*第十八日目 五月二十九日(木)
今日は少しユックリのはずだったのに…結局、今までで最高じゃないかというほど、歩いてしまった。
朝は七時からの朝食に合わせ、六時に起床。
昨日は宿に入る前、付近を少しウロついたのだが、コンビニはおろか食べ物を買える場所も無かった。宿を出るのは遅くなるが、それで朝食を頼んでおいたのだ。
窓を開けるが、ホテルの別棟がすぐ近くに迫っており、お天気は確認できない。
大方の準備を済ませて部屋を出る。ここは四階。エレベーターまで、アパートやマンションのような半屋外の通路。空を見やると雲は多いが、すぐにどうこうという天気ではなさそうだ。昨晩の天気予報では「高知県中部地方」は「曇りのち雨」。まあ、そんな感じの空模様。
フロントと食堂のある2Fに降りると、ちょうど遍路姿のおばさんが出て行くところ。フロント奥の食堂には、先客三人。みな仕事風。
朝のメニューは…焼魚・生卵・味噌汁・お新香に、その他一~二品。ゴハンは一杯だけで部屋に戻る。
トイレを済ませ七時半、宿を出る。
本日最初に目指すのは、この街の北西3キロの山側にあるお寺。この街からお寺までは、「打ち戻り」のコースとなるが仕方ない。
目の前の国道を横断して、先ずは「土佐市長岡」の繁華街。「市」ではあるが、市街地はそれほど大きくはない。
ホテルでもらった周辺地図を見ながら、商店街に入る。今日も、ちょうど朝の通勤・通学の時間帯。でも、こんな所のこんな場所。小さな市街地のドまん中だから、かえって行き交うのは徒歩の小・中学生ばかり。
しばらく進み、地図通りの場所に看板があり右折。
その先、街を出たあたりにバイパスと高速。地図には工事中とあるが、どちらも完成している。
バイパスを横切ると、道はどんどん細くなる。水田の中の農道。でもこんな時間だ。通勤と思われる乗用車やトラックが、市内へと向かって行く。
高速の下をくぐり、山の麓の集落を抜けると、お寺への登り坂が始まる。それほど高い山々ではない。おそらく目の前に見える山の、中腹に見える建物がお寺だろう。
ザラザラの、荒いコンクリート舗装の細い道。かなりの急角度。朝一には、少々きつい。曇り空なのに、一気に汗が吹き出す。湿度は少々高そうだ。
やがて山門。そこから最後の石段を登れば、小さなお寺の境内に入る。時刻は八時十五分。
《第三十五番札所》
「医王山 清滝寺」
本尊 薬師如来
開基 行基菩薩
宗派 真言宗豊山派
養老七年(723)、「行基菩薩」により開基。
その後、弘仁年間に「弘法大師」が修行している。
朝のわりには人が来る。二人連れの男性歩き遍路さん達と入れ違い。帰り際にも一組。街から近いせいだろう。
お参り後、一休み。まだ大して歩いていないが、朝一番の急坂は結構きく。
境内の中に設けられた、果物等の販売所のテント脇。そこに置かれた簡易テーブル&イスに腰を下ろす。冷たい物を飲んでホッとしたのも束の間、パラパラッと来た。ホテルを出た時からの曇り空。ただし、一面雨雲というわけではない。色々な雲が入り乱れている…といった空模様。それほど強い降りではないので、少し様子見。すぐにポツポツとなり、間もなく上がる。
『ホッ』
そこで、今年八十二になるという売店のおじいちゃんに声を掛けられる。
ナゼか兵隊に行った時の話をしてくれる。フィリピン方面。四千人出て、百数十人の生き残りの一人。「名誉の戦死」なんて、ほとんどいなかった。「餓死」と「病死」が大半。
