ると「オッズ・アイ」。


(左右の目の色が違う事だ。猫種によっては価値ある物とされるが、これは猫ばかりに起きるものではない。かの有名な「アレキサンダー大王」もそうだったと云う)。


 ヒモが(から)まっていたので、一回りさせて(ほど)いてやる。手に持っていた傘のストラップが気になるようで、さかんに「ネコ・パンチ」を繰り出す。撫でてやると、「ミャ~」とネコなで声。でも「バイバイ」。


 そこから先も、特に代わり映えしない景色。おまけに傘を差していたのでは、なおさら印象が薄い…が、道は下り坂だが、天候は急速に回復傾向。

 やがて、気温も上がってきた午後一時。「佐賀町」の市街地まで、あとわずかといった地点。「中角」という所で、道路の右側にコンビニ。店の前には、「休んで下さい」と言わんばかりの、おあつらえ向きの長ベンチ。パイプ・フレームに板の貼られた、よく見掛ける物。ここで休憩を取る事にする。

『暑くなったので炭酸』と思っていたのだが、「ゼリー・ソーダ」なんて物を買ってしまう。ペット・ボトルなのに、絞らないと出て来ない。まあ、腹の足しにはなる。

 ここで、本日この先の行程を考え、宿の予約を取る。詳細は、先に述べた通りだ。

 ここからなら、10キロ前後。まだこの時間なので、足さえまともなら大した距離ではないのだが…。

「さてと…」

 重くなってきた腰を上げる。


 本日最初の休憩をした「峰の上」の先から、ずっと右に左にと沿いながら下って来た「伊与木川」。その流れが海に注ぐ手前に「佐賀」の街。ここでは、手前で国道のバイパスに入ったので、街の様子はわからない。

 左手に街並を見ながら歩くと、やがて潮の匂いが流れて来る。海沿いに出た所に「鹿島ガ浦」。海と国道に挟まれた場所が公園になっている。

 すぐ先は断崖。そこから見下ろす海は、茶色く濁り、大きな波が砕けている。昨日の台風の名残りが、まだ残っている。先に見える小さな島が「鹿島」のようだ。

 休憩小屋に腰を下ろし時計を見れば、時すでに三時。前回の休憩から、まだ2~3キロしか歩いていないが…長めの休憩ではあったが、すでに二時間近くが経過。

 とそこに、国道を行く「門司のおじさん」の姿。『でも、もう少し』と、ここで休憩続行。

 今日は足の裏より足首だ。特に右足の、足首より少し上。「弁慶の泣き所」の下方のあたりに、少々痛みが出て来た。「門司のおじさん」の後ろ姿を見送った後、もうしばらく休んでから、ヨタヨタと歩き出す。


 その後は海沿いの道。左手のすぐそばまで、海が迫った海岸通り。

 途中、ちょっとパラッと通り雨。それが過ぎれば、海の向こうには青い空。『明日は良い天気になるだろうか?』と思いつつ、2~3キロほど行けば「白浜」の街。


(「白浜」などという地名は、どこにでもあるのだろう…「室戸岬」の手前にもあったし、「千葉」や「和歌山」の「白浜」は、有名な観光スポット。でもこの近辺、「白い浜」なんてあっただろうか? 『岩場が多い』という印象しか残っていない)。


 そこを抜けた海岸べりは、見通しが利く。先を見()れば前方に、「門司のおじさん」の白い影。ペースが落ちたようで、グングン差は縮まって行くのだが…ついつい足首に負担がかかる。『無理は禁物だ』と自分に言い聞かせ、ペース配分。

 本日の宿のある「幡多郡大方(おがた)町」に入り、1キロほども行っただろうか。「井の岬」の手前左側に、ベンチとお地蔵様のある駐車帯。


(ガイド・ブックでは「井の岬」となっているが、道路地図には「伊の岬」と表記されている。この先に「伊田」の街があるようだが、流れる川は「井田川」となっていたり…この先にある温泉は、「井ノ岬」と書くらしい。後で振り返って気づいたので、現地での記憶は残っていない。とりあえず、街の名と、それに関連するもの以外は「井」の字を使う)。


 時刻は四時。宿までは、概算で残り3キロほど。ここで、本日最後の休憩。

 ベンチでくつろいでいると、たぶん、この先に見える集落の若いおにいちゃん…年の頃は二十代前半。赤い作業服(ツナギ)の上半身部分を、腰で縛ったTシャツ姿。一輪車(ネコ)を押して現れる。

 お地蔵様脇の藪の中に、載せて来た葉っぱの束を捨てながら軽く会釈。「きのうは大変だったでしょ」と二言・三言。その後、もう一束持って来た。農作業? それとも家の草むしり? あるいは、昨日の台風に関係した何か? その点は不明だ。


 そこを出ると、「井の岬」手前の「(なだ)」という集落。小さな集落だが、小さな港もある。正面には岬の突端方面へ向かう道も見えるが、国道はここで鋭角に右カーブ。そこを回ると上り坂。

『アレ?』

 カーブを立ち上がった左に休憩小屋。そこに「門司のおじさん」がいる。

 あれこれ話をしながら…「この先に宿を取ってある」と言うと、「行ってみる」との事。昨日も飛び込みだったようで、それが、このおじさんの流儀なのだろう。

 二人でテクテク上って、「井の岬」トンネル通過。『もうすぐ』と思っていたのだが…いつもの事だが、最後は長い。

「井田川」を渡って「伊田トンネル」。

『まだかよ』

 トンネルを抜けると、やっと宿のある「有井川(ありいがわ)」の街。

 左前方に海が見える開けた場所で、海側に立つ民宿の看板を見つけた「門司おじさん」と別れる。こちらは、この集落の中で飲物調達。

 それから駅を過ぎ、「有井川」を越え、『通り過ぎてしまったのか?』と思い始めた頃、前方に見える上りの手前・左側に「海坊主」の看板。

 黒いチワワを連れた…年の頃は三十代…女将(おかみ)さんと思われる女性に案内されてチェック・イン。


 外はまだ明るいが、そろそろ七時。今日も少し寒気がして、Tシャツ・短パンの上に浴衣を羽織り、布団に(もぐ)ってこれを書いている。

 そうそう「田山花袋(たやまかたい)」先生の「蒲団(ふとん)」、ず~っと読みたいと思いながら、まだ読んでいない。

 そうそうもう一つ。旅に出る前、『白はどうかな?』と思っていた白いTシャツ。『一応お遍路だから』と白にしたのだが、杞憂(きゆう)に終わりそうだ。バイクでの旅とは違い、『歩き旅なら、こんなものか?』。まったく黒ずんでいない。ライダーは、カッコをつけるためだけに、黒いTシャツを着ている訳ではないのだ。

 さっき、アーミー・ナイフで鼻毛を切った。ホコリっぽい仕事から解放されて、伸びも遅い。


(泥まみれ・ホコリまみれになるモトクロスをやっていた頃は、アッという間に鼻毛が伸びたものだ)。


 油汚れの染み付いていた指先も、綺麗になった。爪の伸び具合は、こんなものか…通常と大差無い。


本日の歩行 32・54キロ

      42262歩

累   計 692・99キロ

      900480歩


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