表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/40

*第十九日目 五月三十日(金)

 ここで、話好きなおばあちゃんの(ネタ)を一つ。

 これから向かう「足摺(あしずり)岬」は「男」なのだそうだ。ナゼなら海に一本突き出しているから。一方、「室戸」は「女」。「紀伊半島」との間に、ポッカリ「紀伊水道」が抜けているかららしい。そこで、つられて思った。『ならば、ポツンと飛び出している「和歌山県」の「潮岬(しおのみさき)」が、香川弁で言うところの「マメ」になるのか?』と、勝手に解釈。

 イイ年こいて「下ネタ」好きなおばあちゃん。生真面目そうな「門司のおじさん」は、少々あきれ顔。ここは「須崎」の遍路宿。


 今朝は、同宿の「門司のおじさん」(定年退職後の、四国歩き遍路。「愛媛」に渡って、そこから歩き始めたそうだ)の意向もあり、朝食は六時から…なので、五時起床。

 昨晩は疲れ過ぎか、寝つきが悪かった。腕時計の電子音で重たい(まぶた)をこじ開けるが、激しく窓をたたく雨の音。

『ほんとに五時?』

 本日は、『目覚ましのセットを間違えたか』と思わせるほどの薄暗さ。

「台風4号」が接近中。「三十八年ぶりに四国上陸のおそれあり」と報じている。地元にいる時ならいざ知らず(関東の内陸部。台風による被害の心配など、した事がない)、ここは四国。それも「高知県」の太平洋側。気が重い。


 大方の準備を整え六時ジャスト。部屋を出ると、ちょうどおばあちゃんが呼びに来てくれたところ。2Fの食堂へ。

 納豆・生卵・焼海苔・濃い目の赤だし。それと御飯二膳。パックに入ったおにぎり二個はおまけ。


 ザックにおにぎりを詰め込み、雨具フル装備。おばあちゃんに見送られ、六時四十分、宿を出る。

 風が強いので傘はやめる。宿を出て右。「多ノ郷(おおのごう)」の駅前を行く。

 朝からのこんな土砂降り。七時前のこの天気では、歩く人はいない。激しい雨に、少し先の景色も煙って見える。

 この降りでは、景色を楽しむ余裕もないし、フードを(かぶ)っているので視界も悪い。

 すぐ先で左折し、「国道56号」に入る。国道を走る車も、まだまばら。

 開店前の商店の店先で、『街並が切れる前に』と、早目に飲物を仕入れておく。街中にいる分には、時々強い風が吹き抜ける程度。

 まだ汗をかいてはいなかったし、まだ雨も染み込んではいなかったが…街並が切れ始めると、風が出てきた。強く・巻き込むような風。

 街はずれ、道路沿い左側にあった番外霊場「大善寺(だいぜんじ)」は、眺めただけであっさりパス。


(「真言宗高野派」に属するお寺。開基は「弘法大師」で、本尊に「弘法大師」を(まつ)る。「弘法大師」がここの海岸を通過された際、「土佐の親不知」と言われる小径(こみち)での転落事故が多いという話を聞き、水難防止・海上安全の祈願をされたと云う)。


 そのすぐ先にトンネルがある。右側に自転車・歩行者用の別トンネルがあり、通過は安心。


(ここ四国のトンネルは、たいてい横壁が白く塗られており、自転車・歩行者の視認性が良くなっている。大人の背丈を越える高さまで白くなっているので、自転車に乗っていてもすっかり入る。お遍路さんや通学の子供達がいるからだろう。出入口には「歩行者・自転車 注意!」の看板などもあったりする。まあ四国の人は、車を運転していても、そのへんのところは心得ているようだ)。


 トンネルに入り、ホッと一息。いつもならビクビクしてしまうところだが…雨風はしのげるし、少し暖かいし…。本日は、トンネルの中に入るとホッとする一日となった。

 その先で、「56号バイパス」には入らず、旧道で街を抜ける。

 再び合流する左角に「道の駅 かわうその里 すさき」。ここまで約一時間。宿を出てから4~5キロほどだろうか。ここで最初の休憩。でも、合羽を脱ぐのは面倒だ。自販機が立ち並ぶ軒下で飲物を買い、しゃがみ込む。目の前にあったトイレに立ち寄ってから出発。

