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第一日目 五月十二日(月)

 関西方面に来ると、景色が明るく感じるのは土の色のせい? 赤というか茶というか…

 犬・猫の毛色もそうだが、色が薄いというか、明るいというか…

 関東の方は、もっと黒っぽい。

 木の葉や幹はどうだろう?


 今、「新大阪」を発った。

 左側、三人掛けの窓際。

「京都」からガラッと空いて、隣りがいなくなってユッタリ。

 朝方降っていた雨も、西に向かうに従い、「曇り」から「薄曇り」へと回復傾向。


 新幹線に乗っている間は、ついウトウト。

 昨晩は、良く眠れなかった。

 久しぶりの長旅…それも、一ヶ月以上は必須。


 学生の頃は幾度となく、長い大学の休みを利用しては北へ南へと旅していたが…我が人生で最長のものとなる事は必至。


 それに今回は、いつもの相棒…「バイク」の無い、初めての「歩き旅」。

「緊張」というより、「不安」の方が大きい。

 アバウトな性格なので、きっと苦労もあるだろうが…

『でもいったいこの旅に、何を求めているのだろう?』

 別に「信仰心に()き動かされて」という訳ではない。

 だいたいそういった(たぐ)いのものは、微塵(みじん)も持ち合わせていない人間だ。


 もちろん、暇と金さえあれば、「何でもやってみたい」「どこにでも行ってみたい」とは思っていたが…と言っても、いくら時間や資金があっても、それを遂行するだけの能力が伴わなければ不可能な事もある。

 たとえば「エベレスト登頂」や「極点到達」は、普通の人間には無理な相談だ。


『何かにすがらなければ生きていけない』

 そんな状況だったわけでもない。

 単なる「旅好き」。


 元々は、何気ない一言が始まりだったはずだ。

 誰も本気にしていなかっただけだ。

 オーケーを出した以上、向こうだって後には退()けない。それは、こちらにしても同じ事。


「だからとにかく、行ってみよう」


 気候も良くなったこの季節。

 小振りなザックに、ありあわせの荷物を詰め込んで、家を出た。


 日曜も祝日も関係の無い仕事。

 むしろ人が休んでいる休日に、仕事をしなくてはならない業種。

 盆・暮れ・正月など、工場が長期にわたって停止する期間は、大々的な「定修(定期修繕)工事」が入る。

 今回も、ゴールデン・ウィークの仕事は済ませてあった。

 そういった要望が、上の会社からあったからだし義理もある。


 季節ばかりでなく、時期的にも良い時期だったのかもしれない。


 男の「大厄(たいやく)」。


 一月生まれなので「満」にはなっていたが、「四十二歳」。


(後で知った事だが、「弘法大師―空海」が、「四国八十八ヶ所霊場」を創設したのは四十二の時とされる)。


 年代的に、最もきつい時期だった。

 周囲からは、多くの期待を寄せられる。


「冗談じゃない!」


 若い頃は、もっと気楽に生きられたものだ。


(若いうちは、多少の失敗だって大目に見てもらえる)。


 そればかりでなく、周りの状況も否応なしに、「お気楽・気ままな人生」を許さなくなってくる。


(親も、もういい年になってきた。元々両親は、「老後の面倒」を期待するような人ではないし、七十を過ぎた今も元気だが…最近、特に母は、年と共に少し弱気になってきた)。


