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*第十三日目 五月二十四日(土)

 本日は、40キロ近い歩行を予定している。で、朝は五時起床。

 ここは素泊まり。朝飯の買い置きもしていなかったが、気が付けば六時近い。

 支度を整え、ザックを持って狭い階段を下れば、パジャマ姿のおばさんが、アクビをしながらトイレから出てきたところ。トイレに寄ってから出発するむねを告げ、鍵を渡す。

 トイレもお風呂も階下の一階。()み取り式だが個室は広い。量的には、大して出なかった。


(昨日も同様)。


 本日は、この一回で終了。

 裏口から表に出て、浜に行ってみる。サーファーも朝は早い。曇り空だがもうすでに、波の上にはかなりの数の黒いカラス。


(たしか「ユーミン」の曲の歌詞にもあったと思うが…つまり、黒いウエット・スーツを着たサーファーのたとえだ)。


 取って返して宿の前を通りかかると、ちょうどおばさんが店のシャッターを上げたところ。「行ってきます」「行ってらっしゃい」で「生見」を発つ。

 先ずは、すぐ先の「国道55号」に出て、道路向かいのコンビニへ直行。けっこう広い駐車場にはサーファーの車がズラリと並び、皆ここで準備をしている。「高知」ナンバーより、「なにわ」ナンバーの方が多いくらい。今日は土曜日だからか? ここで、朝食用のおにぎり等を購入。

 その後、まっすぐに「生見」を抜けている国道を歩いていると…頭上からポツポツと来た。上を見上げると、ちょうど真上に、ひときわ黒い雲がかかっている。

『たぶん、ここだけだ』

 そう思い、傘も差さずに歩く。予想通り、すぐに止む。

 本日は、いっとき日が差す場面もあったが、おおむね曇りの一日。風が強い場所では、少し寒いくらい。歩くには調度良かったが、景色はいまいち。眺めはやっぱり、晴れが良い。


(だがナゼか、車を運転している時は曇り空の方が好きな人間だ)。


 ほどなく右手に「東洋(とうよう)町役場」。ここは「生見」の街はずれ。ここを過ぎると、民家はすっかり途切れる。


(もっともこのあたり、国道沿いとは言っても、大した店とかは無い。その代わり、ここはサーフィンの街。サーフ関係のステッカー、あちこちで目にする)。


「相間」を過ぎ、「野根」の街に至る。ここまで約2キロ。朝一だったし、特に目を引くものもなかったのか、この区間の事は良く憶えていない。

「野根」は結構大きな街。


(ただし、このあたりにしては…という意味だが)。


「へんろマーク」に従い国道を右に()れ、旧道に入って行くと…番外霊場「東洋大師(とうようだいし) 明徳寺(めいとくじ)」がある。

 伝説によれば…「弘法大師―空海」は、やはりこの地でも水を湧き出させ、地元の人々に貢献したと云う。

 寛永十八年(1641)の記録に、すでに番外霊場・遍路宿泊所としての記述が残るそうだ。


 路駐している、場違いな黒いポルシェ。そのすぐ右を少し入った所にお寺がある。

 それほど大きなお寺ではないが…入口の両側に「日の丸」、その外側には「錦の御旗」(とでも言うのか?)が垂れ下がっている。

 低い石段を登って行くと、低い読経(どきょう)の声。門をくぐると、いきなり住職さんらしきお坊さんに出くわす。年の頃は三十代? こちらより若いくらいだ。

 本堂左横の観音様の前に移って、お経を唱え始める。朝のお(つと)めなのだろう。

 とりあえず、本堂でお賽銭を上げ、手を合わせる。

 しかし、ここで立ち去るのも失礼な気がして…少し下がって読経に聞き入る。と、そこに女性が現れる。二十代後半くらいか? とにかくこの時は、『御住職の奥さんだろうか?』くらいに思い、読経の最中でもあるし、あまりジロジロ見ては失礼と、顔も定かではなかったのだが…。

