表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/32

*第十四日目 五月二十五日(日)

 本日朝は五時起床。『六時半からの朝食を食べたら即出発』と予定していたので、トイレまで済ませておいたのだが…でも、これが間違いだった。


 六時半ピッタリに下に下りるが、少々待つ。出て来たメニューは…目玉焼きと焼魚。そこに、トマトとキャベツのサラダが添えられてある。味噌汁の具は、豆腐とワカメ。その他数品。

「来年は閏年(うるうどし)。閏年に逆回りをすると、今でも遍路を続けていると言われるお大師様や、会いたい御先祖様に会えるという云い伝えがある」と朝食の席で、宿のおばさんが言っていた。


 食後に支払いを済ませ、部屋から荷物を(かつ)ぎ出し、午前七時、宿を出る。

 表に出ると、一面の曇り空。低く垂れ込めているが、まだ雨粒は落ちていない。

 先ずは、目の前の「国道55号」を右「室戸市」方面へ。このあたり、海沿いなので風も強い。

 市街地手前はバイパス風の造りで民家も無く、街への入口は高架。そこを過ぎる頃、パラパラと来た。街並近くで横風が弱まっていたので、傘だけで十分。


 やがて旧道と合流し、家々が密集してきた頃…『大丈夫かな?』。嫌な汗が(にじ)んできた。お寺までは、そんなにないはずだ。でも…誰にだって、何度か経験があるだろう。家々は建ち並ぶが、日曜日の早朝、まだどの家も戸を閉ざし、そんな場所だから、天然のトイレも見当たらない。車でなら、数キロの距離など何て事はない。チョイと走って、コンビニに飛び込む事だって可能だ。しかし、そこまで出掛かった状態では…それに、歩いたり・走ったりしていると、腸の活動も活発になるのだろう、数百メーターだってキツイものだ。

『修行の旅に出ていながら、食べ過ぎているのがいけないのだ』

 こんな時には、いつもそう思う。そして思い出す。特に早朝スタートのマラソン大会で、何度か見掛けた光景。たった今まで快調に走っていた人が、突然コース脇に寄って歩き出す。たいていの場合、そういう人はお尻に(リキ)が入っているように見えるのは気のせいだろうか?

『きっとヤバイんだ』

 そんな人を目撃するたびに、いつもそう思っていた。幸い、マラソン大会でそんな辛い思いをした事はないが…旧道を少し進むが、『やっぱり無理だ! 持ちそうにない』。

 このまま先へ行っても、何かのアテがあるわけでは無い。あわてて引き返す。たった今、「室戸警察署」の前を通過してきたばかりだ。

 ここで再び回想…学生の頃、屋上防水工事のアルバイトをしていた時。そこに土日だけバイトに来ていた大工さんがいた。三十代後半くらいだったろうか? 家を買ったばかりで、ローン支払いのためのアルバイト。カブで通勤していたのだが、ある朝、急に(もよお)した。そこで消防署でトイレを借りたとの事。何でもないような話だが、ナゼかいまだに憶えている。

『あそこまで戻れば…』

 大粒の雨が落ちて来た。でも、それどころじゃない。警察署に駆け込む…といきたいところだが、正面玄関の自動扉は開かない。すぐ横の通用口から中へ。玄関先でウロウロしていたのに気づき、当直のおまわりさんが出て来てくれる。ザックを投げ出し、トイレを拝借。

「ホッ!」

 間に合った。お礼を述べて署を出ると、雨は上がっている。

『ただの通り雨?』

 空を(あお)ぎ見る。相変わらずの曇り空。

「ふう~」

 前々から思っていた事だが…「ハードボイルドの条件」とは、先ず第一に「胃腸が丈夫な事」。下痢でトイレに駆け込み、ウンウン唸っている「ゴルゴ・サーティーン」(おそらく日本男児なら誰でもが知っているであろう、漫画の主人公)や「フィリップ・マーロウ」(「レイモンド・チャンドラー」氏のハードボイルド小説の主要登場人物)なんて、想像もつかない。そしてできる事なら…「ゴルゴ」が“あそこ”の「立ち具合」を操れるように…「排泄」を自分の意思でコントロールできる事だ。でなけりゃカッコ悪い。


