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18/32

*第十七日目 五月二十八日(水)

 今朝は六時起床。夕べは一度もトイレに立たなかった。

 窓を開けると、隣りの建物との間に青空が見えている。悪くはなさそうだ。三日も悪天候が続いたのだから、そろそろ良くなるだろう。

 七時からの朝食に備え、大方の準備を整え、七時ジャストに2Fフロント奥の食堂へ。背広や作業服姿の先客が二~三人。空いている窓際の席に座る…と言っても、ビルの狭間(はざま)のビジネス・ホテル。景色は見渡せない。

『さて』…朝飯だ。

 今朝は洋食をチョイス。斜目に二分割された、厚切りトースト…実質一枚は、すでに「ウエット」。


(バターが塗ってあるという意味)。


 カラ付きゆで卵一個。炒めたウインナー…小三本。半切りプチ・トマト二つが添えられたサラダ。そしてナゼか、カップに入ったワカメと豆腐の味噌スープ…と、軽い朝食。

 最後にホットのコーヒーを飲んで、いったん部屋に戻る。歯を磨きながら洋式トイレに座り、七時四十分、部屋を出る。


 先ずは、駅からまっすぐ南方へ延びているメイン・ストリートへ出て左折。そのまま左側を歩く。ビルが建ち並ぶ繁華街。

 すぐに、昨夕食料を調達したコンビニ前を通過。ちょうど朝の通勤時間帯。正面からは、駅に向かうのであろう自転車のサラリーマンや高校生の群れが押し寄せて来る。流れに逆らって大通りを進むと、やがて市電の「はりまや橋駅」。


(バイクの大敵「路面電車」。あの軌道敷き、進路変更の際、斜めにまたぐのは要注意。特に雨の日はよく滑り、各地で怖い思いをしたものだ。今時の交通事情で、果たして必要性があるのだろうか? 風情はあるが、バスで十分だと思うのだが…)。


 良いタイミングで、信号が青に変わる。反対側へ渡ると…あったあった・ありました。小さな赤い橋。かつて夜、バイクでここの前を通過した事があったが、これでは気づくはずもない。わずか数メーター(?)の、可愛い橋。

 ここは…「土佐の高知のはりまや橋で、坊さんかんざし買うを見た~」。

 唄にも()まれた、僧と町娘の悲恋話で有名な場所。これは実話だそうで、わりと最近、幕末・維新の頃の事らしい。これから向かうのが、その僧がいたと云う「五台山公園」にあるお寺。写真を撮って、わざわざ「はりまや橋」のまん中を渡る。これで、長年の夢を一つ達成。

『さてと…』

 地図と道路標識を見れば、この交差点はちょうど国道が交わる所。「32号」「33号」「55号」が入り組んでいる。左に曲がって、右側を東進。しばらく国道「32&55」号を歩く。


(二つの国道が重複している箇所のようだ)。


 歩道は広いが、まだラッシュ・アワーは終わっていない。向かって来る自転車はまだまだ多いが…街行く人々の顔つきは、「香川」や「徳島」とはちょっと違う感じ。それに「高知」だからといっても、獰猛(?…に違いない)な「土佐犬」はまったく見掛けない。


 道路標識に「五台山」の文字を見つけ、その交差点で右折。その少し先で、今度は左折し「県道35号」を東へ。

 朝一番は少し薄雲がかかっていたが、徐々に空が晴れ渡り始める。

 すがすがしい潮の香りが漂い始めた頃、「青柳橋」を渡る。「久万(くま)川」が「浦戸湾」に注ぐ河口付近。すぐ正面に、島のように盛り上がって見えるのが「五台山」。橋を渡り切った所で、左右に走る道路を横断し、正面にある道に入る。ここからすぐに登り坂。