 ここでのお勤めはすぐに終わった。その後、二言・三言。先ほどの女性は、黙って御住職(?)の後に控えている。

「今日はどこから?」

「生見から」

「サーフィンはやらんのか?」

「足が痛いので」

と、そんな感じで寺を去る。出た所で、フト思った。

『あのポルシェは、もしかして御住職の?』

一時、テレビに頻繁に出演していた「スーパーカーを乗り回すお坊さん」を連想させる、そんな雰囲気のある、ちょっと威勢の良い感じの人だった。


 旧道に戻り、「野根」の街を抜ける。人通りはほとんど無い。

 街並を抜けると、田んぼの景色が広がる。右手奥・遠方には、どんよりとした雲の下、何となく心()かれる山々が続いている。


(「野根山登山道」という標識があったと思うが、山々の(ふもと)までは、かなりの距離がある)。


 旧道に架かる橋で「野根川」を渡り、その先、T字路突き当りを左折して国道に戻る。

 海側である左手には、小さな漁港。ここからは、右からの険しい山々が大海原に落ちる、入り組んだ海岸沿いの道。きつい「上り下り」も「トンネル」も無いが、その代わり、海岸線に沿って、延々と歩いて行かなくてはならない。

 ただし、ほとんどの場所には歩道があり、歩く事に関しては気を(つか)わず、楽に歩けた。


 やがて七時十五分。そんな道の道路右、(オカ)側にある駐車帯。「東洋町 淀ケ磯ゴロゴロ休憩所」にて朝メシ。敷地のはずれに腰を降ろす。

 このあたり、海が荒れると、浜の石がゴロゴロと音をたてて動き回るそうだ。それでこんな名前が付いたようだ。

 でも今日は、雲ってはいるものの、波はそれほど高くないし、風も調度良いくらい。


 ここで、買っておいたおにぎり三個。

 高知は「辛くて長い道程(みちのり)」の代名詞のように言われているが、今のところそんな事はない。

 でも、今でこそ、こんなに整備された綺麗な道が通っているが(実際、まだ新しそうな道だ)…左下に見える、その名の通り石がゴロゴロした海岸。『かつては、こんな所を歩いていたのか』と思えば、それもうなずける。

 三十分ほどが()った、七時四十五分。腰を上げて歩き出す。


 時にはわざわざ海側の路肩を歩き、浜辺を見ながら歩く。


(場所によっては、海側にも歩道あり)。


 車の通りは少ないが、飛ばしている車も多いので要注意。


{もっと平地の一本道みたいの想像してたんだけど…山は険しいネ。いきなり海から立ち上がってるって感じ。海は荒涼としていて…曇ってるせいだろうけど、「南国土佐」って感じじゃない。それにイナカだね。北海道か東北のはずれみたい。でも、涼しくて平坦な道なので、歩くのは楽。ただ、いくつも突き出した入江の先を眺め、『あそこまで行くのか~』と思えば、多少気が重くなったりもするネ。先が見通せるというのは、良くもあり悪くもある。予測や予定は立てやすいけど、目標物が隠れて見えなかったり、(はる)か彼方にある事がわかってしまうと、気が滅入ってしまったりもする。でもまだ一日は始まったばかりだし、体力も気力も十分残っているし、今までとは景色が変わったので新鮮な気分。それほど退屈はしてません。とにかく今は、途中で拾った軟式野球ボールを握って、セッセとキョリ、稼いでいます}


 やがて「室戸(むろと)市」に入る。「生見」を出てから、11キロほど歩いた事になる。ちょうど午前九時になったところ。

 道路の左・海側に、駐車帯がある。立ち寄ってみれば…防波堤の壁の切れ間から、階段で下に降りられるようになっている。ここで浜に下り、足を投げ出しての休憩。

『誰が最初に空を飛んだのか?』

 空飛ぶ(トンビ)を見ていて、そう思う。

「ライト兄弟」は有名だが、それはあくまで「動力飛行」での話。

 たとえばそれ以前、発明家としても有名な十九世紀のフランス人「オットー・リリエンタール」先生は、今で言う「ハング・グライダー」の墜落事故の怪我が元で亡くなったのだ。