「さて」

 ザックを(かつ)ぎ直し、歩き出す。

 旧道合流地点まで戻ると、ちょうど「ジャン・レノおじさん」が通り掛かる。一部始終を話しながら、一緒に人気(ひとけ)の無い「室戸」の街を行く。今日は日曜。それに先ほどの雨は上がったとはいえ、どんよりと立ち込めた曇り空。まだ街は目覚めていない。

 ここでおじさんは、合羽を脱ぐため道端へ。以前、確か「高松」の項で述べたと思うが、高価そうな合羽持参のこのおじさんも、傘は持っていないようだ。

 そこで先に行く…と、その少し先で、道は一瞬「国道55号」に接する。ちょうどそこに、小型犬を連れて散歩をしていたおばさん。

 ここで国道には入らず、左に()れるのがお寺への道だと教えてくれる。看板があるので、良く見ていれば間違いはないが、次の次のお寺への、右折「55号」道なりの標識もある。そちらに行ってしまい、戻って来る人もあるそうだ。

 入って行く左側にコンビニ。サンドイッチとフィルムを買う。その間、おじさんに追い越される。旧市街をクネクネと、でもメインと思われる道に沿って歩けば、やがて右手に…


《第二十五番札所》


宝珠山(ほうじゅざん) 津照寺(しんしょうじ)



   本尊 地蔵菩薩(伝 弘法大師作)

   開基 弘法大師

   宗派 真言宗豊山派


 路地を右手に入った所に山門。朱が使われた、ちょっと派手なお寺。街中で敷地は広くないが、けっこう急で長い階段がある。

 ここは…大同二年(807)、「弘法大師」が本尊「延命地蔵」を刻み、伽藍を建立。「楫取(かじとり)地蔵」と呼ばれる海上安全の守護仏…とされるお寺。


 先ずは、階段下の大師堂へお参り。本堂への長い階段を登っているところで、下って来たおじさんとスレ違う。「朝のいい運動だ」と言っていたおじさんは、納経所へ。こちらは本堂でお参りを済ませ、階段を下り、そのまま休まず先を目指す。

「室戸」の街の、今となっては裏通り。日曜朝のせいもあるのだろうが、シャッターの下りた閑散とした街並を歩く。

 旧市街を抜け、「55号」と交わる所で再び激しい雨。『すぐに止むだろう』と、交差点の左角にあった酒屋前。軒下に入り、ついでに缶コーヒーで一休み。お店の方は、たぶん定休日だ。

 予想通り、間もなく雨は上がる。そこで国道を横断。本当は、そのまま旧道まっすぐだったようなのだが…通り雨でビッショリ濡れた、「55号」右側の歩道に左折してしまう。


(このあたり、改修されたのだと思う。ガイド・ブックと違っているし、実際、造りも新しい感じだ)。


 少し行った先で、看板に従い右に。すぐに旧道に出て左へ。見れば若干後方におじさんの姿。小休止と回り道でだいぶロスしたようで、また追い付かれてしまった。

 ほどなく、道路左側に「女人結界碑」が建っている。平地のこの先に見える山々。そのどこかにある次のお寺は、かつて「女人禁制」であったそうだ。貞享二年(1685)の銘は、四国最古のものらしい。


 碑を眺めているところへおじさんが来る。ここから再び「同行二人(どうぎょうににん)」。

 左手にある海までは、そう距離はない。「元橋」で渡る「元川」河口付近に、数人のサーファー。「リバー・マウス」の話をしながら歩く。


(「リバー・マウス」=「河口」。川が海へ注ぐあたりには、独特の土砂が堆積し、良い波が立つのだそうだ)。


 その先から、遍路道に直進。狭い舗装路は、やがて…階段あり、土や石ころ・岩盤ありの山道になる。

 ここで自分のペースを守って歩いていると、徐々におじさんとの差が開いていく。そして一気に山門まで。「男坂」「女坂」「厄坂」を登って午前九時、境内へ。


《第二十六番札所》


龍頭山(りゅうずざん) 金剛頂寺(こんごうちょうじ)