 最初に差し掛かった左ヘアピン・カーブの内側に、何やら小さなうごめく影…子猫を三~四匹連れたお母さん猫。

『こんな所じゃアブナイよ』

 ()かれたりしなければいいのだが…なにぶん、ただの通りすがりの身。何もしてやれない。できる事といえば、ただ無事を祈る事のみ。

 間もなく、右に()れる遍路道がある。地道と石段の遍路道を登って行くと…。

『あれ? こんな所に…』

伊達兵部(だてひょうぶ)」公の墓。ちょうど『(もみ)の木は残った』を読んでいる最中だ。


(もちろん、この旅に持参はしていないが)。


 作家「山本周五郎」氏が、江戸期の史実である伊達家の「お家騒動」を題材にした歴史小説。


(小学生の頃、NHKの大河ドラマにもなった。しかし、派手な「いくさ」の場面があるわけでもなく、当時は見過ごしていたのだが…)。


 本来、歴史上は「逆賊」とされる「原田甲斐(はらだかい)」公を主人公に()え、彼の視点を借りて作者独自の新解釈を展開している。その中に登場する実在の人物「伊達兵部」公は、一連の「伊達騒動」の首謀者の一人とされる。「伊達」という姓でもおわかりかと思うが、東北・仙台方面の人。

『どうしてこんな所に墓があるのか…?』

 説明書によれば、この地に流され・ここで亡くなったらしい。しかし…『樅の木は残った』を読んでいる最中でなかったら、きっと何気なく通り過ぎていたであろう。悪役の一人ではあるが…合掌。


 その後、いったん車道と交わるが、そこは横断。やがて八時四十分、展望台のある山頂へ。ここには、その風貌から「ライオン宰相(さいしょう)」と呼ばれた「浜口雄幸(はまぐちおさち)」先生の銅像が建つ…立っている。


(昭和初期の内閣総理大臣は、ここ旧「五台村」の出身らしい)。


 ここ四国、特に「高知県」は、銅像・胸像が大好きなようだ。すでに、地元の名士みたいな人物の胸像をいくつか見掛けたし、「室戸」の岬では「中岡慎太郎」像の前で写真も撮った。そして今日はこの後、あの有名な「坂本龍馬」氏の像と御対面となるはずだ。

「ふ~!」

 山頂に到達したので、大休止といきたいところだったが…このあたり、ベンチや東屋(あずまや)風休憩所もあるが、草花が咲くこの季節、すっかり晴れ渡った空をバックに、大きなハチがブンブン飛び回っている。ユックリできる雰囲気ではないので、トイレに寄っただけで先へ。


 間もなく、車道に出た所に、大きな電気仕掛けの周辺案内板。ボタンを押すと、地図が出て来る仕組みになっている。一枚頂戴(ちょうだい)し、ちょうど日陰にもなっているので、その脇で少々休憩。この時間、日向はすでに強い日差し。日陰でなければ、休んだ気分になれない。それに…『アレ?』。フト見れば、すぐ横の石段を降りるのが遍路コースのようだ。九時になったところでそこに入ると、ほどなくお寺の西門が見えてくる。


《第三十一番札所》

五台山(ごだいさん) 竹林寺(ちくりんじ)



   本尊 文殊大菩薩(伝 行基菩薩作)

   開基 行基菩薩

   宗派 真言宗智山派


「聖武天皇」の勅命により、「行基菩薩」がこの地を選んで堂塔を建立。

「文殊菩薩」を本尊として(まつ)った。弘仁年間(810~824)に「弘法大師」が中興。


 門前で、車で乗り付けたお掃除のおばちゃん二人と少々世間話。そのうち、遍路さんや観光客、混みあってきたので境内へ。西門を入ると、先ず奥之院がある。

 そこに参ってから、さらに進むと本堂に大師堂。

 本堂内にはおばあちゃんの庵主(あんじゅ)さま(と呼んで差し支えないのだろうか。尼僧・尼さんの事だ)。「ごくろうさま」とお声を掛けてくれる。かなり高齢のようだが、何か良い感じのおばあちゃん。