『もし鳥という存在が無かったなら、きっと人が空を飛ぶ事など無かったろう』

 そう結論づけて、休憩を終了する。


 そこを出て、緩い上りを上って下った先が「入木(いるき)」の集落。

 道路左側の道端に、「仏海(ぶっかい)上人(しょうにん)の像」と看板があるが…

『どこ?』

「仏海」(1700~1769 「佛海」とも記述される)とは、諸国行脚(あんぎゃ)の末この地に辿(たど)りつき、「地蔵菩薩」の石像やお寺の再興に尽くした僧。

 このあと通過する事になる「夫婦岩」の地蔵など、生涯に三千体の仏像や地蔵を彫ったと云われる人物。


 まあ、本日もまだまだ先は長い。ここは、あっけなくパスする事に。

 それにしてもこのあたり、ちょうど収穫時期なのか、街道沿いのあちこちで「枇杷(びわ)」を売っている。

 そこから約3キロほどで、「佐喜浜町」の街はずれに(いた)る。

「へんろマーク」に従い、内陸の中心部へと向かう「55号」を左に()れる。

 ポツポツと民家が現われ始め、手前で見かけた小さな分校と違い、中学もある街へ。

 通りかかった右手の小学校の校庭では、父兄が見守る中、野球をやっている子供たち。今日は土曜日、学校は休みだ。学校の左隣りには小さな神社。

 ここで、軽くひと休み。長袖シャツを脱ぎ、Tシャツになる。

『こんなものか』と思っていた街は、先に進むに従いどんどん大きくなる。やがてスーパーや銀行もある、この街一番の繁華街(?)。

 その街並を抜けると、左に漁港が見える。

 その先でいったん国道に戻るが、間もなく「へんろマーク」に従い右の細い旧道へ。このあたりは、古い漁師街といった風情。少々荒っぽい雰囲気が残っているような…。

 街を出ると、再び海沿いの道。そのうち…「お腹空いた~」。

「佐喜浜」の街から約3キロ。時刻は十時十五分。「尾崎」という地名の所で、かなり早いお昼。

 左側の歩道際。腰より高いコンクリート壁に上がって、沖のサーファーを見ながらパンを食らう。

 曇ってはいるが、コンクリートが溜め込んだ熱気が尻を伝う。防波堤も兼ねているのだろう、丈夫そうな壁の上部は、腰掛けるには十分過ぎる幅。海側はストンと落ちており、かなりの落差。足先ダランで座る気にはなれず、上でアグラをかく。

「ん?」

 フト見れば、そこから少し先。道路から浜に降りた所に、コンクリート製トイレが見える。

 立ち去り際、防波堤の切れ目にあった階段を降りてみるが…まだ海水浴シーズン前。高く生い茂った草木にさえぎられ、辿(たど)り着けそうにない。で、階段脇で立ちション…で済ます。


 そこから2キロほどの所に「夫婦岩」。

 国道のすぐ左横。海に張り出したような地形の場所。どこぞにあるような、立ち並ぶ大小の岩が注連縄(しめなわ)でつながれ結ばれている。

 わざわざそちらに道路を横断して行ってみる。見ればお地蔵様。前で手を合わせる。

 これが、先に述べた「仏海(ぶっかい)上人(しょうにん)」の手による物なのか?


(などといった知識、実はこの時、まだ持ち合わせてはいなかった)。


 ここで、ずっと手に持っていた野球ボールを奉納。

 他人のゴミを拾うほどに人間できてはいないが、自分のゴミは山奥からでも持ち帰る主義なのだが…道端にツバを吐く人間・指先で吸殻を弾き飛ばす人間。倫理や道徳を説いても無駄なのだ。なにしろ、そういった行為が『カッコイイ』と思っているのだから。要は「美意識」の問題だ。


(たとえマラソン大会の途中で口に虫が飛び込んでも、決して吐いたりしない。腕や袖口で拭う事にしている。とにかく大嫌いなのだ。「ツバを吐く」という行為)。


 また一方で、『誰も見ていないから…』といった安易な人間。第三者的な位置から、自分を客観的に見られない人間だ。

『自分が自分を見ている』と思えば、「そんな自分」に納得がいかないはずなのに…『そんな事なら、始めから拾わなければよかったのだ』。

 わかっている。はっきり言って、少々カッタルクなっていたのだ。歩き旅ゆえ、許し(たま)え。


(結局実のところ、他人をとやかく言えるほどの人間ではない。若かりし頃は、特に酒に酔って街を徘徊(はいかい)していたりすると、指先で吸殻を弾いた事だってある。「体力的な限界点」「精神的な許容量」がどれほどの高さにあるか…それも問題となる)。