『これから、何を目指して生きて行けばよいのか?』


「年をとる」という事は、「選択肢」の数が減っていくという事…。

 若い頃は、ただ若いというだけで輝いていた。

「やってみなくちゃわからない」事が沢山あった。

 でも今は、「やらなくてもわかってる」事ばかりが増えていく。


 たとえば…四十(しじゅう)を過ぎて、「プロのスポーツ選手を目指します」などといった人はいないだろう。

 それがまったく無理な事は、自分自身が一番よくわかっているはずだ。


「やれば出来る」なんて言葉は、ごく一部の、成功した人間の吐くセリフ。


 たとえば、何がしかの「世界チャンピオン」。

 それは毎年一人だけなのだ。

「やりたい人間」が百人いたら、毎年順番に巡っても百年かかる。

「ありえない話」だ。


「成功」とは、努力や苦労が(むく)われる事。

 でも、誰でもが実現できるわけではない。


 同じ物を食べて、同じウエイトを持ち上げていれば、誰もがボディービルダーになれるわけではないのと同じだ。

「生まれながらの力持ち」がやってこそのものなのだ。


「生来のもの」…といものは確かにある。


 もちろん、「成功の切符」を手に入れるには、「事を起こす」事が必要だ。

 でも、「勝者」以外の全員は、期待が大きければ大きいほど、大いなる「挫折感」や「敗北感」を味わう事になる。

 いったん「事」を始めてしまった以上、答えは出てしまうのだ。

 現実を目の前に突きつけられるのが嫌ならば、「夢は夢のまま」で終わらせるべきだ。

「あのまま続けていたら」なんて、遠い目で昔を懐かしむ奴はいくらでもいるのだから…。


 だが、『ただ生きているだけの人生は、ちょっとばかり退屈だ』と思う人間は、常に何かをやっていなくては気が済まない。

 好きな言葉に、こんなものがある。


「人生、何かを成し遂げようと思ったら短すぎる。でも、何もしないで過ごすには長過ぎる」


 今回の事だって、そんな衝動の一環だ。

 だいたい転職するにしても、この不景気な世の中、先ず年齢の部分で引っ掛かる。


(景気が悪くなると、求人が減るばかりでなく、募集年齢が下がるものだ)。


 もうこちらから、選べる余地はあまり残っていないのだ。


 ただし、きっともう少しの辛抱だ。やがて「中高年の時代」がやって来る。


「少子化問題」が叫ばれる昨今。

 いずれ「若い労働力」の数だけでは足りなくなる。

 それに、「年金制度」崩壊の懸念…。

 支給年齢になっても、果たして満足な保障が受けられるのだろうか?

「優雅」とまではいかなくとも、「安定した老後」が約束されているなら、「定年」まで頑張るのもいいだろう。

 でも定年後、再就職の口を探す人は、今でも沢山いる。

 ならばいっそ、いま現在の仕事のように、定年の無い仕事の方が有利なのではないか?


 もっとも誰でも、一番の不安要素は「健康面」。

 何かあった時…つまり、働けないカラダになってしまった時、「確実に守ってくれる」なにかを欲しているはずだ。


 ならばいっそ、年金など廃止して、今後は、そういった「社会保障制度」(だからこれは、年齢に関係ないものだ)に目を向けた方が良いと思うのだが…どうだろう?


 それに、今の「老人」は元気だ。

「六十」を過ぎたくらいで遊ばせておくのは、もったいない気がするのだが…


 昔の童謡に、こんなものがある。

「村の渡しの船頭さんは、今年六十のおじいさん」…?


 孫がいるなら「おじいちゃん」もいいだろう。

 しかし現在、「六十」で「老人」呼ばわりされる事に不快感を覚えない人が、どれだけいる事か…。

 かつての「老人観」は、大幅な修正が必要な時代になった事は確かだ。


 そして…ずっと働き続けなくてはならないなら、「細く・長く」。

 許される限り、「できる事は、できるうちに」。

「そのうちいつか」なんて事を言っていたら、何もできないまま働き続け、長くて短い一生が終わってしまう。


 どちらにしろ、文化や芸術も含め、いずれ「中高年」に出番が回って来るはずだ。


(「働きずめ」の人生ではない、趣味を持った人達が年を取り、仕事以外での技を持ったおじさん・おじいちゃんも増えていく事だろう)。


 それまでの辛抱だ。


 ただ、誤解しないでもらいたい。

 今でこそ、こんな人間になってしまったが、かつては火の出る勢いで趣味のスポーツ(あくまで、「プロ」になれなかったから「趣味」としておくが、当の本人はいたって真面目、「お遊び半分」のつもりはまったく無かった)に燃えていた時期もある。


 その後、人並み以上に、サラリーマンを勤めていた時期もある。


 結婚…そんな事もあった。もう、遠い昔の事だ。


 あの頃、少々やり過ぎてしまったようだ。


「燃え尽き症候群」…?