 その後、先を目指して表参道を逆に行く。朱塗りの五重塔もあり、全体的には良い雰囲気のお寺。


 石段を降りた正面。おみやげ物屋の右脇から、さらに下へと遍路道が下りている。そこを下って、小学校の横から下の車道へと突き当たる。左右に走る道の向こう側には、道路に沿って川が流れている。「へんろマーク」は道を横断し、先に見える歩行者用の橋へと向いている。すぐ横では道路工事中。誘導員のおにいさんが「押しボタン」を押してくれ、道を横断。


(それにしても、歩いているのに道路工事箇所に行き当たる回数が多いような気がするのだが…気のせい?)。


 橋を伝って対岸へ。こちら側にも、川に沿った道がある。そこを左方向へ。川に沿った堤防上の道路。狭いが車も通る。左・川側の、壁際を歩く。照りつける太陽を(さえぎ)る物は、何も無い。でも、川岸のせいか風が抜ける。肌は焼けるが、暑さはそれほど感じない。

 1キロ弱ほど行っただろうか? 「へんろマーク」に従い、右を流れる用水路を渡る。

 先の小さな集落に突き当たって左。左に田んぼ、右手の集落の背後には里山が迫っている。販売機に品物を入れているおねえさん・杖を突いたおじいちゃん。

 そこを抜け、左右に走る県道が見えてきた頃、さらに細い道へと右・左。県道に出て右へ。

 始めは緩やかだった上りが、グッときつくなるのが見える。勾配がきつくなる手前の道路右側に、日陰のベンチと自動販売機。簡素な波板造りの休憩所。きつい登りに取り付く前に、ここでひと休み。時刻は九時五十分。

 サイダーを飲みながら、二十分ほど休憩したのだが…『ん?』。ちょうど道の反対側。田んぼの小道を少し入った先に見えるのが、「武市半平太(たけちはんぺいた)の旧宅と墓」だそう。

「武市半平太」氏とは、幕末、「土佐勤王(きんのう)党」の指導的立場にあった人物。獄死してしまったが、その思想は「坂本龍馬」氏や「中岡慎太郎」氏に受け継がれ、維新の原動力となった。

 子犬を連れたおばさんと挨拶を交わした後、そちらに入ってみる。そこの垣根に白い札が見えたからだ。ほんの数十メーター。小道が突き当たった所に、解説板と碑が立つ。

 遍路の看板かと思っていた物は、トイレの案内板だった。垣根越しに中をのぞいてから、元の道に戻って登りに掛かる。

 思ったほどの坂ではなかったが、日差しがあるので暑い。


 右に自動車修理工場がある道路の頂上付近で、左から突き当たっている道に入る。すぐ先に短いトンネル。右側の歩道を歩く。トンネルを抜けた先で、突き当たって右。

 このあたり、新興の住宅地。その中で、道は左にほぼ直角に曲がり、再び突き当たる。正面には「石土池」という大きな池。人工の物か? ここを右折。池側に、遊歩道のような綺麗な歩道。釣りを楽しむ人々がいる、そちら側を歩く。

 そして、三度(みたび)突き当たる。今度は広い道。「県道14号」。通行量も多い。ここにあった看板には、次のお寺は右とあったのだが…「へんろマーク」は左を差している。

『ハテ?』

 とりあえず、「へんろマーク」に従い左へ。お寺までは、もうそれほどないはずだ。

 少し先に見えたトンネル手前で右折。小道を少し登り、上を走る細い道へ左折。このあたり、集落の中。両側を家々や石垣・塀で仕切られているせいか、風が抜けないので一段と暑い。

 少し先の左カーブに、右へと入る「へんろマーク」。ここから、目の前の小高い山への登り遍路道となる。たぶん、手前に見えたトンネルは、この山の下を通る物。そしておそらく、右折とあった看板は車用の物だろう。

「ふう」

 傾斜はかなりきつい。でも、この程度の登りなら『もう慣れた』。それに、距離も数百メーターほど。車道側からではお目にかかれない山門をくぐって、さらに石段を登れば…


《第三十二番札所》

八葉山(はちようざん) 禅師峰寺(ぜんじぶじ)