 ここの敷地から、一段高くなった国道に上がると、左の海方面からの強い風。目前に見える、幅広の「新荘川」沿いを吹き上げて来るようだ。


「新荘川橋」を渡りしばらくは、左下に海を見下ろす上りの道。右手すぐには「角谷(かどや)山」が迫っているはずだが…(いただき)どころか、すぐ上方すら霧に煙って見えない。

 道路には水があふれ、車は豪快に水飛沫(しぶき)を跳ね上げる。自転車通学の中学生も大変そうだ。こちらだって…海沿いなので吹きさらし。ポンチョのフードや(スソ)を押さえながらでは、雨の景色を楽しむゆとりはあまりない。こんな日は、視線を落とし、ただひたすら歩くのみ。


(前にどこかで書いた、「忍者走り」のコツ…遠くを見ずに、近くを見る…を実践)。


 長い「角谷トンネル」を含め、三つ目の隧道(すいどう)を過ぎて下って行けば「安和(あわ)」の街。

 ここで、右に入る遍路札を発見。「焼坂峠」とある。ガイド・ブックでも、ここから右に()れるコースとなっている。長い「焼坂トンネル」の上を越えるルートだ。『今日はこんな天気だし、ひたすら国道を』と思っていたのだけれど…『せっかくだから』と入ってしまう。登り口の札に、「緑と自然に囲まれた気持ちの良いコース」といった感じに書いてあったが、『こんな天気では期待できない』…と言うより、『やめときゃよかった』が本音。でももう、ここまで入って来てしまった。

『今さら引き返すのも面倒だ』

「戻る勇気」という言葉がある。でも「前人未到」の秘境ではないのだ。そのまま行ってしまうのは、単に「面倒臭いだけ」が理由だったりもする。特に初めての場所では、先の状況は見当が付かない。案外、コンクリート舗装とまではいかなくとも、砂利の敷かれた林道かもしれないし…でもそれで、大失敗した経験がある。一歩間違えば、生命の危機だって考えられた状況…かつて、崩れたガレ場に足を踏み入れてしまった事があった。


 地元の山での事。距離はかなり歩いたが、山自体は初・中級レベル。

 通常とは逆回りのルートを取り、上って下って、あとはそこのガレ場を降りるだけ…なのに「崖崩れ 立ち入り禁止」の立て看板。しかし、戻るにしろ、別ルートを取るにしろ、もう時間も無い。『どうせ下るだけ。何とかなるだろう』と入って行ったはいいが…『こりゃヤバい!』。泣きたくなるような、惨憺(さんたん)たる状況。かなりの範囲にわたって谷間の両斜面が崩れ落ち、道などまったく残っていない。

 木々の残る左側の上縁部を、藪をかき分け降りて行ったのだが、先はストンと落ちている。上を見上げても、もう登ろうにも登れない。上からは時おり、自分の頭ほどの石が大そうな勢いで転がり落ちて来る始末。そんな物に当たったら、並のケガでは済みそうにない。それに下手をすれば、さらなるガケ崩れを引き起こす事だって考えられる。

『どうしよう?』

 距離にすれば、たったの数百メーターなのだが…

『ここでトラバースし、右側の木々が残る場所に出る』。それしか手はなさそうだ。

 恐る恐る、尻もちをついたような格好で、半ベソをかきながら、ザクザクの下り斜面を右斜めに横断。崩落の境界を越え、草木の茂っている場所に到達する。

 でも、まだ安心はできない。もしかしたら、足元が崩れ出すかもしれない。なるべく大回りで、下へと下る。もちろん道など無い藪の中。かき分け・かき分け進んで、『ホッ!』。

 下まで降りると、遠巻きに野生のサルの親子。いつもなら、野生動物を見かけると身構えてしまうものだが…『ここまで来れば大丈夫なんだ』と、妙に安心した事を憶えている。


 まあ、あの時ほどではないだろうが…道は林道から、やがてハイキング・コース並の遍路道。

『やっぱり、やめときゃよかった』

 雨はジャンジャンと降っており、左下の沢は激しく流れ、足元には深い水溜り。予想通り、『最悪だ!』

 まだそれだけならいいのだが、切り通しの右横壁から石が転がり落ちていたりすると、『土砂崩れや土石流が起きたらどうしよう』と、不安が(つの)る。


(でもここまで来てしまった以上、もうどうにもならない。あとは「運(まか)せ」「天任せ」なのだ)。


 とにかく上へ上へ。上へ上がれば森も切れ、少し明るくなる。水溜りの量も減り、かえって安心。


(斜面はきつくなるほど、かえって水が溜まりにくくなるもの。モトクロスをやっていた頃、雨の日は山岳コースより、平地のコースの方がコンディションが悪くなったものだ)。