(「飢え」というのはよく聞く話。だが、送られた戦線・方面・部隊によって、かなりの差があったようだ。妖怪漫画で有名な「水木しげる」氏の対談を読んだ事がある。御存知のように、このおじいちゃんと同世代の氏は、戦地で片腕を失くされたのだ。その氏が語るところによれば、その部隊では、食べる物はあったそうだ。それでなくとも、バナナなどが生っているジャングル地帯。多くは下痢などの症状に悩まされ、衰弱して死に至ったそうだ。だから正確なところ、その部隊に限って言えば、不足していたのは「医薬品」だったのではないか…と想像する)。
戦地で「どじょうすくい」を踊った話…でも最後には、そんな元気も残っていなかった。
降参して手を上げていると、先ず黒人兵に腕時計を盗られる。
(記録フィルムなどではあまり見かけないが…聞いていた通り…最前線に送り込まれるのは、貧しい出の黒人ばかり)。
見れば他にも、腕いっぱいの戦利品。家族や子供へのおみやげなのだろう。
(おそらく若い兵士。売りさばくつもりだったのだろうと判断)。
パンは知っていたが、黒人兵の塗ってくれたバターとジャムの味。今でも忘れられない。腹を空かしていたせいもあるが、こんなうまい物…と思ったそうだ。
この手の話は嫌いではない。むしろ大いに興味がある。貴重な最後の「生き証人」の人達。もっと聞いていたかったが、まだ一日は始まったばかり。それに本日この先は、まだまだ長い。頃合いを見計らって、その場を辞する。時刻は八時三十五分。トイレに立ち寄ってから、お寺をあとにする。
車道から山門横に出て、遍路道を下っていると…向こうから、遍路姿の女性。歩みを止めて、こちらを見ている。「またお会いしましたね」と言われる。Nさんだ。そこで少々立ち話。「ご縁があるから、またどこかで」と言われ、別れるが…。
高速のガードをくぐり(ここに若い男性遍路さん。座り込んで休憩中)…
「四国のみち」の道標に従い、左斜めの細い農道へ…
建設途中の広い道へ右直角で入り、さらに進んでバイパス横断…
先は住宅地に入る細い道。おおよその見当を付けて、再び「土佐」の街へと入って行く。左に県道・正面に国道があるはずなので、大幅に間違う事はないだろう。
『地図を見たり、自分の感覚を頼りに進むのも旅の醍醐味』だと思っている。だから「カーナビ」なんて物には、興味も湧かない。「方向感覚」は悪くはないだろう。ただし「昼間」で、なるべく「太陽」が出ている時に限るのだが…学生の頃、こんな事があった。
夕暮れてからアパートに帰る時。何かの用事で、いつもとは違う路線の電車に乗った。『歩いて帰ろう』と思い、わざわざ慣れない駅で下りた。「徒歩一時間未満」の予定で歩き出したのだが、「東京」とは言え郊外。暗がりが多いし、目印になるような物の無い住宅地。延々一時間以上歩き続け、やっと見えてきた明かりは、見覚えのある駅前。グルッと回って、元の場所に戻って来てしまったのだ。
あの時は、本当にガッカリした。と同時に、旅が趣味の一つだった自分の能力について、大いに疑問を抱き、『こんな事で大丈夫なのだろうか?』と、自分の行く末に一抹の不安を感じたものだ。
ゆえにできた教訓が一つ。
「夜間は要注意!」。
(もしかしたら、この現代にあって「キツネにバカされた」のかもしれない)。
また「方角」というものも、自分が思っている・思い込んでいるものと、意外にズレがあるものだ。
たとえば、住み慣れた自分の街。そこに展望タワーでもあれば、登ってみるとよい。方角や地理的位置関係。思っていたものとは、かなり違っている事に気づいたりするものだ。