 そればかりではない。身体まで壊していた。

 今ではまったく問題無いほどに回復したが、それでも「持病持ち」。

「不整脈」の薬を飲み続けている。


 とにかく、「やらなかった事を後悔するより、やって後悔」が本分。


(「人間行動学」のとある先生の言葉にも、同様なものがあるようだ)。


 とりあえず、「やってみよう」。


 しかし、は変われば変わるものだ。かつては…


「四国なんて好きになれない」


「山と海ばかりで息が詰まる」


「日本の中で、四国にだけは住みたくない」


なんて、公言して(はばか)らなかったのに…。


 朝一番の新幹線で我が街を出て、昼過ぎに「岡山」着。

 在来線で、生まれて初めての「瀬戸大橋」に入る。

 空はすっかり快晴。

 眼下に広がる初夏の瀬戸内海。

 良い眺めだ。

 やはり、『来て良かった』のだと思う。


 この先…この旅の後・その後の人生、どうなるのかわからないが…。

「何かを決める時」というのも、必要なのだ。

 いったん流され出したら、その流れから(はず)れるのは容易な事ではない。

 かなりのパワーが必要になる。

 若い頃は、そんな事もあった。

 ある意味、「逃避」とも取れるような行為だってあった。

 でも最近では「年の功」か、『流されてると感じたら、流れを変える事が肝心(かんじん)だ』と思えるようになってきた。


「今ここで、こんな事をしていられる自分」

 これは自分で作り上げたもの。

 周囲を巻き込む環境作り。

 それが大切だ。


『こいつじゃ仕方ない』

 そう思わせる・思われるようにならなくては、やりたい事もできなくなる。

 だから、真性の「馬鹿」ではダメなのだ。

 本物の「馬鹿」は全員から見放される。

「馬鹿野朗!」と怒鳴られるだけで終わってしまう。


 それに元々、「何もしなければ、何も起こらない」星の元に生まれたようだ。

「突然の不幸や災難」も無いかわり、「降って湧いたような幸運」も無い。

 だいたい、一万円落とす人間は一万円を拾うもの。

 幸い大金を落とした事は無いが、拾った最高額は千円札一枚。

 自分で事を起こさなくては、何も始まらない人間なのだ。


 そして今、午後一時過ぎ。

 四国の玄関口、「香川県」は「坂出(さかいで)」の街にいる。


『いよいよだ』

 改めて、少し緊張。

 ここからは、黙って座っていれば、誰かが運んでくれるわけではない。

 改札を出て、駅前のあたりをウロウロ。


 まず、目星を着けていた宿に電話をしてみる。

 返答次第では、この後の予定が変わってくる。

 ダメならさらに電車に乗って、「高松」か「鳴門(なると)」、あるいは「徳島」を目指そうと思っていたのだが…宿泊オーケーとの事。


 チェック・ポイントを二つ通って20キロ弱。

 初日の足慣らしには調度良い。


 今回は、すべて宿に宿泊する予定。

 だから荷物も必要最低限。

 靴も、履き慣れたジョギング・シューズ。

 アスファルトがメインとなるだろうから、クッション性重視。

 多少の地道や山道は覚悟の上。


 足腰だって、ほとんど毎日6~8キロ、趣味のジョギングは欠かさない。

 そんなこんなで、フル・マラソンを走った事もある。

 また、「登山」とまではいかないが、「ハイキング」も趣味の一つ。

『いざとなったら走ればいい』

 そのくらいに思っていた。


「さて…」

 グズグズもしていられない。

 地図を確認し、第一歩を踏み出す。


 もっとも、はっきり言って、事前の下調べや予備知識は、ほとんど無かった。

 手元には、どこの書店でも手に入るガイド・ブックが一冊あるだけ。

 だいたい、この先にあるお寺は「七十九番」。

 スタートからして変則的。

『四国に入ったら、サッサと歩こう』

 そう決めてあったからだ。


 まず、「坂出駅北口」を出て、さらに北へ。

 こちらが、この街の繁華街のようだ。

 少し進んで、目指す「県道33号」へ右折。通行量は多いが、歩道がある。

 市街地を東に行けば、交差点左手前に、縁日の屋台が出ている神社。

「八十八ヶ所」とは関係ないが、『これも何かの(えん)』と立ち寄ってみる。


 入口には「馬州神社」の文字。

 テキ屋のおっちゃん・お兄ちゃん達は、まだリラックス。

 だいたい、こんなに明るい真っ昼間。訪れる人はほんの数人。

 社殿におじさん達が座っているが…

 ふんぱつして、百円もお賽銭。


 そこはすぐに立ち去り先へ。

「坂出」の市街地を抜け、駅からの道が右側で合流している地点を過ぎる。

 ガイド・ブックによれば、そろそろのはずなのだが…?