 峠に出ると、地道だが林道風。(つか)の間ホッとするが、下りは再び遍路道。下に行けば行くほど…森は濃くなり暗くなる。


(スキー場からの帰り道。日当たりの良い山頂付近より、谷深くなる下り後半の方が、かえって路面が凍結しているものだ)。


 それに、降り注いだ雨は、すべて低地へと集まって来る。脇を流れる沢は、轟音に近い音をたてて流れているし…数年前、どこかの沢で、遠足の一群が「鉄砲水」に飲み込まれた事故を思い出す。あの時、現場付近は小雨だったそうだ。つまり「鉄砲水」は、上から一気に押し寄せて来るらしい。

 それでなくとも、『すぐ横の岩が崩れるかも』とか『足元が崩れるかも』などと、こういった状況になるとロクな考えは浮かんで来ないものだ。


南無大師遍照金剛なむだいしへんじょうこんごう

 つい口に出る。下れば下るほどに、「不安」「心配」と言うより、「恐怖」に近い感情が湧いて来て…


「南無大師遍照金剛」

 山歩きをしていると、時々こんな場面に出くわして、こんな心境になる事があるが…天気の良い日だって、高度の高いガレ場より、下って来た森の中の方が怖かったりするものだ。特に熊笹の藪がガサガサと大きな音をたてたりすると、『熊じゃないか?』などと不安に襲われたりする。


「南無大師遍照金剛」

 森が深くなると、頭上からの雨粒は減るが…雨は相変わらずの降りのようだ。『そういえば今朝、山で遭難して、五日ぶりに救出された父娘のニュースを報じていたっけ』と、いらぬ事を思い出す。でも、いつ自分が、そんな事故の当事者になる事か…遍路道を歩いていると、時々崖下をのぞいては『人が落ちてないか』とか『こんな所に落ちたら、発見されないかも』などと思う事もある。だいたい、『こんな事をやっていなければ、そんな目に遭う事もないのに…』。


「南無大師遍照金剛」

 段々と足早になる。


「南無大師遍照金剛」

 調子が良いと思われるかもしれないが、こういう時は「神頼み」「仏頼み」。「他力」に頼るしかない。自分の力では、崖崩れや洪水を止める事など、到底不可能。せめて、無事に通過できる事を祈るしかない。こんな状況のこんな所で、平然としていられるほどの(うつわ)ではない。


「南無大師遍照金剛」

 もう、場所によっては小走りだ。

『早くここから抜け出さなくちゃ』

 こんな日にこんな所を通る人なんて、いるわけがない。半ベソ気分で…

「南無大師遍照金剛」

『国道に出るまで唱え続けよう』


 もう足元は、水溜りに入ってビチャビチャ…と言うより、()けようにも、地面は一面水浸し。そのうちやっと森が切れ、砂利道に出る。左手に軽トラ。人影は見当たらないが…耳を澄ませば、遠くに行き交う車の音。

『国道だ!』

 その先で、線路の下をくぐる。

『ここまで来れば』

 でも、まだまだ油断はできない。


「南無大師遍照金剛」

『国道に出るまで』と誓ったのだ。まだ妖怪変化(へんげ)に惑わされているだけかもしれない。


(悪霊(はら)いのため、朝が来るまでお堂にこもるが、悪霊が作った朝日に(だま)されて出てしまう…といった話がある)。


 右には線路が続いている。道は砂利の林道風。両側の(わだち)には水が溜まっているので、盛り上がった中央の草の上を歩く。左手の林の方から、通り過ぎる車の音が聞こえるのだが…姿は見えない。

 そこから、かなりあった。右側に点在するお墓を見て、やがてやっと、Y字路で国道に出る。『ホッ!』と一息。見れば、少し前方を行くお遍路さんの後ろ姿。男性だが、同宿だった「門司のおじさん」ではなさそうだ。「お経」もここまで。