   本尊 十一面観世音菩薩(伝 弘法大師作)

   開基 行基菩薩

   宗派 真言宗豊山派


 大同二年(807)、この寺を訪れた「弘法大師」が、「求聞持法(ぐもんじほう)」を修し、本尊を安置されたと云う。


 時刻は午前十時四十分。本堂と大師堂のある一角に出る。ほぼ真南の海側は断崖になっており、晴天と相まって、見晴らしは最高。右手前方・南西の方角に延びている海岸線が見渡せる。この先に、これから向かう「桂浜(かつらはま)」があるはずだ。心地好い風も抜けるので、ユックリしていたかったが…ちょうど団体さんが到着。山の上にあるここの境内は、それほど広くない。合間を()ってお参りし、持参のペットで喉を潤しただけで、山を降りる。


 下までは、先ほど登ってきた遍路道。そこからは、たった今、上から見下ろしていた集落を抜けて行く。海抜0メートルに近い平地を、まっすぐに走る細い道。すぐ左には海があるはずなのだが…両側を家々の塀や石垣で囲まれており…『あ・暑い!』。まったく風が通らない。時たま通るのは、遍路帰りの大きなバス。

『こんな狭い道なのに…』

 そんな感じで1~2キロほど行けば、広い「県道14号」に出る。ここは左折。開けた新しい道。この道の途中に、フェリー・ターミナルとなる「高知新港」があるせいか、大きな海コン・トレーラーも走る。ただし、歩道もあるし風も抜けるので、そんなに悪くはない。

 お寺を出てからはずっと、海側となる左側歩行。でも、海岸沿いというわけでもなく…「ふう」。ここからしばらく、単調な道程(みちのり)

『そういえば』

「ビーチ・マラソン」に参加した時の事を思い出す。

 はじめは「海を眺めながらの快適な走り」を想像していたのだが…『なんてこったい!』。ザクザクの砂地では、(もも)を上げるような走りになり、タイムは各々、自己ベストの五割り増し。1・5倍ほどの時間が掛かる。

 よくボクシングのキャンプ風景で、砂浜を走る光景が紹介されたりするが…足腰を鍛えるという意味では効果があるのだろうが、ロード・コースを速く走るトレーニングには向いていない。フォームが崩れてしまうせいか、その直後に出たマラソン大会は散々だった。そして何と言っても、一番の苦痛は「単調な景色」。まっすぐな砂浜を片道5キロほど移動したところで、特に海側の景色はほとんど変わらない。「景色が動かない」というのは、かなりの苦痛を伴うものだ。

「ふう~」

 それにこのあたり…海が近いせい? 平地が多いから? それとも砂地と作物の関係なのか? ビニール・ハウスが多数建ち並ぶ。はっきり言って「ビニール・ハウスは嫌いだ」。ナゼかと言えば…近くを通るとボイラーの熱気で暑いし…晴れている日は、光が反射して(まぶ)しいし…雨の日は、小雨でも「ポツポツ」いう音が「ボツボツ」と増幅されて、いっそう憂鬱な気分になるからだ。


 やがて時刻は十一時二十分。「新港入口」に到着。フェリーは入っていたのか? 左の見える距離にターミナルがあったが、意識が朦朧(もうろう)としていたせいか、まったく思い出せない。

 入口角にあった自販機が立ち並ぶ場所で、アスファルトに座り込んで休憩。海の近くなので、潮風を()けるためなのか? 販売機上を、ズズ~ッと覆う赤いビニール・テント。ちょうど良い日陰ができ上がっている。そろそろお腹が空いてきたが…今日は手持ちの食料が無い。高知市街を出てからここまで、コンビニなんてものは一軒も見掛けていない。『とりあえず桂浜まで行ってみよう』という事で、歩き出す。