 右沿いを走る線路の向こうに、集落が続いている。

『先ほどの合流のあたりで、サッサと線路の向こう側に渡ったほうが良かったのでは…』と思いつつも、ついつい先に進んでしまう。

 こういう時は、時間も距離も長く感じてしまうものだ。


『戻ろうか?』

 後ろを振り返れば、まだ数百メーター。

 でも、車やバイクとは違うのだ。

 後戻りするとなると、多大な労力と時間を費やしてしまう事になるのだが…


「まだそこに見えるのに、戻れなかったんだよ」

 そんな言葉を思い出す。

 ずっと以前。まだ学生の頃。さかんにバイクで旅をしていた時期。

 とあるユース・ホステルで出会った、少し年上の徒歩旅行の男性の話。


 彼は冬の寒い日、道端の自販機で温かい飲物を買ったそうだ。

 ホットの缶を握り締め…

 冬場なら、手を温めるため、誰でもそんな経験があるだろう…

 再び歩き出して間も無く。自販機の上に、はめていた軍手を置き忘れた事に気が付いた。

 振り返れば、まだ自販機が見える距離。

 でも、歩き出してすでに数日。わずか数百メーターの「後戻り」をする決心がつかず、歩き続けたそうだ。


 あの頃は、徒歩で旅する人を見ては、『気が知れない』と思っていたのに…。


 そうこうするうち、道端に石の道標(みちしるべ)が…。

 ホッと胸をなで下ろす。

 畦道(あぜみち)程度の小道を右に入る。

 線路を渡る踏切の手前で、乳房を垂らした黒・茶のメス犬と目が合う。

 四国は暖かいせいだろうか? 野良犬・野良猫の数が多い。

 線路を越えて、集落に入る。

 その先の少し小高くなった所に、それらしき建物が見える。

 いよいよ一番目の札所だ。


《第七十九番札所》

金華山(きんかざん) 高照院(こうしょういん)

   本尊 十一面観世音菩薩

   開基 弘法大師

   宗派 真言宗御室派


 小さな集落を通り、こちらからだと正面右側からお寺の前に出る。

 入口には赤い鳥居。四本の柱が立つ、珍しい「三ツ鳥居」。


(もしくは「三輪(みわ)鳥居」と呼ぶ。


 このお寺の詳しい縁起は知らないが、この形態の鳥居を持つものに、奈良の「大神(おおみわ)神社」がある。

 知られる限り、日本で最も古い部類に属する神社。

「三ツ鳥居」の由来に関しては、正式な社記にも「古来一社の神秘なり」とあるだけで、その詳細は謎に包まれているらしい。

「三輪三神」=「大物主(おおものぬし)神」「大己貴(おおむなち)神{大国主命(おおくにぬしのみこと)}」「小彦名(すくなひこな)神」を一緒に(まつ)っていると言われるが…

 果てはキリスト教の「三位(さんみ)一体」説まで登場し…定説は定まっていないらしい。


(ちなみに、酒造メーカー「サントリー」の創業者「鳥居氏」は、「大神神社」の氏子のひとり。社名の由来は、その姓はもとより、この「三鳥居(さんとりい)」にあるという)。