   本尊 薬師如来(伝 弘法大師作)

   開基 弘法大師

   宗派 真言宗豊山派


 ここは大同二年(807)、勅願により「弘法大師」が開創。

 俗に「西寺」と言う。


 大師堂では団体さんがお経を上げているので、納経所横のベンチにザックを置いて、先に本堂へ。

 お参り後、缶ティーを飲みながらしばし。おじさんは先に出て行く。

 休憩後、さらに奥の本坊前を通過し、遍路道に入る。最後に急坂を下って「55号」に出ると、正面に「道の駅 キラメッセ室戸」がある。行ってみればおじさんが、枇杷(びわ)を送るついでに、邪魔になったシュラフを送り返すとやっている。

 なにかと不安で、ついつい多量の荷物を抱えて旅に出て、途中でこうなる人も多いようだ。

 こちらは逆に、長旅では毎度の事なのだが、段々と荷物が増えてしまう。かつて「物持ちがいい」と言われた事があるが、旅にまつわる品々…パンフレットや名入りのマッチ。買物をしたレシートからチケットの半券。果ては、泊まった宿やメシを食った食堂の箸袋まで。旅の記念・(しる)し・(あか)しとなるものはすべて、キープしておかなくては気が済まない。特に今回は、写真を撮りまくっている。フィルムの量が馬鹿にならなくなってきた。元々ザックの容量もギリギリなので、いずれどこかで、一度は荷物を発送しなくてはならないだろう。


 ここで缶コーヒーを買い、駐車場際の防波堤に腰掛ける。

 上で休んだばかりだが…今日は歩く気がしない。天気が悪いせいもあるだろうが、何だか気乗りがしない。そんな気分。少々疲れているのだ。足ばかりではない。全体的に疲れている。

「疲れ」と「距離」は比例する。40キロといえば、ほぼフル・マラソンの距離。歩きだからといって、毎日は無理。そこまでいかなくとも、疲れだって溜まるはずだ。

 そこで、早々に宿の手配。ここから20キロほど先の「奈半利(なはり)」の町。『もっと先まで』という気もあったが、予約が取れて決心がつく。もっともすでに、10キロは歩いている。トータルで30キロ超なら文句は無い。昨日は40キロ近く歩いたし、今日はそれで十分だろう。

 そうと決まれば…まだ午前中のこの時間。余裕ができた。そこで、『ここにもう少し』。併設されている「鯨の郷 鯨館」へ入ってみる。

 子供の頃に観た映画「白鯨(はくげい)」。原題「モービー・ディック」は、学生の時、講義の教材でもあった。だから「鯨」に関しては、それなりに興味と関心…それにわずかばかりだが知識もある。

 入館料は三百円なり。今日(こんにち)では世界的に規制・禁止されている捕鯨だが、かつてはこの地でも盛んに行なわれていたようで、その歴史的資料が展示されている。三十分ほども見て回っただろうか。もっとジックリ見てみたい気もしたが、そうそうユックリもしていられない。


 そこを出て、仕方なく歩き出す。海側となる左を歩くが…このあたり、海はすぐ近くで波の音が聞こえたりもするが、防波堤と防風林に(さえぎ)られ、姿はまったく見えない。

 風の抜けも悪く、少しムシムシ。雨も時おりパラつくが、傘で対処。今のところ、それほど強い降りは無い。

 次の集落「黒耳(くろみ)」のあたりは枇杷(びわ)の産地のようで、売店などがある。途中、道沿いの食料品店で、パンとポテトチップスを買う。「東の川橋」を渡れば「吉良川」の街。