 さらに進むと、家々が増えてくる。アパートがあり、でもドライブインなどもある。つまり、観光地であり、付近への通勤圏でもあるのだろう。

 やがて、遠くからでも見えていた、巨大な「浦戸大橋」へ。一人分の幅しかない左側の歩道を通って、テクテク登る。「高知港」がある「浦戸湾」が、狭い水道を通って外海へ注ぐ場所だ。大きな船だって通るのだろう。だからすごい高さだ。渓谷に架かる吊り橋だって、これほどの高さの物はそうはないだろう。そこへ、身体ひとつで登って行くのだ。なかなか経験できる事ではない。


(かつて若かりし頃、南の島にあるテレビか何かの中継塔に、宿で知り合った数人で、無断で立ち入り登った事があるが、そんな心境だ)。


 でも、海側のガードレールは高いし、金網も張ってある。「室戸スカイライン」ほどの恐怖感は覚えない。


(高所作業をする場合、狭い経路に沿って、その横に「親綱(おやづな)」という物を渡す。一本のロープではあるが、これがあるだけで気分がガラリと変わるものなのだ。山登りをする方なら、登山道沿いに、黄色いロープが張られたそんな場所を御存知だろう)。


 頂上付近の少し広くなった場所で、景色を眺める。左手の太平洋の海が綺麗だ。橋を下ったたもとから、すぐ左の遊歩道に入る。少し階段を登って先へ。灯台の裏手に出ると、国民宿舎と「龍馬記念館」。

 そこから下って十二時半、「桂浜」に(いた)る。


(すべての日本人は、たとえ実際にここを訪れた事がなくとも、テレビやポスターなどで、必ず一度は目にした事のある浜だ)。


 太平洋の外海に面したこの場所は、もともと綺麗な所なのだろうが、『良く整備されている』といった印象。もちろん、観光客多数。ただし、遍路道からは(はず)れているせいか、歩き遍路さんの姿は皆無。

 浜に出た所に「アイスクリン」売りの屋台が一つ。


(コーンに載った、ちょっとシャーベットっぽい食感のアイス。関東では馴染みが薄いが、この季節の四国の観光地なら、どこにでもある)。


 いちおう歩き遍路だからか、おばちゃんは大盛りサービスしてくれる。冷たくて美味しい。

 軽く浜を見て…白人のおねえちゃん二人が、浜で甲羅干し。

 浜から上がって「竜頭(りゅうず)岬」の高台。かの有名な「龍馬」の銅像前は人だかり。他とは違い、女の子の姿も多い。信望者でない人間は、遠巻きに眺めただけでサッサと退散。


 そこから反対側へ降りると、おみやげもの屋街。『ここでお昼でも…』と思っていたのだが、時刻はちょうど昼時、どこも混雑している。お腹は空いていたが、何だか気乗りがしない。元々こういった観光地が苦手な人間。結局、無料休憩所で軽く休んだだけで、先へと進む。


(土佐犬会館みたいな物もあり、「闘犬」の実演でもやっているのか? どちらにしろ、ノンビリ観ているヒマも無いし…「高知」に来ても、「土佐犬」を目撃する機会はついに一度も無かった)。


 今では裏通りといった感のある湾側の街並を抜け、先ほど渡った大橋の下をくぐって「浦戸」の街へ。小さな漁港もある。静かで古くて良い感じ。

 そこを過ぎ、右手に湾を見ながら海岸線に沿った道。対岸に、無料の渡し船乗り場が見える。本来は、それを使ってこちら側に渡るのが遍路道。

 しばらく行けば、大きなクレーンも見える、ちょっとした工業団地。『とりあえず、こちら側の船着場に行ってみよう』と、見当を付けて工業団地のはずれまで行ってみるが…行き止まった先には高い塀。川か用水路が流れているようだ。左右を眺めても、橋などは見当たらない。

『仕方ない』

 どちらにしろ、次のお寺に向かうには、向こう側へ渡らなくてはならない。川沿いに道はないので、少し戻って工業団地を西へと抜ける。昼下がりの(うつ)ろな時間。やっと左右に走る道に行き当たる。探している時は、距離も時間も長く感じるもの。1キロにも満たなかったと思うのだが、すごく長く感じる。今日はこの後も、そんな感じで推移。ここからが、長い一日の始まりとなる。