小学生の時、こんな事があった。朝、登校が済んだ頃、学校の二階から見える距離で、火の手が上がった。同級生の一人が、「燃えろ! 燃えろ!」と手をあおってふざけていたのだが…やがて、あわてて教室に駆け込んで来た先生は、その彼の手を取り引っ張って行った。燃えていたのは彼の家。学校の近くなので、その所在地は知っていのだが…もっと右の方角だと思っていた。当の本人もそうだったのだろう。
『地面に張り付いていたのでは、全体像はつかめない』
その好例となる出来事だった。
「土佐」市街地の路地を適当に進んでいると、朝も通過した商店街の一角に出る。角に菓子店のある県道交差点は横断し、もう一本先の「県道39号線」に右折で入る。
ここからは新たな道。道路左側には、綺麗な流れの用水路と遊歩道がある。すぐ先の「国道56号線」は横断陸橋で越え、しばらくは用水路が左を並走。歩道もある。
市街地を抜けた街はずれ。左に道なり直角カーブの右外に、シャッターの閉まった商店。横に自販機が立っている。時刻は九時半。ここで一休み。この頃には、先ほどの雨雲はどこへやら。すっかり快晴。建物脇の日陰に腰を下ろす。でもここは…サンダル履きの近所のおじさん、車のおじさんが立て続けに二台、タバコを買いに立ち寄ったり…何か落ち着かない。それでここは、小休止で済ます。
このすぐ先で歩道が切れ、狭い路肩の白線の上を歩く。しばらく行った先の信号を右折。ここから道は広くなり、右側には歩道。
「やくろう橋」で「波介川」を渡ると、すっかり街を出て、道は上りに掛かる。途中、左側にお弁当屋さん。ここで、本日の日替わり弁当「しょうが焼き」の、出来上がっていた物を購入。
少し登ると右側に、駐車場やトイレ、休憩小屋もある整備されたパーキング。小さな水車の横で、一人戦車のラジコンで遊ぶおじさん。時刻は十時二十分。ここで飲物を買って休憩。ここはちょうど、遍路道でもある「塚地峠」への登り口でもある。このまま県道を進めば「塚地トンネル」がある。
『さて、どうしよう?』
本日は、ここから30キロ先の「須崎」まで行こうと思っていた。体力温存のため、そちらのコースを通ろうかとも思ったのだが…まだ午前中のこの時間。やはり峠越えの遍路道へ。地図で見れば右内回り。
平面上の直線距離では、こちらの方が近い。そう大きなロスとはならないだろう。
袋に入った弁当はザックの背に縛り付け、右へと入って行く。道はいわゆる、標準的な峠越えの遍路道。峠までは2キロほどの山道。他のハイキング・コースへの分かれ道もあるが、反対側の麓の町「土佐市宇佐町」を目指す。
下りの途中に工事中の箇所。新しい砂防ダムを建設中。休工中なのか、誰もいない。そこから先は舗装路。山から下りて、視界が開けた所に「萩谷」の集落。
そこを過ぎて、「宇佐」の街の街はずれ。「四国のみち」の道路標識を見つけて、市街地方面へと向かうが…どこで間違えたのか? 道は一本山側と思われる、街と自然との境界線。右は「自然界」、左は「人間界」。
(もっとも「田畑」は、決して「自然」ではない。むしろ「人工物」だと思っている)。
そのまま歩き続け、市街地を過ぎた頃、左の方角に海の雰囲気。そろそろ向こう側に行かなくては、ルートを外れてしまうかもしれない。目指す県道と思われる道も、すぐ近くまで迫って来ているのだが…家々が立ち並び、そちら側に抜けられる道が無い。たまたまあったスーパーの敷地を抜けて、反対側に出てみると…道路のすぐ向こうに海。進行方向に目をやれば、「浦戸大橋」に匹敵するような、巨大な「宇佐大橋」。もう間もなくの距離。
夏のような日差しの下、テクテク登りに掛かる。昨日の「浦戸」の橋ほどではなかったが、ここもかなりの高さ。上の方では風がビュウビュウと吹いている。金網は無いが、欄干が高く、歩道も広目なので怖くはない。ちょうどこの時刻、本日一番の良い天気で、眺めは最高だった。