 大きな石柱には…「四国第七十九番霊場 天皇寺」「崇徳上皇白峰宮」の文字が読める。


 ここには、「保元(ほうげん)の乱」に敗れ、ここ「讃岐(さぬき)」に流され没した「崇徳(すとく)上皇」が(まつ)られている。


(その遺骸が浸けられていたと云う番外霊場「八十場(やそば)の水」。すぐ近くにあるというのだが…気が付かなかった)。


 恨みを残して死んだ「崇徳上皇」の怨霊は、その後も人心を恐れさせた。

 ために「二条天皇」が「白峰神社」を建立。

 寺号も「天皇寺」とし、上皇の鎮魂につとめたそうだ。

 天正年間(1573~1592)には「長宗我部(ちょうそかべ)」の兵火で焼失したが、天和二年(1682)に再興される。

 明治の「神仏分離令」のため、本尊が末寺である「高照院」に遷座。

 そちらが札所となり、今日に至っているらしい。



 時刻は午後の早い時間。

 境内に入ると、先着の白装束の集団がお経を唱えている。

 その間、神社にお参りしたり、御神木の(くすのき)を眺めたり…。

 人気(ひとけ)が少なくなったところで、本堂と大師堂に(もう)でる。


 作法もお経もまったく知らないし、特別祈る事もないが…

 お堂の前で賽銭をあげ、手を合わせる。


納経(のうきょう)」といって、各札所で朱印を押してもらう制度もあるらしいのだが…

『?』

 あたりを見回しても、お遍路さんの去った境内はひっそりしており…

『まあいいか』


 どうせ観光目的の「ニセ遍路」。

 菅笠(すげがさ)金剛杖(こんごうづえ)白衣(びゃくえ)・等々…「遍路の(あかし)」となる物は、いっさい身につけていない。


 ザックを背負っているので、一般人には見えないだろうが…

 黒のナイキのキャップ。

 ライト・グリーンのボタン・ダウンのシャツ。

 薄茶色の、軽登山にも使えるパンツ。

 足もとにはジョギング・シューズ。


 それに「納経」だってタダじゃない。

 八十八ヶ所も回れば、それだけでいい金額だ。


『まあいいや』


 境内を出て、こちらが正面となるのであろう、まっすぐな参道を行く。

 緩やかな下り。

『このまま下って、先ほどの県道に』と思っていたが、踏切手前に「へんろみち保存協会」の札。


(白地に赤で、図案化された「お遍路さん」のシルエット。札には、矢印や行き先が記されてある。また、進行方向を示すだけの丸い小さなシールもある)。


 巡礼者は、ここを右折らしい。


『これが本来の遍路道なのか?』


 先の集落へと続く、狭い道に入って行く。


『いったいこちらは、貧しいのか? それとも、歴史があると言ったらいいのか?』


 古めかしい建物…と言っても、今となっては「昭和」以前という事はないだろうが、そんな家々が多い。

 でも、「畿内」ほどゴタゴタしておらず、適度な空間が残っており、なかなかに良い感じ。


 晴れ上がった空は、相変わらず淡い光線を落としている。

 車窓から見えた海の青・山の緑…ちょっと淡いような色合い。

 それは、電車を降りても変わらない。なんだか独特だ。

 それに、『これは、自然の造形なのか?』。

 こんもりと盛り上がった、ピラミッドのような山々が点在する。

 まるで太古の昔、誰かが作った碑のようだ。


『ここは全体が、独特の気で覆われている』


 ここに生まれ育った人なら、それが当たり前なのだろうが…慣れ親しんでいると、気付かない・忘れている事もあるものだ。

 確かに、「住んでみなけりゃわからない」事もあるだろう。

 でも、通りすがりの「傍観者的位置」から見た方が・感じた方が、よくわかる事もあるはずだ。


 たとえば、機械の「ヘタリ」だ。

 この世のすべての製造物は、誕生した瞬間から「経年劣化」が始まるのだが…

 毎日見ているからこそ、気付く事もあるだろう。

 また、急激な変化なら誰の目にも明らかだ。

 しかし、特に緩やかな劣化は、慣れっこになってしまい、見落とされる事が多々ある。

 そういった場合、「第三者的立場」からの診断の方が、的を得ていたりするものだ。


『それにしても、ここは良い所だ』


 かつて、そんな風に感じた事があっただろうか?

 四国を訪れたのは、今回が初めてではない。

 バイク・ツーリングで三回。

 以前やっていたスポーツの大会参加のために二回。

 都合五回ほど。今回で六度目だ。


「気分の変化」のせい? 

それとも気候が良いから?