 右折すると橋がある。その先には、けっこう大きな街並。「長浜」の街だ。橋を越えた先で、目指す道へと左折。狭い道幅の両側に、(にぎ)わう商店街。旧態然とした街並だが、この年代の人間にとっては「懐かしさ」を覚える風情。『これでやっていけるの?』などと思わせる本屋さんもある。

 かつては…特に小学校高学年の頃は、「本屋回り」「古本屋(めぐ)り」が楽しみの一つだった。でも今では、どこも似たり寄ったりの品揃えの大型店ばかり…で、足も遠退()き気味。

『もしこれでやっていけるのなら、それも悪くない』

 でも今の時代、小さな小売店でやっていけるものなど、どれほどあるのだろうか? 「長いものには巻かれろ」的時代。「始めからやらない方がマシ」などといったものばかり。


(特に食べ物屋さん。不景気なこの時期。開店早々に店をたたむ所がとても多く見受けられる)。


 ここで再び「鴨長明」の「方丈記」が思い出される。

「人と()()

 自分が物心ついてからの四十年、家の近所にそのまま残っているものが、いったいどれほどあるだろう?

『ここには何があったんだっけ?』

 新しくビルが建てられた場所など、以前そこに何があったのか、まったく思い出せなくなっている。四十年も経てば、所によっては建て替え・住み替えも一度や二度ではない場所もある。そして「棲み処」には、家業も含まれる。「代々」とまではいかなくとも、一代に渡って安定して食っていける商売というものも、今の時代では怪しいものだ。


(たとえば街のカメラ屋さん。「フィルム現像」という業界は、今や「風前のともし火」。デジタル・カメラにしたところで、安価なプリンターが出回っている。業界自体が無くなってしまう勢いだ。カメラ製造業者にしたところで「電気屋さんがカメラを作る時代」が来るなんて、想像もできなかった事だろう)。


『この街は、この先どうなっていくのだろう?』

 でもかえって、空洞化の進んだ地方都市より、都会の駅前商店街などの方が小ぢんまりとした店々が並んでいたりするもの。『要は「人の流れ」なのだろう』などと思っていると、ちょうど手作りパン屋さんの前を通り掛かる。調理ロールパン四個。焼きそば・エビカツ・ハム巻き・たまご。各五十円。

『安い!』

 店のおばさんに道を確認。続くお寺は、この街の街はずれ。もうそんなにないはずだ。繁華街を過ぎ、街並を抜けたあたりの右側に…


《第三十三番札所》

高福山(こうふくざん) 雪蹊寺(せっけいじ)



   本尊 薬師如来

   開基 弘法大師

   宗派 臨済宗妙心寺派


 延暦年間(782~806)、「弘法大師」により創建されるが、後に「臨済宗」に改められる。

 明治初年の神仏分離の際に廃寺となるも、明治十二年に再興される。


 街はずれに建つ、小ぢんまりとしたお寺。

 本堂改修工事中。時刻はすでに一時五十分。境内に人気(ひとけ)は少ないが、工事をやっていたり、パンを食べられる雰囲気ではない。

 それに今日は、もう一つお寺を経て、「土佐市」まで行くつもり。まだ13キロもある。時間も時間だし、グズグズしてもいられない。お参りを済ませ、サッサと出発。


 街並が切れる頃、左右に走る県道下のガードをくぐって直進。「新川川」右岸沿いの道。歩道は無いが、路肩が広く、通行量も少ない。

 川を左下に見て歩けば、途中、対岸に造成中の工業団地。小さな公園が見える。わざわざそこまで行って、ベンチに腰掛け遅いお昼。時刻は午後二時。日当たりが良すぎて暑いが、約二十分ほどのガマン。