 十二時十分。「椎名漁港」の入口にて休憩。海と港は見える距離。

「夫婦岩」から3キロほどだろうか? 道路左の港側。歩道の端の、空地との境界に敷かれたコンクリートの段に座り込む。曇っていて日差しは無いし、海からの風があるので、こんな所でも問題無い。

 ここから見える港は、それほど大きなものではない。それにこんな時間なので、人通りも無し。

 ここで、本日の宿の手配。今日は最低でも、「室戸(むろと)岬」近くにある札所を訪れようと思っていた。そこで、その先の「室戸」市街地の手前に宿を決める。


 その後、そこから三十分も歩いたろうか? 「三津」の街に入り、ナゼか「北明神」という、名も無い(?)、小さな(ホコラ)に立ち寄ってしまう。

 道路左側を歩いていたのだが、右に見える入口の木々が心()かれる風情。わざわざ、その小高い丘に登ってみたのだが…なんて事は無かった。

 結局、またまた体力の無駄使い。


 このあたり『イナカの漁港だ』と思っていると、突如、近代的な建物が現れる。最近売り出し中の、「海洋深層水」関連の施設。人気(ひとけ)は無いが、どれもま新しくて綺麗だ。

『こんな所に…』とは思ったが、気づいてみれば山の向こうは「室戸」の街のはず。通勤できない距離ではなさそうだ。

 そしてここから、「室戸市」中心部へ向かう県道が右に伸びている。「55号」は直進だが、国道とはいえ、この先に向かうのは、本当の地元(ロコ)民か観光客。生活道路は県道の方なのだろう。


「ふあ~」っと生アクビ。今日は何だか眠い。土曜日だからという訳でもないだろうが、曇っていて、車通りが少なくて…時間の感覚が無かったが、気が付けばもう一時半。

 このあたり、「三津」の街はずれ。道は少し内陸に入り、それほど遠くはないだろうが、海はまったく見えない。ちょうど太陽も顔を出し、蒸し暑い。

 道路左側に、道幅が少し広くなった場所。木陰がある。そこに入って、地べたに腰を降ろすが…気が付けば裏手は墓地。湿っぽくて、おまけに蚊が近寄って来る。手持ちのチョコレートを少し食べ、汗で濡れたTシャツから、素肌の上に白衣(びゃくえ)


 お寺まで、午後のもうひと踏ん張りだ…が、「北明神」のあたりから、ドッと疲れが出ている。足も痛いし、ダルいし…

『体調や気分によって、一日のうちでも色々とペースを変えてみるのも良い』。そう思う。

 一時間半歩いて三十分休憩と、四十五分歩いて十五分の休憩。トータルでは変わらない。そこで、あまりピッチや歩き姿を気にせずに、ヨタヨタ・ダラダラ、足の向くまま・気の向くままに歩いてみる。

 前々から思っていた事は…『姿勢を綺麗にするなら剣道。綺麗に歩くならクロスカントリー・スキー』という事だ。

 小・中学校時代は剣道をやっていた。


(「戦国時代もの」が大好きな子供だったからだ)。


 三十も半ば近くなってから、盛んにゲレンデに通うようになった。


(バイクのレースをやっていた頃は、特に金銭面で、そんな余裕など無かったからだ)。


 そして…我が県内には、もちろん無料のクロカン・スキー用のコースがあり、試しに一度レンタルで滑ってみれば、以来病みつき。


(マラソン大会ばかりでなく、本来の意味での「クロスカントリー」…自分の足で不整地を走る…大会にも参加した事がある。ジョギングばかりでは飽きてしまうので、近場のハイキング・コースを走ったりもしていたし、だいたい、若かりし頃参加していた「モトクロス」とは、「モーターサイクル・クロスカントリー」の略なのだ)。


 ゲレンデと違い、いつでも空いているし、サーフィン同様、一度道具を揃えてしまえば、後は現地までの交通費のみ。お弁当やカセット・コンロを持参すれば、そこで丸一日遊ぶ事ができるわけだ。それに元々、水泳やジョギングも趣味。