(「お経」ではないが、ニセ遍路ゆえ、経文はほとんど知らないのだ)。


 国道左側の路肩を行くが…疲れた。少し先の道沿いに、古い木造の納屋。その軒先に座り込む。見れば、道路の反対側には…頭の(つぶ)れた猫の死骸。「南無阿弥陀仏」と合掌。

 そこを発ち、歩くこと1キロほどで「中土佐町久礼(くれ)」の郊外に接近。

 左の細い旧道に入ると…「そえみみず」コースと「大坂谷」コースの看板。国道の右を行くのが「そえみみず」、左が「大坂谷」。三本のどれを通っても登りだが…もう山道はコリゴリだ。

 国道に出て「久礼」の街を抜けると、前方に登りが見えるが…大量の水飛沫(しぶき)を上げながら行き交う車。国道を行くのだって、楽ではなさそうだ。『ずっと歩道があればいいが…』。保証は無い。こんな視界の悪い日に、通行量の多い国道の路肩を行くのは、危険ですらある。

『さて、どうしよう』

 見ればこのあたり、左側をほぼ並走して「大坂谷」コースへと続く旧道が走っている。車通りもほとんど無く、『いざとなったら国道に戻ればいい』と、旧道に入る。

 小さな川に沿って、両側に道がある。右岸を行くと、対岸を歩く先ほどの遍路さん。ちょうど、店をたたんだ商店の軒先に、張り出した広いテント。見れば対岸少し先にお遍路休憩小屋。先方のお遍路さんは、そこに入ったようだ。まあいい。こちらはここで一休み。ポンチョも脱いで、宿のおまけのおにぎり二個を、ここで食す。時刻は確認しなかったが、今日は朝飯も早かったし、午前のおやつには良い時間。

 しばらく休んでから、すぐ先にあった小さな橋で対岸に渡る。休憩小屋をのぞいてみるが、すでに無人。ここは雨が吹き込んでおり、長居できるような状態ではない。併設されたトイレだけ拝借。

 この近辺、まだ住宅も多く、街路樹のように川に沿って木々が並んでいた。それが多少の雨よけになっていたのだが、そこを過ぎると谷間の水田地帯。頭上が開けた場所に出ると…相変わらず、飽きる事のない激しい雨。すぐ右手を流れる川は、茶色い濁流。しかし…すでに国道は見えないし、どちらにしろ、この川を渡れる橋も無さそうだ。

『まあいいか』

 先発もいるようだし、歩いているのは綺麗な舗装路。もはや道路上も川のようだが、このまま・こんな感じで峠まで続いているかもしれない。


(期待薄ではあるが)。


 道は、緩いが延々上り。民家の数も減ってきて、人跡がすっかり切れた頃、前方にチラチラと白い物。先ほどのお遍路さんだ。見通しが利く場所なので、徐々に追い付いているのがわかる。向こうのペースが落ちたところで、一気に追い付く。

「土佐神社」手前で見掛けた男性だ。体型・体格的には似たり寄ったりだが、年は若く三十代と思われる。まあこちらのようにひねてはおらず、真面目なスポーツマン・タイプ。この雨の中、短パンにシューズ。ビニール合羽に、こちらと同じく折りたたみ傘。野営もするのだろうか、雨用カバーの掛かった大きなザック。