(自宅のある北関東と比べると、緯度が下がったぶん、ずいぶんと暖かい。否、急に訪れると、暑いくらいだ)。


 とにかく、そんな景色を楽しみながら歩いていたのだが…「(ハテ)」。

 持参のガイド・ブックの地図、細かい所でいまいち不正確…と言うか、大雑把でわからない。

「へんろマーク」も、すっかり完備されているわけではなさそうだ。

 それに、小さなシール程度では、見落としてしまう事もあるだろう。


 着かず離れず走っている「JR予讃(よさん)線」。「鴨川(かもがわ)駅」付近で少々ウロウロ。


『おかしい…』


 左方向に向かいたいのに、入った道は反対方向に向いて行く。

 そこで左を向き、無難に踏切を渡る。

 すぐ先には、線路と平行して走っている先ほどの県道。そこに戻って右折。

 本来の旧道も良いが、県道・国道も、変化や活気があって良い。

 通行量は多いが、歩道があったり、無い所も路肩が広く、今日のところは問題無かった。


 県道からわずかに入った「鴨川駅」に向かう。

 駅前の自販機で、炭酸飲料を飲みながら小休止。

 ここまで、およそ6キロ弱。足の裏が少々痛い。


 ここから駅周辺の小さな繁華街を抜けて、県道をさらに進む。

 左側には「綾川」の流れ。それほど大きな川ではない。

 本来なら、この手前で川を渡って、ずっと先に見える「国道11号」に入るのが近道ともなる遍路コース。

 でも、気づいた時にはすでに遅し。

 まっすぐ進んでいた。

 初日からこんなこと続きでは、このさき思いやられるが…

『これも旅の醍醐味』と、自分に言い聞かせる。


 元々、いま流行(はや)りの「カーナビ」なんて物には興味の湧かない性格。

 方向音痴というわけではないが、不正確なガイド・ブック片手にハイキングに行き、道に迷って大わらわ…などといった事もしばしば。


『まあいいさ』


「無謀」では困るが、用意は周到すぎてもつまらない。多少のハプニングなら大歓迎。

 それが「自分流」。


 どちらにしろ、次のお寺はこの県道近く。

 そのまま「讃岐府中(さぬきふちゅう)駅」近くを、グルッと大回り。やっと「国道11号」を横断。

 ここまで結構あった。


 次はこの先で、左に入らなくてはならないが…

 適当な所で左の旧道に入ると、ドンピシャリで次の札所に到着。

 時刻は夕方四時。

 本日の宿はこの近く。ちょうど良い時間だ。


《第八十番札所》

白牛山(はくぎゅうざん)) 国分寺(こくぶんじ))

   本尊 千手観世音菩薩(行基菩薩作)