 その先で、平地から里山に掛かると、道幅が狭くなる。

 そこを過ぎると、田んぼが広がる農道へ。稲の植え終わった水田は、一面緑の絨毯(じゅうたん)。それを遠巻きに囲む新緑の山と、背後に広がる空の青。向こうには、田植えの終わった田を、満足気に眺めるおじさんと、その(かたわ)らにしゃがんでいるおばさん。何だかとても良い光景で、『今、二十代だったら、この先夢いっぱいなのに』などと思ってしまう。


 知ってはいるが、頭の中は二十五の頃から、さほど進歩していないのだ。今ではこんな自分だが…子供の頃は、どちらかと言えば早熟な子供だった。

『こいつら、今頃そんなこと考えてるのか。子供だな』

 大学生の頃までは、そんな感じだった。

『付き合う価値無し』

 周りの同級生が、みな馬鹿に見えた。なのに、どうしてこんな自分になってしまったのか? 嫌いな言葉は、したり顔で語る「もうそんな歳じゃない。卒業したよ」だった。

『いったい何からの「卒業」だ?』

 中途半端にやるくらいなら、始めからやらない方がマシ。

『わかった風な口をきくな!』

 そして「座右の銘」の一つに「今しかできない事は、今トコトンやる」が加わった。当然の事なのだが、意外とできないものだ。たっぷり皮肉をこめて「ピーターパン症候群」を自認する人間。だからこうして、四国を歩いているのだろう。がしかし、実年齢を思い出し、少々ガッカリしつつも、いまだに夢を捨てない自分がいる…身長の伸びが止まるように、行き着くところは各人決まっているのだろう。

 しかし「人間性」は、本人の自覚と向上心があれば、どこまでも延びて行けると思うのだが…。


 その先で、県道と思われる道に合流し左折。里山の東斜面・日陰側。路肩の無い道の左側を歩き、木々に覆われた小さな峠を越える。

 ここで、二台の競技用車イスとスレ違う。


(あんなにカッコイイ乗り物、一度乗ってみたいものだと常々思っている。「モノ・スキー」にしてもそうだ。健常者だって乗ってみたい! 「パラリンピック」なんて、優遇され過ぎだ。向こうは向こうで、壁を作っているとしか思えない。健常者と同じ土俵で戦ってこその「バリア・フリー」だと思うのだが…それに、県内にある国際サーキット。「障害者ステッカー」を貼った高級外車でコース・サイドの優待席まで乗り付け「高みの見物」。『いったいどうなっているのだ?』と思ってしまうのは自分だけか?)。


 日の当たる西斜面に出て、集落へと続く細い道に右折。三角形の二辺をパスするルート。下校途中の、ランドセルを背負(しょ)った小学生の男の子二人とスレ違う。

 次のお寺への看板に従い、集落の中へと入って行く。入口でおばあちゃんに励まされ…道を()うヘビを横目に…酒屋兼萬屋(よろずや)風の店の前でペット・ボトルを仕入れ…集落を抜けると、再び「新川川」。


(先ほどの「新川川」とつながっているのだろうか? 海にも遠くないこのあたり、小さな川が入り組んではいるのだが…?)。


 とにかく、建設中のま新しい橋はまだ未開通。隣りに並ぶ古い方の「新川川橋」で、川を渡る。


(新しい橋が完成したら、「新新川川橋」となるのだろうか?)。


 フト川の流れを見下ろせば、胸まで水に浸かって測量の作業中。

 そこからは、右に沿う綺麗な細い用水路の流れを見つつ、午後の暑さと、正面上方から照り続ける太陽の(まぶ)しさに朦朧(もうろう)としながら2キロほど。開けた場所に出ると左側に…


《第三十四番札所》

本尾山(もとおざん) 種間寺(たねまじ)



   本尊 薬師如来

   開基 弘法大師

   宗派 真言宗豊山派


「弘法大師」がここを開創された折、中国から持ち帰った五穀の種子(たね)()かれたため、この寺名になったと云われるお寺。


 時刻は三時十五分。気だるい午後の時間。人影もまばらな境内。ここも小さなお寺だが、静かで良い。本堂に一面敷かれた青畳は、まだ新しい物なのか、畳の良い匂いを放っている。