(大体が、マゾッ気のある持久系ばかりなのだ)。


「当然」と言えば「当然の成り行き」だったのだろう。


 そんな感じで始めた「クロスカントリー・スキー」。

 その難しさは…はっきり言って、購入した板は「金属エッジ」付きの「バック・カントリー」用と呼ばれる物。靴も軽登山用ブーツ並の硬くて重い物。レンタルで借りたような、軽くて軟らかく歩きやすい靴に、高下駄のような板では、多少腕に覚えのある人でも、下りではまったく曲がれない。板が雪面に食い込み、グニャグニャの靴では全然コントロールできないからだ。板底には雪を噛むための凹凸が付けられており、簡単に登れてしまえるから、なお始末が悪い。尻餅ブレーキを使いつつ、そろりそろりと降りて来なくてはならない。

 まあ、これは道具でカバーするとして、本題に入ろう。

「クロカン・スキー」の難しさとは…スキー板への体重の載せ方。特に、後ろ足を抜く時が重要だ。

 普段、アスファルトやコンクリートの上を歩いたり・走ったりでは気にもならない事なのだが、体重をうまく板に載せ、綺麗に踏み抜かなくてはいけない。極端な話、これがまったくできなければ、その場で板を前後させるだけで、ひとつも動けない事になる。そして実際の場面では、後ろ足がズルッと滑ってしまうと、体力の浪費が実感できる。

 また、ストックを握った手・腕の動きも、綺麗に同調(シンクロ)させる必要があり、これができれば大いなる手助けとなる。

 クロスカントリー・スキーを始めて以来、『体重を綺麗に載せ、綺麗に踏み抜く』…歩きながら・走りながらでも、そんな事を意識するようになったものだ。


 やがて「室戸岬町」に入れば、遠くに巨大な白亜の「青年大師像」が見えてくる。

 これは昭和の作。大師十九歳の御姿とされる。


 道路の左向かいにホテル。この場所は素通りして、先へと進む。

 ここから左手海側に遊歩道もあるが、優先順位は右手山側の「御蔵洞(みくろど)」と次なるお寺。見落としてしまったりしたら大変だ。それで、歩道の無い国道の、でも海に近い左側を歩き続ける。

 左の遊歩道を眺めつつ、道路沿い右側の「御蔵洞(みくろど)」前に到着。切り立った断崖の下に、大きな洞が二つ。


(このあたりの地形は、磯と断崖の間にわずかな平地が続き、そこに道路や人跡がある…といった感じ)。


 ここは番外霊場(「御厨人窟(みくろど)」とも表記される)。

「弘法大師」が修行した場所として有名な所。

「空海」の著書「三教指帰(さんごうしいき)」(797)にも、『土佐室戸崎に勤念(ごんねん)す。谷響(たにひびき)を惜しまず、明星来影(らいえい)す』と記されてあるそうだ。

 云い伝えによれば、「空海」はここに住む毒蛇を追い払い、「愛満五社権現」を勧請、本地佛に「愛染明王」を(まつ)ったとされるが、一番有名な逸話は…洞内から見える「空」と「海」を見て、以来「空海」と名乗るようになったというもの。


 中に入れば「キューキュー」鳴くのはコウモリの声。真っ暗だ。

 メインのお洞に入って振り返れば、『なるほど』。「空」と「海」しか見えない。そこでフト思った。

『浮気っぽくて飽きっぽいから、「動心(どうしん)」なんて名はどう?』

 ゆくゆくは、どこかに(いおり)を結ぶのも夢の一つだ。


(人生の最晩年。ただし、「都会」とは言わないが、「街中生まれの、街中育ち」。人跡未踏の山奥などではなく、都市から遠からず・近からずの場所が良い。「都会の(アーバン)仙人」になるのが目標…と語って、「ウソくせ~」と言われるのが常)。