   開基 行基菩薩

   宗派 古義真言宗御室派別格本山


 はじめ、手前の「国分寺遺跡」側に入ってしまうが、出直して正面の門から境内に入る。

 先ほどの「高照院」より広くて整備されているが、少し派手な色づかい。


 ここは天平一三年(741)、「聖武天皇」の勅命により、国家の安全を願い、国ごとに建立された讃岐の国の国分寺。

 開基は「行基菩薩」。

 弘仁年間(810~824)には「弘法大師」が逗留し、本尊を補修されたと云う。

 天正年間、「長宗我部」の兵火に遭うが、本堂と鐘楼は戦火を逃れて残っているものらしい。


 本堂でお賽銭をあげ、手を合わせる。

 夕方近いこの時間では、人影もまばら。


 あたりをチョコチョコ見て回るが、一番興味を引かれたのは…

 お堀のような池にいたカメ。

 大きいのも小さいのも、浅瀬に上がって甲羅干しをしている。

 近づくと、一斉に首を捻ってこちらを見ている。


 こんな歩き旅を始めてみると、ついつい「ウサギとカメ」の寓話を思い出してしまうが…


「カメは決してノロマじゃない」


 家の近くの神社の池にも、かつては沢山のカメが棲息していた。そして知った事。


「カメは決してノロマじゃない」


 (オカ)に上がっている時のカメが、こちらの接近に気づき、逃げる時のスピードの速いこと・速いこと。

「ササササッ」と機敏に動いては、「パシャッ!」と池に飛び込む。

 少なくとも、小型のカメのダッシュ力は、動物園でボタボタと跳ねているウサギの比ではない。


 しばしカメたちと「にらめっこ」。

 最近、やたらといろんな奴等に見つめられる。

 水族館の魚に、公園のハト。

 かつては、「鳥や魚は大嫌い。特に、知能をまったく感じさせない、ただ物を見るためだけに付いている、あの目が気持ち悪い」と言っていた自分なのに…。


『何か言いたい事があるのかい?』


 近頃では、心の中でそう語りかけてしまう自分がいる。


「さて…」


 そろそろ良い時刻だ。

 門を出て、左右に目を走らすと…左に、本日の宿の看板が見える。

 わずか数十メーターの距離。

 正面に立つと、「旅館」と銘打ってはあるが二階建ての民家風。

「旅館」と言うよりは「民宿」。

『少し年上か?』と思われる女将(おかみ)さんに案内されて、二階の二号室に入る。

 風呂もトイレも共同の、質素な和室。


 すぐに風呂に入れるというので、湯船に浸かる。

 シャンプーは無かったが、この頭なら問題は無い。

 旅の直前、自ら頭にバリカンを入れてあった。現在3ミリ坊主頭。


 家にある家庭用電気バリカンは、アタッチメントを装着すれば3ミリ・5ミリ・9ミリが思いのまま。

 別に、修行の旅だからという訳ではない。先にも述べたように、「信心」なんてものは、毛の先ほど、ミリ単位も無い。

 本当は坊主なんて、本意ではないのだ。

 育った時代は「団塊」の少し後。属する世代は「長髪世代」。

「高校野球」や「自衛隊」イコール「丸刈り」や「角刈り」…そんなものを見ると決まって、「あいつらホモじゃね~の」。そんな暴言を吐いていた。

 あの頃…若かりし頃は、坊主頭なんてヘドが出るほどに嫌いだった。

 それに、時代もそういう時代だった。


(「長髪」が流行れば「男の女性化だ」と嘆く奴がいる。一方で、「短髪」が出て来ると「右翼化の現われだ」と叫ぶ奴がいる)。


 当時は「カッコイイ」→「女にモテる」=「長髪」だった。

 長髪とGパンは、若者の必要最低条件。

 規制のある中学や高校に通っていた連中だって、卒業して解放されれば、皆こぞって髪を伸ばし始めたものだ。

 もっとも最近では、「坊主頭」も認知されてきた。


(「社会」にではない。「女性」にだ)。


 今では…年も取ったし、それほどの抵抗は無いが、どちらにしろ本心でない事は確か。

 時代がどうであろうと、女にモテようがモテまいが、長い髪のほうが好きなのだ。

 伸ばす髪の毛さえあれば、今だって…。


 皮肉なものだ。そんな自分なのに、二十代後半で「アレッ!」と思ってから十数年。

 今ではすっかり「薄い」を通り越している。


『そろそろ潮時かな…』


 三十を前にして、それまで五年間の交際のあった女性との結婚を決意した要因に、その事が絡んでいる事実は否定できない。


 その後の、病気や離婚。

 精神的なものもあったろう。

 肉体的なものも、あったのかもしれない。

 それとも「遺伝」…?