 挨拶を交わして、少し話をしながら…今日はずっと国道を来たそうだ…歩く・歩く。

『このまま、こんな道のまま峠を越えられれば…』

 でも…『マ・マズイ!』。道はその少し先で地道になる。畦道(あぜみち)風から、やがて山道に。

「ここから本格的な登りに掛かる」という場所の手前に、営林署の人達だろうか? 数人が車でやって来て、ヘルメットを被り、左の山の方角へと入って行く。

『この先、大丈夫かな?』

 何か物々しい雰囲気が漂っている。

 結局ここから遍路道。「焼坂峠」での事もあり()いていたし、こちらの方が荷も軽いので、先に立って前へ前へ。ナゼって、『上ったら、下らなくてはいけない』からだ。

 途中、ヘビがいたり…よく短パンで平気なものだ。足首まで水に浸し、激流になった小さな沢を渡り…それでも傘をたたまず、飄々(ひょうひょう)と登って来る。

 まだ渡れるくらいの流れと幅だからいいが、『この先、引き返さなくてはいけないような場所があったらどうしよう』。そんな場所が三箇所。

『これ以上増水する前に峠を越えなくては、危険だ』


(ここで言っている「峠越え」とは、「向こう側の(ふもと)まで」という意味だ)。


 またぞろ、不安が頭をよぎるが…でも今度は「同行二人(どうぎょうににん)」。少し心強い。

 でも…『ハテ?』。頂上が近くなってくると、車の音が聞こえ出す。最後に、一段と急だが階段のある登りを上がり切れば…『ホッ! よかった。山道を下らなくていい』。

 着いてみれば、国道沿いの「七子(ななこ)峠」。拍子抜けするほどあっけなかったが、大きく安堵の溜め息をつく。

『ブ~!!!』


 ここで淡々と歩く彼は、休まず先に行く。

 フト我に帰って気が付けば、こちらはもうヘロヘロ。汗と雨ですっかりズブ濡れ。

 見れば、国道の左側に上がったここの前方には「峠の茶屋」。時刻はちょうど昼。

 ここで食事を取る事にしたが…先ずは軒下に入り、合羽を脱ぐついでに着替え。昨日着用したTシャツと靴下に履き替え、コンビニ袋に足を突っ込んでからグチャグチャの靴を履く。冷えた身体には、これがなかなかGOOD。


(ライダーズ・アイデアは、外で防水するのではなく、中で防水するのだ。バイクは風にさらされる。特にバッグや足元は外を覆っても、風圧でバタついたり・風の巻き込みで雨水が浸入したり・最悪破けてしまう。中身をコンビニ袋やゴミ袋で包むのが先決。その上で、外側を覆うのだ)。


 ここで、後からやって来た遍路のおじさんと二言・三言。おじさんはサッサと下りへ。

 食堂からは、やはり遍路のおじさん。挨拶を交わし、いざ店に入ろうとすると、続いて顔を出したのは「門司のおじさん」。「ここから一気に行く」と出て行った。

 こちらはそれから店に入り、「天婦羅うどん」と「ライス」の昼食。汁は四国風透明スープ。刻みネギ入り。エビ天は…駄菓子屋で売っている、ヌメッとした食感の衣を持つ、イカのお菓子のような…小ぶりな桜エビの天ぷら。

 客は、後から入って来た人も含め、全部で四人。ここの前には広い駐車スペースがある。大型のタンク・ローリーも停まっているし、商売にはなるのだろう。


 腹ごしらえが済んで表に出ても、雨は相変わらず。暖かいウドンを食べたが、濡れたままでの長時間の休憩では、かえって身体が冷えてしまう。

 ここを出て少しの間、体温が上がってくるまでは寒かった。

 それに、Tシャツの上にビニール合羽なので汗は吸わない。立ち止まると冷えてくる…の悪循環。

 でも、一番の問題は…昼食後、準備を整え店を出て、「午後の部」へと第一歩を踏みしめると…「ズッキン!」。

『イッテ~!』

 昨日後半から軽い痛みを覚えていた、右足首上方・(スネ)の前面あたりに、激痛が走る。

『イテテテテ…』

 店にいる間は自覚症状が無かったのだが、一瞬立ち止まってしまう。

「焼坂」「七子」と、けっこう無茶なペースだったし…休憩で冷えたのがいけなかったのか? 先ずはソロリと歩き出す。

 でも、いったん現われた痛みは、退()く事はない。激痛とまではいかないが、鈍い痛みが残ってしまう。

 途中、立ち止まっては(スジ)を伸ばしてみたり…(モモ)を上げるように歩いてみたり。特に、足首に荷重の()かる下り坂と、痛みのある右足首に体重の載る右下がりの路面がきつい。かえって登っているくらいの方が痛みは軽いのだが、道はおおむね下り。なるべく左側を歩くが、たまらず杖になりそうな物を探す。八十八番の手前でやったように、道端に転がっていた細い竹を見つけて杖代わり。ヨタヨタと、土砂降りの中を歩く。山間(やまあい)だから、風はそれほどでもない。