(先ほどの「道の駅 キラメッセ」は、この「吉良(きら)」にかけたものなのか?)。


 ここは、「東の川」と「西の川」に挟まれた町。ここでは旧道に入らず、店の建ち並ぶ国道を歩く。

 市街地の道路左側に、「街並み駐車場」というパーキング・スペース。休憩小屋がある。「道の駅」から3キロちょっと。時刻は十二時前だったが、ここで少し早いお昼。朝買ったサンドイッチと、先ほど買った菓子パンにポテトチップス。

 ここにあった案内板によると、この街は古い街並を残しているという事で、食後、向かいの路地から旧道に入ってみるが…ほとんど通り過ぎてしまったようで、街並はすぐに終わってしまう。

 本日のような天候の日は、狭い旧道・旧市街を歩くのが面倒で、ついつい国道・広い道をと行ってしまうものだが…少々残念。この先4~5キロは、代わり映えのしない景色。印象に残るようなものが無かったせいか、よく憶えていない。

 しばらく歩き、「羽根川」を渡った所で、道は少し内陸へと向かう。「羽根」の街に入ると、歩道の無くなった「55号」。この先に横たわる山のどこかが「中山越え」のはず。一番高そうな所なら、「海抜ゼロ」に近い平地からの峠越えとなり、結構な登りになりそうだ。

 市街地を出かかった、横断陸橋のある左カーブ。その右頂点にある道へ、ほぼ直進の角度で右折するのが遍路コース。家々はまだまだ続いているが、すでに静かな住宅地。山の(ふもと)にある市営団地を過ぎると、登りが始まる。

 先ずは石畳の細い道。車では通れないような道。でも、まだ人家が近くにあるせいか、人が通っているような雰囲気はある。

 山を登る車道を横断し、さらに上へ。でもこの道は、左右に横たわる山が左の岬の方角へ向かうに従い、かなり低くなったあたりを目指している。思ったほどの登りではなさそうだ。間もなく、すぐ左脇に墓地のある最初の(ピーク)

『ここが峠か?』。

 そんな事はなかったが、登りに掛かった頃に降り出した雨足が強くなる。ちょうど頭上を、木々がトンネル状に覆う場所。缶コーヒーで小休止。でも立ち止まると、一気に血が下がって、足首から下全体が充血する感じ。道路左脇にあった切り株に腰掛けてみたりするが、切断面が斜めで座り心地が悪い。数分後、雨がほぼ止んだところで、そこを出発。

 本日は「梅雨の走り」といった感じの空模様。一面灰色の雲に覆われ、時おり通り過ぎる低くて黒い雲が、バラバラッと雨粒を落として行く。


(それで、以後、常に片手に傘を持って歩いています)。


 その後、短い登りが二つ。登り切ったあたりは畑が広がり、開けた場所。『こんな所、わざわざ登らなくてもいいのに』と思うのだが、『きっとかつては、いま国道が通っている海側は断崖とかだったのだろう』と思い直す。


(確かに、明治期に海岸通りができるまで、この道は「お殿様が通った道」と呼ばれる生活道路だったらしい)。


 下りは、畑の間を()う感じで下りて行く。後半は、前のお寺「金剛頂寺」からの下りに似た雰囲気。一気に(ふもと)の「加領郷」の漁港近くに出る。

 最後は綺麗な舗装路だが、普段なら絶対出入りしないような、狭い路地・民家の軒先・庭先を抜けて行く。普通なら、イイ年をした大人が、用も無いのに入って来られるような場所ではない。そんな場所を、平気で駆け抜けられた子供の頃が懐かしく思われる。しかし、ここは遍路道。こんな所を歩けるのも、遍路の醍醐味?