対岸の橋の下付近一帯は、夏は海水浴場になるのであろう、整備された公園になっている。そろそろ腹も減ってきたが、その公園に向かうとなると、橋が終わってから少し戻らなくてはならない。『まだいいや』と思い、弁当をブラ提げたまま先へ。
渡った先は「横浪半島」。ここは、右に続く「浦ノ内湾」と外海との出入口にあたる地点。
左に海を見て、海岸通りを行く。右側は…海ばかり見ていたので印象が薄いが、小高い山の森が迫っていたと思う。少し先に、休憩所らしき物が見えてきた。でも、大きくえぐりこんだ入江。そこに辿り着くまでには結構かかった。
道路右側にあったのは「四国のみち休憩所」。しかし、日陰の山側で、風の抜けも悪いせいか、ジト~ッと陰気臭い。向かいには浜があるが、先客あり。坊主頭の若者。肌でも焼いているのか、上半身裸で寝そべっている。どちらにしても、「本日は晴天なり」。強過ぎる日差しに、日向での休憩は御免こうむりたい気分。ここはやり過ごし、その先に見えてきた「竜岬」方面へ。
間もなく、道路左側に大きなパーキング。敷地のはずれに屋根付きベンチ。時刻はジャスト十二時。ここでお昼にするが…海からの強い風。広げた弁当パックを、片手で押さえながらの食事となる。十五分ほどで済ませ、トイレに寄ってから歩き出す。
少し行けば、右手に大きな遍路ホテル。その横から内陸へ。車では、交互通行しなくてはならない細い道。途中の右側に、売店というか、ストアーというか、「沖縄」の田舎や離島を訪れた時にでも見るような風情の店が一軒。
その後は、右に里山、左は『公園か何かの施設か?』と思われる場所を抜けて行く。
(帰り道。正面に回ると、「甲子園」で有名な高校の敷地だった。こんな場所にあるのだから全寮制? そこのバスが、坊主頭の生徒を乗せて走って行った)。
手に弁当のゴミの入った袋を提げて、細い道を行く。
ちょうどそんな時間帯だったのか、乗用車で乗り付けたお遍路さんの出入りが結構あった。
そして…
《第三十六番札所》
「独鈷山 青龍寺」
本尊 波切不動明王(伝 弘法大師作)
開基 弘法大師
宗派 真言宗豊山派
この寺名は、「弘法大師」が在唐中、「長安」で学んだ「青龍寺」にちなんで、師「恵果阿闍梨」への敬慕を表わしたものと云われている。
何気ない所に建つお寺だが、雰囲気のある長い石段を登って…車でやって来た、おじいちゃん・おばあちゃんにはきつそうだ…境内へ。
上には塔もある。
お参りを済ませて下に降り、登り口手前の売店へ。行く時にここのおばちゃんが声を掛けてくれ、手持ちのゴミは処分してあった。
ここで冷たい飲物を買って、店先で小休止。けっこう混んでいたので、早目に切り上げる。
入って来た所まで戻り、ここまで歩いて来た「県道47号」に右折。さらに先へと向かう。
本来は「宇佐」の橋まで戻り、「浦ノ内湾」北岸を歩くのが一般的な遍路コース。でも今日は…すでに「清滝寺」までの往復コースを歩いたし…なるべく重複ルートは避けたい主義。
それに、別な道がない訳ではない。それが、今歩き出したこの道。「横浪半島」の外側、「横浪三里」と呼ばれる太平洋岸の道。
(ただし、「浦ノ内湾」南岸には、道自体存在しない)。
湾の内側を回るか、半島の外側を回るかの違いだけで、距離的には大差はなさそうだ。それにこの先、ここのお寺の奥之院があるなど、まったくコースから外れるわけでもない。
(と言っても、立ち寄ったわけではない)。