 下って「影野(かげの)」の街の入口。少し民家がかたまっている所。

 右側に歩道があったからか? よく憶えていないのだが、とにかくここでは右側歩行。歩く人など皆無の、こんな天気のこんな場所。そこへ、傘を差した女子高生がやって来る。たぶん、台風なので学校は早終(はやじま)い。「影野」の駅から、このあたりの家に帰って来たのだろうが…ズブ濡れに、竹の杖を突いたみすぼらしい格好では、『軽く無視される』と思っていたのだが…スレ違いざま目が合うと、ニコッと微笑んで「コンニチハ」と言ってくれる。ポチャッとした顔つきの、健康的な女の子。

『こんな天気の日に、なんと輝かしいことか』

 おじさんは、何だか嬉しくなってしまいました。


「影野」の街は小さいけれど(駅もある事から、大き目の集落といった感じ)、ここからは「JR土讃線」沿い。町名は、「七子峠」を越えた所から目指す「窪川(くぼかわ)町」になっているが、次のお寺まで9~10キロ。先はまだまだ長い。


 そこから4キロほど進めば「仁井田(にいだ)」の街。

 下りもひと段落したので、ここで杖を捨ててテクテク歩く。『もう少しか』と思っていたが…今日は雨降り。手に持つのは面倒なので、ガイド・ブックはザックの中。この時点で、残5キロ強。


「仁井田」と「窪川」市街地のほぼ中間。「平串橋」の手前・右側に、「道の駅 あぐり窪川」。ここに立ち寄る。

 自販機を見回すが、この時期ホットの缶は無い。

 先ずトイレに行ってから、建物のはずれ、自販機が風()けになるベンチで、カップのホット・コーヒー。すぐ向かいの花屋のおねえさん、こんな天気では暇そうだ。

 ここで、本日の宿の手配。「窪川」の町には何軒も宿があるので、今日はこの時間まで宿の準備をしていなかった。と言っても、時刻はまだ午後の二時。なのにあたりは薄暗い。雨足は、弱まる気配すらない。しかし、それももっともな話だ。なにしろ台風は、今もこちらに向かって近づいているのだから…。

『さて』

 数があるというのも困りもの。どれからいこうか、迷ってしまう。

 ひとつ、目に付いたのは…生家の前の通りの向かい。そこに、一つ年下の幼馴染みが住んでいた。彼の家は、ビニール製品の製造・卸しを営んでいた。その屋号と同じ名前の宿。


(初めての出会いは、おぼろげながら、今でも憶えている。まだ幼稚園にも上がる前。家の前の歩道で遊んでいると、彼の家で働いていた女性が「一緒に遊んでね」と、彼を連れて来たのだ)。


 早くに母親を亡くした彼は、再婚した父親とは別居。そこに、おばあちゃんと二人で暮らしていたのだが…その後、どうしているだろう?

 とにかく、ここに決定。電話をしてみれば、宿泊オーケーとの事。

 ここまで来れば、残りは3キロほど。休んでいると身体も冷えてしまうが…でも、右足は絶不調。もう一息入れたところで、『仕方ない』と立ち上がる。止まない雨に、足首の痛み。時間は十分あるが、サッサと宿に辿(たど)り着いた方が賢明だ。右足を引きずるように、再びトボトボと歩き出す。


 1・5キロほど歩き、国道を右に()れ、市街地への道を下って行く。けっこう大きな街だ。

 でもこんな天気。人通り・車通りも少なく、店も半分閉めているような感じで、閑散としている。

 駅近くで、本日の宿発見。でもお寺は、もう少し先。旧市街をウロウロ歩き、街のメイン・ストリートと思われる道に出る。

『お寺はどこ?』

 少し先に、コンビニの看板が見える。ここで飲物やティッシュ、雨天時の必需品「ビニール袋」購入。でも肝心のシップ薬、すっかり忘れてしまった。

 ここでお寺の所在地を尋ねると、先ほど左折してしまった場所を直進らしい。そこまで戻れば、お寺はすぐだった。


(ナゼかお寺付近、やたらと喫茶店がある)。


《第三十七番札所》

藤井山(ふじいさん) 岩本寺(いわもとじ)