 でも、高知の旧道「旧土佐街道」は、他人の生活圏に踏み込んでいるようで、何だか居心地が悪い。広く「遍路」が認知されている「阿波」や「讃岐」とは雰囲気も違う。あまりジロジロせずに、早々に通り過ぎる。気楽に歩くなら、国道の方が良い?…このあたり、漁港の上を高架の「55号」が走っている。

『車でなら、特別用事でもない限り、絶対に足を踏み入れなかっただろう』

 その高架が終わる所で国道に合流。ここからは、集落に入った時以外、海岸沿いの道。

 ずっと海側の歩道を歩くが、この区間の事は、あまり良く憶えていない。

 その間、「考え事」と言うか、「思いで話」に浸っていたし…忘れもしない、小学校五年生の時。隣県の「茨城県」は「千代川村」の「筑波サーキット」に、一家で初めて自動車レースを見に行った日の午後。我が県南西部にあった、アミューズメント施設に立ち寄った時の事。波の出る屋内プールなどの設備がある場所で、家族全員のお気に入りの場所だったのだが…入口の所で、父ともめる事になる。その時に限って、「入場料の一部を、自分のこずかいから出せ」と言うのだ。そんな理不尽(?)な話には納得がいかず、(がん)として拒否すると、「ここで待ってなさい」という事になる。

『あったまきた!』

 砂利敷きの駐車場出口に向かって歩くのに、大して時間はかからなかった。

『歩いて帰ってやる』

 そう決心したのだ。損をするのがわかっていても、意地を張り通してしまう…そんなところは、今でも変わらない。

「国道50号」を東に向かい、「4号線」に出たら北上。しかし、直線距離にしても数十キロ。今にして思えば、子供の足では到底不可能。

 何キロほど歩いたのだろう? すっかり陽が落ちても、分岐の町は、まだまだ先。途中、私鉄の駅があったが…まったく知らない路線。そこから伯母の家に電話をしてみるが、当時は「市外局番」もわからず、見知らぬ家にしかつながらない。やがて時間もわからず、『どうしよう?』。幸い我が家は、祖父母と同居。

『(お金は)なんとかなるさ』

 日もとっぷりと暮れたところで、タクシーに乗り込み帰宅。


(「行き」に客を乗せていたタクシーが、「帰り」に拾ってくれたのだ。この件に関して父は、逆に母から意見された模様で、こちらへのお(とが)めは一切無し。「武勇伝」とまではいかなかったが、忘れ得ない体験の一つではある)。


 そんな思い出と関連して、ある評論で、「神隠しに遭いやすい体質」という言葉を目にした事がある。そこで引き合いに出されていたのが、「遠野物語」で有名な民俗学者「柳田國男」先生。


(学者であるばかりでなく、むしろ本業は政府の高官なのだが)。


 そんな氏のエピソードに、「神戸のおばさん」というものがあるそうだ。幼少の頃、架空の「おばさん」を創り上げ、会いに行こうとしたのだそうだ。


(そこまで創造力豊かでなくとも、こんな話もある。旅先で出会った「大阪」の女の子。彼女は「大阪」市内、「国道1号線」のすぐ近くで生まれ育ったそうだ。時は「三輪車に乗っていた」と言うのだから、幼稚園生ほどだろう。『この道をずっと行けば、東京に着く』と思い、三輪車で「国道1号」に乗り入れたのだそうだ。近所の交番のおまわりさんに呼び止められ、事無きを得たそうだが、彼女も「神隠しに遭いやすい体質」なのだろう)。


 そんな生まれついての「気質」もあったのだろうが、柳田先生は、国内各地や「台湾」などの風俗・文化を、精力的に調査して歩いた。しかし、時代が時代だ。『単なる学術的な目的ばかりでなく、スパイ的な、何か特命を帯びていたのでは?』などと勘ぐってしまうのは、考え過ぎだろうか? 『案外「民俗学」なんて、その副産物にすぎないのかもしれない』…くらいだったら面白いのにと、想像を(めぐ)らしているのだが…