遍路道の別ルート。でもいきなり、急な登り。登っても登っても、カーブを抜けて続いている。この「県道47号―横浪公園線」は、いわゆる観光道路。
(かつては有料だったようだ)。
地図には「好景観道路」の印が打ってあるが…木々が迫っていて、景色はまったく見えない。
通行量は少ないが、路肩は無いようなもの。それに、草木が繁茂するこの季節。草刈りが行なわれていない箇所では、草木が道路まで張り出し、実質的な有効道幅は狭くなっている。
さらに、こういった場所でのこういった道。一つ不安な事があるのだが…。左上に国民宿舎が建つあたりまでは、ず~っと登り。そこを過ぎると…不安的中。「下っては上り・上っては下る」の反復運動を繰り返す、「サーキット・トレーニング」コース。
二日目の項でも書いたが…昔、サイクリングをやっていた頃にも、一番嫌いだったパターン。「やっと上って下りになった先に、また上りが見える」と、精神的にもかなりこたえる。
「上りなら上り続け、あとはずっと下り」
本当は、そんな道の方が良いのだが…「人生、山あり谷あり」とは、よく言ったものだ。こんな時には、いつもこの言葉を思い浮かべ、納得(あるいは「あきらめ」?)する事にしている。
景色の方も、時どき木々の切れ間から、崖下が臨める程度。海からグッと盛り上がった、台地状の地形なのだろう。ずっとそんな感じだった。それに、雲も出て来たし…はっきり言って、あまり景観の好い場所は無かった。
そんな途中に、モーター・パラグライダーの装備を積んだ、関東ナンバーのワン・ボックスが一台、ウロウロしている。
『ポイントを探しているのだろうか?』と思っていると、別荘のような建物が点在する一角。左側の広くなった路肩を選んでは、駐車してある車が数台。釣りのポイントでよく目にする光景だが、釣り人や地元の人ではなく、サーファーだ。下の入江でやっているようだ。でも、下まで降りるのはかなりの急傾斜。距離だってそこそこあるだろう。限られたロコのためのポイント。ハワイにでもありそうな、シークレット・ビーチっぽい。
それにこのあたり、上から見下ろすより、下から船などで見上げた方が、きっと良い眺めなのだろう。
そうこうするうちに、海の見える開けた高台に出る。左に、「帷子崎」の広い駐車帯。ここには売店もある。時刻はすでに二時。ここでは、暑い日差しが照っていた。
売店で冷たいアイスクリン。「ネコはいらんかね?」と、売店のおばちゃん。見れば生まれたての子ネコ達。
「か、かわいい~」。
自他共に認める、かなりの「ねこキチ」である。昨年、十九年連れ添ったネコと死別した事は、すでに書いたはずだ。『おメガネにかなった子がいれば、いつでも』とは思っているが、なにぶん旅の途中。情が移ってはいけないので、こういった時は、あえて近づかないようにしている。
ここで宿の手配。「須崎まで20・5キロ」の看板を見たあたりだったが、そこまで行かなくては宿がない。
(途中、太平洋側の「池ノ浦」という所には、ずっと下に漁港が見え、民宿の看板もあった)。
土佐は「修行の道場」。テクテクと歩くのみ。どうせ景色は見えないし…それにしても、先ほどから雲が濃くなってきた。
その後、少し内陸に入り、左側に「子どもの森」とあった施設前に差し掛かる。その道路反対側にあった駐車場のはずれで一休みする頃には、上空は一段と暗くなる。そこを発って海沿いに出ると…と言っても、遠くに海が臨める程度。眼下は木々に覆われ、遥か下方の海岸線はまったく見えない…と、雨の匂い。
『?』
後ろを振り返ると、海上が煙っている。
『雨だ!』。