 順次二つの洞をのぞき、お賽銭は各十円。

 表には納経所があり、自販機もある。休憩したい気分だったが、ひとまず公衆トイレの見えた先の駐車場へ。

 このすぐ先右側に、お寺への登り口があったのだが…道路をはさんで向かいに見えた案内板へと横断してしまう。

 地図を見て、ここからは遊歩で岬を目指す。しかし、大きな玉石を埋め込んだ舗装は、足の裏にゴツゴツきて…歩き疲れた足にはキツイ。

 途中、バーベキューをやっている一群がいたり、岬近くのパーキングには、観光客やライダーの群れ。


(この上には、公営の「ライダー・ハウス」=宿泊所があるようだ)。


 お遍路姿では、妙に浮いてしまう。今日はここまで、お遍路さんには一人も出会わなかった。市街地以外では、時おり地元の人を見かけた程度。

 そのうち…三時十五分。「室戸岬」のバス停留所前。「中岡慎太郎」像前で記念撮影。

「坂本龍馬」氏の「海援隊」ほど有名ではないが、(おか)の商社「陸援隊」の創始者。


(「龍馬」氏と共に暗殺された、歴史上の人物だ)。


 ここで一応岬到着という事にして(かつて二十五年ほど前、バイク・ツーリングで訪れた事がある)、復路は「55号」で引き返す。

 途中、観光案内所のある駐車場で、続く登りに備えて小休止。自販機でペットのコーヒーを買う。

 その後、お寺への入口を探せば、先ほどトイレに立ち寄ったパーキングのすぐ手前。少々ガッカリするも、『岬にも行ってみよう』と思っていたので『ヨシ!』とする。

 もう一度そのトイレに寄ってから、登りにかかると…

『あの人たちは、今頃どこを歩いているのだろう?』

 この旅に出てから出会った人々…お寺への石段を登りながら、フトそんな事を思う。

 勾配はかなり急。でも、たったの700メートル弱。一気に上れば山門前。時刻は三時五十分。二十四番目のお寺に到着。


《第二十四番札所》

室戸山(むろとざん) 最御崎寺(ほっつみざきじ)



   本尊 虚空蔵菩薩(伝 弘法大師作)

   開基 弘法大師

   宗派 真言宗豊山派


 大同二年(807)、唐から帰国した「弘法大師」は、「嵯峨天皇」の勅願を受け、再びこの地を訪れ伽藍を建立。

「虚空蔵菩薩」を本尊として安置されたと云う。


「ふ~!」

 なんだかとっても疲れた。でもまず、先にお参りを済ませてしまおう。ナゼかここには、先ほどまでとは打って変わって、お遍路さんが沢山いる。

 団体さんの合間を()って本堂・大師堂。敷地はそれほど広くない。「ほっつき歩く」こともなく、目に付いたベンチに腰を降ろす。

「ふ~!」

 ホッと一息。でも、それも当然だ。今日はすでに、かなりの距離を歩いている。


 そこに、大きなザックを(かつ)いだ女性が到着。年の頃は、二十代半ばから後半くらいか? 色白のショート・カットで、けっこう背が高い。まったくお遍路らしい格好をしていないが「お遍路さん」。

 向かいのベンチに重そうなザックを降ろし…「けさ、お会いしましたよね」の言葉に、こちらは「?」。

 実はこの人、今朝一番で立ち寄った「東洋大師」で見かけた女性。向こうはわかっていたみたいだが、こちらは別れた後も、しばらく気づかなかった。

 ナゼって…読経の最中だったし・住職さんの奥さんだと思い込んでいたし・元々、あえて女性をジロジロ見ない事を習慣としていたし…


(女性をジロジロ見てしまうのは男の(サガ)。要はその事に気づいているかどうかだ)。


…で、よく見ていなかったからだ。

 今晩は、ここの宿坊に泊まるそう。


 その後、フト気が付けば、時間も時間。団体さんが去った後には、ガランとした境内。

 少し下って海側にある灯台を上から眺め、再び戻ってお寺の敷地を奥に抜ければ「室戸スカイライン」に出る。路肩は狭いが、夕方近い観光道路。通る車はほとんど無い。ここを「室戸市」側に下る。

 こんな所を徒歩で下りるのは初めての事。車で走っていると気づかないだろうが、断崖の外にまで張り出した部分も多い。


(こういう場所でのこういった造り、案外多いのだろう)。


 鋼鉄製のガード・ロープは腰くらいの高さしかなく(乗用車に着座した状態でなら、十分な高さに思えるだろうが)、谷側を歩いていると目が(くら)みそうだ。


(貴重な経験だ)。


 その代わり、眺めは最高。空・海、そして前方眼下に見える「室戸」の街。行けない距離ではないが、今晩の宿はここを下ったあたり。箱庭のように、真下に点々と見える建物のどれかのはず。