「さて…」

「中山越え」の途中で休憩して以来、しばらく()つが…この天気では、休憩小屋でもなければ止まりづらい。

「加領郷」を抜けた先に、「弘法大師霊跡」と書かれた場所があったが、道の両側に掘っ立て小屋のような古びた堂があるだけ。

 ここは番外霊場。(いおり)の中にお大師様が修行した洞があるそうだが、眺めただけで、ヨタヨタと通り過ぎる。

 今日は、両の足首から下がムクんでいる感じで…足の甲側が靴に擦れて痛む。

 やがて時刻は午後三時。この頃には、路面はほぼ乾いていたのだが…「須川川」を渡り、少し内陸に入ったあたり。ポツポツ来た雨が、間もなく土砂降りに変わる。傘は差していたが、後方から吹きつける風に乗った横なぐりの雨。すぐに下半身がビショビショになってしまう。

『これはマズい』

 道路際にあった、本日休業の自動車修理工場。スレート張りの建屋の軒先に入って雨宿り。軒は高くて短いが、風よけになる向き。多少の巻き込みはしばしのガマン。立っているのも辛いので、ガイド・ブックをお尻に敷いて、コンクリートの上に座り込む。

 傘も必要ないほどの降りに落ち着いたところで、立ち上がる。歩き出せば、そこからまだ見える距離の所に「善根休憩所」。掘っ立て小屋のような造りだが、のぞいて見れば…広さ数畳。切り株利用のベンチが数個。道路から入った奥の壁側は、竹で編まれた棚(簡易のベッドにもなる?)。そこにザックを降ろし、腰も降ろす。雨は上がっていたが、今度はここでユックリと休憩。

 峠を下りた「加領郷」から、本日の宿泊地「奈半利(なはり)」の町に入っていた。家々が増えだしたこのあたり。宿のある市街地まで、もうそんなにないはずだ。

 残っていたチョコ・スナックを食べつくし、ガイド・ブックをザックにしまい、手にはゴミの入った袋を提げて、本日最後の歩行前進。

 すぐ先のバス待合い小屋に、ゴミ用のビニール袋が下げてある。「缶」と「燃えるゴミ」を分別。感謝の手を合わせ、手ブラで歩き出す。

 ほどなく、「奈半利」の街へ至る。中心部手前で、「へんろマーク」に従い旧道へと左折。


(本当は、ここをまっすぐ行けば宿はすぐだった。でもまだ四時前。足は不調だが、時間調整にはちょうど良かった)。


 ひっそりとした旧市街を抜け、少し(にぎ)やかな「55号」に出る。


(「ショー・パブ」などもある。そうそう四国には、そっち系に限らず、外人さんの姿、ほとんど見掛けない)。


 通り沿いにあった市街地案内板で、宿の場所を確認。ガイド・ブックには「BH(=ビジネス・ホテル)」とあったが、「ホテル」となっている。

 国道をかなり戻って、街並が切れかかる頃、左手の小高い丘をバックに、数階建ての本日の宿が見えてくる。手前の自販機で飲物を仕入れてからチェック・イン。

「ふい~! 着いた」

 外観はホテル。一階にはレストランと、奥には「日帰り入浴」もできる大浴場。部屋は三階。ユニットバス&トイレにシングル・ベッド。部屋の造りと料金は「BH」並。


 部屋に入って荷をほどく。今日は時間も早いので、先ずは洗濯。ず・ずっと奥にある檜木風呂&露天風呂のある大浴場まで。素肌に浴衣で洗濯機を回す。

 いったん部屋に戻り、本日の記録。部屋にバスも付いているが、せっかくだ。頃合いを見計らい、お風呂セットを抱え、再び大浴場へ。

 洗い物を乾燥機に移し入浴。広い浴槽に(ひた)って、手足を伸ばす。「女湯」の方からは子供の声が聞こえてくるが、「男湯」は終始貸し切り状態。

 風呂上りは、そのままそこで缶ビール。乾燥が終わるまでには、まだまだ間がある。疲れた足で、部屋に戻る事もない。

『マッサージ機でマッサージでも』と思い、イスをリクライニングさせていると…すぐ横の「女湯」の戸が開き、いきなりバス・タオルを巻いただけの女性が…「!」。

 一瞬、目が点に…良く見れば、北海道のNさんだ。お互いビックリ。

「ここ、女湯じゃないんですか?」

 ここは男女共有の場所。目を()らし、「そっちが男湯の入口なんです」と指を差す。ここ全部が女湯だと勘違いし、バス・タオルを巻いただけで、洗濯機の所に出て来ようとしたらしい。とんだハプニング。