早足で歩き始めるが…開けた直線路に出て、右に「武市半平太(瑞山)」氏の銅像が立つパーキング。その手前で追い付かれる。傘を差している間にビッショリになってしまうような、大粒の雨。海からの風で、横からも攻めて来る。それで、ポンチョも着用。ただし、路面をビッショリ濡らすほどの雨。おかげで気温が下がり、その点に関してはグッド。
やがて道は急激に下り始め、右手に「浦ノ内湾」が見えてくる。下りを下り切る頃には、曇り空だが雨は上がる。
「坂内」というあたりで、いったん下り切る。道路右手は、海抜数メートルで湾に接している。ボート練習場や海上レストランが三〜四軒。ここで、まだ湿っている海側のコンクリート壁に腰を下ろし、跳ねるボラ(?…魚には詳しくない人間。こういった場所で跳ねている魚を見たら、すべて「ボラ」と表現してしまう)を見ながら小休止。
『目指す「県道23」はもうすぐだ』と思い、ポンチョと傘をたたんで歩き出すが…思っていたよりあった。登りもあった。
「23号」に突き当たって左折。西に向かう直線路の先には、かなりの高度で聳え立つ山が見える。
『ふう~…溜め息が出ちゃう』
右側の歩道を歩いて、徐々に登りに掛かる頃、前を行く小学生の女の子に追い付く。赤いランドセルを背負った、三~四年生くらいだろうか? 「こんにちは」と、チョコチョコ話をしながら歩く。トンネル手前。右下に見える集落へと向かう道。たぶん隧道ができる前は、そこを通って峠に向かったのだろう。ここで「バイバイ」「バイバイ」と、お互い手を振りながら、おじさんは「鳥坂トンネル」へと入って行く。
照明は灯っているが、薄暗くて長いトンネル。そこを抜けると下り。こちら側に出てみれば、空には青空も見える。
どんどん下り、あたりの景色は森林から田園地帯へと移って行く。途中、民家の前に立てられた扉付き「お遍路」掲示板。そこに入っていた、歩き遍路さん用・無料周辺地図を一枚頂く。ここから2キロほど行った所に分岐があるらしい。
でも、電話口の宿のおばちゃん(と思われる)の話では、セメント工場の所で左の遍路道には入らず、県道直進との事。「JR土讃本線 おおのごう駅」前。
(「ごう」は「郷ひろみ」の「郷」だと言っていた)。
やがて遠くの左手に、大きな古いプラントが見えてきた。西日に照らされているせいか、全体的に赤茶けた巨大な工場。煤けて、少し古ボケた感じが、何とも言えない。
(こういった物、嫌いではない。特に、ナゼか高くて巨大なエントツに、昔から興味を覚えるのだ。「男根崇拝」? 「エディプス・コンプレックス」? 「ジークムント・フロイト」先生あたりが喜びそうなネタだ。一方で、「箱」や「壷」は、女性を象徴する物と言う。「焼き物」にはまったく無関心な人間なので、その手の心理はよく理解できないが…おそらくそういった物に興味を持っている人は、心理学者によって何らかの理由づけをしてもらえるだろう)。
『そろそろかな…』と思い、左側にあったコンビニで飲物等を仕入れるが…最後は長かった。『五時頃には宿に』と思っていたその時刻になっても、まだ目標の線路も見えない。最後は足首まで痛み出すが歩は緩めず、この頃にはすっかり顔を出していた西日に向かって歩く。
やがて右に大きくカーブし、「桜川」を渡ったその先で、道は大きな跨道になり、下を走る道路と鉄道をオーバーパス。見渡せば、電車がすぐ左先で停車している。あそこが駅のようだ。最後の上り下り…高架を越えて左に入る。今の電車を降りたのだろう、OL風のおねえさんと、ちょっとケバい女子高生とスレ違った右角を曲がると…すぐ右手に旅館「○」の文字。