   本尊 不動明王 観世音菩薩 阿弥陀如来 薬師如来 地蔵菩薩

   開基 行基菩薩

   宗派 真言宗智山派


 天平年間(729~749)、「聖武天皇」の勅願を奉じた「行基菩薩」が、七ケ寺を建立した事に始まる。

 弘仁年間(810~824)、「弘法大師」が五社五寺を建立し、「仁井田五社・十二福寺」と称されるようになった。

 五社の境内にあった「福円満寺」が札所であったが、天文年間(1528~1555)に中宮が札所となる。その後、別当寺のここ「岩本寺」が札所となる。

 明治初年の「神仏分離令」により廃寺となるが、明治二十三年に再興される。


 いつものように、山門・本堂・大師堂。雨の降りしきる境内は薄暗い。

 お参りを済ませ、宿まで引き返す。来た時とは反対側から、宿到着。時刻は四時十五分。

 建物はそう新しくはないが、いわゆるフツーの旅館。同じような造りの宿が数軒並ぶこの一角は、昔、そこそこ大きい街の駅前なら、どこにでもあったような風情が漂っている。今では懐かしい物になってしまった…と、しばしノスタルジーに浸りたいものだが、その時は、そんな余裕など無かった。

『早く屋内に入って、濡れた物を着替えて暖まりたい』

 急いで宿の戸を開けると…「門司のおじさん」…が、浴衣姿で正面に見える階段から降りて来たところ。これからお風呂。飛び込みで、三時過ぎに入ったそうだ。

『あ~早く湯舟に浸かりたい』

 玄関で雨具を脱ぎ、留守番のおじいちゃんに言われて二階「もみじの間」へ。

 とりあえず乾いた物に着替えて、洗濯をしようと部屋を出てウロウロしていると…買物から戻ったらしい女将(おかみ)さん。年は三十代半ばくらいと思われるので若女将さん? まあ美形なのだが、ちょっと「レディース」っぽくて、きつそう・こわそう。


(気の強い女性は苦手なのだ)。


 ちょうど浴衣を持って来てくれたところ。そこで洗濯機の場所を聞く。中庭に降りた軒の下。可愛い靴が並んでいるから、小さな子供がいるようだ。

 でも、『ハテ?』。「二槽式」の洗濯機なんて…たしか二十年以上も前、一人暮らしをしていた学生の頃には使っていたが…『使い方、すっかり忘れちゃったよ』。

 しかし、元々大雑把な人間。「マメだけど雑」が「私の生きる道」。「とりあえず、やってあればいい」といったタイプの人間なので、細かい事にはこだわらない。だから洗濯に関しては、汚れが落ちていようがいまいが、洗濯機に放り込んで、洗剤の匂いがすればオーケーなのだ。

 適当に操作して、軽く洗濯。その間、順番待ちの風呂が空いたので、サッサと脱水槽に入れ替える。

 いよいよ、待ちに待ったお風呂の時間。元々温泉などには興味の無い人間だが、こんな天気で冷え切った身体には、お風呂が一番。木の浴槽の熱~いお風呂に、ユ~ックリ浸かる。

 風呂を出てから雨具も脱水にかけ、部屋に造り付けのクローゼットに吊るす。乾燥機が無いので、カーテン・レールにも洗濯物。エアコンの除湿をかけておく。


 夕食は一階の食堂にて。「門司のおじさん」に、自転車で回っているという、元工員あるいは元職人風のおじさんとの三人。もう一人分あったが、まだ到着していないようだ。

 刺身と貝のお吸い物など…こんな天気の日だ。量は少ないが仕方ない。三人で少し雑談してから、部屋に上がる。


 薄着でトイレに立ったら寒気がする。暖かくしなくては。

 二段丸型蛍光電灯の和室。日没前の時間は薄暗く感じたが、この時間になると、まあ明るい。

 今、布団にもぐり込んで、テレビを見ながらこれを書いている。

 台風は、今夜か明日未明、このあたりに上陸するかもしれないそうだ。

 本日の行程、海あり・山あり・谷あり・遍路道ありで、天気さえ良ければ最高のロケーションだったのだろうが…台風の天気では逆効果。今までで最悪の行程となる。


(そうそう、本日の歩行距離、予想よりもずいぶんと長い。いつもとは違った山道のペースに、万歩計が対応しきれなかったのか? それとも実際こんなものなのか?)。


 足は痛いし、寒気はするし…さて、明日はどうなる?


本日の歩行 39・63キロ

      51479歩

累   計 660・45キロ

      858218歩


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