 スカイラインの終点を過ぎて、国道手前の旧道へと右折。

 宿は国道沿いだが、宿に入る前に多少の食料を調達しておかなくては…何しろ「食い減らし」。夜中にお腹が空いて、ひもじい思いなどしたくない。

 上から見た限りでは、古いが旧道の方が家の数は多い。小さな集落に入り、ブラブラしている中年の男性と軽く会釈してスレ違う。

 フト見れば、その先右側に、古ぼけた木造家屋の食料品店。ちょうど良い。ついでに宿の場所も聞いてみよう。

『でも、何て名前だっけ?』

 くすんだガラス戸の店先でガイド・ブックを広げていると、後ろから声が掛かる。先ほどのおじさんだ…と言っても同世代。ここの人だったようだ。

 最初は(いぶか)()だったが、客とわかると急に愛想が好くなった。でもたぶん、普段はおばさんやおばあちゃんが切り盛りしているのだろう。商品の値段も定かではなく、あれこれと調べている。


 買物を済ませ、宿の場所を尋ねてみると、わざわざ表に出て来て教えてくれる。

 少し戻って細い道を右に入り、家人がタムロッている家の前を過ぎれば国道に出る。左の岬方面に戻れば、間もなく本日の宿の前。

 ちょうど道の向こう、海側を歩く、大きなザックを背負った若者。四国はヘンな奴が多い?


 今晩の宿は民宿。本業は、喫茶店といった綺麗な造りの食堂。

 父母と同世代と思われるおばさんが出て来て(七十前後か?)、二階の和室に案内してくれる。

「55号」沿いで、窓から見える道路のすぐ向こうに海。昨晩の宿以上に、間近に波の音が聞こえる。天気が良ければ、海に沈む夕日が見られそうなロケーションだが…本日はお生憎さま。一面均一の灰色模様に「残念!」。

 その後、風呂待ちの間に、足のテーピングを()がす。

 今晩は、宿泊客がもう一人。お寺の境内で見かけた、首から()げた白い納経帳入れ以外、お遍路さんらしくない出で立ちの、白髪混じりのおじさん。やはり六十代だろう。「老けたジャン・レノ」あるいは「若返った津川雅彦」風のおじさんは、口(ヒゲ)をたくわえており、なかなかに渋い。こちらより少し前に到着したようだ。


 風呂に入ってさっぱりしたところで夕飯。夕食の席は、一階食堂から上がった、於「普通の和室」にて。

 同宿・同席のおじさんの話では…今朝「甲浦(かんのうら)」を出たのだが、土砂降りに()いバスに乗ったと言う。たぶん朝のあの時間、ポツポツ来た時、すぐ近くの別の場所では降っていたのだろう。

『ラッキ~』


 そして夕御飯の内容も『ツイてる!』。なかなか豪華。『この料理でこの値段なら安い』と思わせる質と量。たぶん息子さん(こちらより、少し若そうだ)と思われる男性が造っているようだ。

 詳細は…野菜のいっぱい載った皿に盛られた刺身。そこに、亀のような形に整えられた何かの葉や、ギザギザ(ウロコ)の亀の甲羅風模様が付けられたワサビ。なかなか凝っている。焼魚。魚のダシの入ったお吸い物。小さな海老と、何かの葉の天婦羅。おしんこ・おひたし。それに、おつまみにちょうど良い小貝四種。一つは「亀の手」という貝。ゴハンは空腹だったせいもあり二・五杯。

 まあ、専業は食堂なのだろうから、当然と言えば当然なのかもしれないが、美味しかったので黙々と食べてしまう。ついつい食べ過ぎ、もう満腹。

「ふ~! 食った・食った」


 さて、今日はバテ気味「クッタクタ」。早々に部屋に引き上げるが…ところで明日はどうしよう? 二つ先のお寺までは大した距離ではないが、そこを過ぎると次に宿のある街まではかなりある。

 それに明日は、朝から一日雨だそう。まあいい。今日こそユックリ、早目に寝よう。でも、まだ八時半だ!


 背中と肩が「汗も」気味。

 靴は最後まで持たない事が判明。さてどうする? 「高知市」あたりで新しいランニング・シューズを探すか? それとも、街道沿いの靴安売り店で間に合わせるか?



本日の歩行 39・09キロ

      50769歩

累   計 425・85キロ

      553135歩




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