 お参り後、入口に出ていたアイスクリンのおじちゃんから、三段重ね二百円のバニラ味購入。日向のベンチでなめる。でも、かなり疲れている。強い日差しに、歩いた距離だってすでに30キロ以上。駐車場入口前のおみやげもの屋さんの軒先で、炭酸飲料でもう一服。その後、お寺をあとにする。


 西に向かう道は、開けた田園地帯を抜ける、直線路が多い道。途中からは、車ではスレ違えないような道幅となる。

 単調な道に、頭フラフラとなりながら歩き続けると、やがて「春野町新川」の集落。途中の左側に、良い感じの小川の流れ。

 水が流れる音と、『マイナス・イオンでも放出されているのか?』。不思議と頭スッキリ。

 一瞬気を取り直すが、そこを抜けるとしばらくは、川の堤防下の退屈な道。

 ここに、パトカーと原チャリのおばちゃん。スピード違反? 『原チャリのおばちゃんなんかではなく、もっと悪い奴がいっぱいいるだろ』と眺めつつ、数百メーターほど行けば「仁淀川大橋」のたもと。そこで「国道56号」に上がる。

 河口近くの「仁淀川」は、けっこう大きな川。綺麗な流れだ。それに、西日に照らされた景色はなかなかのもの。右側歩道の中ほどで立ち止まり、上流・下流を眺めてしまう。

 長い橋を渡り切った所に、何かの碑の建つ広場。時は四時。残りはもう2キロ弱。堤防上のここから先に見える、大き目の街並が目指す「土佐市」市街地だろう。ここで最後の休憩。

「へんろマーク」は、ここから堤防上の道を右・上流方向に向かう方角を指しているが…今日はまだ、宿の手配をしていない。ビジネス・ホテルくらいあるだろうと、現地調達のつもりでここまで来た。でもここは、「市」とは言っても駅の無い街。国道沿いの方が無難と思い、そのまま国道を進む。

 狭い歩道に、通行量の多い車道。街中に入った所で、電話ボックスの電話帳。いくつか宿があるが、住所だけでは「?」。

 少し進むと、『あったあった』ありました。国道沿い左側に、コンビニエントなビジネス・ホテル。数階建ての、大きめの建物。一階は居酒屋になっており、フロントは二階。目の前から電話して部屋確保。飲物調達後、五時二十分にチェック・イン。

『ふ~! お疲れさま』

 長くて暑い一日が終わった。


 今日は風呂上り、無性にビールが飲みたくて…湯舟に浸かって手洗い洗濯。その後はサッサと足踏み脱水。何も飲まずにガマンして、下の居酒屋に降りては生ビール。この旅に出て、「生」は初? 「缶」や「瓶」とは違う喉越しに大満足。それに、今日は三十四番まで回ったので(プラス)10だから、数の上ではちょうど半分。距離も大体そんなところだろう…と言う訳で、本日は一人「中祝い」。


 日が伸びたので、外はまだまだ明るいけれど、今日もよく歩いたし、晴れて暑かったし…ちょっと贅沢。今、二杯目の「生」を飲みながら、「やっこ」と「もろきゅう」でこれ書いてます。

 店の中は、たぶん地元の人ばかりだろう。まあまあの客の入り。

 土佐の男は、皆さん「坂本龍馬」さんなのだろう。見た感じ、ちょっと「いばり過ぎ」な印象…「高知県」は、全国一「離婚率」が高いのだそうだ。まあどちらにしろ、今どきではなさそう。女の人は挨拶を返してくれるが…「土佐の男は、はにかみ屋」って事にしておこう。


(この後、仕上げは「にぎり」。マグロの上に載った「にんにく」のスライスがGOOD!)。


本日の歩行 40・23キロ

      52259歩

累   計 578・64キロ

      751947歩


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