 あえて()げれば、母方の系統にその()がありそうだが…

 経験者の立場から言わせてもらえば、(ちまた)で語られる一般論や定説で確かなものは、何ひとつ無い。


「親父がハゲてなければ」は、まっ赤なウソ。

 父は今でもフサフサだ。


「脂性はハゲる」もウソ。

 好例はやはり父。今でこそパサパサしてきたが、若い頃はかなり脂っぽかった。


「天然パーマはハゲやすい」もウソ。

 弟は天パだが、問題無し。


 そのどちらでもないのに、『どうして自分だけ?』。


 その他、「頭皮の汚れ」もウソ。

 年を取ってもしっかり生えている人の中には、「髪が痛むから、毎日は洗わない」を習慣にしている人もいるのに…


 そんな情報に踊らされ、三十代半ばにして、状況は一気に進行した。


 根拠の無い風説に惑わされ、むしろ症状を悪化させた疑いすらある。


 今でも、帽子を被れば年より若く見られるのが常だが、たとえ飲み屋のオネーサンが相手でも、『そんなこと、あるわけないよ』。

 誰に対しても、卑屈になってしまう自分がいた。


 周りがどう思う・どう見えるではない。

 自分で自分に納得がいかなかった。

 そんなコンプレックスを抱えて過ごした三十代後半。


『中途半端にあるくらいなら、いっそ無いほうがマシ』


 ある日突然そう思い立ち、自らの手で、自分の頭にバリカンの刃を入れた。

 物心が付く以前の丸刈り以来、四十年ぶりの、それも「スキン・ヘッド」。

 でも、思いがけなく…特に夏場は快適だった。

 手入れも楽だし、「スダレ・ハゲ」より(いさぎよ)い。


 ただし、「スキン・ヘッド」を決めたのは二度ほどだ。

 丸刈りからツルツルにするまで、ヒゲ剃り三本を使い(途中で切れなくなってくるからだ)、所要時間は二時間。

 その間、横滑りには要注意。


(腕を上げた姿勢は非常に疲れる。気を抜くと横滑りさせてしまい、簡単に二枚刃の傷が入る)。


 そして、それを維持するとなると、かなりの手間を要する。


(ヒゲと違い、おそらく毛質や皮膚が異なるのだろう、電気カミソリでは刃がたたないのだ)。


 まあ多少、冬は底冷えするが…それで冬場は伸ばし放題。

 暑くなり始めた今頃が刈りいれどき。


(だから、もう何年も床屋に行っていない。まったく安上がりな男だ)。


 そんな感じで、今日も顔を洗うついでに後頭部まで。

 育毛剤もあれこれと試してみたが、もう終わり。

 重くかさばるビンなど、持って来るわけにはいかない。

 どちらにしろ、効き目の認められる物など、一つもなかった。


(皮膚病ではないのだ。外から何かをふりかけても、無駄だと思う)。


 夕食は、一階の座敷にて。

ゴハンにお吸い物。煮魚や刺身など、ヘルシーなメニュー。


 他の宿泊客は、男性二人と夫婦の遍路さん。みな六十は越えている。

 ご夫婦は車で、歩き遍路の男性二人は、ここ以前、どこかで同宿になった事があるらしく、すでに顔見知り。

 年も違うし、ここまで来れば残りわずかの人達ばかり。

 ところが、こちらはいたって初心者。話が見えない。

 情報収集もそこそこに、食事が済んだら早々に退散。


 そのまま宿のサンダルを履いて、お寺の手前のスーパーへ。

 品数は限られているが、いかにも「いなかのスーパー」といった風情が良い感じ。

 ここで飲物や食料を仕入れる。


 自販機も無い宿。

 それに明日は、早朝宿を出て、この小さな街を抜けたらすぐに、山道となる行程。

 今ここで調達しておかないと、面倒な事になるやもしれぬ。



 たった今、近くに設置されたスピーカーから、役場の広域放送が流れている。

 田舎に来ると、よくあるやつだ。窓を開けてあるので、よく聞こえる。

「四十歳以上の人のための、胃ガン検診が…」どうのこうの。

 それが済むと、何だかとても静かで、良い感じ。

 外はすっかり暗くなり、心地好い空気が漂っている。


 今、カーテンのみを閉めました。

 そして、素肌にパリパリにノリのきいた浴衣を羽織りました。


(今では懐かしい、「ノリのきいた浴衣」。きっと最近では、どこでも柔軟剤入りの洗剤を使っているのだろう)。


「時間をお金で買う」なんて言われている今の時代にあって、こんな事をやっているなんて…逆に、最高の贅沢だと思う。


 でも、歩き方がいけないのだろうか? 両足とも足裏の、中指の付け根のあたりが痛い。

 一点にだけ、グリッ・グリッと力を()けるような歩行をしているのだろう。

 足の裏全体に力と体重を乗せた方がよい?

 とにかく、「マメができて、痛くて歩けない」などとなったら面倒だ。

 まだ初日。用心しよう。


 ただ今、九時五分。

 今回のために唯一買った「万歩計」では、19・53キロ。25368歩。


 そろそろ寝ます。


(そうそう、こちら関西は、電気が60ヘルツだという事、すっかり忘れていた。ただ今ケータイ充電中。「充電」の文字が点滅しているので、大丈夫だとは思うのだが…?)。


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