『ハア~! やっと着いた』
時は五時五十分。Tシャツは汗で湿っぽいが、雨で濡れたズボンはすっかり乾いている。ただし、靴はまだグチョグチョ。ザックとウエスト・ポーチは汗臭い。本日はそんな一日でした。
今、開けてある部屋の窓から、網戸をくぐって雨粒侵入。方角はどちらになるのだろう? 一時は太陽が顔をみせるほどに天候回復したのに、日没と同時に降り出した。
本日の宿、「旅館」とあったが来てみると、「○○さん家」といった感じ。「人の家にお邪魔してます」みたいな所。おじいちゃんとおばあちゃんの二人暮らし。宿はおばあちゃんが一人で切り盛り。
(この日、もう一人の宿泊客…「門司」から来たという六十二歳のおじさんの言によれば、「昔、潜水艦に乗っていたというおじいちゃんは、軍隊にいたから年金が高いんだろう」との事。こちらに来ると、ホント、軍隊経験者が多い。地元「関東」では、今ではそんな人、ほとんど出会う事がないのだが…遠い幼少の頃、初詣などで賑わう神社の境内に、前に空き缶を置き、軍服を着てハーモニカなどを吹いている片足の無い傷病兵など数人を見た記憶が残っているが、中国で日本軍のスパイをしていた片腕の無い母の叔父さん・「シベリア抑留」経験者の義理の伯父さんたちが他界してから、もう久しい)。
老人二人で危ないから「警察官立ち寄り所」にもなっており、お遍路さんしか泊めないそうだ。
(宿帳代わりに納札奉納なのだ)。
部屋は三階建ての建物の三階。小柄で白髪、少し頭の薄い「門司のおじさん」は二階のようだ。
民家っぽいが部屋は孤立していて静かだし、トイレも洗面所もすぐ脇にあるので、かえって気楽。
お風呂は一階。脱衣所の手前で、おじいちゃんがイスの修理。無口でノンビリしたおじいちゃんだが…戦争に行った年齢には見えないほど若々しい。おばあちゃんはよく喋る。二人とも細身だが、三階建てでも問題ないほどに元気だ。
夕食は二階。おばあちゃんお手製「鶏肉の入ったにんにくソースの野菜炒め」「かつおの刺身」「魚のフライ」「エビ・フライ」「揚げ餃子」「レタス1/8サイズ」「トマト1/4」。どういう訳か「お吸い物」は無く、最後に「バナナ半分」と、かなりの量。「門司のおじさん」は全部食べられなかった。こちらはプラス軽めのゴハン二杯。
夕食の席でも、おばあちゃんは「あれやこれや」。その中の一つ。「長野」の有名なお寺の高僧が泊まった時の話。「休みの日には外に出て、酒も飲むし、肉も食うし、女も買う」んだそうな。
(もちろん、その方がそんな事をしているという話ではないのだろうが…)。
厳しい戒律を守るのは、お寺の中だけの話らしい。
(そこで、元美容師さんだった女の子の話を思い出す。やはり美容師だった彼女の友人が、悩み事を抱えていた時期に、たまたま同年代のお坊さんと知り合ったそうだ。やがて二人は意気投合し、結婚にまで漕ぎ付けた…そして、その式場での話。方や黒塗りのベンツで乗りつけたスキン・ヘッドの集団。一方では虹色からパンクまで、ポップでアートなグループ。それが入り乱れるなんて…何とも見てみたい光景ではないか)。
話好きなおばあちゃん。こちらの年をドンピシャに当てて、御満悦だった。
本日は到着が遅く、疲れてしまったので洗濯はパス。それにどうやら、台風が接近している模様。せっかく洗っても、どうせズブ濡れになりそうな予感。
明日の歩行距離は30キロちょいの予定。朝は五時起き、早く寝よう。
(本日の歩行は、ほぼフル・マラソンの距離だ!)。
本日の歩行 42・18キロ
54792歩
累 計 620・82キロ
806739歩