 その後、女湯から出て来たNさんと少し話をする。前回最後に会ったのは二日前。「高知県」に入る手前の「宍喰(ししくい)」の町でだ。

 彼女がいったん部屋に戻っている間、マッサージ機に横になる。我が家にも、もらい物の機器がある。でも、かなりの型遅れ。最新の機械はいっそう進化しているが…やはり身長が合わない。でもまあ気持ち良い。

 乾燥は四十分を二回。まだまだ終わらない。マッサージが終わり、戻って来たNさんと二人、乾燥待ち。ほど良く酔いが回って来たのと、たった今の出来事でテンションが上がったせいか、いつになく口が軽い。

「蚊に刺されないですか?」とのNさんの質問に、「O型ですか?」と問い直す。ピタリ正解。


(その理由は、前にどこかで書いたはず)。


「B型だから、そばにO型の人がいてくれると助かるんですよ」と言えば、お子さんはB型だそう。中学生になるそうだから、やはり同年代だろう。そんな話をしていると…

「B型とO型って合いますか?」との問い。

『ハテ? それはいったい、誰と誰のこと?』

 勝手な推論は述べられない。「さあ~?」と曖昧(あいまい)な受け答え。

 乾燥が終わって部屋に戻れば、もう六時半。空っ腹に500のビールなので結構酔っているし、お腹も空いた。1Fのレストランへ。

 今日は日曜の晩。「お風呂のついでに夕食」風の、たぶん地元の家族連れが二組。厨房のお兄ちゃん達、ウエイトレスのお姉ちゃん達も三~四人。奥の座敷で宴会を開いている団体さんもいるので、まあまあの(にぎ)わい。

 なんだか、三十年以上も前の、デパートの大食堂を思い出してしまう。子供の頃、一番好きだった場所。「百貨店」。大好きな日曜日の過ごし方は…あの頃のデパートには、どこにでも必ずあった屋上の遊園地で遊び、おもちゃ売り場でおもちゃを買ってもらい、その後、最上階のレストランでお昼ゴハン…早い話が、ちょっと時代遅れなのだが、『かつては我が街にも、こんな所があったんだろうな』と、郷愁を誘うような雰囲気。

『給料安いんだろうな』『でも、働く所があるだけマシなんだろうな』などといった勝手な憶測をしつつ…『今晩はステーキでも』と思っていたが、値段を見てやめる。


(このあたりの所得はどうなっているのだろう? はっきり言って四国は、瀬戸内側の都市部を除いて、あまり豊かではないようにお見受けするのだが…かつて以前の仕事で「北海道」に行った時、平均所得に十年分の開きがある事を聞かされた事がある。つまり、十歳年上の人が、こちらと同じ所得なのだ。そういった場所では、たとえば車など、「一部離島を除く」全国均一料金の物でも、相対的に高級品・贅沢品としての割合が高くなる。一番良いのは、「東京」や「大阪」などの大都市に本社のある企業の、地方にいる社員たち。好例を()げれば、昔派遣されていた大企業の社員たち。東南アジアの駐在から戻った人の中には「また帰りたい」と語る人もいた。『帰りたいなんて、あんたいったい何人(なにじん)?』といった感じだが、よほど良い暮らしをしていたようだ)。


 そこで、『やっぱり、このあたりは魚だよ、魚!』と「まぐろ定食」。それでも千円をはるかに越えている。


(鯨系もあったが、これも値段でNG)。


 そして九時を過ぎた頃、就寝。

 さて明日の天気と足の具合は如何(いかに)



本日の歩行 31・25キロ

      40945歩

累   計 457・10キロ

      594080歩


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